鉄壁のガンズー、暴走
アージ・デッソの街には三頭の蛇亭という宿屋がある。
冒険者であった主人が、遺跡群において討伐した大型の魔獣にちなんで名づけられたこの宿屋は、街の北西に位置する。
遺跡群に向かうならばもっとも手っ取り早いものだから、遺跡探索を主とする冒険者にはとても好評な拠点であった。
ただし協会に連名はしているものの、冒険者斡旋業は置いていなかった。であるため、請負冒険者はあまり寄りつかない。彼らはおもに街の中央や南部にいくつか点在する冒険者酒場に集まる。
だからこそ、トルムたち一行はここをアージ・デッソでの定宿としていた。ここであれば、あまり他の冒険者や協会職員を気にかけることなく過ごせる。
とはいえ滞在して数か月、既に何度か緊急の救援要請を出されているのだが。勇者ってけっこう大変だね、とバスコー国王から賜った徽章を眺めながらトルムは言った。
というわけで、勇者トルムと愉快な仲間たちは三頭の蛇亭の食堂酒場でテーブルを囲み沈黙していた。
テーブルの上では大皿にミートボールのパスタが盛られていて、山菜とイカの煮物が鍋ごと置かれその横にはサラダというにはザク切りすぎる野菜が山盛りになっており、丸鳥のローストはなにか加減を間違ったのか首がそのまま残っていた。
主人が言うには頭をばりばり食うのが健康の秘訣らしい。首を落とさずに血抜きをするコツがあるのだとか。
酒ばかりが進んであまり食事に手をつける気にならなかったガンズーは、ためしにその鳥の頭をちぎって口に放りこんでみた。
細かい骨やらなんやらが歯の間に挟まりたおしたので、やはり酒ばかり流しこんだ。ミークが信じられないものを見る目でこちらを見ていた。
他のみんなもあまり食が進んでいない。アノリティだけが目の前に各料理を山盛りにし、もさもさと貪っていた。ロボも飯を食うとは最近まで知らなかった。
「あー……なんだ。まぁ、ほれ。入れねぇなら仕方ねぇ。今回ばかりは、俺抜きで行ってもらうしかねぇやな」
空気に耐えきれず――なにせその空気の原因は自分なものだから――ガンズーは意を決して言うことにした。
古代遺跡の転移部屋から丸一日ほど。今は夕食の時間というには少し遅い。
ガンズーの進行不能が判明してから、一行はひとまず街へ引き返すことにした。今後の方針を考えるためである。
あれからしばらく試してみたが、どう頑張ってもガンズーが装置を発動することはなかった。
アノリティの言った魔導適正。魔術を行使するためにマナを身体に通し操る身体性能といったところか。これが良ければ魔術も強くなるしマナの反動も少ない。
ガンズーが確認できるステータスにおいて、『ちりょく』がこれに当たる。
ガンズーの知力は現在25。
所持品の中には身体能力を一時的に少しばかり増強する――ガンズーからしてみれば、ステータスの数値を底上げする――薬品などもあったので、ひと通り使用してみたがそれでもダメだった。
ステータスを見てみれば間違いなく数値は上昇していたのに。
ドーピングでも足りないほどあの装置は要求が高いのだろうか。そう思った。
しかし。
「やっぱそうなっちゃうかなー。変なとこでつまづいちゃったねー。あたしだって魔術なんか全然使ったことないのにねー」
そう言うミークを横目でこっそり、しかし凝視する。
頭の中にぼんやりと数値の並びが浮かぶ。
『 れべる : 45/50
ちから : 42
たいりょく: 37
わざ : 74
はやさ : 76
ちりょく : 26
せいしん : 25 』
26! 知力26! んんにじゅうろく! んんん!
俺とひとつしか違わねぇじゃねぇか!
なんでお前はすんなり通れてるんだよ!?
知力ではなく精神が問題では? と一瞬だけ考えた。精神もマナに関わるステータスの筈だ。
しかし即座に己で否定する。ガンズーとミークの精神は同じ値。ダメだ。理由にはならない。
ダメなのは知力だけなのだ。
ダメだったのだ。ドーピングしてもダメだった。
そして問題のなかったミークとは数値がひとつしか違わない。ならばあの装置は外的要因により底上げした能力ではなく、本来の能力を参照している。どうやっているのかなんて知ったこっちゃないが。
その上で、まったくもって機械的に――装置だからね――ある一定値以下を足切りしているのだ。
知力25以下を。
すなわち。
いち足りなかった。
なぜ。なぜこんなところで。あと一。あとたったいち。おおもう。
しかしわからなくもない。自分だけがわかる感覚だからこそ、ステータスにおける『いち』の大きさも知っている。
延々と訓練してようやく上がる一レベル。幾度も死闘の中に身を置いて上がる一レベル。魔物の瘴気を浴びまくってやっと上がる一レベル。レベルが高くなればその上昇はどんどん遅くなる。
そして与えられる五ポイント。積み重ねに積み重ねた鍛錬の賜物であり血と汗と涙と、なんなら奪い奪われた命の結晶。
その五分の一。ポイントをひとつ振るだけでも相当に違うのだ。
力に振れば持ち上げられなかった武器も持てたし、砕けなかった岩も砕けた。技に振れば動体視力が良くなり速さに振れば反復横跳びの記録がじゃんじゃん上がった。体力は言わずもがな、肉体はどんどん頑丈になっていった。
知力も精神もそうなのだ。セノアとレイスンはガンズーよりもそれぞれの数値が二倍近く高いが、知識量が豊富だったり頭の回転が早いだけではない。魔術の威力も魔術への耐性もガンズーの比にならない。
ふと、筋肉を鍛えた分が知力や精神に回るというのはどういうことだと今さらながら思ったが、そういうものなのでまぁいい。脳筋とは脳まで筋肉に占められることを言うのではない。脳を筋肉のように鍛えられることを言うのだ。
とにかく、魔導適正であるところの『ちりょく』。
古代技術とはマナを用いた魔導技術と科学技術の融合だという。
そりゃあ魔導の素養が少ない人間には扱えないよな。セキュリティだってそういうとこで判断するよな。
……それにしたってお前。25ってそんな低い数字じゃねぇんだぞ。その辺の一般人よりよっぽど高い数字なんだぞ。駆け出しの魔術師でこれより低い奴だっていくらでもいるんだぞ。
というようなことをベテラン冒険者であり仲間たちの中で最もレベルの高い自分が思っていることに気づきひどく情けなくなった。
だってだって身体鍛えたかったんだもん。
「――でもさ! 要するに、ガンズーがもっとマナを上手く使えるようになればいいんだろ? ほら、ガンズーはそういうの見れるじゃないか! 鍛えればいいんだよ、どれくらいやればいいのか見ながらさ!」
トルムの言葉で、ここまで無表情を気取っていたガンズーの首に血管が浮いた。
すんでのところで、表情が砕けるのを我慢した。
「ねぇセノア、レイスン! マナの感覚って鍛えられるよね!? 僕だってちょっとずつできるようになったし!」
「うーん……まぁ、そうね。やってやれないことはないかも。筋肉で埋まってなけりゃ、まだ脳ミソに使えるところは残ってるんじゃない?」
「魔導知覚については、おおむね先天的なものが大きいとは言われていますが――そうですね。ガンズーさんは魔術をほぼ学ばずにきていますから、多少の余地はあると考えてよいかと」
「ほら! 今さらガンズーだけ置いて行けないよ! どうかな、これから特訓でもなんでもしてさ!」
輝く笑顔でそう言うトルムに、同じくこちらを見るセノアとレイスン。
ガンズーはブーツの中で足の親指をひたすらくねらせて、表情が変わりそうなのを我慢した。どうか汗よ出るなと願った。
「い、いやぁどうかなぁ……まぁ、そう、おう。あれよ。やぶさかではないというか、悪くねぇかもしんねぇが……いやしかしなトルム。ここは急ぐべきなんじゃねぇかなと俺は思わんこともねぇというか……だ、ダンジョンひとつ潜るあいだくらい、俺がいなくてもだな……な?」
ガンズーは嘘や誤魔化しが嫌いである。そして苦手である。
んー? という目でミークがこちらの顔を覗きこむ。やめろ見るな。この情けない俺を見ないでくれ。汗が鼻筋を伝ったのがわかった。
「確かに急ぎたいけど、ガンズーが抜けるのはやっぱり不安があるよ。遺跡の深層になれば、ほら、アノリティが居た所にも出てきた機械人形ともまた戦わないといけないかもしれない。どうかなアノリティ?」
「ほはいはふ」
お前はいいからそのパスタを飲みこめポンコツ。
確かに遺跡の深部で出くわした機械人形は強敵だった。凄まじい速度で縦横無尽に走り回り斬撃をしかける小型のものや、頑強な装甲を持った大型の砲台やらいろいろいた。
そして大半が物理的な攻撃だったからガンズーは相性が良かった。
「おーあれは歯応えあったな! だが! だがだぜトルム! 今日の戦いを見る限り、お前もじゅ~ぶんに前衛でやれると思うんだがな!? そそ、それにほれ、このポンコ、じゃなくてアノリティも俺なみに硬ぇしなぁ! 盾をやるんならバッチリなんじゃねぇかなぁ!?」
いよいよあらぬ方向に視線をそらしながら口を斜めにしてまくしたてるガンズーに、トルムさえも訝し気な目になる。ああ。相棒よ。すまねぇ。
ミークがぽつりと言った。
「……そんなに行きたくないの?」
行きたくない、というか。
行けない、というか。
だって。
『 れべる : 50/50 』
俺もう成長できねぇんだよ……
俺の知力は25が最大なんだよ……もうポイントは無ぇんだよ……打ち止めなんだよ……
「なにかあったの? ガンズー」
「まさか魔術の勉強したくないってんじゃないでしょーねー」
「ガンズーさん。確かに今から魔導の基礎を学ぶのは苦労があるでしょうが、我々も微力ながら協力しますよ」
やめろレイスン。優しくすんな。お前もうちょっと性格悪かったろうが。なんでこういうときに限って察しが悪いんだ。
違う。ガンズーはわかっている。
彼らは純粋にガンズーを心配している。協力し、共に困難を乗り越えようとしている。
だからこそ、彼らに明かすことができなくなってしまった。
自分はもう成長が絶たれてしまった。だからこの問題を解消することはできないし、一時でも自分を離すのが正解なのだ。
だが、果たしてそれは一時のことで済むだろうか。
戦える、とは思う。
成長が止まったとはいえ、ガンズーの能力はこと物質的戦闘において右に出る者はいない。もしかすれば現状、この世界でもトップかもしれない。
それはこれまでの戦いでもそうだったし、これから魔王の本軍と戦うにしても十分に通用するものだと思っていた。
その自信はあったし、実際につい先日まではそうだったのだ。
だがつまづいた。戦いでもなんでもないただの移動手段で。
仕方のないことだと感じる。限りある能力の可能性を、自分の信じる方向へ導いた結果だ。全ては手に入らない。ガンズーは人間だ。神ではない。
だが、それにしたってつまづき方ってものがあるだろう。
なにが辛いかと言えば、こんなことでみんなに迷惑をかけたことが辛い。みんなの目的を妨げてしまっているのが辛い。
そして、これで最後と思えない。思えなくなった。
古代技術が実現しているものを、魔族連中が用意していないと言えるだろうか。
今回は移動ができなかっただけ。取るに足らないことではある。
しかしこんな罠を、もっとひどい罠をもしも用意されたらどうする。いや、今回だってもしも不適合者が居た場合に発動するような凶悪な罠だったとしたら。
そもそも、敵だって強力な魔術を使う者が増えてきた。鉄壁のガンズーの鉄壁をたやすく溶かす相手がいつ現れておかしくない。
だからガンズーは、全てを明かして助けを乞うべきなのだ。今このときと、これからあるかもしれない窮地に、仲間と協力するべきなのだ。
ガンズーはわかっている。彼らは間違いなくガンズーを見捨てないし、助けてくれるだろう。
それがわかるのでなおさら、言いたくなくなった。
たった『いち』の差で足が止まった。
その事実が、ガンズーから自信を根こそぎ奪っていた。
そして不安定に残ってしまったプライド――あるいは意地が――もしくはただの見栄――が、仲間に全てを話すことを止めさせてしまった。
だからガンズーは、彼らに答えずただただ酒を胃の中に流しこんだ。
かなりお強めの蒸留酒を胃の中に叩きこんだ。
どうかどうか、「じゃあ今回はガンズーだけ留守番ね! 今回だけね!」と誰かが言ってくれるのを待った。なにも言わずに待った。
完全に人任せにして、問題の先送りをした。
全力で見過ごすことにした。
情けねぇ男だった。
鉄壁崩壊。
「もしかして、もう鍛えらんない、とか……?」
わはは。さすがだなミーク。ダンドリノ国で王室付きの密偵をやってただけのことはある。その洞察力は衰えてないようだな。
もはや言い逃れはできんか、とガンズーが泣きそうになった時だった。
げっぷ、といつもの金属音ではない生々しい音を発したアノリティ。
「ガンズー様のマナ素養は飽和状態にあるようです」
あ、言われちゃった。
というわけで、ガンズーはひらき直った。
「っせーーーなーーー! なんだお前らチクショウ! いいじゃねーか入れねーんだから放っといてくれよなんだよもう! 俺が居なきゃダンジョンひとつ潜れねーのか、あぁ!?」
突然の罵声に、一同は一瞬だけぽかんとした。
最初に反応したのはやはりミークだった。
「はぁー!? ちょっとなにいきなりキレてんのさ! あんたの様子がおかしいからみんなで心配したってんじゃん!」
立ち上がったガンズーに応えるようにミークも立ち上がる。
「だぁーれが心配してくれっつったんだよあー!? 俺ぁ最初っからずっと言ってんだろーが俺を置いてきゃいいって! お・い・て・きゃ・いいっつってんだよいいから言う通りにしろやカカシかおめーらは!?」
「最っ低ー! 誰のせいで戻ってきちゃったと思ってんのせっかくいろいろ考えてあげてたのにさー! もーいーよあたしたち五人で行ってくるから! そのまま置いてかれても文句言わないでよ!」
「じょーとーだボケ後で泣きついてきても知らねーからなコンチクシャー!」
「あったまきた! ここで引導わたしてやるこのデクノボー!」
「ちょ、ちょっとミーク、落ち着いて。ガンズーもそんなこと言わないでよ」
トルムが慌てて間に入ってきた。
彼の眉間に向けてズビッと指を突き出す。
「そんなことぢゃねーだろトルムてめこの野郎! お前がきっちり俺抜きで行くって決めりゃそれで済む話だろーが! いつまでも俺がくっついてると思ってんじゃねーぞこら! 娼館にもひとりで行けねーころから変わってねーのかおめーわ!」
「ばっ、ちょばっ! ガンズーーー!?」
テーブルに足やら腰やらぶつけながら踊りかかってくるトルム。
が、それよりセノアの首が回転する方が速かった。
「――あんだって?」
虹色の眼が残光を引いていた。奇麗だった。
威勢よくファイティングポーズをとっていたミークは、ほわっ、と奇妙な声を発して静かになった。ぽっかり口を開けて固まっている。
「ちがっ、違う! 違います! 違うです! 違うますんですセノア聞いて! 行ってない! 僕は行ってない! いや、い、行ったのは行ったっていうか、無理に連れてかれたっていうか! でもなにも! なにもなく帰ってきたんです本当なんだ信じて!」
「ほーーーそら知らんかったわー。その弁明をさぁ、誰が誰にしてんのかわかってんの? 言ってみほれ言ってみ」
「う、うわぁーーー」
セノアの足元に転がり込んで潔白を訴える勇者と、手ごろな位置に出てきた頭やら肩やらを足先でぐりぐりしながら罵倒する虹瞳の聖女。
いい感じに騒ぎが別方向へ飛んでくれたので、ガンズーは少しだけ頭が冷えた。
見ればレイスンは我関せずと優雅に葡萄酒を飲んでいる。やれやれなんて声が聞こえてきそうだった。
「まぁ俺やトルムなんかよりそこの奴のほうがよっぽど通ってんだけどな」
ぶー、と完璧なタイミングで葡萄酒の霧が舞った。
口から鼻から赤い液体を垂れ流してレイスンはむせる。
「なはっ、ごほっ! なぜ……っ!?」
「部屋から出るときゃもうちょっと気ぃつけるこった」
「わー! もーやだー!」
顔を真っ赤にしたミークがその長い耳を押さえてテーブルに突っ伏した。
アノリティは均等に切り揃えられた人参をぼりぼり齧っている。
「娼館とは金銭などの対価を払い性行為を」
「なんで説明しはじめたの!? なんで!?」
「ま、待ってください、ミークさんお聞きください! 誤解があります! 多大な誤解が! この誤解は今解かねば互いに後悔します!」
「わー! わー!」
「せ……セノア……話を……話……」
「あー? 聞こえない。なにか言ったの? もっと大きな声で」
宴もたけなわどころの騒ぎではなくなってしまった。
元凶であるところのガンズーが真っ先に冷静になってしまったのもどうなのだろうかと思うが、まぁこの際なので皆さんストレス解消すりゃあいいんじゃねぇかななどとも思う。
問題がなにも解決していないことには目をつむる。
ガンズーがぼんやり店の奥を見ると、宿の主人がこちらの喧騒を鼻で笑いながら見ていた。冒険者の集まりに喧嘩など付き物だ。慣れたものだろう。
そちらにコーブル大銀貨を指で弾いて放る。迷惑料だ。主人はこともなげに受け止めた。
「んじゃ、俺は出てくからよ。俺がいないせいでおっ死んだなんて言われたらたまったもんじゃねぇから、せーぜー頑張れや――」
耳を押さえるミークと鼻から葡萄酒を垂らしたまま弁解するレイスンと勇者をネックハンギングツリーに飾るセノアと吊るされるトルム。
言い捨てて去ろうとしたが、もはや誰も聞いていないようだった。
「……って言っとけ」
「かしこまりました」
丸鳥の丸ごとを齧りながら、アノリティが答えた。
◇
夜風に吹かれてアージ・デッソの街を歩く。
冒険者の街とはいえ、繁華街でもない道を夜中に出歩く者はそういない。
なので、ガンズーは誰にはばかることなく存分に頭を抱えてうずくまった。
「……やっちまった」
明日からどうしよう。ガンズーは思った。