鉄壁のガンズーが弟子
コトコト煮える白いスープを、木のへらでかき回す。かいてかいてかいて回す。
水分を吸って膨らんだ米が、鍋の底にへばりつきじりりと音を立てた。
「はい焦げたー。ざんねんー」
「待て待て、まだちょっとだろ! 大丈夫だってこれくれぇ!」
「って言ってる間に茶色くなってきたよー。米もまだ半煮えだね」
「火力強すぎんだろこの竈!」
「もっと火の具合を見てさ、そんな混ぜなくたっていいんだから」
「くそぉ、火力調整のつまみついてねぇのかよ……」
「なにそれ便利そう」
昼にはまだまだ早い時刻。ガンズーは三頭の蛇亭の厨房にいた。
小鍋と木べらを両手に、エプロンをつけている。主人のものを借りた。
主人の娘ベニーは自分の花柄刺繍入りエプロンを貸そうとしてきたものの、当たり前だがサイズが合わなかったのでガンズーはかろうじて難を逃れた。
ベニーに料理を習うこととなり、初日である。
とにかく最初は簡単なものにしてくれ。そしてできれば子供が喜ぶものにしてくれ。そう言うガンズーにベニーは「んじゃミルク粥とかがいいんじゃない?」と言った。
というわけで、記念すべき最初のメニューはミルク粥である。
具材と乳でスープ作って米入れるだけだろ、とガンズーは気楽に考えていたのだが、これがなかなかうまくいかない。
竈が強敵なのである。薪の具合だけで火加減を調整しなければならないので、どうにも言うことを聞いてくれない。
火の強さなど湯が沸けばいいのだろうなどと思っていたガンズーは、見事にその幻想を打ち砕かれた。
餅に近くなった粥をべりべり鍋から剥がし皿に出すと、ガンズーはあおるように口へ放りこむ。
練習なので一度の量は少なくしてあるが、すでにガンズーの腹には二杯分の粥が入っていた。
「……かてぇ」
咀嚼しながら呻く。味はそれなりになったが、米に芯がある。だというのに、スープは全体的にもったんもったんして汁気が薄い。
「スープと米のバランス悪かったね。も少し米が吸う分を考えたほうがいいよ」
「おめーなんも言わんかったじゃねぇかよ」
「失敗するのが一番いい練習でしょ」
ベニーがそう言うので、一理あると思ってしまいガンズーはなにも言えない。
注意も受けたし、二回目は水気のバランスに関してはもう少しよくできていたのだ。やはり焦がしたが。
それが三回目にできていないということは、油断したということに他ならない。
師匠はなかなか厳しいが、やはりなかなか的確なことを言ってくるので、どうにもこうにも言い返せないのだ。
「じゃもう一回。ほらお肉と玉ねぎ切って」
「くそー……」
ちなみに練習の具材は持ちこみである。当然、宿の売り物をガンズーが使うわけにはいかなかった。
買いとるぞと言うと、主人は相場を越えた値段を提示してきた。
なので、米も乳も具材も買ってきた。
塩漬け肉と玉ねぎを手早く細切れにする。ベニーが手元を見ながら言った。
「やっぱ切るのは上手だよね。アタシよりうまいかも」
「そりゃ刃物扱うのは慣れてっからよ」
「さっすが。ナイフより斧の方が上手だったりする?」
「まな板もぶった切っていいならな」
軽口を叩きながらノノはどうしてるかと思い食堂のほうを見てみれば、暇をしている冒険者たちのテーブルに座って、カード遊びなんかを教えられている。
変な遊び教えんなよ、と思うが、ガンズーがこの宿に泊まっていたころから顔見知りだし、その中の女戦士がやたら優しくしているので妙なことにはなるまい。
「これよぉ、先に米だけ炊いちまったほうが楽じゃねぇか?」
「楽だよ。面倒だけど」
「どっちだよ」
「粥にするためだけに炊くの? 余しそう」
「んん……うーん」
「火加減と水加減さえ覚えれば簡単だよ。ほれほれ切った切った」
「そういやさっき会ったっきりおやっさん見ねぇな。どこ行った?」
「猪食べたいんだってさ」
「あ?」
「だから猪とってくるんだって。夜には戻るんじゃない?」
「そんなちょっと買い物みてぇな……」
「よくあることだよ。おかげでアタシ出てないとなんなくなっちゃった」
「ふーん」
刻んだ具材を鍋に入れて、次こそはとガンズーは剣のように木べらを構えた。
水分が怪しくなったら水と乳を追加するという秘技を習得し、ガンズーは五回目にしてそれなりに食べられるミルク粥を完成させた。
ちょっと薄味になった気もするが、問題なく食べられる。塩や胡椒を追加するなり出汁をもう少し濃くするなりすればこれも改善するだろう。
昼が近くなっていたため、いざノノに食べてもらおうかと思ったが、残念ながら材料が足りなくなってしまった。夜にお預けとする。
ついでにノノに昼飯を――ガンズー自身は失敗粥で腹がいっぱいだった――とベニーに頼むと、ミルク粥に似たものが出てきた。
ただしこちらは刻んだ根菜や茸や小さなエビなんかが入っていて、ほんのり香ばしい。リゾットである。
一口味見させてもらうと、海鮮の風味がたっぷり米にしみこんでいる。出汁にはエビ以外にも海産物を使ったのだろうか。
米にほんのわずか芯を感じるが、ガンズーの失敗作のようなものでなく、計算された心地よい歯応えだった。
この小娘もなかなかやりやがる、とガンズーが謎の目線で思っているうちに、ノノはもりもり食べて、ぱたぱた足を振った。
なぜか先ほどの女戦士が隣に座ってそれを潤んだ目で眺めていた。
そんなこんなで三頭の蛇亭を辞し、次に鍛冶屋へ向かっている。
ベニーに斧がどうこう言われて、そういえばそろそろ装備の調整も済んだころだろうと思い出した。
直近で使う予定は特に無いが、やはり武器も防具も手元にあったほうがなにかと安心できる。
鍛冶屋のある通りまで来ると、表に小ぶりの馬車が停まっていた。
身なりの良い老人が鍛冶屋から出てくると、その馬車に乗りこもうとして、こちらに気づいた。
白い眉毛も白い髭も大いに豊かで、いまいち表情がわからないが、ノノを見てガンズーを見て、もう一度ノノを見た。
ガンズーも彼を一見してから鍛冶屋に入ろうとすると、
「失礼。もしや、鉄壁のガンズー殿でおられますかな」
と話しかけられた。振り返る。
小さな体躯に杖を突いているが、足元はしっかりしている。杖はなかなか美麗な装飾が施されていて、おそらくファッションだろう。着ているローブは簡素なものだが、上質な生地を使っている。
貴族かな、とガンズーは思った。
「どちらさんだい」
「これはとんだご無礼を。儂は、マデレックと申しますしがない商人でございまして。最近この街に移りました。ご高名なガンズー殿でございますから、思わずお声かけをしてしまった次第です」
のんびりとした声音でそういう老人――マデレックだが、いまひとつ要領を得ない。
ちらと馬車に視線を移してみると、小さくはあるが窓付きの箱馬車で、外観も美しく仕上げられている。その辺の宿場に繋いでいるような幌馬車とは桁がふたつは違いそうだった。御者は目を閉じて主の搭乗を待っている。
これで貴族じゃねぇのか、とやはりガンズーは思った。
「……しがないか?」
「交易でいくばくかの財を得まして、まぁ、見た目に箔をつける程度はやっております。今は行商で口を糊するばかりですがな」
「んで、なんか用かい?」
「つい先日、こちらへ向かう商人がガンズー殿に救われたとお聞きしました」
なんのことかガンズーはしばらく考えて、ドートンたちが助けた馬車の商人だと思い至った。
ガンズー自身はその商人と顔も合わせなかったので、すっかり自分は関係ない気になっていた。
「ああ、あれか」
「実はあの者、儂の商い相手でしての。危うく投資分を捨てねばならぬところでございました。ガンズー殿にお会いできたら、なんとしても感謝申し上げねばと思っておったのです」
「なんでぇそんなことか。いいんだよ俺ぁ。そんときも言ったが、礼ならその場にいた新人どもにやってやってくれ」
「それはもう。先方をとおして儂からも御礼申し上げたところでございます。ガンズー殿にも改めて、と」
「いいってよ。あいつらにやってくれりゃ十分だ」
「ふむ……いや、ガンズー殿ならばそうおっしゃるのではと思いましたが」
マデレックは髭を撫でて、ガンズーの指を掴むノノへ視線を下ろした。
「ガンズー殿が虹瞳の子を引き取った、というのは本当だったのですな」
「えらく話が広がってんなぁ……べつに引き取ったってわけじゃねぇよ。まぁ、面倒見ることになったっつーか」
「虹狩り騒ぎも聞き及んでおります。ガンズー殿がおられるなら安心ですな」
「どうかね」
「ガンズー殿。儂はこれまで各国を周り、その様子を見てきたものです。子供には辛い時代ですな。特に虹瞳の子は。儂は以前、都市同盟にもおりました」
「ハーミシュ・ロークか。あそこもまぁ、酷かったな」
「子供に限らず、虹の眼が何人も犠牲になりましたな。貴方がたのおかげであの憎き邪教のやつばらを駆逐できたのは望外でございました。勇者様がたは遺跡へ向かっているとのこと、喜びをお伝えできないのが残念です」
「ずいぶんよく知ってんじゃねぇか」
「商人は情報が命でございますからの。ともあれ、儂のことは陰より応援するひとりとお考えくださいませ。なにか入用がありましたら、お声かけくだすれば微力ながらお力になりましょう」
「そうかい。ま、なんかあればな」
深く一礼してから、マデレックは馬車の扉に手をかけた。最後にもう一度振り返ると、ガンズーを見て、ノノを見る。
やはり表情は分からないが、目を細めているように思えた。
「健やかなることをお祈りしております」
「おう。あんがとよ」
馬車が閉じると、御者はひとつ手綱を手繰って、繋げられた二頭の馬は静かに歩を進め始めた。
ゆっくりと通りを進んだ馬車は、すぐに角を曲がってその姿を消した。
「健やかにってよ、ノノ」
そう言ってみるが、ノノはよく意味がわからないらしい。
「いっぱい飯食って、いっぱい遊んで、いっぱい寝るんだ」
「やってる」
「わはは、そういやそうだ」
すっかり立ち話に時間を食ってしまった。もうすぐお昼寝の時間だ。
ガンズーは今度こそ鍛冶屋の扉を開けた。
◇
コトコト煮える白いスープは、めくらめっぽうかき混ぜるものではない。
端が焦げないように米や具材が焦げないように見つつ、スープをしっかり吸いこむよう耐える。
泡がふちふちと小さくなったあたりで、木べらを入れる。端で少し固まった乳を溶かすように回すと、粥は滑らかな感触を伝えた。
「……いんでねーの? いいんでねーの?」
思わず妙な自賛が出るが、実際になかなかうまく調理できた手応えがあったので仕方ない。
少し味見をしてみると、塩加減もぴったりだった。
家にある竈は宿屋のそれほどしっかりしたようなものではないが、逆に小さいおかげでガンズーの想定する火加減を作りやすかった。
お昼寝が終わり、やって来たケーも日が沈むことには出ていったので、じっくり腰をすえてミルク粥作りに取り組めた。ノノが後ろでちょろちょろ様子を見ていたので、なんだか緊張した。
皿にふたつ粥を盛り、テーブルに並べる。
ノノがじっくり眺めているので、「熱いからふーふーして食うんだぞ」と言い足してガンズーも座った。
匙ですくった粥にしっかり注意して、彼女は一口食べた。
「……ど、どうだ?」
一緒に暮らし始めて最初にスープを作ったときよりも緊張する。
「んまい」
ノノは椅子に座ったまま二度、ばいんばいんと足を跳ねさせた。
ガンズーは立ち上がり、静かに両手を上げた。
神とノノとベニーに感謝を捧げ、農家に祈りを捧げ、牛飼いに祈りを捧げ、ついでに薪を採ってくる木こりにも鍋を拵えた鍛冶師にも祈りを捧げた。
これまでの己の人生を祝福した。栄光ある勝利の姿を世界に誇示した。
「いやーそうかそうか! うまいか! うまいかぁそうかぁいやこんなもん簡単だからなぁいくらでも作っちゃうぜもうほれどんどん食え――」
ふと気づくと、テーブルの端にケーがいた。
帰ったはずである。
ぺちょっ
蛙の舌が一瞬ガンズーの皿に伸びたかと思うと、ピャッと悲鳴を上げてケーは跳び上がりそのままひっくり返った。
「あっつい!」
「なにすっだてめぇ!?」
「あっついボクあっついボク死んじゃう! ボクのプリチーな舌があっつい! 先っぽがザラザラになっちゃう! ボクかわいそう!」
「かわいそうなのは俺だバカ野郎! 俺の粥がなんか黄緑っぽくなってんじゃねーか!」
「あーヒリヒリする。キミがいつまでたってもキャベツの芯のかたいとこを茹でてくれないからじゃないか。きっとキミは茹でてそのまま出すんだよおっかないね。ボクはふーふーしようとすると胃袋が出ちゃうんだよ」
「ふーふーする?」
「ノインノールは優しいね。でもボクにこれはちょっとしょっぱすぎるかな。ノインノールには今度ほうれん草のおいしい食べ方を教えてあげる。ひたひたになったほうれん草はおいしいんだよ。ボクは軸のほうが好きだけど」
「蛙は――」
ケーを引っ掴むと、ぷぎゅ、と悲鳴でも鳴き声でもない空気の抜ける音がした。
「虫食ってろ!」
窓の外に放り投げる。
林の下草ががさがさ葉擦れする音がして、ケーは消えた。
ノノは「あー」という非難の声を上げたが、ガンズーの皿を見てから、それ以上はなにも言わず自分の粥にまた取り掛かった。
粥の上に残った粘液を慎重に取り除いて、ガンズーは我慢して食べた。食べ物を粗末にしてはいけない。
困ったことに、十分うまかった。ただちょっと酸っぱかった。




