鉄壁のガンズーが料理
ちなみに料理はできるかと三兄弟に聞いてみたところ、挽いた麦を水で練って焼いたものが得意料理だという。
男ふたりはともかく、せめてダニエはお前もうちょっと頑張れと思った。
「ガンズーだ!」
三兄弟と別れ、ノノと共にまずは三頭の蛇亭で昼食でもしつつ料理のコツなんてものを聞いてみようかと歩いていると、中央広場にさしかかったところで遠くから名前を呼ばれる。
ガンズーに向かって飛びこんでくるふたつの小さな影。
「おお、アスターにパウラじゃねぇか。どしたんだこんなとこで」
胸に向かって跳び上がってきたので、ふたりとも抱き上げてやる。やはりノノに比べるとほんのちょっとだけ重い。
孤児院の子供たちは基本的にあまり院の外へは出ないので、街中で出会うのは非常に珍しいことだった。
パウラはガンズーの問いには答えず、代わりに襟元をぐいぐい引っ張られる。
「ガンズーぜんぜん来ない」
「遊びに来るって言ったのにね」
アスターがパウラと目を合わせながら言うと、彼女も「ね」と言う。
これはいけない。たしかにガンズーは院へ挨拶に行ってから、それっきり顔を出さないでいた。
遊びに行くと言っておいてこれはよろしくないことだ。
しかしまだ一週間も経ってないし、ケガもしてたしなぁなどと言い訳が浮かぶのだが、きっと彼らは毎日でも来なさいと思っている。
「わりぃわりぃ。ちょっと忙しくってなぁ。今度はお菓子でも持ってってやるから勘弁してくれ」
「絶対」
「絶対だよ」
「わかったわかった」
そんなふうに言っていると、ズボンをくいくい引かれた。
ノノだ。唇を尖らせている。
もしかして自分も抱っこしろと言っているのだろうか。なんだこのかわいいのはと思ったが、さすがにふたりを両手に抱えた上でさらにもうひとりを拾い上げるのは難しい。
「あまり高いお菓子はやめてくださいね」
気づけば、フロリカ修道女が近づいてきていた。
向こうには院の子供たちを先導する他の修道士や修道女なんかもいて、こちらに軽く会釈している。
「おう、こりゃどうも。こいつぁなんだい? みんなで散歩か?」
「これから院の子たちを連れて、タンバールモースへ向かうところです」
「教会本部か?」
アージ・デッソから南東へ半日ほど行くと、タンバールモースという大きな街がある。
バスコー王国における七曜教の本拠がある場所で、おおよそアージ・デッソの二倍以上の規模はある城塞都市である。レイスンによれば、人口は王都よりも多いそうで、街の規模もバスコー第二位だそうだ。
ガンズーも何度かに分かれて滞在したことがある。アージ・デッソに来る直前にもしばらく過ごした。
そこから三日ほど南に下れば、三兄弟の故郷であるベンメ村が見える。
「毎月、第二火曜に合同集会がありまして。この街の聖職者も最低限の人員だけ置いてみんな向かうのです。近隣ですから」
「にしたっておめー、子供も連れてくのか」
「はい。これは昔からですね。面倒見にひとりかふたり置くよりは、連れて行ってしまうほうが、と。あとは、顔つなぎといいましょうか。この子たちの中には、そのまま教会へ入る者も多くいますので」
なるほど。将来の職場に慣れさせておくわけだ。
そういえば、レイスンもそのたぐいだったという話を少し聞いた気がする。バスコーとダンドリノでは事情が違うかもしれないが、似たようなものだろうか。
そんなことを思い出していると、フロリカは小さく「私もそうでしたので」と付け足した。例は目の前にいたようだ。
フロリカは特段、深刻な顔をしているわけでもないので気にするものではないのだが、ガンズーは勝手になにを言うべきか迷った。
なので、話題を戻すことにする。
「へぇ。しかし近くとはいえ危なくねぇか」
「信頼のおける冒険者の方を何名か専属にしていただいてるんです。私たちも多少の護身は心得ておりますし。それに」
「それに?」
「ボンドビー様のご厚意で、今回からは人員も増やしていただきました」
「あー……なるほどな」
ガンズーは腕の中のふたりを見た。虹瞳の子供。冒険者協会も手厚い対応をしてくれているようだ。
ずんぐりむっくりしたちょび髭の顔を思い出して、可能ならもうひとつくらい仕事をしてやろうかとガンズーは思った。傷が癒えて、ノノに余裕ができてからの話だが。
遠くから修道士がフロリカを呼んだ。
「すいませんガンズー様、馬車の時間が近いようです。ほらアスターくん、パウラちゃん。行きましょう」
「ガンズー、絶対」
「絶対」
「ああ、わかったって。帰ってきたらな」
帰りは二日後だとガンズーに伝え、フロリカと子供たちは去っていった。
ノノがずっと唇に力を入れていたので、仕方なくガンズーは彼女を抱き上げたまま三頭の蛇亭まで歩いた。
扉を潜ってみれば、昼時だというのに今日は客が三人しかいない。
単価が高いとはいえ、ちゃんと経営は回っているのだろうかと少し心配になる。
「元々お父が道楽で始めた店だからね。べつに困ってないよ」
給仕の娘がそんなふうに言うので、ガンズーは主人が元冒険者であることを思い出した。
現役時代にどれだけ稼いだのだろうかと思っていると、厨房の主人がこちらを向いて、いっ、と歯を剥いた。上の歯が二本ほど金歯だった。かなり貯めこんでやがるあのオヤジ。
ちょっとした上流貴族なみに貯蓄があるかもしれない主人が運んできたのは、魚と貝の煮込みだった。彩りのいい野菜も入っている。
「魚かぁ……ノノ、骨に気をつけて食えよ」
と言っていると、ノノの前に置かれたのはやはり同じ煮込み料理だったが、魚の頭や尾や骨は奇麗に除かれて身だけが残っていた。貝も殻が外されている。
ちょっと魚の身をほぐさせてもらうと、小骨すら見えない。匙だけで食べるのにまったく苦労しなさそうだ。
ノノは小たまねぎが気に入ったようだった。ほろほろとしてスープの味が染みているので確かにうまい。
スープを平らげると小さな皿が出てきた。なにかひだひだした小さいパンのようなものがみっつ盛られている。
ノノにひとつ貰っていいか聞くと、しばらく迷ってから快諾――多分きっと快諾――してくれたので齧ってみた。
中にクリームが詰まっていた。チーズとアーモンドの風味がする。パンというよりはパイに近い。
ノノは終始じたばたと足を動かして、最終的に椅子の端にぶつけた。
「おやっさんよ。飯作りってなぁ、昔からやってたのかい?」
ガンズーは頃合いを見て切り出した。
洗った皿を拭き上げていた主人は、蛙が喋りだしたのを見たような顔でガンズーを見る。先日はきっとガンズーもあんな顔をしたのだろうなと思う。
「……ガキんときからな」
無視されるかとも思ったが、主人は言葉少なく答えた。
このオヤジ何歳なんだ。ガンズーは改めて主人を眺めまわしてみるが、見当がつかない。
四十代にも見えるし、五十代にも見えるし、六十を超えていると言われても信じられる。が、髭を剃れば三十代で通用しそうにも見える。
娘がおそらく二十前だろうから、きっと四十前後だとは思うのだが。
「ガキっつったって、宿場の手伝いなんてほとんどしなかったって前に言ってたじゃんお父。十四くらいで『黒鉄の矛』に雑用で拾われてからでしょ、まともに炊事できるようになったの」
後ろから娘が口を挟んできたので、そちらに水を向ける。
「黒なんちゃらってあれか。最初に西の遺跡群へ入っただかっつー」
「ってなってるけどね。お父はとっくに他の冒険者が見つけてたって言い張るんだよ。自分がいたパーティの功績なんだから素直に聞いときゃいいのに」
「ベニー」
「はいはい。とにかくお父のキャリアなんてそんなもんだよ。宿場の息子だって言うけどアタシどこの宿場町かも知らないし。ぜーんぶ自己流。どっかに奉公したとか弟子入りしたとかもないってさ」
「自己流にしちゃあずいぶんと手のこんだ飯も作れるみてぇだがなぁ」
「珍しいレシピはね、多分お母のおかげかな。マーシフラのけっこう大きな商家の娘だったからね。専属の料理人を持ってるくらいの。アタシもそこの家で育ってりゃ今ごろはねー。お父がお母連れ出したりするから」
「ベニー」
「はいはい」
給仕の娘ベニーはぺろっと舌を出してから、ひと抱えほどのゴミを店の外へ運んでいった。
主人はそれ以上に続けることはないというように、目を伏せて皿を磨いている。
ノノはひだひだパイの最後の一個を大事そうに食べていた。
切りこむ話題を失してしまい、ガンズーも黙っていると、やおら主人は口を小さく――髭でよくわからないが――ひらいた。
「……世話になった冒険者に、飯にうるさいのがいてな」
「さっきの『黒鉄の矛』の奴か?」
「まぁ、そうだ。知らねぇ動物や野菜を持ってきて、どうにかしろとしょっちゅう言われた」
「どうにかできたのか?」
「できるわけねぇだろ。鳥や魚くらいならともかく、ナマズの捌き方なんざ知らんかった。マズいから喧嘩になったし腹も壊した」
「まぁそりゃそうだわな。よくそんなもん獲ってきたもんだ」
「うまくなるまでやらされた。猪だの亀だのな」
「ほー……」
つまりその『黒鉄の矛』の某は、若き主人がうまく調理をできるようになるまで珍しい食材を獲り続けてきたわけだ。
そして主人は実地の試行錯誤で腕を磨いたと。
「あんたそのパーティに何年くらいいたんだ?」
「十年と少しか。途中から戦場にも出たが、半分死んだところで解散になった」
「そんで三頭の蛇を倒す冒険者にねぇ。んで料理もやってたと」
「自分の分くらいはな」
「女房の分もじゃねぇのかい?」
「…………」
黙ってしまった。ちょっと突っこみ方を間違えた気がする。
なにはともあれ、主人が料理の腕を上げるのに何年もかけたことは間違いないようだった。誰かに習うこともせず、自力で学ぼうとすればそんなものだろう。
ガンズーはそれほど悠長にするつもりはないし、そこまで本格的に学びたいわけでもない。
差し当たって、家で真っ当な飯を食いたいのだ。
のだが、この主人にそのまま教えてくれと頼んでも、断られる気がする。
「そんでなにさガンズーさん。お父にそんなこと聞いて」
戻ってきたベニーにそう問われて、ガンズーはちょっと迷った。
だが他の手も思いつかないので、素直に目的を明かすことにする。
「いやぁ、その、なんだ。しばらくの間、腰を落ち着けることになったからよ。俺もちょっくら自炊のひとつでもしてみようかと思ってよ。あんまりこの子を連れ回してばっかもどうかと……」
「うん。うん? そんで?」
「だからその、なんつーか……料理ってどうやりゃいいのかなって」
「……ガンズーさん、料理習いたいの?」
「……はい」
ベニーはきっとしばらく耐えた。耐えたが、そのうち真一文字に結んだ口の端から、ぷっ、と決壊した。
後ろのテーブルに残っていた客たち――冒険者だ――のほうから「ガンズーが料理?」「ガンズーが料理」「ガンズーが料理……」と繰り返し聞こえてくる。なんだお前ら。俺がメシ作っちゃダメか。
おそらく明日にも、協会でガンズーの名は『子連れのガンズー』から『手料理を食べさせる子連れのガンズー』になるだろうが、知ったことではない。
「い……いいと思うよ……お、お父だって現役からやってたんだし……ぜんぜん変じゃないんじゃないかな……」
ぷるぷるしながらベニーが言うので、ガンズーはだんだん顔が赤くなってきた。
「んだよぉ、俺がやっちゃわりぃかよぉ」
「わ、悪くないヨ……え、エプロン使う? アタシのかわいいやつ」
「おめーバカにしてんだろ」
後ろのテーブルから今度は水かなにかを噴き出す音が聞こえた。ガンズーのエプロン姿を想像したに違いない。あとでシメてやろうか。
「俺はやらんぞ」
主人が静かにそう言ったので、やっぱなぁとガンズーは思った。
「ベニー相手してやれ」
「へ?」
「午前の暇な時間ならいいだろ」
「えー、お父マジで? いやまぁいいっちゃいいけど……」
「おいおいホントかよおやっさん。いいのか?」
「お前さんらは金払いがいいからな」
「助かるぜおやっさん。やったぞノノ、うめぇ飯作るからな」
「一回で小銀一だ」
「しっかりしてんなおい。まぁいいや仕方ねぇ」
「だが今日はもう帰れ」
「ん、なんか都合悪いか?」
主人がノノを指さすので見てみると、目をしぱしぱさせ始めていた。




