閑話 ひとりたりない勇者パーティ その2
ぢょろろ、と気が抜けた音を最後に、核石から溢れる水流はわずかな水滴を残して止まった。
「ありゃ?」
セノアは髪をかき上げると、吊り金具に仕込んだ核石を指先でこつこつ突いてみる。見る限りまだ黒ずんでもいない。
つまんで取り出してみると、半分になっていた。奇麗に割れている。
「うっげ、マジで」
目元の水滴を拭ってよく確認するが、やはり割れている。
耐久性の低い劣悪なものだったろうかと思い返すが、そんなことはない。亜竜黒色種の核石を譲り受けたはずだ。売ればとんでもない金額になる代物だ。
普段使いの生活術だから使い回しに適した良い物を、と思っていたが、少々酷使しすぎただろうか。酷使しすぎたかもしれない。二年ほど前から使い続けているから、マナ抜きもおそらく二百回は超えているだろう。
一般的な核石の耐用限界が二、三回ほどなのだから、とても頑張ってくれたと思うべきだ。が、このタイミングは勘弁してほしかった。
「ミーク、予備の石とって」
カーテンの吊り輪を下げ顔だけ出すと、セノアは見張りの後頭部に向かって言った。
ミークが振り返り、意外そうな顔をする。
「へ? まだぜんぜん奇麗じゃなかったっけ」
「割れた」
「え」
「割れやがったわ金貨三百枚」
割れた核石をつまんで見せてやると、ミークは変なものを嗅いだ猫のような顔をした。
「うそー、まだいけると思ったのに。どっかで取り違えたとかしてない?」
「こんなでかいの他にあんま無いでしょ。あーもー最悪」
「あちゃー……半分でも使えない?」
「使おうと思えば使えるけど、いちいち詠唱しないと私でも絶対どっかで調整しくじるよ。このへん全部びっしゃびしゃになっちゃう」
「あー、それはちょっとヤだね。魔獣も寄ってきちゃうかも」
「だから早よ予備」
「さっき採った蛙のがあるけど、干してないからすぐ悪くなるんじゃない?」
「間に合わせでいーの。まだ頭しか洗ってないんだもん。股痒いのよ」
「もうちょっと言葉選びなさいよセノアさん……」
代わりの核石を受け取ると、吊り金具に差しこんだ。
その弾みで金具全体が傾きそうになったので、セノアは慌てて支える。全裸なのでやたら間抜けな恰好になってしまった。
この携行組み立てシャワーは素晴らしい発明だが、常に足で支えてないといけないのが辛い。
すでに先ほどまでの水気はすっかり消え去って、足元も乾いている。
周囲に水気がなければ、マナに水の機能を代行させなければならない。逆に言えば、すぐにマナへ還元されるよう調整すれば、流れ出て溜まることもない。
それなりに高等技術らしい。だが、ほぼ独学で魔術を学んだセノアにとってはいまいちピンとこない。
早い段階で覚えた――いちいち水を汲むのが面倒だった――術式なので、大して意識せずともできた。
飲み水には使えないし沸かそうと思うとさらに術式を足さなきゃならないので面倒だが、身体を洗うには十分だしそれがなにより重要だった。
「……ん?」
出ろ水、と思っても核石はぴくりともしない。いや、核石は元来から動きはしないが、周囲のマナの動きが鈍い。
未加工の核石、しかも採りたて。刻文など入れていないから当然だった。一韻の魔術すら黙唱だけで発動してくれない。
「……【水】」
溜息を吐いて呟くと、吊り金具からどぼどぼと真水が湧きだす。なんだか出が悪い気がする。
腰に手を当ててそれを頭から浴びながらセノアは、ストレスが溜まってきたなと思った。
「帰りたい」
「まぁ、うん……そろそろ言うかなと思ってた」
セノアが足を組みながら言うと、トルムは非常に困ったような顔をする。
しかしその手はシチューをかき混ぜるのを止めていないので、セノアがそう言い出すことは確かに想定していたのだろうし、内心はおそらく顔に出すほど困っているわけではない。
簡単な食事ではなく、わざわざ込み入ったものを手作りし始めたのも、今日あたりセノアの不満が出るとわかっていたのだ。
相変わらず小賢しい男だとセノアは思った。
「かーえーりーたーいー」
「まだ一週間も経ってないよセノア。そりゃ確かになかなか思うように進めてないけど、損耗はまだ少ないじゃないか」
「損耗大ありだっつーの。見なさいよこの無残な核石を。せっかくの貰い物なのにこんなことなっちゃって」
「それはセノアがほとんど毎日使うからいやなんでもないですごめんなさい」
「あーあー公爵様もまさか好意で譲ったものがこんなとこで失われるなんて思いもしなかったでしょうに。私なんて申し開きしたらいーのかしらー」
「がんがん使わないと損って言ったのセノアいえべつになんでもないです」
足先でトルムの脇腹を突っつきながら、割れた核石を手の中で転がす。
実際のところ核石など所詮は消耗品なので、いくら良質なものといってもあまり惜しいとは感じないが、不平の種になるならなんでもいい。
どうせまだ帰らないことに変わりはないと、セノアもわかっていた。ストレスを解消することが重要なのだ。
「ていうかあれ、元々あたしたちの物だよね?」
「そうですよ。そもそも我々が倒したのですから。マーシフラ公からの勅命でしたが素材を引き渡す約定などしていません。もう片方の核石どころか爪も革も何もかも献上したんですから、むしろこちらが礼を言われる立場です」
ミークとレイスンがひそひそと話しているが無視する。
半分になった核石の割れた面をつけたり離したりして遊ぶ。当然だが、くっついたりはしない。
「はーこれからどうしよ。お風呂入りたい。蒸し風呂に入ってから冷泉に入ってめっちゃ熱いお湯に浸かりたい」
「お湯を出せばいいじゃないか」
「あんたなに聞いてんのまず蒸し風呂だっつってんじゃん。あーまた共生村の温泉行きたいなー。地酒もおいしかったわよねあそこ」
「セノア飲みすぎて溺れかけたでしょ。あたしヤダよまた抱えて運ぶの」
「え。そんなことしてたのセノア」
「ミィーーーク」
「凄まれてもヤですー。もう少しでゲロまみれになりそうだったんだから」
「セノア……」
「……まぁセノアさんの酒乱は今に始まったことではありませんし」
「なにさもー。飲んでなにが悪いってのよ。私だけじゃないでしょのんべえは」
自分が酒好きであることは認めるが、文句を言われる筋合いはないとセノアは思う。多分きっと。
どれだけ飲んでも次の日に残したりしたことはないのだ。
ちょっと酒代の勘定がわからなくなったり尻を触ってきた隣のテーブルの冒険者と喧嘩になったり朝起きたら下着が知らないものになっていたくらいだ。背負われて運ばれても鼻からしか粗相をしたことがない。口からは我慢したからセーフ。
「ガンズーは酔っても前後不覚になったりしないしなぁ。はいアノリティ。シチューできたよ。今日は一番頑張ったから、一番にね」
周りの話にまったく取り合わず、熱されるシチューをひたすら凝視していたアノリティが、トルムから大盛の器を受け取る。
餌を待つ犬のようだった。もし彼女が涎の出る生物だったなら、口元は酷いことになっていただろう。
「恐縮ですいただきまももももも」
言い終わらないうちに器を口へ傾けるアノリティ。匙を使え。
セノアも腹は減っているが、アノリティのおかげで進行が捗ったのは事実なので黙っている。
今日はアノリティの調子がいい日だったようで、先日にあったような大規模の魔獣の群れに再びぶつかったが、歯牙にもかけずに済んだ。
なにせ好調なアノリティは強い。謎の飛び道具を背中から飛ばすわ腕を刃物に変形させるわ、槍でちょっと叩かれてもその白い肌――肌か鎧かよく分からないが――に傷もつかないわ、たいへんな活躍ぶりである。
最終的に両腕を開いて回転しながら突撃すると、蟻だろうが蛙だろうが吹っ飛んだ。セノアは今日、魔術を使っていない。
「あたしも今日はすっごい楽だった。毎日こうだといいんだけどねー」
「うーむ。昨日一昨日が絶不調でしたからね。せめて明日も大丈夫ならありがたいのですが」
「裏が二回続いたら次は表二回。なんてうまい話は無いのよ。私知ってんだから」
「こればかりは明日にならないとわからないね。はいセノア」
シチューおいしい。
悔しいがトルムの作る食事はおいしい。
持ち歩きできる食材だけでなぜこんな代物を作れるのかセノアは不思議でしょうがない。乳も無いというのにどうやっているのだろうシチューおいしい。
セノアの不満が溜まる頃になると、トルムは大抵これを作る。
べつに好物だと言った覚えはないし、食べるとまあまあ肩がほぐれるといった程度で、懐柔されるほどではないのだがいちおうの落としどころにしてやっているシチューおいしい。
「ねぇトルム、食料はどれだけ分にしたんだっけ?」
「あれ、ミークは買い出し行かなかったっけ。ガンズーが抜けた分、時間もかかると思って少し多めにしたよ。いつもなら二十日分だけど、今回は一か月くらいもつんじゃないかな」
「とはいえ、不確定要素も多いですからね。できればいつも通り片道は十日ほどに抑えたいところです。深層の状況もわかりませんし」
「アノリティ、やっぱり深層でどれくらいかかるかはわからないかな?」
「データベースに損傷があるため明確な回答は不可能です。ですが既存構造に照らし合わせた場合、転送箇所から現状の進行速度で百六十七時間ほど道程が残されていると推測されます」
「約七日かぁ……ギリギリまで粘ったとしても、ちょっと難しそうかな。あ、ほらアノリティ、おかわり」
「恐縮でももも」
匙を唇につけたまま、セノアは言う。
「あくまで今の速度なら、でしょ。どうせまた例の機械人形が出てきてしんどくなるんだから。もっと時間かかると思いなさい」
「そうなんだよね……深層の状況を確認したらいったん仕切り直すしかないかな」
「それが無難でしょう。慎重にやるべきです」
「できれば一回で済ませたかったけどねー」
セノアとしても一度で済むならそれに越したことはないと思っている。しかし残念ながらそれは難しいこともわかっている。
ガンズーがいればおそらく可能だっただろう。しかし彼はいないのだから現状でやりくりするしかないのだ。
まったくおかげで余計な苦労を、と思ってしまうが、セノアは決して口にはしない。他の四人もそう――いやアノリティはよくわからないが――だ。誰もそんなことは言わない。あるいは思いもしていない。
どうせあれのことだから、いじけて飛び出したとしても長続きはしない。
今ごろは誰かしらからなにか厄介事でも持ちこまれて、しょうがねぇなとか言いながら付き合ってでもいるだろう。
ガンズーという男はどこか求められる役割をこなそうとするきらいがある。それらしく振る舞うのが好きなのだ。
鉄壁のガンズーなのだから、きっと鉄壁のガンズーらしくしているのだ。
面倒くさい男である。このパーティには面倒くさい男しかいない。
面倒くさい男のせいで面倒なことになったのだから、そんな面倒ごとはさっさと片付けるに限るのだが、なかなか難しそうだ。
ともあれ、無事にこの遺跡を攻略したならば、埋め合わせはさせようとセノアは決めていた。
「とりあえず、しばらく酒代はあいつの懐から出させよう」
「セノア、何か言った?」
「べつにー」
シチューを啜りながら、セノアは近隣の高い酒を思い浮かべていった。
風呂に浸かってそれを飲む自分を想像しながら。
◇
一方そのころガンズーは、ノノと湯舟に浸かって鼻歌なぞ歌いながら、そういえば酒は今度から家でやんねぇとなぁとか、この子が寝てからにしないとなぁなどと考えていた。




