鉄壁のガンズー、優柔不断
「やあ」
根菜の煮物の味を見ていると、背後からいつもの声。
ただ、久しぶりにも感じるいつもの声だった。
「なかなか姿見せねぇと思ったら、また唐突だな」
「ボクも忙しいんだよ」
机の上に鎮座する蛙は――なんかちょっと縮んでねぇか? ていうか模様も若干変わってるような……気のせいかな。
ともあれケーには違いない。喋る蛙なんぞ他にいてたまるか。
鬱陶しくはあれども、いなければいないでノノが寂しがる存在だ。ほんのちょっと、ほん~のちょっとだけ心配していたのは秘密とする。
「お前さ、もしかしてあそこにいたか?」
「あそこってどこだろう。水溜まりならさっき寄ってきたよ。ちゃんと砂浴びもしたからお肌ツルツル」
「ガラジェリに会ったぞ」
「そうみたいだね。元気だった?」
「会ってねぇのか?」
「会ったけど会ってないよ」
「どっちだよ」
「会ったのはボクじゃないボクだし、ガラジェリじゃないガラジェリだったんだもの。ちゃんとした挨拶とは言えないんじゃないかな」
「なに言ってるのかぜんぜんわかんねぇ」
「実はこのへん、ボクたちもちょっと曖昧なんだよね。お父上が言うには沼は全部繋がってるんだから支障は無いらしいよケロケロ」
「誤魔化しが間に合ってねぇぞ」
どっちにしろ言っている意味はわからないけど。
溜息を吐きながら、ガンズーは横に置いていた皿を取った。
なにも言わず、ケーの前に置く。
「おやや」
「昨日茹でたモンだから、シナシナだぞ」
「たっぷり冷ましたほうがおいしいんだよ」
萎びたキャベツの芯とほうれん草の軸を嬉しそうに口へ運ぶケー。めっちょんめっちょんと舌が伸び縮みする。
皿が綺麗に――黄色くコーティングされている。うーん、これ洗うのかぁ――なると、彼はひとつ丸い腹をぺちんと叩いた。ご満悦らしい。
「カエルさん」
寝室の扉が開き、ノノが昼寝から起きだしてきた。
軽快に跳び、蛙は彼女の頭に着地する。
「やあノインノール」
「カエルさん」
蛙を頭に乗せた子がくるりと一回転。頭の上の蛙はなぜか二回転。
「あ、そうそう。ノインノールを守ってくれてありがとう。キミのお友だちにも伝えてくれていいよ」
なんという事もないようにケーが言った。
そんなことを言われるとは思いもしなかった。急にどういう風の吹き回しだ。
ガンズーはなんて返したものか迷う。
「言わねぇよバカたれ。討伐されんぞ」
「おっかないね」
蛙はケラケラ――ケロケロ――笑う。
そのままノノに運ばれて、外へ向かった。今日はなにをして遊ぶのだろうか。
「なぁ」
「なんだい」
「……ありがとよ」
「どういたしまして」
癪だ。
しかし――友人から受けた恩には礼をするべきだ。
◇
一か月もすれば街はだいぶ落ち着きを取り戻してきた。
冒険者協会が通常業務を再開したようなので、さっそく向かった。銀貨がそろそろ切れる。これはいけない。
さて、仕事をするとしてその間ノノはどうするかといえば、
「歓迎です。子供たちも喜びます」
「どうせ暇だしいいけどさ」
日帰りで済む仕事の場合はフロリカを頼って修道院へ。もし一晩以上の遠出をしなければならないときは、イフェッタに来てもらう。
という平身低頭おんぶにだっこな解決法を見出した。
イフェッタは奇跡的に家は無事だったものの店の修復が済んでおらず、半休業状態らしい。モロに被害を受けた区画の住人だ。然もあらん。
幸いだったのが修道院。襲撃の中でも特段の損壊は無かった。つい先日に再建したばかりというのにまた被害に遭っていたらどうしようかと思った。
結局のところ、最も大変だったのはフロリカかもしれない。もしくは司祭。院が無事だった代わりに、過労で倒れたという。ぽやぽやした見た目だが結界魔術を使える人員だもんなあの人。そうとう忙しかったろう。
というわけで協会支部の受付所。ぼんやり掲示板を眺めていると、後ろからガンズーだガンズーだ子供はどうした捨てられたか、と聞こえてきた。最後のを言ったのはどこのどいつだ。
「――その、ですから今は資源調達に関わる依頼が多くてですね」
「だからさぁ、言ってんじゃん。俺たち駆除専門なんだよね」
「結界潰れたんでしょ? 困ってんじゃないの魔物が寄ってきたりさぁ」
「調達っつーなら遺跡入らせろよ。建材でもなんでも取ってきてやるから」
「いえ、皆さんはアージ・デッソに来て間もないですし、中級認定からもまだ経験が浅いので――」
「はぁ? バカにしてんのか?」
「俺たちゃ大躯も狩ったことあるってのに、ナメられたもんだねー」
お、なんだなんだ揉め事か?
振り向いてみると斡旋受付のカウンターを挟み、ニリアムという受付嬢がたいへん迷惑そうな表情で数人の冒険者を相手していた。
装備を見たところ――あー、ちょっぴりこなれてきた感じの連中だな。あの鞘の拵えは王都で見るやつだ。流れて来たのか。大躯って囲んでどうにかしたのかね。最低でもタイマンできないとこっちの遺跡じゃ死んじゃうぞ。
「――なにかありましたかな」
ニリアムの後ろから、気配も感じさせず――実際には普通に席を立ち普通に歩み寄ってきただけだが――彼らに話しかける顎髭の男。
「ほうなるほど。木材運搬の護衛ですか。現在この街は木材の需要が非常に高まっておりまして。助成も出ていますから報酬は申し分ないかと思われますが。新規登録の方々には実績を作るに最適かと存じます」
「あぁ? だからなぁ、俺たちは――」
「お、おい」
「遺跡調査が希望、とも聞こえましたが、街ごとの規定というものもありまして。ふむ、こちらが王都での活動記録。これではいけませんな、もうしばらくは適した依頼をこなしていくのがよろしいでしょう」
……お前、なんかシャツ薄くなってね? そんなバリバリに筋肉見せつけなくてもいいじゃんよ。
カウンターに置かれた書類を手早く繰り、男は最後に顎髭を撫でて言う。
「不服があれば奥でお話を聞きましょう。申し遅れました、斡旋事業の統括をしておりますラダと申します」
「ら、ラダ? アージ・デッソでラダっつったら……」
「黒鉄の……」
「し、失礼しましたー!」
請負の契約も忘れて受付所を出ていく冒険者たちを見送る。周りからは「さすがー」だの「ラダさん意地悪ー」だの野次が飛ぶ。
それを聞き流して、彼はこちらに目を向けた。肩を竦める。
へっ、と笑い返した。
のがいけなかったかもしれない。面倒かつ難易度の高い依頼をがっつりと押しつけられた。い、忙しくなるなぁ。
◇
並んだのは野趣溢れる料理たち。なにせ山菜やら木の実やら獣肉やら、山の幸の詰め合わせ。
挙句の果てにナマズが出てきた。初めて食ったが、うまいもんだなぁ。
「だってお父ったら、ウチへの卸しを他に回しちゃうんだもん。大変なんだよナマズの下処理って」
ノノと――そしていつのまにか隣に座っていたアノリティと――共に舌鼓を打っていると、唇を尖らせたベニーがそんなことを言う。
オーリーのおやっさんは今日も今日とて狩りに出たようだ。聞けば、収穫も最低限だけ残して周囲に格安で譲っているらしい。
いくつか依頼をこなして懐に多少の余裕ができたため、久々の三頭の蛇亭。やっぱたまにはここの飯を食わないとダメだ。たまには。
「そうすっと、やっぱまだしばらくは来ねぇほうがいいか?」
「ん? お料理教室? べつにいーよ、なににするか思いついてないけど」
「マジか。そろそろ他のレパートリーがほしいなと思ってよ」
「あ、でも明日はダメね」
「あん?」
己の顎を指で突っつきながら、ベニーは天井を見上げる。
「メルリさんとアロンさんの結婚式やるから」
「んん? ってあれか、ここの常連だった」
「そ。ゴタゴタしちゃって伸ばし伸ばしになっちゃったから。ここで盛大にやってあげるんだー」
「へー……マジにくっついたのか」
「こないだの大騒ぎでさ、なんか改めて盛り上がっちゃったとかなんとか」
そういえば領主が率いていた混成軍の中に、彼らの姿も見かけた気がする。
なるほど、あんな大事件の中を駆け抜けたのだ。そりゃあもう熱も上がるかもしれない。目出度いんじゃねぇの。
「んじゃ来週かなぁ」
「明後日でもいいぞ」
後ろから唐突に声。振り向けば、おやっさん。
なぜか甲羅を背負っている。亀の甲羅。なんで甲羅? ていうかでかい亀そのものだった。生きてた。
「捌き方を教えてやる」
……いえあの、一般家庭でも手に入る材料でお願いしたいんですが。
◇
結界塔周辺は瓦礫が撤去され、再建築計画がすでに進められていた。
左腕にノノを抱えて、仮組みの塔を眺める。視線の先には現場監督らしき職人とあれこれ打ち合わせをするステルマー。それからケルウェン領主が、人足たちを労って回っていた。
そしてガンズーから少し離れて、同じくその姿を見守る女性がいる。
メイリ夫人は、わずかながら血色が戻ってきたようだ。涙を流して謝罪の言葉を繰り返す彼女に、ノノはひと言だけ返した。「いいよ」。
なので、ガンズーから言うことなどなにも無かった。回復してきたようでよかったと思うだけである。
そちらに目を向けながら、隣に立つオレイル前領主が呟く。
「君たちのおかげで封鉄の在庫は豊富だからな。加工職人の誘致も話がついたし、再建も遠くはあるまい」
「核石はどうすんだ? 結界に使うならそれなりのモンじゃねぇとならんだろ」
「亜竜飛翔体のものがある。王都にはずいぶん渋られたが、返還を約束してくれたよ。到着までは今しばらく、教会に頑張ってもらわねばならんがな」
あちらこちらからカットンカットンと賑やかな大工仕事の音色が響く。祭囃子みたいだなと感じた。
「この街は強いよ。すぐに蘇るさ」
オレイルの目は遠く、塔を通り越して北の空を見ている。
秋と冬の合間の空。初雪が近いかな。
「行くのかね」
「ん、まぁ、近いうちにな」
「その子はどうする」
「……うーん」
ちらと胸元から見上げるノノの目は半眼だ。おうどうすんだおめーよ、と言っていた。
「信頼できる者を探すべきだな」
信頼できるやつ、ねぇ。
◇
二日をかけて森に住み着いた巨化カマキリを見つけだし首を折ってきた。一匹って聞いてたのに二匹いるんだもんなぁ。片方はちょっぴり食われかけてたけど。繁殖寸前じゃねぇか危ねぇ。
ちょうど昼過ぎ。ノノは寝ていた。イフェッタが作り置いてくれていたスープを啜る。おかわり。
「なーんか結局、しょっちゅうこっちにいるのよね」
目前に座った彼女が頬杖を突きながらぼやいた。指先でケーの腹をぷにぷに弄っている。
重々存じ上げております。
いや本当、助かってんだよ。なかなか一日で帰ってこれる仕事が無くってさ。文句はラダにお願いしたい。
「いっそこっちに住んじゃおっかなー。仕事も上がるのにいい機会だし」
机にべたりと上体を預けると、そんなことまで言いだした。
まぁたしかにいちいち通ってもらってんだから、面倒だよな。ていうか荷物もちょっと置きっぱなしにしてるもんな。
ん? そうなると、どうなるんだ?
…………
おや。この沈黙はなんだ。
「……どうすんの?」
睨むような窺うような上目を彼女が向けてくる。
どう。どうって、どうとは。
どうなの?
ふっへー、と盛大に溜息を吐くと、彼女は立ち上がった。これまでよりさらに小さくなった手荷物を引っ掴むと、扉に向かう。
「ヘタレ」
彼女が去ると、やはり居間には沈黙が落ちた。
え、いや、だって。
「人間の感情はとても素敵だと思うけど、ひとつ欠点を上げるとするなら、求愛行動が複雑化し過ぎていることだね。カエルちゃんを見習って鳴いてみるといいね」
だって。
だって。
◇
あまり眠れないまま伐採所に現れた角猪の団体さまをブルドーザーよろしくラッセルして片付けた。職人の護衛で近くをうろうろしていた冒険者がいたので、素材はやると言うと、地面まで届きそうなほど頭を下げて感謝された。
早めに戻れたので、そのまま修道院まで子供を迎えに行く。毎回その度に院の子たちが騒いでは足を蹴られる。ノノにも蹴られる。混ざるんじゃありません。
「ガンズー様」
院長に挨拶でもしてから帰るかな、と歩いていれば、本院の手前でフロリカに声をかけられた。
やっぱこいつの笑顔は安心するな。でも怖いときもあるんだよな。今日は悪いことなどしていないので大丈夫だろう。
「なにか悩んでます?」
顔に出ていたろうか。聡い奴だ。
ただ正直、この悩みを言語化することに脳がなにやら迷っているので、可能な限り当たり障りの無い返答をする。
つまり、また旅に出るとしてノノをどうしたもんかなー、程度に。
「……離れたくないですよね」
そうなんだよ。できることならずっとここにいたい。
だがそうもいかない。枷は外れた。
なにより――ノノも、行くべきだと言ってくれているのだ。
「ノノちゃん、頑張るんだもんね」
ふすーん、と鼻の穴を広げた子に、彼女は微笑む。
そう、頑張る。頑張って我慢する、なのだ。本当は一緒にいたい。
そんなふうに思ってくれているのかな、なんて考えれば、とても幸せなことであるし、とても涙腺に来るものである。
「もちろんですよ。私だって本当なら、ずっとガンズー様と一緒にいたいです」
そう言ってくれると有難いなぁ。
うん。
うん?
フロリカは優しい笑顔をこちらに向けていた。
ただ、なぜかそのまま一歩下がる。
二歩、三歩。六歩目でちょうど本院の扉を潜った。表情を変えないまま、静かに扉が閉められる。
…………
「ガンズー様」
うおおおおビックリした!
慌てて振り向けば、今まで目の前にあった笑顔と似た笑みを浮かべているハンネ院長。こっちははっきり怖い。お久しぶりです!
「修道女がひとり、娶られることになりまして。余所から人員を呼ぼうと考えているのです」
はい。それはまた目出度いことで。
「……ふたりくらい呼んでも構いませんよ」
それだけ言って、しずしずと院長は去っていった。
はい。
はい?
◇
家の前になぜかシウィーがいた。
「なんだお前、もう大丈夫なのか」
「まだ身体がミシミシしてます~。たいへんでした~」
タンバールモースに置いてきて以来だったが、どうにか復帰できたらしい。
「あいつはどうした? コーデッサだったか」
「コーちゃんですか~。なんかですね~、頑張ったんですね~。男爵さんのところに家庭教師として雇ってもらったみたいですよ~」
「男爵の……って、まさかアスターのか」
「大事な人の形見もあるみたいですしね~」
へー。意外なところに収まったもんだなぁ。
ヘタレ気味な女だったが、間違いなく器用な奴だったしな。案外、教師としてはうまいことやるのかもしれん。アスターなら生徒としても優秀だろうしな。
「で、お前は?」
「どうぞ~」
「……手紙?」
「ガンズーさん、ヴィスクさまにお手紙なんて出したんですね~。いいな~。あともう二通ありましたので一緒に~」
「なんでお前が持ってくるんだよ」
「拾いました~」
「嘘こけ配達夫から怒られんぞ」
おそらく郵便が届いたところにちょうど居合わせたのだろう。なんでこいつに渡すんだという問題も残るが、まあいい。
手紙は三通。送り主の名を見る。
……とりあえず、ヴィスクのからだな。
『我が親愛なる同胞、鉄壁のガンズー殿。
此度は思いもよらぬ報せをいただき、貴殿の柄にもなく流麗な筆に驚嘆するとともに、我らの友誼が今も確かであると感動に震えている。
さて、貴殿の相談事。かくも迷った末での沙汰であろうと心得る。
潜心をもって応えたい。
(スエス半島特有のスラング)
バッッッカじゃねーーーの!?
バアアアッッッカじゃねーーーの!?
お前、お前そんな、よりによって俺に、ふたりの女で迷ってますって、よりによって俺に。俺に。笑。
唐変木な旦那だなぁと思ってたけど、おま。(スラング)
だってお前だって、俺だよ!? ふたり娶っちまってどううまくやろうってんならわかるけど、おま、おま。笑笑笑。(おそらく唾の染み)
いいんじゃねーの? どっちもやっちゃえば? 旦那にゃ無理か。笑。
いやー久しぶりに大笑いしたわ。贅沢な悩みだねー。あ、俺が言えたこっちゃねーや。ごめーんねー。(へたくそな笑顔の絵)
ま、そんなもん自分で決めるしかねーと思うよ? よっく悩めばいいんじゃないっすかね? ないっすかね? (筆がヨレている)
あ、こっちはけっこう楽しくやってるよ。パウラちゃんも元気だぜ。
ノノちゃんの家族増やしたげるの頑張ってねー! (特定の指サインの絵)
追伸。
自ら判断せねば己にも相手にも失礼というものだ。
追伸その二。エウレーナより。
貴殿の判断ひとつでどうこうなるほど女の人生は脆いものではない。
見くびらないように。
かしこ』
あいつに話した俺がバカだった。