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鉄壁のガンズー、また走る

 ノノが延々と見ていたので、結局サボテンの実は買った。

 いまいち食べ方を詳しく知らないが、剥くか割るかすればきっと食べられるだろう。夕食の時にでも出すか。


 なかなか高かったので少し驚いた。この実ひとつで新人冒険者の稼ぎ一日分くらいにはなりそうだ。


「なんつーか……甘やかしてんのね」


 そんなことをイフェッタに言われて、ガンズーはぎくりとした。


 多分、この数日だけでノノは同年代の子の数十倍は贅沢をしている。食事だけでもそうだし、服もこれからそうなる。

 今までの分を取り戻させたい、とは思っていたが、もしかしたらやりすぎなのかもしれない。

 ガンズーには加減がわからなかった。


「いんだよちょっとくらい。今まで大変だったんだ」


 言いながら、あんまりこれに慣れすぎると後が困るな、とガンズーは改めた。

 オプソン医師も言っていた。節制せよと。


 節制――やっぱり思いつくのは、自炊だろうか。自炊。え、自炊? 俺が? 俺がメシ作んの? どやって?


 むっすり困った顔になったガンズーは、ノノと共に北側から入った市場を南側から抜けようとしている。

 そしてなぜか、イフェッタもそれについてきた。


「そりゃアタシも帰るところなんだから仕方ないじゃない」


 彼女の住処は南東区画にあるという。職場もそちらなのだから納得するところだった。


 くいくいと、指を引っ張られる。

 歩きながらノノがガンズーの顔を見上げていた。口をすぼめて、視線をちらちらイフェッタのほうに動かす。


「……だれ?」


 問われて、ガンズーは答えに困った。

 誰かと聞かれれば、彼女はイフェッタである。それしか知らない。いや、知っていることは知っているのだが、知らないに等しいというか。


 このお姉ちゃんはなー、俺が買ったけど結局なんもできなかった娼婦の人なんだぞー。


 きっと今のノノには意味がわからないだろうが、もし十年後にこのことを覚えていたらガンズーはゴミを見る目を向けられる。


 そのお姉ちゃんは軽く笑うと、しゃがんでノノと目線を合わせた。口を塞ぐべきだろうか。


「お姉ちゃんはね、この人のお友だち」


 友達だったのか。ガンズーは思った。知らなかった。


「ともだち」

「そ。お友だち。この人のことはねー、アタシ色々知ってるんだよー。すっごい強いとかー、すっごい有名とかー、あとちんちんの形も知ってるの」

「おいてめこらなに吹きこんでやがる!」


 叫んでもイフェッタは微笑んでいるだけである。

 ノノがガンズーをちらっと見た。


「……ちんちん」


 やめなさい。


「アタシはイフェッタ。ね、お名前教えて?」

「ノノ」

「ノノちゃん。ふふふ、ありがとう」


 なんだかずいぶんと印象の違う顔で小さな子に向き合うその女をとりあえず置いておき、ガンズーは彼女の言った友達という言葉が気にかかった。

 自分のことではない。


 友達。

 そういえば、ノノには友達がいない。

 外で仲良く遊ぶような、同年代の子が近くにいない。


 修道院に行けば、パウラやアスターや孤児院の他の子供はきっと一緒に遊んでくれるだろうし、きっとこの子を友達と呼んでくれるだろうが、修道院まではちょっとばかり距離がある。

 そもそもノノの家が他の住宅より離れた位置にあるし、最も近隣の家々には見る限りあまり子供がいない。

 これはちょっと考えねば、とガンズーは思った。


 イフェッタは立ち上がると、こちらに向かって眉を上げた。


「いい子じゃん」

「おうよ。すげぇいい子だぞ。大したもんだろ」

「そんでやっぱ甘々じゃん」


 ありのままノノを紹介しただけなのになぜかガンズーがそんな評価をされ、納得しがたいものを感じながら歩く。

 そういえば、横を歩く女は特になにも手に持っていない。市場へはどんな用事だったのだろうか。


「あぁ、仕事着よ。ちょっとくすんできたから、染めてもらおうと思って。イメチェンにもなるしね」


 仕事着、ということは娼館で着ていたあの簡素なナイトドレスだろう。

 ああいう店の仕組みがわからないので私物なのか支給品なのか知らないが、きっと安いものではない。

 染めて、繕って、長く使うものなのかなと考えたが、まずあの職業がそんなに長く勤めるものなのだろうか。


 聞いてみようか迷ったが、やめた。この場で聞くような話ではない気がした。


「あんたたちは?」

「色々済ませて、メシどうすっかなーって歩いてただけだよ。やっぱ俺みたいなのは市場で生モノ見るより屋台で出来合いのモン見るほうがいいかもな」

「ふーん」


 イフェッタは興味なさげだったが、足元の子を見ると、


「ノノちゃん、お腹すいてる?」

「……すいた」


 ノノはあまりよく知らない人にどう答えるべきか悩んだ――偉いぞ――ようだったが、ガンズーが軽く頷くと正直に言った。

 ちょっと待ってな、と言ってイフェッタはパン屋と肉屋の間の狭い路地に入っていく。


 少し待つと、彼女は紙の包みをみっつほど持って戻ってきた。


「はい。中のほうはあっついから、気をつけて食べるんだよ」


 そのひとつをノノに渡すと、さらにガンズーにもひとつ押しつける。


「ほら」

「あ、ああ。悪ぃな」


 ガンズーは小銭入れから代金を出そうとするが、「いいってべつに」と受け取ってもらえなかった。

 イフェッタはそのまま素知らぬ顔で自分の分に齧りついてしまったので、それ以上はなにも言えない。


 包みの中は平べったいパンのようだった。

 ひと口食べてみると、生地の中にチーズと刻んだ鳥肉と人参なんかの根菜が入っている。とろけたチーズと一緒に、甘辛いソースも出てきた。

 ノノはそれをパクつきながら、時々両足でぴょんと跳ぶ。急いで食べて火傷するなよ、と言うと返事の代わりにまたぴょんと跳んだ。


「昼どきだけこういうの出してんのよあそこ。ほとんど地元の人間しか知らないけどね」


 口の端についたチーズを舌で舐め取りながらイフェッタは言った。


 なるほど。こういう穴場のような場所をガンズーはまったく知らない。数か月ほどこの街にいるが、知る機会は無かった。

 そういった便利な店が他にもあるのかもしれない。しばらく暮らすならできれば詳しく知りたいが、どうしたものか。


 食べ終わるころには市場を抜け、中央通りに出ていた。遠目に南門が見える。


 南門の先には街道が延びていて、平原の向こうまで続いている。ガンズーたちもその街道を通ってアージ・デッソまでやってきた。

 昨日の新人たちはまたゴミ運びでもやってんのかな、と近くにあるらしい集積所を探してみたが、ガンズーのいる場所からは確認できなかった。


 門には関が設えられて、徴税官と門番の前にはおそらく行商だろう数人が並んでいる。

 今日は数が少ないようだ。多いときには、商人や旅人や冒険者や冒険者志望の人間で長蛇の列となる。


「秋の収穫期にはまだちょっと早いからね。もう少ししたら、商人がばんばん入ってくると思うよ。そのあとは、冬前の疎開で近くの村から人が来るかも」

「そういうもんか」

「大きい街はだいたいそんなもんでしょ」


 そのときそのときの目的に合わせて各地を旅してきたガンズーはいまいちピンとこないが、たしかにそれくらいの時期は街道の人の流れが多かった気がする。

 なんだかいざノノと暮らそうとしてから、今まで考えなかったことに気づく機会が多い。


 生活かぁ。ガンズーは思った。

 では今までの生活は何だったかといえば、それもやっぱり生活のひとつだろう。傭兵の、冒険者の、そして勇者の仲間の。生活のかたちが違っただけだ。


 これからの生活はどうなるんだろう。ガンズーは街道の先を眺めた。


 その先に、土埃が立ち始めた。


「んん?」


 目を凝らすと、一台の馬車が走ってくる。


 そう大きくない馬車だが、引いている馬も二頭だけなのでそこまで速度を出せていない。懸命に鞭を入れているようだが、人間が全速力で走るのと同程度だ。

 そうこうしているうちに、蹄の音と車輪が跳ねる音も聞こえるようになった。

 近辺の住民がなんだなんだと通りに出てくる。


 門番がいったん、並んでいた商人たちを関の中――門の内側ではない、緊急の待避所である――へ入れる。

 とうとう馬車の御者が叫ぶ声が聞こえた。


「黒狼だー! 黒狼が出たーっ!」


 周囲の者たちがざわつく。どこかの婦人の悲鳴まで聞こえた。走り出していずこへ知らせに行こうとする者もいる。


 ガンズーはノノを抱えると、イフェッタにずいと差しだす。さらに持っていた袋やら果物やらも渡す。


「すまん。ちょっと頼まれてくれるか」

「え、ちょっと」


 それからノノの頭に手を置き、


「すまんな。ちょっと行ってくるわ」


 彼女はそれが当然であるかのように、こくんと頷いた。

 ぽんぽんと彼女の頭を撫でて、ガンズーは門に向かって走り出した。

 イフェッタの文句が聞こえたので、なにかしら埋め合わせをしなきゃならないかなと思った。






 門の中へ馬車が駆けこんだ。少し遅れて、護衛の冒険者だろうか、ふたりほどが飛びこんでくる。

 門番のひとりが門を閉めろと叫ぶ。

 そのときにはすでに毛皮が黒に染まった狼の魔獣が三匹、門に迫っている。


 門を越えられる、と思った瞬間、そのうちの一匹がギャンと悲鳴を上げて身をひるがえした。

 門の手前で魔獣たちはうろうろ円を描くように待機し始める。

 結界の効果だ。南側はぴったり門までが効果範囲らしい。


 門が閉められると、冒険者のひとりが「待って!」と叫んだのを見て、ガンズーは驚いた。

 デイティスだ。特徴的な金髪は、先日に会った新人冒険者だ。

 同じく門番にすがりつくのはダニエだった。ガンズーは嫌な予感がした。


「おい、どうしたお前ら。もうひとりは?」


 ガンズーが駆け寄ると、デイティスは大きく目を見開いた後、懇願するような顔をする。


「に、兄ちゃんが! 囮になって、森の方に!」


 聞けば彼らは馬車の護衛をしていたわけではなく――そんな依頼を受けられるほど能力も実績も足りない――、ゴミを集積所に運んだ帰りに魔獣に襲われる馬車を見つけただけだという。

 本来の護衛は全滅。四匹の魔獣に囲まれ、絶体絶命の馬車。三兄弟が逆立ちしても敵わないような相手だったが、見過ごせなかった。

 投石で注意を引き、三人でばらばらに引きつけることで混乱させようとした。狙いどおりに攪乱された魔獣は囲みを解き、馬車は逃げることができた。

 しかしドートンのほうへ一匹が向かった。彼は森へ逃げこみ、残った三匹は少し迷ってから馬車の方へ狙いを戻したので、デイティスとダニエは馬車と共に逃げてきた。


 そこまで言ってダニエは泣き崩れた。

 デイティスはガンズーの服を掴んでお願いしますお願いしますと繰り返す。兄ちゃんを助けてくださいと繰り返す。


 彼らに救われた馬車を見てみれば、商人の陰から少女が顔を覗かせた。娘だろうか。


 ガンズーは、足首がガチガチだなと思った。肩もそうだった。

 またオプソンに怒られるかもしれん。そうも思った。


「おい、門を開けてくんねぇか」

「な、なにをふざけたことを言ってっ壁のガンズー!?」


 門番は叱責の声を上げようとしたらしいが、目の前の男の正体がわかってそれは素っ頓狂な叫びに変わった。


「大丈夫だから、開けてくれ。このままでも困るだろ」


 門番の中でおそらく上官らしき者に言うと、彼は少し逡巡してから開門の号令をかけた。


 目の前で門が開いていくと、狼の魔獣たちはうろつくのを止めたようだった。

 現れたガンズーに身を低くして構える。

 ノノたち虹瞳の子供を運んでいた虹狩りの護送隊。その中にいた魔獣と同じ種類だ。

 そうそう街道近くに出てくるものではない。あるいは、あの護送隊の()()()がまだいたのかもしれない。


 門の外側へガンズーは無造作に足を踏み出した。と同時に、魔獣たちが飛びかかる。


 最初に飛びついてきた魔獣の鼻っ面を掴む。

 ガンズーはそのまま地面に叩きつけた。頭蓋がひしゃげる。

 姿勢を戻す勢いで、左足を振り上げた。

 続いてかかってきた魔獣の胸あたりに爪先が突き刺さる。

 魔獣は門よりも高く打ち上がった。背後から門番の「嘘だろ」という呟きが聞こえた。

 右腕の包帯を意識しすぎたせいで、最後の一匹には対応しきれなかった。

 大きく開かれたあぎとが、ガンズーの右肩に食いこむ。

 ガンズーの身体にはその鋭利な牙でも傷ひとつつかない。痛めた鎖骨のあたりにちょっと触って、ちょっと痛かっただけである。

 食いついた狼の魔獣は一瞬ばかり動きを止めた。嘘だろ、と思ったのかもしれない。

 ガンズーは魔獣の首に手を添えると、絞るように捩じった。ごぐん、と首の骨が折れる音が響く。


「さてとぉ」


 蹴り上げた魔獣が落ちてきて、きちんと絶命しているのを確認してからガンズーは駆け出した。


 黒狼はベテラン冒険者ならともかく、新人が戦えるような魔獣ではない。

 奇跡を祈りながら、ガンズーは走った。

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