鉄壁のガンズー、生活せよ
ベンメという村は、ありていに言ってよくある田舎の村だった。
バスコー王国内に限らず、スエス半島には似たような規模の村がいくつもあったが、主要都市間の街道に近いというだけでも比較的マシな部類かもしれない。
元来は開拓村であり、湿原の開発を進めようとする王国の事業でもあった。
幸い、湿原は泥炭地が端に寄っていて、作物を育てるに適した土壌もあり、家畜を育てることもできた。
周囲に毒と瘴気を撒く魔獣が湿原に発生したのは、二十年と少し前だった。
この世界で雨というものは、恵みの雨であると同時に、災厄の雨でもある。
雨が降れば日が差さないし、月も出ない。瘴気は淀んで溜まり続け、雨水と共にその侵食を広げていく。
湿原の周囲では、そこにさらに毒まで乗った。人が住めるような場所ではなくなった。
風向きが悪ければ瘴気の靄が入りこみ、いずこからか毒に染まった汚水が流れこむ。
ベンメの人々は、じりじりと湿原から逃れるように住居を移しながら村を守ろうと懸命に戦ってきた。
王国から魔獣の討伐隊が出された。冒険者にも依頼を出した。村の若者が何人も立ち向かった。そのすべてが沼に沈んだ。
限界を超えていた。早晩、ベンメ村は滅びる運命だった。
王都へ最後の嘆願に向かう村長の姿が街道にあった。そして、アージ・デッソへ向かおうとする六人の冒険者の姿もあった。
◇
眠る子供の顔を見ながら、ガンズーはベンメ村のことを思い出していた。
ノノの寝顔は安らかではあるものの、ときどき眉間に力が入って、なにかうわ言を言おうとするように口がもごもごする。
母か父の夢でも見ているのだろうか。あるいは魔物に連れ去られた時のことを思い出しているのか。それともまったく関係ない生理現象なのだろうか。
小さな指がぴくつくと、同じように長い耳の先も動く。
ノノは夕方前に起きると、買ってきておいた堅パンを山羊乳に浸して食べてからまたすぐに寝た。
思えば魔物たちの手から救い出してまだ二日しか経っていない。疲れていて当然だったのだ。考え無しに連れ歩いてしまった。
もっと彼女の体に気をつけなければいけない。この世界この時代では、ただでさえ子供の生存率は低い。
前の世界でだって、子供は体を壊すのが当たり前のことだったのだ。
だからせめて、もう少しだけ世界をマシなものに。そういうつもりで戦ってきたのだから、確かに歯がゆいものはある。
ドートンという少年が今の自分に失望感を覚えたとしたなら、仕方ない部分もあるだろうと思っていた。
彼ら三兄弟はノノが目覚める前にあらかたの仕事を終えてくれた。
あとはゴミ山を集積所に運ぶだけとなったので、少しフライングではあるがその時点で割り符と報酬を渡した。
日が沈む前にもうひとつくらい簡単な仕事ができたなら、きっと今日は木賃宿ではなく真っ当な宿に泊まれただろう。
毛布とシーツはどうにか手に湿気を感じない程度に乾いてくれた。ボソボソではあるが、抵抗を感じない程度にはなった。
案の定、ノノの服は少なかった。自分の普段着も足りていない。下肥買いも手配しなければならない。きっと他にも必要なものが出てくる。
この子の体調を見ながら、明日も最低限の生活準備を進めなければ。
ノノは一瞬、ふが、と少し跳ねると、寝返りをうった。やはり長い耳がぴくぴくと動く。
(違うように見えても、子供は子供だよなぁ)
ガンズーは思う。
この世界の人間は耳が長い。
だからガンズーは物心ついて、以前の自分の生活を思い出して、自分のことがわかって、そして、この世界が己の知る世界とは別のものだと理解したのだ。
世話をしてくれた傭兵連中の耳も長かった。街の人々も長かった。城の中で暮らす偉い人たちも長かった。トルムも長かった。仲間たちも長かった。
ガンズー自身の耳も長い。触ると、未だにわずかな違和感がある。
ガンズーは創作物に造詣が深いわけではなかったが、それでもこれは前の世界でいうエルフに近いなと思った。映画で観た。
だがあれは確か、百年千年と生きる長命の代物だったはずだ。
この世界で知る最も長命な者は、七十八歳。ダンドリノ国で賢老と呼ばれ王宮に暮らし、延命の手段を求めていた。
元の世界と少しも変わらない。マナの存在など些細なこと。なにも変わらない。
自分と、家族や恋人と、あともう少しだけ周りの人と、あるいは知らないどこかの誰かのために、短い生を必死に生きている。生活をしている。
「ただ生活するってのも、案外大変なもんだよなぁ」
それはきっとアージ・デッソでも、王都でも、ベンメ村でも変わらないことなのだろう。この世界でも、元の世界でも。
そんなことを思いながら、ガンズーは眠りについた。
起きると、右の肩と足首がバカみたいに腫れていた。
ガンズーはいまいちなにが起こったかかわからず、不思議な顔をしながら解いた包帯を再び巻き直し、やっぱり変だったのでまた解いた。
「マジかぁ……」
ぶっすり腫れている。
痛みはそれほど強くもないが、赤く熱を持っており、うっすら青い筋も浮いている。
特に肩が凄い。ガンズーの肩はただでさえ筋肉でぶ厚いが、今はもうそこにノノが座るどころか寝転がれそうだった。
痛めた自覚はあったが、まさか数日おいてここまでになるとは。ちょっと放ったらかしすぎただろうか。
川で冷やしておいた山羊乳の残りに麦を漬けて食べる。水だけよりは遥かにマシだった。
食べながら、ノノがじっとガンズーの肩を見ていた。
「やっぱ変か?」
こくん。匙を咥えながら彼女は頷いた。
「医者なぁ……いつぶりだろうなそんなもん」
同じく匙を歯に引っかけながらガンズーは呟く。
外傷で最後に医者にかかったのはおそらく数年前、まだステータスが万全ではなかったころ、魔獣の体当たりであばらが片っ端から折れたときか。
矢の雨にさらされても破城槌を真正面で受け止めても塔から落とされても山崩れに飲みこまれても倒れなかったガンズーである。
多少の魔術でもあとに引くほどのダメージはそうそう負ったことはない。
おそるべしウークヘイグン。あんな奴がほいほいいたら参っちまうなぁとガンズーは思った。
ともあれ、
「ノノ、疲れてねぇか? 今日は出かけないでおくか?」
そう聞いてみると、その子は問いかけの意図がわからなかったのか首を横に傾げると、そのまま首を振った。
「ホントに大丈夫か? 無理すんなよ?」
ぶんぶんと首を振るノノ。
「だいじょぶ」
「そうか……? おねむになったらすぐ言えよ」
「だいじょぶ」
どちらかといえばちょっと無理をしてでも外に出たいのかもしれない。
彼女にとって街中を歩くのはとても新鮮なことだし、なにより街ではおいしいものを食べられる。
休ませることも大事だが、いい物を食べさせることも大事だろう、とガンズーは結論した。
なにせノノは欠食児童だ。四歳と少しということだが、ガンズーは彼女を最初に見たとき二、三歳ほどにしか思わなかった。
たっぷり食わせてたっぷり寝させようと決めた。
それと、寝食の他にも大事なもの。
「そんじゃあノノ、どんな服が好きだ?」
◇
貴族のお仕着せでもないのだから、子供の服にそれほど種類などない。
古着屋に小さく積まれている子供用のチュニックやブリオーなんかを摘まみ上げながらガンズーは、だよなぁと呻いた。
そもそも置かれた古着のほぼすべてが手作りである。今ノノが着ている服も彼女の母が手ずから拵えたか、誰かのお下がりだろう。
慣れないことをするものだから、長らく意識していなかった前の世界の感覚が変に邪魔をしてくる。いや、前も子供服を探したことなんて無かったが。
ふと、玩具みたいなものはあるのだろうかと気になった。
あったとしてもきっと手作りだろうなと思うが、そのうち修道院あたりで聞いてみよう。
ノノにサイズが合いそうなものを数点、それと自分用にも古着を――スーパーサイズなのでなかなか合うものが無い――少し買う。
基本的に衣服は高い。古着でもまだちょっと高い。これが仕立て屋に新品を頼んだりしたら、それはもうバカ高い。
そしてアージ・デッソにおいて服を積極的に買おうとする者といえば冒険者なので、やっぱり相場は高めに設定されている。
(鎧よりゃまだ安いとはいえなぁ)
当然だが武器防具、特に金属製のものはもっと高い。鋼鉄の武器や防具を安定して用意できるようになると、一人前の冒険者に仲間入りといえる。
先日デイティスが持っていた短剣も鋼だった。あれも先日まで農民だった人間からするとかなり奮発したはずだ。
古着屋の主人に下肥買いの手配はどこに行けばいいか聞くと、東門の外に組合の詰め所があるからそこで適当に渡りをつければよいと教えてくれた。
言われた場所まで行ってみれば、小さな牛舎がある建物があった。独特な臭いが辺りに残っている気がする。
東門の外側――つまり、ノノの家からアージェ川を挟んで向かい側――には田園地帯が広がっていた。
街の結界はそこまで含むので、その中心であるアージ・デッソの結界塔は東よりに立っている。
なるほど、肥料を作るなら農地の近くが当然だろうし、どうやら飼っている牛は運搬の役目もあるようだ。
中に入ると老人がふたりほどいて、汲み取りを頼むと言うと月に一度の通いで都度計量。だいたい小銀貨一枚だという。
高いのか安いのかわからないなと思っていると、こちらが支払われる側だというので驚いた。
勘違いしていたが、下肥買いである。買っていくのだ。てっきりこちらから金を払って汲み取りしてもらう気でいた。
それで構わないと家の場所を伝えると、「カゼフんとこでねぇか」と老人は言った。
ノノはさほど大きく反応しなかった。老人の顔を仰ぎ見たくらいである。
聞いてみれば、少し前まで通っていたので場所はわかっているらしい。契約の更新がなかったので、止めていたというのだ。
老人はノノを見ながら「そうけぇカゼフのやつ死んだけぇ……」と呟いた。
「そんななぁ、とんでもねって男でもなかったんだがねぇ。あんなんなっちまっちゃあなぁ、まぁ、よかぁねぇっちゃ思ったけんどなぁ。若ぇころぁ、しち面倒な仕事もばんばんやって、はぁまぁよう稼ぐ男だと思ったもんだ」
明日の朝一にまず来てくれることになり、よろしく頼んで組合を後にした。
「大丈夫かノノ?」
ノノは大きく頷いた。
「……父ちゃんのこと知ってる人いたな」
今度は、小さく頷いた。
◇
「折れてはおらん」
「動くからそれは分かるんだがよ」
三日連続で協会支部にやってきた子連れのガンズーは、協会付きの医師オプソンの前に座っていた。
アージ・デッソで他に思いつく医者も診療所もなかったためである。
「鎖骨と足首は軽い罅といったところかな。ただ肩はこれは。おそらくは関節の内を痛めているな。剥離も考えられるが……動くのだね」
「全力でぶん殴るくらいはできたな」
「そりゃまぁ痛めるだろう」
半眼で言い放つオプソン。そう言われても必死だったのだから仕方ない。
みっちり膨らんだガンズーの右肩をノノがおそるおそる指で突っつく。俺だから平気だけど他の奴にやっちゃダメだぞ。
「しっかり固めて、なるべく動かさないように。痛み止めはいるかな?」
「いいよ。大して痛くはねぇんだ」
足も肩も包帯でギチギチに巻かれながら、しかしガンズーは久々の怪我らしい怪我に少し安心もしていた。
ステータスという、正直なところ今も仕組みの分かっていない加護により人間離れした頑丈さを得たガンズーだが、ちゃんと負傷もするときはする。きちんと人間をやれている気がした。
「ヴィスクたちはまだ入院してんのかい?」
「ああ、まだこちらに入ってるよ。その節は本当にありがとう。あのときそちらが術性定着薬を使っていなければ、エウレーナ殿は危なかったかもしれん。おかげさんで今はすっかり回復してきた」
「まぁ、助かったんなら安いもんだ」
「安いもん、であの薬を他人に使う者はそうおらんな」
七曜教会謹製の秘薬、術性定着薬。
その名のとおり、魔術の効果を薬液にそのまま代行させる代物だ。そのまま呼ぶ場合、大抵は再生魔術を定着させたものをそう呼ぶ。
といっても製法を知っている薬師か術師と作製環境と材料さえ揃えれば、作ろうと思えば作れる。
法で禁止されているので勝手に作ったことが知れた時点で第一級の禁術犯として憲兵が送られてくるが。
買うためには国と教会、両方の認可と、冒険者であればさらに最低でも中級以上の階級が必要になり、ひとり一本まで。
登録情報とがっつり紐付けされているので、二本以上持ち歩いているとやっぱり犯罪者。二度と買えなくなるし、教会の魔療師にもかかれなくなる。
値段は時価。安い時でも金貨十枚は下らない。
とはいえ緊急の治療手段としてこれ以上ない代物なので、冒険者に限らずこれを欲しがる者は多い。
複数所持で検挙される冒険者や貴族もいれば、モグリの薬師を捕縛する依頼が冒険者に投げられたりもする。どこぞには違法に作製されたこれを扱うブラックマーケットなんかもある。
「補充しとくかなぁ。オプソン先生よ、今なんぼくらいか知ってるかい?」
「先週の終わりで金十八だったからね。今は二十を超えてるかもしらん。ちょっと時期が悪いな」
「二十か……」
ガンズーはそれなりに小金持ちではあるが、金貨二十枚は流石にちょっと――ガンズーが大雑把なだけでちょっとどころではない――痛い。
しばらく手持ちの金を数えていなかったので正確ではないが、もしかしたら全財産の半分以上だ。
なにせ金二十あれば、ちょっと控えめに暮らせば一年は仕事をしなくても十分にもつ。街によっては二年くらいもつ。
アージ・デッソは物価が高めなほうだ。ノノのこともあるのだから、もう少し経済感覚にも気をつけなければならない。
「見送りだなぁ」
「まぁ、街中で暮らすならそう必要な場面もなかろう。節制することだな」
ガンズーの右足首を包帯でグルグル巻きにし終えて、オプソン医師はぺんとひとつ叩いた。なにしやがるこんにゃろう。ノノも真似して叩いた。やめなさい。
◇
今日の昼飯はなんにしよう。そんなふうに思いながら、買った古着を詰めた袋を下げて街の南西区画にある市場をぶらつく。固めた右足が不便だった。
アージ・デッソにおいて夜に最も賑わうのが南東区画なら、昼に最も賑わうのはこの辺りだ。
種々の店や露店が並ぶこの通りを歩くのが、ノノは好きらしい。
いまいちそれがなんなのか思い出せない果物を、彼女はもの珍しそうに眺めた。聞かれる前に名前を思い出したい。
「あ」
素っ頓狂な声に振り返ってみると、長身の女と目が合った。染物屋から出てきたところだったようだ。
ガンズーは数秒ほど彼女を眺めてから、同じく「あ」と口を開けた。
「……あらまぁ。どうもお久しぶり」
言うほど久しぶりでもない。数日ほどのはずだ。しかしなかなか彼女の名前が思い出せない。
それはそうだ。酔った頭で一度会っただけなのだから。
「おぉ……そう、そうか? そうでもねぇだろ」
「まぁそうかもね。結局あれから来なかったガンズーさん」
それでようやくガンズーは思い出した。
あの果物はサボテンだ。棘を払ったサボテンの実。いや違う。果物のほうはどうでもいい。
女はガンズーと手を繋ぐノノにちらと視線を落として、
「へぇ。やっぱり噂は本当だったんだ。子供連れのガンズー」
首を傾がせ、イフェッタは下から舐めるようにこちらを見た。
サボテンみてぇな女だな。ガンズーはそう思った。