表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/122

鉄壁のガンズー、魔王

 三頭の蛇亭は木曜が最も客が少なくなりがちだというので、通うのはそこにすることにした。

 ベニーの都合も聞いてみたが、恋人と別れた――本人はフッてやったと言い張ったが、主人によると何度も同じ相手と繰り返しているらしい――のがつい先日で暇ばかりしているという。


 とりあえず木曜までは主人を見習って自力で工夫してみよう。

 そう決めてガンズーは、再び竈の前に仁王立ちしていた。

 米の入った袋が目の前にある。


 ガンズーは米が好きである。好きというよりも、食事と言われて最初に発想するのが米だった。ご飯だった。

 本来が日本人の感覚を持っているのだから仕方がない。どれだけ肉やパンやスープやパスタに慣れようが、こればかりはどうしようもない。

 魂が故郷を覚えているのだろうとガンズーは思っている。


 ただ困ったことに、この国の米はちょっと勝手が違う。

 基本的にスープなんかで煮込んで食す。リゾットというやつだ。あとはサラダに混ぜ込んで野菜として扱ったりする。味つけして炒めたりもするが、ガンズーの知るチャーハンやピラフともちょっと違った。


 そのどれでもガンズーは十分に満足したが、やはり炊いた白米が食べたいと思ってしまうときもある。贅沢を言えば味噌汁も欲しいが、味噌は探しても無かった。

 一度、トルムに頼みこんで試しにそのまま炊いてもらったが、これがなんともいけない。さらさらぽろぽろして食べ辛く、味も臭いもよろしくない。しけったポン菓子みたいだなと思った。

 結局のところ、物が違うのであれば適した調理をしなければならないのだ。


 というわけで、米が食いたい。

 のだが、改めて考えると米ほど調理の難しそうな食材はないのではという気になってくる。とりあえずふやかせれば食えないことはない干し麦とは話が違う。


 炊き方くらいは分かる。多分、分かる。しかしここには目盛りのついた飯ごうも無ければ、炊飯器なんて利器も無い。


 はじめちょろちょろなかぱっぱ、ノノが泣いたらどうしよう。

 そしてそもそも、ただ炊くだけではいけないのだ、この米は。


 スープで煮込めばいいのか? じゃあそのスープはどう作る?

 眉間に皴を寄せて考えこんでいたところ、玄関扉が叩かれる音がした。


「あいよー」


 扉を開けると、背の低い少年が立っていた。おそらくデイティスと歳は同じくらいで、やっぱあいつ背ぇ高ぇなとガンズーは思った。

 見てみれば、頭がすっぽり入りそうな大きめの鍋を背負っている。鍛冶屋に鍋を発注していたことを思い出した。

 その丁稚に駄賃をやって、鍋を受け取った。丁稚は嬉しそうに帰っていった。


 これでいちおう、炒めたり煮込んだりといった作業に苦労はしなさそうだ。先にあった手鍋では、ノノにはいいがガンズーには物足りない。

 とりあえず竈にその鍋を置いてみると、


「やぁ」


 中にケーが入っていた。


「……お前いつの間に入りやがった」

「この深さはいいね。ボクにぴったり。土と湿らせた藁なんか詰めてくれたらもうここから動けなくなっちゃうんじゃないかな。それはダメだね、ボク太っちゃう。適度な運動はしないとね」


 その大鍋に小鍋を叩き合わせ、こーんと響かせてやると、コェーと似たような鳴き声も上がった。






「ノインノールはまだ起きないね」

「さっき寝たばっかだぞ。無駄に早く来やがって」

「この世に無駄に早いなんてことはないんだよ。無駄に遅いことはいっぱいあるけどね。なんでも早ければ早いほどみんな嬉しいね。お日さまは一日に三回くらい昇ってもいい気がするな。でもお食事だけはゆっくりしたいねボク」

「ならお前の知ってることもさっさと喋ってくれや」

「ケーロケロ」

「口で言いやがったこいつ」


 どうもケーは言葉と鳴き声の発し方が違う気がする。

 喋るときは喉と口を器用に――蛙の骨格など知らないが――動かしてそれなりにきちんと発音しているが、鳴き声を出す時は喉の奥を鳴らしている。

 どういう仕組みなんだろうと思うが、そこを気にしても仕方のない謎の生物なので特に聞いたりしない。


「ああそうだ、おめーに言っとく。もしかしたら土曜くらいから若い奴がウチに来るようになるかもしんねーから、間違ってもそいつらの前で喋んなよ」

「若い。素敵だね。若いとなんでもできるからね。ノインノールも若いね。未来がいっぱいだ。ボクわくわくしちゃう。どんな素敵なノインノールになるのかな。その点キミはダメだね、魂に白髪がいっぱい生えてる」

「こいつを獣相手の練習に使うのもいいか……」

「ボク死んじゃう。自慢じゃないけどボクはノインノールにも負けれるよ」

「まぁ負けてるもんな」


 何度かノノが加減を間違え、拾った木の枝でこの蛙はボールのように飛ばされている。

 謎の頑丈さだか弾力だかで無事ではあるが、一度だけ脳震盪でも起こしたのか地面の上で潰れた饅頭のようになったことがあり、ノノが泣きそうだった。

 彼女は反省しているが、遊んでいるうちにどうしてもテンションが上がるときがあるようだ。いつかケーはホームランして、アージェ川に落ちるかもしれない。


「カエルちゃんは子供たちに命の儚さを教えるのも役目だからね。そして人間の残酷さも教えるのさ。破裂したカエルちゃんたちは勇敢だったんだよ。悲しいね。でも反撃もするんだよ。逆流するとどんな味がするんだろうボクもわかんない」

「いや知らねぇけど」

「でもノインノールは優しいね。ボク嬉しい。フルスイングが二度に一度だったのが、今ではなんと三度に一度だからね。ノインノールの成長は早いね。早いのはいいことだね。振りの早さも上がってるね」

「縄跳びごっこだか棒跳びごっこだかはやめりゃいいんじゃねぇか?」

「ノインノールは追いかけっこも好きだね。でもノインノールは時々転ぶから、ボクちょっと心配。でも安心していいよ。ケガをしそうならボクはいつだって下敷きになれるのさ。ばいんばいん。潰れちゃったらゴメンね」

「……服ん中でも生きてそうだなお前な」

「なんの話だい?」


 ふと気になったので、ガンズーはためしに聞いてみた。


「魂に白髪って、お前そういうのも見れんのか?」

「見えるわけないじゃないかおバカさんだね。魂なんて代物が見えたりしたら、ボクはお父上にもっと褒めてもらってるよ」

「んじゃさっきのはなんだよ」

「ケピーケピー」

「こんにゃろう……ていうかお前、親父がいんの?」

「ケロケロピーチャンケロピーチャン」

「ノノに振りやすそうなバットでも作ってやるかな……」

「ボク死んじゃう」


 都合の悪いことを聞くとケーはすぐに蛙のふり――蛙だが――をするので、まともな話にならない。

 どうせ今日も有用な情報は出てこなそうなので、ガンズーは先ほどの大鍋を軽く洗うことにした。野生動物が入りこんだので、ちょっとそのままは使いたくない。


 水瓶から鍋に水を移しながら、テーブルの上のケーへ適当に言った。


「んでお前、なんでこんな早かったんだよ。どうせお前のこったから、ノノがまだ寝てるなんてわかってたろ」

「キミちょっと賢くなったね。偉いね。人間の可能性を感じるね」

「いい加減、鍋を被せて叩きまくるぞ」

「楽しそうだけど、きっととろとろになっちゃうねボク。知ってる? ボクの耳ここにあるんだよ」


 見てみると、蛙は目の横あたりに前肢を上げている。


「わかんねぇ……」

「実はボクもよくわかんない。ところでキミが言ってたウークヘイグンくんなんだけど」

「あ?」

「ウークヘイグンくん」


 ケーからさらりと魔族の名前が上がり、ガンズーの手は止まった。


「お前……知らねぇって言わなかったか?」

「うん知らない。知らないから調べてきちゃった。ボク真面目。聞いてみたら、まだ二十歳くらいだったんだね。若いね。いいね。でも早く死んじゃうのはちょっとダメだね。あ、早くてもダメなことがあるね。ボク嘘つき。ボク反省」

「…………」

「キミを悪く言うわけじゃないから心配しなくていいよ。優しいねボク。でももしかしたらガラジェリはちょっと怒ってるかもね。おっかないね」

「誰だって?」

「ガラジェリ」

「だから誰だそいつは」

「みんな知ってるじゃないおバカさんだね」

「いや、知らんぞ誰だよ。まさかウークヘイグンの上の魔族――」


 そこまで言って、ガンズーは手だけではなく全身が固まった。


 ウークヘイグン。

 ノノを守るために、この家の前で死闘を演じた魔族。鰐の相貌が頭に浮かぶ。


 街の結界を抜けるほど強力で、これまで戦ってきた魔族とも同格で、ガンズーの防御を抜くほどのステータスを持っていて。

 その魔族が倒されて怒る。

 強力な魔族のさらに上。

 みんなが知っている。


「魔王……?」

「ほら知ってた。みんなそう言うんだもんボク困っちゃう」


 今代の魔王の名は誰も知らない。あるいは、誰にも伝わったことがない。

 わかっているのは、五十年ほど前に現れたこと、数十年おきに現れては人類に対して侵攻する魔物の首魁であること、カルドゥメクトリ山脈の奥深くにその根城があるということ。


 歴代の魔王が同一であるのかどうかすらわからない。

 歴史上にいくつか魔王を名乗った強力な魔族の名は残っているが、それ以上に最期まで名前も正体も知れなかった者のほうが多い。

 ある時に突然その姿を消したこともあれば、当代の勇者が帰らなかったこともあるし、結果的に侵攻は止まったが打ち倒したその魔物が本当に魔王だったのかわからない者までいる。


 なんにせよ、ガラジェリなどという名前は聞いたことがない。

 人間と友好な魔族、カンワンアペルもその名を口にはしなかった。


「魔王、ガラジェリ……」

「ウークヘイグンくんはガラジェリのところの子だったんだね。勉強になったねボク。でもノインノールを危ないメに合わせるのはいただけないね。ボクやんなっちゃう。でもガラジェリおっかない。ボクやんなっちゃう」

「お前――」

「だからちょっぴり仕返し。ガラジェリはあんまり名前を覚えてほしくないみたいだからね。教えちゃったねボク。ガラジェリガラジェリ。わーいわーい。バレたらどうしよう。ぷるぷるしちゃうねボク。ちゃんと守ってねキミ」


 ガンズーはゆっくりと大鍋を置いてから――小さいナイフを手にした。


 魔王ガラジェリ。その名が真実だとして、誰も知らなかった魔王の名。

 それをあっさりと口にしたケー。

 いよいよもって、その正体が知れない謎の蛙。


 ガンズーは手のナイフをテーブルの上の蛙に向けた。


「……お前は」

「ボク、カエル」

「そりゃ知ってる」

「知ってることが多いのはいいことだね。勉強は大事だね」

「……ノノのためか?」

「ノインノールもいっぱい勉強するべきだね。いっぱい勉強すれば、ボクといっぱいお喋りができるね。物知りだからねボク。楽しみだね」

「そうじゃなくてよ」

「キミもそうだね。勉強はいつでもいつからでもできるね。大事だね。ボクはノインノールとお喋りがしたいけど、キミとお喋りするのも嫌いじゃないよ。キミはおバカさんだからね。楽しいね」

「そうじゃなくて――」

「ボクはノインノールと一緒にいられるなら、なんだってするのさ」


 そう言って、ケーは顔を撫でた。「照れるねボク」と言いながら、開いた両目ごと顔をぺちぺち叩いて、ケロケロ鳴いた。

 ガンズーはしばらくナイフを握っていたが、深く溜息を吐いてナイフを置く。


 謎で正体不明で得体が知れない蛙。

 しかし困ったことに、ノノの友達だ。


「んで、仕返しってのは名前を教えるだけか?」

「キミは本当にキミ? ボクが知ってるキミはもっとおバカさんのほうがいいな。そのほうがボク楽しい」

「そりゃ悪かったな」

「ガラジェリはおっかないけど、ちょっとおセンチだからね。ウークヘイグンくんや他の子がやられて、ショックなんだね。きっとしばらくは静かになるよ。かわいいね。あ、こんなこと言ったらボク殺されちゃう。秘密にしてね」

「ああ? 前に大規模にやりあってから、大人しくなったとは思ったが」

「きっとじたばたしてるよ。周りの子に当たり散らしてるかも。家出してるかもしれないね。なんにしても、まとまって動いたりはできないと思うよ。不機嫌になるとなにもしたがらなくなるからね。わがままだねボク笑っちゃう」

「えぇ……魔王ってそんな感じなのかよ……」


 途端に崩れた人類の敵の姿に、ガンズーは肩から力が抜けた。

 だが人間にとって脅威であり、ノノのような虹瞳の子を簒奪(さんだつ)する敵であることは違いがない。

 気を取り直してガンズーは確認する。


「要するに、しばらくのあいだは安全ってことか?」

「ガラジェリはね。他の子はわかんない。でも大丈夫なんじゃないかな。勝手にやったらやったでガラジェリは怒るからね。わがままだね」

「そうか……それなら腰を据えてトルムたちを待つこともできそうだな」

「ノインノールともいっぱい遊べるね。嬉しいねボク。キミ嬉しい?」

「あぁ、まぁ……まぁな」


 ケーは腹を抱えるように身を反らせて、ピーピー笑った。

 なんだか悔しかったのでその腹を指で押すと、ブーと鳴いた。






 ところで、米には芯が残ったし、一緒に煮た野菜は生煮え気味だったし、スープは消えたのでしょっぱかったし、ちょっぴり焦げた。

 ノノは食べると言ってくれたし、黙って食べてくれたが、顎にちょっと皴が寄っていて、ガンズーは勉強しなければならないと思った。


 料理を勉強しなければならない。勉強はいつからでもできるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ