鉄壁のガンズーと新人
「てってってってってっ、がん」
姿勢を正した新人冒険者の少年は、謎のリズムを刻んだ。そこからダンスでも始まるのかと思ったが、そういうわけでもなかった。
少し長めの髪を適当に後ろへ撫でつけていて、茶色に近いブロンドヘアなものだから獅子のたてがみのようだと思った。
が、顔は少年――それもことさら童顔――だからなんだかちぐはぐな印象を受ける。
リズムがてててってててっと早くなったあたりで、横に立つ少女が彼の肩を突っついた。
「デイティス、落ち着いて」
「だ、だって姉ちゃん、が、ガンズーだよ? 本物、鉄壁のガンズー」
はわはわ腕を振り回すデイティスと呼ばれた少年。どうやらこのふたりは姉弟のようだ。確かに少女も長い金髪だ。ちょっとくすんでいるが。
ではもうひとりは、と見るとやっぱり金髪だった。
そのもうひとり、金髪を短く刈り込んだ少年が、割り符を見せて口をひらいた。
「依頼内容は家の清掃、ゴミの運搬処理。報酬は小銀貨三枚。依頼者は……鉄壁のガンズー。で、いいんだよな」
「おうおう、間違いねぇぞ。いやー、早く来てくれて助かったぜ」
ノノを背負いなおして、ガンズーは短髪の少年に向かって笑みを見せた。
彼は手先で割り符をぷらぷらさせてから、懐にしまい。不愛想な顔を張りつけたまま、少女の方へ向き直って、
「ダニエ、依頼書は本当にガンズーって書いてあったか?」
「なに言ってんのドートン。あんたも見たじゃない」
「だからなんの冗談かと思ったんだがなぁ」
「兄ちゃん覚えてないの!? 間違いないよガンズーさんだよ! 本物!」
「本物なのはわかったけどよ……」
こっちは兄ちゃん。
三兄弟か。兄と姉のどっちが上かはわからなかったが。
その末弟であるデイティスの背後に荷車があることに気づいた。
「お、準備いいな」
「ははははい! ゴミ運びは先日もやりました! これくらい当然です! 掃除用具も借りてきました!」
デイティスが叫ぶように言うので、ガンズーの背から小さく「ふぁっ」と声が聞こえた。ノノが一瞬起きたらしい。もぞもぞしてから、また寝た。
先日も、という言葉でガンズーは気づいた。
「もしかしてお前ら、一昨日くらいが初仕事だったりしねぇか? なんか夜に見かけたような気がすんだけどよ」
ノノたちを助けて街に戻った夜、協会支部に立ち寄ったときに彼らとすれ違ったことを思い出した。
さらに厳密には、その朝に彼らが冒険者登録をしていた時にも見かけた。
なので聞いてみると、デイティスは張り手でもくらったように口をぱかんと開けてから、隣のダニエに掴みかかった。
「ほらぁーーー! やっぱりガンズーだった! あの時いたのガンズーさんだったんだ! だから言ったのに! 姉ちゃんが早く帰りたいとか言うから!」
「わかったわかったわぁかった、ごめんごめん。疲れてたんだからしょうがないでしょ何軒も家まわって街の外と行って来いしてさ。こうやって改めて会えたんだからいいじゃない」
「わああああ凄いよあんな一瞬だけだったのに。やっぱり超一流の冒険者は観察眼も凄いんだよ、さすが勇者トルムの第一の仲間だよ」
姉を振り回しながらなにかもの思いにふけるデイティス。
新人冒険者にはよくあること――かなりの高確率で――だが、どうも彼は勇者に憧れて冒険者になったクチらしい。
「なんだお前、トルムのファンか」
「勇者様だけじゃないですっ!」
またもデイティスは食いつくように叫び、ノノはまた文句の声を上げた。
「勇者様だけじゃなくてっ、僕は、当然、ガンズーさんにも凄く! それからもちろん、虹雷のセノア! 夜閃のミーク! 背信者レイスン! ゴーレム・アノリティ! パーティのみなさんは、ほんと、凄く! それで、あの、僕は、ベンメって村で!」
「落ち着け落ち着け、頼むから息を吸え」
顔を真っ赤にしながらまくし立て――ようとしているがどうやら喉が渋滞している――あえぐデイティスに、ガンズーは思わずちょっと引く。
ドートンは少し離れてその様子を眺めていた。
ダニエが彼の額をぺちんと叩いて、代わりに言葉を続ける。
「あの、ガンズー様。ベンメ村という場所を覚えておいででしょうか。王都北の湿原近くにある村なのですが」
「ベンメ……?」
湿原といえば、バスコー王都からこのアージ・デッソへの途上に広がっている。確かにここへ来る旅の途中で近くを通った。
そして、ベンメ村も立ち寄ったのを覚えている。アージ・デッソに到着するより前のことだから、もう一年近く前だろうか。
「あぁ。あのでけぇ蛇がいたとこ」
「そ――そうです! 私たち、トルム様たちに紫鱗の大蛇を退治していただいたべンメ村の者です。こちらのデイティスが、すっかり感化されてしまいまして。冒険者になって、またいつか会いたいなどと」
湿原の一辺を毒沼と瘴気溜まりだらけにして近隣に被害をもたらしていた魔獣のことを思い出した。
ぼーっとしたアノリティが飲みこまれて、自力で出てきたはいいものの凄まじい臭いが数日とれなかったことも思い出した。
そして、デイティスを見て、ダニエを見て、ドートンを見て、ガンズーは「あ」と口を開けた。
「あー、思い出したぜ。けっこう盛大な宴までやってくれたもんなぁ。覚えてるわお前らのこと。あんな小さな村に貴族みてぇな金髪がいるなぁって思ったんだ。あのもじゃもじゃした金髪のおっさん、お前らの親父だろ」
そう言うと、デイティスもダニエも顔面のひらける穴すべて限界までひらき、ちらと見ればドートンも目を見ひらいていた。
姉と弟はひしと抱き合った。
「姉ちゃあああん! おおおおおお覚えられてたー! ぁあぁ!」
「良かったねぇ、デイティス良かったねぇ、冒険者になって良かったねぇ」
姉弟の感動の場面だった。
ノノを抱えて鍋と藁の入った袋を持ったままのガンズーは少しだけ待ってから言った。
「あー……ところでそろそろ、仕事の話していいか?」
うなじの辺りをぺちぺち叩かれた。眠ったままノノが静かにさせろと言っているようだった。
なにはともあれ、三兄弟の仕事はそれなりに早かった。
ざかざかと麻袋にゴミ山を崩して収め、灰石鹸を入れてかき混ぜた水を家の床に広げるとモップ――棒の先に布を挟みこんだだけのものだが――で拭う。
デイティスがモップを持って居間を行ったり来たりしてる横で、ダニエは竈を前に、「暖炉しか触ったことないんだけどなぁ」とか言いながら四苦八苦している。ドートンは風呂釜を抱えて川に向かった。
ガンズーは下手に手伝っても邪魔になるかと思い、藁を換えた寝床にノノを寝かせると、自分の寝床の毛布とシーツを持って外に出た。
それをわきに置いて、ノノの親の墓を作った時に出た角材の余りを数本ひろって持ってくる。
「なぁ、その剣ちょっと貸してくんねぇか」
モップの汚れを払っていたデイティスの腰を指して尋ねる。
掃除のあいだくらい装備は外しておけばいいのにと思ったが、新人は仕事のあいだ持ち物を肌身離さないように教育される――盗まれないように――ので、真面目だなと思い直した。
自分の武器を使ってもらえると、やたらうやうやしく差しだしてくるデイティスを横目に短剣を抜いた。新品である。
「せぇの、ほっ」
角材を立てて、縦に適当に刃を入れた。
ガンズーの力でちょっぴり気合も入れたので、斧で断ち割ったように角材は細く裂けた。数本になるよう続ける。
目をキラキラさせて拍手するデイティスに短剣を返すと、やはり余っていた革紐で角材を橋を渡すような形に組む。
物干し竿である。
それからガンズーは灰石鹸を少し貰って、毛布とシーツを川に運んだ。上空を見る。
すでに昼は過ぎていた。しかし日差しは強くなかなかの暑さを伴っているし、風も穏やかながらよく通っている。
今から洗っても、ちょっと念入りに絞れば乾くかもしれない。乾かなかったら野営用の自前のものを出そう。
どちらにせよこのままの毛布で寝たくなかった。
「……あんた、あの子とずっと暮らすつもりなのか?」
川面にべっしんべっしん毛布を叩きつけていると、近くで風呂釜を洗っていたドートンが話しかけてきた。
「んん?」
「トルム様はどうすんだ」
木枝の先を毛羽立たせたものをブラシ代わりに風呂釜を擦りながら、ドートンはこちらを見ずに言葉を続ける。
「もう戦わないつもりかよ」
「ドートン! ガンズー様の事情に口を出さないの!」
振り返ると、頬や手先を煤で汚したダニエがいた。竈の鉄輪を持っている。その後ろには食器を持ったデイティスもいる。
皿洗いまでやってくれるようだ。実はそこまで依頼に含めていたつもりはなかったが、せっかくなので甘えることにしよう。
「あ、あの、ガンズーさん。僕も正直ちょっと気になって。いえ、子供さんのことは噂で耳にしたんですけど、トルム様たちはどうしてるのかなって」
「ちょっとデイティス!」
「あーいいんだいいんだ、構わねぇよ」
毛布の端に灰をすり込みながらガンズーは答える。
「必要があって遺跡群のちょっと深いとこを攻略してたんだがなぁ。困ったことに俺、そこに入れねぇ仕組みになってたんだよ。だから今は、あいつらに任せてる」
すらすらと出る言葉に、ガンズー自身が驚いた。
つい先日までは、これ以上ない恥であり挫折でありアイデンティティの崩壊のように思っていたはずなのだが、今はそんなふうに思わない。
できないのだから、任せる。
その間は、できることをやる。
今のガンズーができることは、仲間を信じて待つ。ノノを守る。この二つだと思った。
「自分がいなくて、心配だったりとかしないんですか?」
「そりゃ心配はするけど、あいつら俺くらい強ぇしなぁ」
「も、もし戻ってこなかったら」
「そん時ゃもう無理やり掘り進んででも迎えにいってやんねぇとな」
そういえば、あの転移装置はどこにどう繋がっていたんだろう。今さらながらそんな疑問が湧いた。
単純に地下のもっと深くへ進むものだったのだろうか。あるいは、別の遺跡に移動したということも考えられる。
帰ってきたらアノリティに聞いてみようと思った。彼女のことだから、わかりやすい解答は得られないかもしれないが。
「……あんたを置いて行っちまうかもしれないだろ」
「いや、そりゃねぇな」
ドートンの訝しげな言葉にガンズーは、
「それはねぇ」
と答えた。
「それにしたって!」
ごん、と風呂釜の底を川べりの砂利に叩きつけて、ドートンは声を荒げた。
ガンズーがきょとんとした顔を向けると、彼はイラついたような、なにかもどかしいような仕草で、視線を泳がせる。
「それにしたって……他にできることあんだろ。あんたくらい力があるなら、他にいくらでも……こんなとこでなにしてんだよ」
「ドートン!」
ダニエにたしなめられ、ドートンは舌打ちして家のほうへ引き返していった。
慌ててダニエは、すいませんとガンズーに言うと彼を追いかけていく。
「すいませんガンズーさん。兄ちゃ――兄が失礼な口を」
「気にしてねぇよ。いやー最近はつっかかってくるような奴もそうそういなかったしなぁ。言うこともわかるしよ」
ひたひたの毛布を丸めて、両側から手でぎゅっと押しこむ。滝のように水が滴り落ちた。
鎖骨と肩にぴりっと痛みが走る。なかなか治まらない。やはり医者に診てもらったほうがいいだろうか。
「あの、兄は……あ、えっと、兄と姉は双子なんですけど」
「あれ双子かぁ。あんま似てねぇな」
「はい。僕もそう思います。いや、そうじゃなくて。上にもうひとり兄がいて、故郷の家はそちらに任せ――ああ、それでもなくてですね、えっと」
「あん?」
デイティスはあっちこっちに手を振り振り、たどたどしく説明を続ける。
どうも順序だてて喋るのが苦手なのかもしれない。もしくはいまだにガンズーと話すことに緊張しているのか。
「ふたりはよっつ年上なんですけど、あ、僕は今年で十三で、やっと成人で村を出られるように――は置いといて、実は、あいだに姉がもうひとり……いました」
「あー……そいつぁもしかして」
「蛇の毒のせいで死にました。僕は顔も覚えてません。でも、ドートン兄ちゃんはずっと気にしてて……姉ちゃんや母ちゃんもそれはそうですけど、ドートン兄ちゃんは特に」
顔を伏せるようにして、デイティスは少し考えてから続け、
「ガンズーさんたちがあの蛇を倒してくれて、一番喜んだのは多分ドートン兄ちゃんだと思うんです。それと……悔しかったのも、もしかしたら」
それから、ガンズーの目を見て言った。
「きっと僕よりも、兄ちゃんはずっとガンズーさんに憧れてたんだと思うんです」