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鉄壁のガンズー、汚い

「か、カゼフのやろう……」


 朝の陽ざしが窓から入り、ガンズーは家の中の惨状にようやく気づいた。

 実際のところ、目覚めた時にはすでにヤバいと思ったが、改めて気づいた。


 そこら中に革の水筒やら砕けた小さな樽やらが転がり、ところどころの酒の染みにはなにか綿のような粒のようなものが発生している箇所もある。

 元がなんだったのかわからないぼろぼろの布きれは、下に生ゴミが隠されているものもあって、小さな虫が大家族を形成していた。


 そもそもガンズーが寝ていた寝台も毛布の端がヤニなんだかなんなんだかわからないが蝋で固めたようにべろべろになっていて、もうちょっとよく確認して寝ればよかったと後悔した。

 シーツを剥いでみれば、敷かれた藁は半分ほど腐っている。


 横にある小さな寝台はノノのものだが、こちらはもう少し奇麗だ。

 ただ、カゼフが支度をしていたとは考えられないので、彼女が自分で洗濯をしていたのだろうかと想像すると、気が遠くなる思いがした。


 ノノはそんな人外魔境を乗り越えて台所へ――意外なことにこの家には竈もあるし煙突もある。風呂釜まであったので相当の金がかかっている――向かうと、戸棚から皿をふたつ取り出した。

 おそらく炊いて乾かした麦を麻袋から皿に出して、それに水瓶から水をかけるとテーブルに置いて座った。


 そこそこ広いテーブルの上もゴミや虫や謎の物体が転がっていて、ふたり分のわずかなスペースしかない。

 ガンズーの分も置かれたので、とりあえず座る。

 足元に水筒が転がっていて踏んでしまった。まだ酒が残っていてこぼれたが、もはや酢も通り越して黒ずんだゼリーのようだった。


「……いっつも、お前がこうやって用意してたのか?」


 聞くと、ノノはこくんと頷いた。

 ガンズーはいろいろ言いたかったがとりあえず飲みこんで、皿と一緒に置かれた匙を取った。

 いただきます、と呟いて皿の中身をすくって食べる。


 麦を水に浸したものの味がした。麦を水に浸しただけなので当然である。


「……ノノ、うまいか?」

「…………」


 おそらく、おおむね食事はいつもこんなものだったのだろう。だから、ノノも美味いかどうかはともかく慣れているはずである。

 だが、ひと口した彼女の顔はひどく皺んだ。


 だよなぁ、とガンズーは思った。

 困ったことに、この子はほんのちょっぴり贅沢を知ってしまった。今までどおりの食事に、不満を持ってしまっておかしくない。


 早速だが、生活を改善しなければならない。

 ふやけてきた麦をもそもそ食べながら、ガンズーはどうしたものかと考えを巡らせた。





 昨日、ノノと暮らすことを決めて、とりあえずということで食事に出た。


 彼女が小さく「フード無い」と言うのでなんのことかと思ったが、どうやら被り物なしに街へ出たことがなかったらしい。

 虹の眼であることを隠してきたのだから、なるほどと納得したが、今後もずっとそうしなければならないのだろうかと考えていると、ハンネがこう言った。


「街中にいる限りは、心配が残るとすれば下心ある賊のたぐいでしょう。むしろガンズー様の庇護にあることをおおやけにしたほうが良いでしょうね。あなた様に喧嘩を売ろうとする者などおりませんから」


 ふむ、とガンズーは考えた。

 たしかに、またノノに手を出そうとするような輩がいたなら、自分はおそらく飛んでぶん殴りに行く。きっと飛べる。

 そして、虹の眼に手を出すとすれば冒険者くずれの賊や不良商人であり、そういうたぐいに鉄壁のガンズーの名は非常によく効く。


 ウークヘイグンのような強力な魔族がまた街中に入ってきたらどうだろう。と考えて、そんな事態であればなおさらガンズーが直に守る以外にできることは無いなと結論した。


 というわけで、ノノは生まれて初めて素顔でアージ・デッソの街を歩いた。

 フードの陰に遮られていないアージ・デッソを、彼女は首が取れてしまうのではないかと思うほど頭をくるくる回して眺めた。


 向かったのは三頭の蛇亭である。

 アージ・デッソには他にいくらでも子供の入れる食堂はあったが、ガンズーはこの店を信頼していた。


 半端な時間でも店にいてくれた主人は、河童が人魚を連れて歩いているのを見たような顔をふたりに向けたが、特になにも言わなかった。主人の娘も同じような顔をしたが、やっぱりなにも言わない。

 ノノをカウンターに座らせてやり、自分も座るとガンズーは子供も食えるような食事を頼んだ。


 出てきたのはなにかを包んだパスタと茸と豆の入ったスープ。

 スープといっても具がごろごろと入っているので、腹に溜まりそうだった。パスタの中身は肉と香草で、ガンズーは餃子みたいだなと思った。


 ノノはそれはもう貪るように食べた。一心不乱に食べた。

 あっという間に食べきってしまったのでおかわりするかと聞くと困ったようだったが、主人は黙ってスープをもう半杯だしてきて、さらに果物の乗ったプディングも出てきた。

 彼女はつとめて静かに食べたつもりだったようだが、食事のあいだずっと足がばたばたしていた。

 びっくりして腹を壊さないといいなと心配した。


 食事のあと、修道院に向かった。院長とフロリカ以外の修道女や修道士、それから子供たちに挨拶をするためだ。

 ノノは迷惑をかけた修道女と、喧嘩をしたという子供にきちんと謝った。

 修道女は逆に彼女を褒めたし、相手の女の子は促されてそちらも謝った。これで許さんようならお話をしなければならないと思っていたガンズーは安心した。


 ガンズーとしばらく暮らすことになったと言うと、パウラとアスターはとても羨ましがったので、改めて遊びにくると約束することになった。


 その足で今度は冒険者協会へ向かった。ノノが歩き疲れたようだったので、抱えて中央広場を横切った。

 協会には仕事を終えた冒険者が数人いた。

 周囲の冒険者や職員は、熊が子猫を抱いているのを見たような目を向けてきた。協会に子供連れで来る者なんていないし、それがガンズーなのだから無理もない。


「先ほどハンネ様が来られました。いやはや、昨日から落ち着くところがありません」


 応接室に通されると、ボンドビー支部長はそう言った。

 どうやら入れ違いになったらしく、協会には院長からだいたいのあらましが伝わっていたようだったので、もしなにかあれば今後しばらくのあいだはノノの家に来るよう頼んだ。


 魔族はどんな相手だったのかと聞かれたので、腰袋から油紙の包みを出して中身を見せてやるとボンドビーは目をひん剥いた。

 彼くらいの人間ならば、核石を見るだけでもその持ち主がどれほど強力だったか予測がついただろう。

 ガンズーの腿に座っていたノノが「これなに?」と聞いたので、「魔物の目ん玉だ」と答えると、わー、と彼女は呆けた。多分よくわかっていなかった。


 今回の報酬についての話になったのでガンズーは、自分は正式に請けたわけではないしこの核石もあるから、もし分配されるならその分はパウラに渡るように手配してくれと言った。

 報酬の元を辿れば彼女の父親になる。そのまま返されても彼女自身にはどうしようもないが、ボンドビーならばうまく配慮してくれるだろう。


 出された茶を飲んでいると、ノノがそわそわしていることに気づいた。

 ローテーブルに茶と共に出された焼き菓子が気になっているらしい。ちらちらと視線を合わせたり外したりしている。

 食いたいなら食えばいいのに、と思ったが、考えてみれば遅い昼飯からまだそれほど経っていない。

 腹はいっぱいだが、しかし見過ごせない。ということらしかった。


 ボンドビーが戸口に立つ秘書に目配せすると、秘書はおまけを数個ほどつけ足してその焼き菓子を包んでくれた。

 ノノがちょこんと頭を下げてお礼を言うと、ボンドビーも秘書もにっこりと笑った。


 ひととおりやることも済んだので、協会を出てからはアージ・デッソをぶらぶらと歩いた。

 横を歩く子はとにかく見るものすべて興味深いようで、市場を歩いてみればあれなにこれなにと聞いてきた。

 中央広場の噴水まで戻ってくると、日も落ちかけの時間になっていた。そろそろ広場の屋台も撤収の頃合いだ。


 それなりに腹はこなれたが、いざ夕食、というほどでもない。

 なのでガンズーは屋台の簡単な物にしようと思った。ノノに餅を食ったことがあるかと聞くと、ないという。

 でん粉とかぼちゃを練って丸め、焼いてタレをかけた串が一本で大銅貨1枚。ガンズーは大銅貨2枚を出して、片方は小さめのものを注文した。


 広場のベンチに座ってノノに串を渡すと、やはり足をばたばたさせて食べた。せっかくなので先ほど貰った焼き菓子もひらく。

 子供がファストフードを好きなのは、どの世界でも変わらない。ハーミシュ・ローク都市同盟で流行っていた揚げ芋――要するにフライドポテトだ。じゃがいもではなく里芋だったが――なんて食べたら、この子は走り出すかもしれない。


 片手に串、片手に焼き菓子で必死になって食べるそんな子を落ち着かせて、持ち歩いていた水筒の水を飲ませる。

 十八時の鐘がアージ・デッソに響いた。


 家に戻るころにはいよいよ日も落ちかけ辺りは暗くなって、ノノはガンズーの背中でとっくに寝入っていた。

 まだ宵の口のそのまた手前といったところだったが、餅で腹を膨らませるとガンズーもかなり眠気が強まっていた。


 昨日――あるいは一昨日から――あれやこれやとありすぎて、さらに今朝はそれほど眠れていなかった。歩いているあいだはすっかり忘れていたが、腕と足はまだ熱を持っている。

 寝よう、とガンズーは思った。細かいことは明日だ。


 日が落ち月も光らない薄暗がりの中、見知らぬ家の中を寝室まで辿った。

 足先になにかいろいろと当たったが、きっとカゼフはあんまり掃除してねぇだろうなぁ、などとまだ気楽に思っていた。

 小さめの寝台にノノを横たえ、そのままガンズーも横になった。


 パリパリの毛布にそのとき気づくべきだった。





「ノノ」


 麦を食べ終えて、ガンズーは言う。


「今日はやることがある」


 ノノは真剣な顔をしてガンズーを見返した。


「掃除だ」


 告げると、こくんと頷く。


「家の中をしっかり掃除して、洗濯もするぞ」

「あい」


 もう一度、大きくその子は頷く。

 彼女は彼女で、掃除はするべきだと思っていたのかもしれない。

 ガンズーは竈や戸棚、台所の辺りを眺めて、ふと気づいた。


「ノノ、鍋とかってあるか?」


 ノノが今度は首を横に傾ける。

 竈もあって食器もあって、しかし鍋のような調理器具の類が見当たらない。

 戸棚の中か、あるいはどこかに転がっているのかと思ったが、そういうわけでもない。


「……もしかして、売ったか?」


 聞いても逆方向に首を傾げられた。

 母親が生きていたころはかなり気も金も使われていたろう内装に、鍋だけが無いのもおかしい。


 鍋は一生ものの貴重品である。売ればそれなりの金になる。間違いなく酒代になったな、とガンズーは眉間を押さえた。

 ノノの服もベッドも、できれば自分の服も洗濯したい。竈があるから煮洗いができると考えていたが、まず鍋から用意しなければならない。

 代わりに風呂釜はどうだろう、と見てみたが、謎の黒いコケが発生していたので諦めた。


「買うかぁ……」


 まさか自分が武具ではなく鍋のために鍛冶屋へ行くことになるとは。

 そんなふうに思ってから、そういえば家の外に放置していた剣のことを再び思い出した。きっとそろそろ呪いの剣になる。


 どちらにせよ、鍛冶屋には向かわねばなるまい。

 それに、山羊のひげ亭の好意で置かせてもらった斧や荷物も回収しなければ。


 鍋を買って藁を買って、あとは日持ちのする食糧をもう少し仕入れて、あとはなんだ、そうだノノは服をどれだけ持ってるんだ、自分も普段着が足りるかわからないぞ、それから薪だ、薪は必須だ、せっかくなら鍋はでかいのと小さいのふたつくらい買ってしまおう、あとは、あとは、そういえば下水はここ届いてねぇよな、せっかく川が近いのにもったいねぇ、汲み取りは来るんだろうか、確認しねぇと、あとは、えー、えーと?


 ひと所で暮らしたことなどないガンズーは、なにから考えればいいのかだんだんわからなくなってくる。

 まだまだ生活を整えるためには必要なことが多そうだ。


 なにはともあれ、まずやるべきは、


「掃除だ!」

「あい!」


 元気よく、ノノは答えた。

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