鉄壁のガンズーとノノと蛙
「……捨ててきなさい」
「やっ」
胸に蛙を抱えて、ノノはぶんぶん首を振った。
その弾みで腹が締まるのか、蛙はケッ、ケッと口から音を漏らしている。
「うーん内臓がそろそろパンクするかも。あともしかしたら火傷しちゃう」
「ほらノノ、死ぬってよ。もうちょっとぎゅってしてみ。そしたら三頭の蛇亭の親父にでもおいしくしてもらおうな」
「やっ!」
ノノが蛙をガンズーから隠すようにすると、さらにくびれたのかキョペー、といよいよ断末魔を蛙が上げ始めたので、彼女は仕方なく腕をひらいた。
ぴょんと跳ねて、蛙はテーブルの上に乗った。
「いやぁノインノールは力持ちだね。胃が出るかと思っちゃった。こないだ洗ったばかりだからちょっと荒れてるんだよね、胃袋」
蛙はくしくしと顔を前肢で撫でている。眼球ごと撫でているが、痛くはないのだろうか。
細かく動く喉にノノが手を当てると、感触が面白いのかぐいぐい突く。蛙はされるがままにしている。
「んで、結局お前は何なんだ」
「カエルだよボク」
「それはもう何度も聞いたっつーんだ。お前みたいな蛙がいてたまるか」
「こんなにキュートなのにひどいね。見てよこのお尻、お餅みたいでしょ。ちょっと大きくなりすぎちゃって、周りにいた同族はみんなあっという間に逃げちゃったんだけどね。ボク悲しい」
「ちょっと待て、まさかお前みたいに喋る蛙が他にもいるのか?」
「いるわけないじゃない。みんな普通のカエルちゃんだよ喋ったりするわけないでしょおバカさんだねぇ。この人はバカだねノインノール」
ノノと同じよう喉を気持ち強めに突っつくと、カエルはポェ、と悲鳴を上げた。
「ボク死んじゃう。そこの皮膚はデリケートだから優しく触ってほしいな」
「ノノ、昔から蛙でやる伝統的な遊びがあってなぁ。ストローにできそうな藁があったからちょっと待ってろな」
「わかったよしょうがないなぁ」
蛙はぴょんと跳ねると、ノノの頭の上に着地した。
なぜわざわざそんなところに行くのかわからないが、乗られた当人が嬉しそうにしているので不問にする。
「ボクはノインノールに会いに来たんだ」
「それも聞いたっつんだ。お前がなんなのか言えってんだよ」
「約束だったからね。ちょっと間が空いちゃったけど、また会いたいなって思ったんだ。久しぶりにこっちへ来ることになったしね。そしたらノインノールひとりなんだもの、ボクびっくり。ノインノールもちっちゃいし」
「……んん? ノノ、この蛙に会ったことあんのか?」
ノノが首を振ると、蛙は振り落とされそうになって頭の上に伏せた。
「ノインノールにはさっき初めて会ったに決まってるじゃないか。やっぱりおバカさんなんだねキミは。お魚を食べるといいよ、お魚。カエルちゃんは食べても頭がよくならないから、安心だねボク」
「ノノ、頭ぶんぶんしてみ」
「やややめめめててて」
蛙を落とすことなどできない、とノノがイヤイヤ頭を振ったので結局しがみついた蛙は吹っ飛びかけた。
とても優しい彼女が頭上に支えてやると、蛙は落ち着いたようだった。
「約束したのはノインノールじゃないよ。でも会いに来たのはノインノールさ。これでわかった?」
「意味がわかんねぇ」
「ほんとおバカさあぁやめてやめてノインノールの髪先を鼻の穴に差しこもうとするのはやめて。くしゃみが出て鼻炎になっちゃう。つまりね、ノインノールのお母さんと友だちなの、ボク」
「ノノの母ちゃん?」
ノノがびっくりして頭の上を見ようとしたので、蛙は再びずり落ちかけた。
かろうじて額にしがみついた蛙が続ける。
「ごめんねノインノール。君のお母さんとは会ったことないんだ。会ってみたかったけどね。もっとずっと前のお母さんだよ」
「おばあちゃん?」
「もっともっと前だよノインノール。君のお婆ちゃんも素敵な人だったけどね。君も会えるとよかったけどね。悲しいね」
つまり、この蛙はノノの先祖と知り合いということか。
ガンズーは腕組みをしてひとつ考えた。とりあえずここまでの話を総合して判断すると、
「やっぱ魔物のたぐいじゃねぇか」
手を組んで指を鳴らした。
「魔物じゃないよカエルだよ。違うって言ってるのに困った人だね。うーんどうやって説明したらいいかなぁ。ボクも困っちゃう。そうだな、キミはカンワンアペルを知ってる?」
「カンワ……共生村の村長か?」
マーシフラ公国の外れ、カルドゥメクトリ山脈の東端から続く森の深くに小さな村があった。
そこでは、人間と知性のある魔族が共存して暮らしている。
魔族との友誼を得たり家族が魔族へ変性し流れ着いたり単純に独自の思想を持った者が、魔王の元を離れたり家族や友人が人間だったり半島の外から来たりした魔族と集落を形成していた。
要するに、戦いから離れた者たちの村。当然だが、国は関知――もしかしたら上層部は把握しているのかもしれないが――していない。
ひょんなことからトルムたちと共にそこへ辿り着き、ずいぶんとカルチャーショックを受けたりしたものだが、平和な場所だったことは間違いない。
カンワンアペルとは、その村の創始者の名だ。
「話が早いね素敵だね。ボクラッキー。カンワンアペルは元気だった?」
「行ったのぁかなり前だからな。少なくともそのときは元気だったんじゃねぇか」
「そうかぁよかったね。今代の彼女は頑張り屋さんだからね時々ボク心配。それはともかくとして、あんな感じだと思ってくれたらいいよ」
「つまり……あれか? 人間に友好的な魔物だと」
「魔物じゃないよカエルだよ。でももういいよそれで」
ケコ、と蛙はまたひとつ鳴いた。
ノノが彼――彼? 彼女? 見た目でも声でもまったくわからん――を頭から下ろして、目の前に置いた。じっと目を合わせる。
母ではなくとも、それに連なる者を知っている相手ということに、なにか思うところがあるのかもしれない。あるいは特に感動とかはなく、見ているだけかもしれない。
「カエルさん」
「カエルさんだよ」
「カエルさん」
「カエルさんなんだよ」
蛙がケロケロピーピー鳴くたびに、ノノは嬉しそうに微笑む。
魔物ではないと言うが、ガンズーからしてみればこんなわけのわからない蛙はもうおおむね魔物である。そして友好的な魔物だとして、魔物は魔物である。
見る限り害にはならないし、なれなさそうだが、それでも魔物である。
人間の敵として古くから戦ってきた脅威だ。
彼らが狙う虹の眼がここにいる。そこに現れて、敵意はありませんとはそうそう信用できる話ではない。
ノノに知られないように始末すんのが正解だよなぁ、とガンズーは天井を見上げた。
「ところでキミ、違うとこから来た人だね。珍しいね」
蛙がこちらに向き直って言うので、驚いて足をテーブルの裏にぶつけた。
そうだった。こいつはガンズーの秘密を知っている。
「やっぱお前……知ってんのか!?」
意味がわからずノノもこちらを見て、首を傾げている。
彼女には後で説明するとして――なにをどう説明しよう――今は置いておく。
「んーん。ぜんぜん知らない。知らないっていうのは、キミみたいなのがなんなんだろうねってこと。キミと同じ人は、そうだなぁ、知らないこともないこともないこともないかなぁ。うわぁ、どっちだろうこれ。わかんなくなっちゃった」
「知らねーこたねぇだろ! お前、俺の能力も――」
「あれはねぇ、まぁだいたい魔術だしね。頑張れば同じようなことできるんじゃないかな。三百年くらいかかりそうだけど。キミ、自分の色――あそっか、これキミたちはわかり辛いもんね。ボク反省」
「ちょっと、お前、ちょ、待て……いや待つな、詳しく話せ」
いきなりの新事実に頭が追いつかない。ステータスは魔術? よくわからない。わからないがとにかく、この蛙には聞くことが多い。
両手で蛙を掴むと、少し力が入りすぎたのか、グェ、と悲鳴が上がった。
ノノに手をぺちぺち叩かれる。優しくしなさいと怒られた。
「君と同じ、っつったな? 他にもいるのか?」
「うーん今はいないかな。キミだけだと思うよ。ボクが知らないだけかもしれないけど。最後に見つけたのはいつだったかなぁ。八十年くらい前にヌーソークーンで聞いたんだったかなぁ」
「ヌーソ……なんだって?」
「ずっと遠くにある国だよ」
「カルドゥメクトリの向こうか? それとも内海の向こうか?」
「もっと遠く。カハンの向こう」
「カハンって何だ?」
「えー、それも知らないの? あ、今はカハンじゃないんだっけエンロだっけ。あそっか。あんまり外に出れないもんね今。ごめんね」
「とにかく、俺みたいのが他にもいるんだな!? 知ってること全部話せ!」
「んー」
蛙はしばらくガンズーを顔を眺めてから、めとん、と舌を打ちこんだ。
「うおおなにしやがる!?」
目を舐められそうになって、思わず手を離した。
蛙はコピャー、と嬉しそうに鳴く――笑う――と、またノノの頭に戻った。
「ボクしばらくここにいようかな。どうだいノインノール」
「いいよ」
「おいちょっと待て、なに勝手なこと言ってんだ……」
目の周りを拭うが、なかなか気合の入った粘液がこびりついている。水瓶まで行って顔を洗わなければならなかった。
「ノインノール、ボクはキミの友だちになりたいな」
「ともだち」
「そうだよ」
「いいよ」
「やったねボク万歳」
顔を拭っているうちに、ノノが変な生物にたぶらかされてしまった。
彼女が蛙を突くと、蛙はケピケピ鳴く。また突くと、また鳴く。
ちょっと楽しそうだなとガンズーは思ってしまった。
「おいこら」
「キミもよろしく頼むよ。ご飯は自分で食べれるけど、もしよければ時々キャベツの芯のかたいとこが食べたいな」
蛙がキャベツなんて食うのだろうか。
一瞬考えた隙に、蛙はテーブルの上をぼてぼて跳ぶと、そのまま窓べりに飛び移った。
家の中にきょろきょろ視線を動かすと止まる。その先には小さな節足動物が這っている。
ゴム紐のように舌が伸びて、虫は蛙の口の中へ消えた。
「ね。ご飯は大丈夫だよ。ボク凄い。だからキャベツだけお願いね。無ければほうれん草の軸でもいいよ」
「ふざけたことぬかすなてめぇ! まだ話は終わってねぇぞ!」
「ゆっくりでいいじゃないせっかちだねぇ。おっかないねぇ。おっかないからボク逃げちゃう。ノインノール、ボクはいっつもその辺にいたりいなかったりするからね。また来るね」
「ばいばい」
「ばいばいじゃなくて、またねって言ってほしいな」
「またね」
「うーんボク感動。泣いちゃう」
顔を前肢で撫でる蛙に、蛙って泣くのか? とまた妙な方向に思考をもっていかれそうになり、ガンズーは気を取り直した。
「待て蛙! まだ聞きたいことが山ほどあんだ!」
「キミにカエルさんって呼ばれるのはちょっとヤだなぁ。これはノインノールのものだからね。うーんでもどうしよう。ボク困った。まぁ、ケーでいいよ」
「名前なんかどうでも――」
蛙――ケーはそのぶりぶりした尻をこちらに向けたかと思うと、
「またねノインノール」
窓の外へ跳ねて行った。林の下草を跳び越えると、姿が見えなくなる。
ノノは窓に寄りかかって、手を小さく振っている。
「……結局、なんだったんだあいつ」
ガンズーは茫然と呟くしかなかった。
なにはともあれ、ノノに――望むかたちではないが――友達ができた。




