鉄壁のガンズー、依頼
晩夏の空は秋の気配にも負けずさんさんと照りつけて、今日も心地よい風と日差しを送ってくれている。
晴れててよかった、とガンズーは心底から思った。
とりあえずガンズーは、ひとまずテーブルや椅子や、とにかく動かせる家具を片っ端から外に出した。汚れを乗っけたままである。
突然に起こった大移動に、安寧と暮らしていた虫たちは混乱して逃げ出そうとしたが、家の隅に逃げる前に外へ放り出された。
それから家にあった水瓶ふたつと何に使っていたかわからない壺みっつに、そばのアージェ川――家に井戸は無かったが、代わりにこの川で水源には困らない――から水を汲んで、ばっしゃんばっしゃん撒いた。
家具たちとその周辺の地面はびしゃびしゃになり、その周りをノノがうろちょろしている。
溺死しかけたちょっと大きい虫が彼女に助けを求めるようにしたが、気づかれずに流された。
家の端っこに朽ちかけたほうきが倒れていたが、どうにかまだ使えそうだったので、これ幸いと家の中のゴミを追い出すのに使う。
使ったのだが、ちょっと量がシャレになっていない。
玄関戸の前にはあっという間に水筒の残骸や樽の残骸や布切れや生ゴミや虫の死骸や埃の塊やなにか煮凝りのようなもので溢れる。ひどい有様だった。
家の中がそれなりに奇麗になったところで、はたしてガンズーは気づいた。
このアージ・デッソにおいて、ゴミ処理がどういう仕組みになっているか知らない。というか、どの国のどの街においてもあまり詳しくない。
旅の冒険者なのだから当然だった。ゴミは宿屋が処理してくれる。
「……ノノ。いっつもゴミってどうしてた?」
ノノに聞いてみると、うーんと悩んでから、ちらりとアージェ川を見た。
なるほど。いよいよ困った時は流していたか。
とガンズーは納得したが、それはマズいことはさすがに知っている。あまり妙な物を川に流せば罰金になると、この街に来たころに聞いていた。
掘って埋める、というのもよくない。ここがどうかわからないが、バスコー王国の他の街では、家ごとにゴミの埋める場所が決まっているなんて地域もあった。
それにノノの両親の近くに、ゴミまで埋めるというのは抵抗がある。
少なくとも、なにかしら処理の決まりがあるはずだ。アージ・デッソの街はどこもそれなりに奇麗で、汚れの放置はあまり見かけない。
「聞いてみねぇとなぁ」
どちらにせよ買い物なんかもしなければならないのだ。
ゴミ山の近く、なんだか生き血でもすすりそうになった気がする剣を眺めて、ガンズーは独りごちた。
◇
「そりゃあんた、南門の近くに集積所があるんだよ。持ちこむこともできるけど大抵は持ってってもらうねぇ。なんせ近くとはいえ街の外だからさ」
山羊のひげ亭の女将はアージ・デッソのゴミ事情をそう教えてくれた。
「持ってってもらうってなぁ、汲み取りみたいなもんか?」
「一緒に頼んでる家もあるけど、この街は下水がけっこうしっかりしてるからね。
下肥買いは少ないのさ。組合も小さくて、領主が公金だしてるくらいでね」
「んじゃあ、ゴミ集めも公金の入った業者か?」
「これがまたそっちも専業は少ないのさ。街の外と行き来ができて、集積所にこもりっぱなしの仕事になっても大丈夫、なんて奴ぁそうそういないもんさね」
「だったら誰に頼むってんだよ」
「この街をなんだと思ってんだい」
あぁなるほど、とガンズーは思った。
ここは冒険者の街アージ・デッソ。ゴミ掃除も冒険者の仕事にできるというわけだ。
ガンズーは自分も駆け出しのころ、下水さらいなんかをやったなと思い出した。
「なんせこの街には新人冒険者も多けりゃ、新人向けの仕事ばっか摘まんでくような『停滞者』もけっこうな数がいるからね」
「仕事の処理に困んなくていいじゃねぇか」
「逆だよ。半分くらいは住民でもあるんだ。金が回んなくなったらどうなるかわかったもんじゃない連中がね。税収も減るし治安も悪くなる。領主も支部長もバランスとりに必死さ」
「ほー。案外気楽そうだったがなぁあのちょび髭。自分でわざわざ現場に出てくるぐらいで」
「あんたねぇ、自分がVIPだって自覚しなよ。勇者様がたと繋がり強くしたいなんてみんな思うよ。領主も同じさ。特にあっちは跡取り亡くしたばっかだし、地盤固められるよう支部長にはよく言ってると思うよ」
冒険者の街といっても案外ややっこしいもんだなぁ、などと思いながらガンズーは塩漬け魚と葉菜を挟んだパンに齧りついた。
停滞者――協会に登録だけして、ノルマを放棄した代わりに諸免税など協会の権利も放棄し日雇い仕事の請負ばかりする者――要するに、冒険をしない冒険者――という呼び方を、ガンズーはあまり好きではない。
危ない仕事なんだから、そういう生き方も当然あるだろうな、というのが所見だった。
隣で同じくパンを齧るノノを見る。その父親も家族のためにそういう生き方を選ぼうとしていたのだ。
とはいえ協会としては、それならきっぱり引退して他の仕事に就きたまえ、と言いたいだろうこともわかる。
家の掃除は昼前にだいたいのところが終わった。あくまで、家の中のゴミ掃除だけである。
まだ家の外には家具が日干しされているし、ゴミの山が積まれている。
床の染みや台所の汚泥は残っているし、寝床はすえた臭いを放っていた。風呂釜は改めて見れば内側になにかの層ができたまま放置されていて、便所はおそらく火を放てば爆発する。
数日がかりの戦いになりそうなので、とりあえず少し早めの昼飯ついでに諸々の準備をしに街中へ出てきた。
山羊のひげ亭で荷物を回収するついでに昼飯を頼んだ。
子供もいるからあんまりしょっぱすぎない飯にしてほしいなと思っていると、女将はまったくちょうどいいサンドイッチを拵えてくれた。
「しかしガンズーさんがねぇ。子供をねぇ。似合わないとは言わないけどねぇ。こんな話もあるもんだねぇ。いやぁ、ねぇ」
ねぇねぇうるさい女将になんとも答えられず、ガンズーは水を飲む。
ノノにはなんとオレンジの果汁が出てきた。彼女はやっぱり足をぱたぱたさせていて、うまいものを食った時の癖なんだろうとわかった。
食事を終えて、荷物を取りに部屋へ上がる。
なにも言わずに一日あけてしまったが、主人はそのまま部屋をとりおいてくれたので、女将には世話になった分ということで代金に少し色をつけて渡した。
わざわざ持ち歩くのもなんなので、胸当てなど防具一式を身に着ける。なんだかずいぶんと久しぶりだ。
降りてみるとノノがこちらを見てぽかーんと口を開けた。そういえば彼女にフル装備の姿を見せたことがない。
女将に聞いて店の奥に入ると、土間の隅に愛用の斧がひっそりと立てかけられていた。こちらも久々になってしまった。
ぶつけないよう気をつけながら食堂に出て、斧を背負う。ノノは相変わらず口を開けたまま見ていたし、女将は「らしいのはやっぱこっちだよねぇ」などと言っている。
実際、ガンズーも家で過ごすような普段着よりこちらのほうがしっくりくる。
「というかさ、ガンズーさん」
女将の声に振り向くと、彼女は腕組みをして言った。
「自分で掃除もいいけど、その子が大変じゃないか。依頼でも出しなよ」
……おお。
◇
冒険者の街なのだから、冒険者に頼るのは自然な話だった。住民の生活に根づいた常識といってもいい。
なのだがガンズーは外様であり自身が冒険者だったので、欠片もそんな発想が出てこなかった。
冒険者が冒険者に依頼。
自分が依頼する側になるとは思いもしなかったが、そういえば協会の依頼にはそういうものがいくらでもある。
ノノたちに出会う要因となった話からして、依頼主であるパウラの父親は冒険者だった。
というわけで、連日の冒険者協会アージ・デッソ支部。
受付所にたむろしていた冒険者たちから好奇の視線が集まる。
『鉄壁のガンズー』ならぬ『子供連れのガンズー』はすでに有名となっていた。もうこれは仕方ない。
先日に世話になった受付嬢が会釈するので軽く手先で挨拶すると、ガンズーは依頼受付へ向かった。
「依頼を出すほうは初めてでよ」
「まぁ、そうでしょうなぁ……」
受付は壮年の男だった。こちらはちょび髭ではなく顎髭である。
どこか貴族の邸宅にでも勤めていそうな紳士然としているが、服の上からでも鍛え上げられた筋肉がわかった。
多分、ガンズーとも十分に戦えるのではないだろうか。協会職員は想像よりも層が厚いのかもしれない。
「家の掃除……定期で通わせますかな?」
「いや、今回はとにかく現状が片づきゃあそれでいい」
「であれば、単発契約でよろしいですね。現地で立ち会われるならばそれほど細かい取り決めも必要ありません。まぁ、貴方に窃盗なり不正なり仕かける命知らずもおらんでしょうが、逆に言えば二の足を踏む者が多いかもしれませんね」
「ちょっとぐれぇ報酬は弾むぞ」
「あまり弾まれても困ります。兼ね合いもありますので、そうですな。こんなところでよいのでは」
提示された報酬に承諾して、書類を埋めていく。ガンズーの名で警戒される可能性もあるということだったので、受付期間は念のため三日ほどとった。
処理のあいだにふと後ろを振り返ると、ノノが数人の女冒険者にちょっかいを出されていた。
なにか渡そうとしていたので「妙なモン食わすんじゃねぇぞ」と言うと、「ガンズーさんもどうぞ」と渡してきたのは、干し杏だった。
ノノと共にむちむちと杏を食べていると、依頼はつつがなく受理されたので、ガンズーは割り符を受け取ると、次に鍛冶屋へ向かった。
◇
アージ・デッソには鍛冶屋がいくつかあるが、協会支部の近くにあったのは中でも大きい工房だった。滞在中にも何度か利用している。
世界を滅ぼす呪いの剣を親方に渡して、ぴっかぴかにしてやってくれと頼む。ついでに胸当てや腰当て、今回はブーツも含めて調整を任せる。
革のモカシンが売られていたので、代わりにそれを履いた。
やはり大斧はあまり手が入れられない。せいぜい、汚れを落として柄の巻き革や装飾を手直しする程度だという。
少々特殊な代物なのでそれは了解している。いつも通りそれでいいとして、その手入れしづらい部分もいちおうのチェックだけは頼んだ。徒弟が二人がかりで奥へ運んでいく。
興味深そうに工房の中を見回していたノノだったが、こっくんこっくんと頭が揺れ始めた。
「眠くなってきたか?」
「……ん」
考えてみれば、このくらいの子は昼寝をするものではないだろうか。
深く考えずに昨日、今日と連れ歩いてしまったが、確かに昨日も晩飯がわりの食事を終えたらすぐに寝てしまった。もしかして無理をさせたろうか。
小さい子とは、動いて食べて寝て動いて食べて寝るものである。
そういえば修道院でも昼寝をとらせるようなことをハンネ院長が言っていた気がする。
ちょっと考えねぇとなぁ。
そう思いながらノノを背負ってやると、ほどなく寝息が聞こえてきた。
鍋はちょうど徒弟が仕上げたばかりという新品があった。ただ小さいサイズのものだけで、大きいものは発注するか質屋に行ったほうがいいという。
どうせなら新品にしよう。ということで注文し、出来上がったら届けてもらうようにする。
帰りしな適当な宿屋に寄って藁を売ってほしいと言うと、眠る子供を背負い、鍋を携えているガンズーは訝しげな目を向けられたが、小銀貨一枚でいくらでも持っていけと言われた。
小銀貨二枚を出して大きめの麻袋も買うと、しこたま藁を詰めてもらって宿を出た。
ちょっと時間を食ってしまった。まだ日は高いし洗濯もできていないし下肥買いの手配もできていないが、いったんノノを休ませないとならない。
とりあえず寝床を整えられたら上出来かな、と思いながら帰ると、家の前に三人の若者が立っていた。放置された家具やゴミ山の前でぶらぶらしている。
一瞬、ガンズーは身構えた。まさかノノを狙う賊かと思った。いい度胸じゃねぇかまとめて川に沈めてやろうかと考えた。
が、どうも様子が違う。くすみも少ない革のベスト。短剣の鞘は切って出したばかりのように奇麗で、汚れているのは足元だけだ。
つんつるてんの新人冒険者である。
そんな連中がなぜここに、と考えて、つい先ほど依頼を出したばかりであることを思い出した。
受付の男は受諾が遅れるかもとは言ったが、早くならないとは言っていない。
請ける冒険者がそこにいれば、すぐに向かっても不思議ではなかった。
「お前ら、依頼を請けた奴か? 悪ぃ、こんな早ぇと思わないで留守にした」
話しかけると、三人の新人冒険者はこちらを振り向いて――
そのうちひとりが、びしっと姿勢を正した。
なんだこいつ。