鉄壁のガンズーとノノ
朝、ノノの家に向かってみると、広場の地面に黒い淀みが残っていた。
瘴気が土に滲んでくすぶっている。
魔物は死んだあと、こうして消える。
瘴気の離脱に体組成が巻きこまれ云々、というような説明をされた記憶もあるのだが、ガンズーはあまり詳しくない。とにかく魔物は死ぬと瘴気と化して消える。
日光か月光――できれば月光が推奨――に当たり続けると、汚染後のマナ、つまり瘴気は再びマナへと還る。
さすがに強力な魔族だけあって、夜が明けてもまだ瘴気は残った。
けれどこの具合なら、日光にさらされていればもう一時間ほどで瘴気も霧散するだろう。
それからガンズーは、林の中へ歩を進めた。
さほど離れていない場所に、カゼフの遺体はあった。
家の前に戻ると、少し迷ってから、土を掘りかえした跡のあたり――ノノの母が眠る場所――に手を合わせ「言いたいこともあるかもしんねぇが」と独りごちてから、その横に借りてきたシャベルで穴を掘る。
カゼフは死んだ。
ノノへの仕打ちは許せるものではないが、死んだあとまで言う気にはならない。家族の近くに眠るくらいは許されていいと思う。
朝一にアージ・デッソの中央教会に行って、カゼフと、名も知らないノノの母親と二人分の報告と税を出した。
死亡直後は瘴気による汚染の恐れがあるから、遺体の処理は火葬が基本であるのはこの国に限ったことではない。
土葬、しかも指定墓所ではない場所に埋葬するなら高い金がかかる。
くれぐれも注意を、と神官は言って、棺桶とそれに入れる聖水――という名の汚染予防の薬剤だ――をガンズーに引き渡した。
「母ちゃん掘り返すのも気が引けるしな……」
呟きながら、棺桶にカゼフを納める。彼がウークヘイグンに踏まれたあたりの土もまとめて納める。
ガンズーの身長ほどに掘った穴に棺桶を置くと、その上に土を被せていく。
軽く山にすると土に多少の余裕があったので、母親の墓にも同じように山を作った。
「……ちょうどいいから、あれ使うか」
昨日の戦いの最後、ウークヘイグンを吹っ飛ばした弾みで折れ倒れた木がある。
まだ生木だろうが、他に都合のいい木材がない。削ればどうにかなるだろうと思いながらその倒木に歩み寄ると、
「あ」
ほど近くに剣が落ちていた。
ガンズーのものだ。ウークヘイグンに突き刺さったあと、ここで抜けたのだ。
鍛冶屋に持っていってやるなどと言ったのに、すっかり忘れてしまっていた。
いや、たしか寝る前に腰にある空の鞘を見て、一度は思い出した気もするが、
「いやー……わりぃな。呪いの剣になったりすんなよ?」
掲げながら語りかけてみる。
恨みはらさで、と言っているような気がして怖かったので、とりあえず家の前に突き立てておいた。大工作業なんかに使ったらいよいよ呪われそうな気がする。
これまた借りてきた手斧で、倒木をかこんかこんと叩く。
利き手ではない左手の作業だし、叩く度にぴりりと骨に衝撃がきたので、手元が狂いそうだった。
愛用の戦斧であればこの程度の木はひと断ちだろうが、あれはまだ山羊のひげ亭に置いてある。
ガンズーの力であれば、小さな手斧でも倒木は簡単に断たれていった。
あのあと、ノノを連れて修道院に着くと、フロリカは泣き崩れた。
院へ歩くあいだにノノはすっかり寝てしまったので、あんまり騒がないでくれと頼んだが、彼女は感謝なんだか懺悔なんだか安堵なんだかわからない言葉を――涙声でほぎょほぎょ言うばかりだったので本当にわからなかった――続けて、ハンネ院長に一喝されようやく黙った。
協会の見張り役もいたので、起こったことをひととおり説明しボンドビーに伝えてくれるよう頼むと、ガンズーは山羊のひげ亭に戻りそのまま眠った。
今日はあまりにもいろいろとありすぎた。
起きられるかなと思いながら寝たが、逆に空が白み始めた程度の時間に目が覚めてしまった。
いまいち気分が落ち着いていなかったのかもしれないし、腕と足が痛んだせいかもしれない。
仕方ないので女将からパンだけ買い、齧りながら中央教会へ向かった。
包帯を巻いて固める程度の手当しかしなかったので、やることを済ませたら医者にも行かなければならないかなと思いながら歩いた。
教会ならきっと朝も早いだろうと考えたが、残念ながら正門は閉まっていて、事務処理ができる者と会うのに苦労した。
シャベルや手斧や諸々もそこで借りた。
倒木を適度な長さに断って樹皮を剥ぐ。
木材の処理の仕方などガンズーは詳しくないのでなかなか行き当たりばったりの作業だが、まぁなんとかなるだろう、と思いながら端を削り角材に近づけていく。
手斧を振りながら、ノノのことを思う。
結局、あの子は院に引き取られることになるのかな、と考えた。
この小さな家はいちおう、彼女の財産ということになるが、こんなところにひとりで暮らせるような歳ではない。
ふと、親戚はいるのだろうかと思ったが、あまり期待はできない。
孤児か。ガンズーは少し暗い気分になった。
親のいない子供など珍しいことではないし、ガンズー自身がそうだ。
だから不幸にしかならないとは言わないが――「越したことはねぇよなぁ」思わず口から出てしまう。独り言が多い。
だが、あの孤児院ならそう悪いことにはならないだろうと改めた。昨日のフロリカの様子を思い出す。少なくとも彼女は、ノノを心底から心配していた。
悪い教会のある街を見てきた。良い教会のある街を見てきた。この街は、きっと後者だろうと思う。
適当に揃えた木材を革紐で組み楔を打ち、丁字架の形にする。ひと組ができあがったので、もうひとつに取り掛かった。
トルムたちのことを考える。きっとそろそろ遺跡に入るころだろう。
彼らが無事に戻ってきたら、謝ろうと思った。そして、自分が成長限界に達したことを話そうと思った。
それで、もし許してもらえたなら、そんな始末だが全力で役に立ってやるから任せておけ、と自信満々で言ってやろうと思った。
どうしたところで、手持ちの札で戦うしかないのだ。それで足りないなら力を借りればいいし、足りるなら今度は貸せばいい。
自分には彼らが必要だし、彼らにも自分の力が必要だとガンズーは信じる。
ふたつの丁字架を抱えて振り返ると、ウークヘイグンの残滓が消えていることに気づいた。
時報の鐘の音も聞こえないほど作業に没頭していたのか、どうやらもう昼を過ぎていた。太陽が頭上を通り越している。腹が減っていた。
丁字架をいったん横に置いて、瘴気の淀みがあったあたりに近づくと、ウークヘイグンが履いていたはずの腰布と、手のひらに乗る程度の赤みがかった半透明の石が落ちている。
石を拾ってみると、まだ中がわずかに黒ずんでいた。
魔物の、肥大し変質した水晶体。
核石、あるいは魔石などと呼ばれ魔導具の核や魔術の媒体として使われるが、早く取り出さねば大抵の場合は遺体の瘴気分解により共に消滅する。
こんなふうに放っておいても残るということは、よほど質が良い。
ひとつしかないなと思い見回したが、そういえば片目は剣で貫いたことを思い出した。
この大きさでこの質となると、もし売ればこれひとつで家が数軒は建つ。下手をすればちょっとした屋敷くらいでも建つ。場合によっては値がつかない。
とんでもねぇな魔族。と思いながら、ガンズーはそれを油紙に包んで道具入れにしまった。
売る気はない。金よりも有効な使い道はいくらでもあるだろうし、敵とはいえ真っ当に戦ったあの魔族を思うと、なんとなく雑に手放したくはなかった。
腰布は折れた大鉈を置いてあった場所に一緒にまとめた。どう処分したものか迷うが、とりあえず後で考えるとする。
いよいよ丁字架を立てにかかった。
案外うまいこと作れたもんだな、などと思いながら根本を埋めていく。
これが済んだら、飯を食って、ノノに知らせに行こうと考えていた。
「ガンズー様」
話しかけられて振り向くと、当の本人がいた。フロリカ修道女とハンネ院長に連れられて。
ちょうど丁字架を立て終わり、ガンズーは最後にひとつ手を合わせていたところだったので、不自然な恰好になっていたし、主教の作法ではないのでなにか言われないかと不安になった。
フロリカが手を離すと、ノノはガンズーに突撃してきて、足に頭突きをするようにしてしがみついた。痛めた側の足だったので、ほんのちょっと痛かった。
「さがしましたよ」
「あぁ、そいつぁ……こりゃあどうも」
ふわふわとした笑みを浮かべてハンネがそう言うので、ガンズーはどう答えていいかわからなかった。
なにか用事だったのだろうか。昨日の経緯は説明したものの、確かにばたばたしていたので、他にも確認事項があったのかもしれない。
ハンネ院長は立てられたふたつの丁字架を見てから、
「ガンズー様が?」
と言った。
なのでガンズーは気づいて、足元の子に両親の墓を示してみせた。
「おう、そうだそうだ。ノノ、こんなもんでどうだ?」
「でっかい」
「でっけぇだろ、そうだろ」
ノノはぽかんと口を開けながら、自分の身長よりも高くできあがった墓標を眺めている。
フロリカが丁字架に少し近づいて言った。
「……生木でしょうか?」
「ああ、ちょうど倒れた木があったもんでな。マズいかな」
「うーん……もしかしたら、歪むかもしれません」
「あー、やっぱしか。まぁ、間に合わせだったからなぁ。ノノ、どうする? 石屋にでも行って、もっといいやつ買ってきてもいいぞ?」
聞いてみると、ふるふると首を振った。どうもこれでいいらしい。
彼女がもう少し大きくなったころ、この街に戻ってきて、もっときちんとした墓を用意してやろうとガンズーは決めた。
「母親の葬儀が行われた記録もありませんでした。略式ですが、私たちで祈りを捧げましょう」
ハンネ院長がそう言い、フロリカもそれに従って、ふたりは墓の前に立った。
聖書を手にして祈祷を捧げる様子を、ガンズーは一歩下がり眺めた。
ノノも昨日と同じように抱き上げられてそれを見ている。
彼女は相変わらず無表情ではあるが、ガンズーの服を強く掴んでいた。
両親との別れの儀式だが、どう感じているのだろうか。
この歳なら、ピンとこなくてもおかしくはない。昨日の今日のことだ、今はわからなくてもいい。
だがガンズーは、この子がとても聡いことを知っている。
きっと、きちんと受け止めようとしている。いつか、このときのことを改めて考えてほしいと思う。
その虹色に染まる眼は、きらきらと輝いていた。
ひととおりの祈りが終わり、最後にふたりの修道女が右手を胸、左手を額の礼の姿をとると、ノノはじたばたして、ガンズーに離すように促した。
そのとおりに離してやると、彼女は修道女たちの隣にとてとてと向かって、同じ姿をとった。
もはや何度目か分からないが、ガンズーの目頭に熱いものが来た。耐えたが、フロリカは泣いた。
「それでですね、ガンズー様」
ハンネ院長が振り返り、ガンズーを見る。
おそらく目を見ている。彼女の目は細いし常に笑みの形をしているので、いまいちどこを見ているのかわからない。
ノノはまた戻ってきて、ガンズーの足を掴んだ。
「ノノさんは、ちょっと困った子です」
「あ?」
その言葉にガンズーは思わず、なんだとこんにゃろうと言いそうになる。こんないい子のどこが困るってんだ。
「我々の言うことは聞きません。食事のお片づけをしません。ベッドのお片づけをしません。お昼寝のあと、他の子にそれを言われて喧嘩になってしまいました」
「ノノおめぇ、どうしたってんだ。そんなことしてんのか」
視線を合わせて困った子に聞いてみるが、唇を尖らせて目をそらすだけだった。
「というのが、お昼から急に始まりました。朝は本当にいい子でした」
「どういうこってす?」
「どういうことでしょう」
表情を変えずに言うハンネを半眼で見てから、ガンズーはノノに目を向ける。
今度は自分の服の裾を掴んで、その子はもじもじしていた。
「ノノちゃん、ここに――自分の家に帰りたいみたいなんです」
「帰りたいっつったって……あぁ」
フロリカの言葉でわかった。
つまりノノは、ガンズーの言葉に従ったのだ。とにかくまずは一晩、院で休む。それを守ったのだ。
そしてひと晩が明けて、帰れる様子がなさそうだったので――追い出されるように動いたのだ。家へ帰るために。
そもそも昨日、院を抜け出したことからしてとんでもなく思い切った行動だ。
困ったというか、聡いというか、もしかしたらこの子はなかなかエキセントリックな子なのかもしれない。
ガンズーは、その子になにをどう言うべきか悩んだ。
悩んで悩んで悩むうちに、
「ガンズー様は、いつまでこのアージ・デッソにおられますか」
とハンネに問われた。
「んん? いつまで……どうだろうな。早くても――そうだな、ひと月かふた月ってくらいですかね」
アノリティはあの遺跡の深層は深いと言っていた。あの転移装置に辿り着くまでにもそれなりの時間がかかった。
トルムたちの戦力をガンズー抜きで考えて、どれだけスムーズに進んだとしても一月はかかると予想した。
「ではそのあいだ、ノノさんと暮らされてはどうでしょう」
……は?
と口に出したつもりだったが、ちょっと予想外の言葉にガンズーは口と鼻を広げただけになった。
「定宿もございますでしょうが、こちらの家に入られれば無駄な浪費も抑えられるでしょう」
「いや、いやいや。ちょっと待った」
「残念ながらノノさんには、父方も母方も血縁の記録が確認できませんでした」
「ああ、やっぱそう……いや、そうじゃなくてよ」
「本来ならば後見人は縁戚の者か、爵位を持った貴族でなければなりませんが、ガンズー様は勇者様と共に王より認可を受けた身。騎士爵とみなされます」
「あ、そりゃあ知らなかった――いやそんなことよりな」
「細かい手続きは私が引き受けましょう。これでも街の中でそれなりに顔は通ります。ガンズー様の名を出すわけですから、なおさら」
「ちょっと待てって!」
まくし立てにまくし立てるハンネに、とうとうガンズーは叫んだ。
というのに、笑顔の修道院長はどこ吹く風である。
「俺ぁ、子供の面倒みれるような人間じゃねぇですし、だいたいノノだって――」
と言って見てみれば、ノノはガンズーの足をがっしりホールドしている。
虹色の目がじっとこちらを見上げていた。
目をそらすように顔をハンネへ戻す。
「いや、ていうかだな、こんな荒事しか能のねぇような男に頼むこっちゃないでしょうよ。どう考えたってあんたらのほうが向いてる。まさか、厄介払いしたいってんじゃねぇんですか?」
「そんなことはございません。私としては、ノノさんの希望を叶えてさしあげたいと考えているだけです」
「んな……んなこと言われたってよ」
相変わらずハンネの表情は読めない。考えも読めない。
後ろに控えるフロリカに目を移してみれば、困ったような顔をして上司の後頭部にちらちら視線を動かしていた。
もしかしたら彼女は聞かされていなかったのかもしれない。
「そ、それにだな、ひと月ふた月とは言ったが、それもわかんねぇ! 早まるかもしんねぇし、えぇと、いつになるかわかんねぇけど、その、俺は、なんつーか」
「ガンズー様のお役目は重々承知しております」
老修道女は急に声の調子を落とした。
「その上で、お願い申します。その子は今、頼る者をすべて亡くし、それでも我々のような者ではなく自らの家を寄る辺にしようとしてしまいました。記録によればこの子はまだ四歳わずか。自ら孤立を選ぶような歳ではありません」
その後ろではフロリカがまた涙ぐんでいる。ガンズーが言う立場ではないが、ずいぶんと涙もろい。
「頼る者が必要なのです。頼ることができる者がまだこの世にいると、教えてくれる者が。何者も寄せつけず守ってくれる、本当に強く頼れる者が」
深く深く――高位の聖職者が冒険者にするようなものではない――頭を下げてハンネは続けた。
「どうか、その子の心をお守りくださいませ。せめて、この街におられるあいだだけでも」
ガンズーはなにも言えなくなってしまって、その姿をただ見ていた。
視線をそらすと、ノノがこちらの顔を見上げていたが、だんだんとその顔は下を向いていく。
ガンズーにはやることがある。
トルムたちと共に行かねばならない。
ならないのだが――
たとえば魔王を打ち倒し、世界はちょっと良くなって、その時にノノはどうしているだろうか。
今この子を突き放して、俺は勇者の仲間でございと胸を張れるだろうか。
ぐんごごごうごお
そんなことを考えていたら、ガンズーの腹が鳴った。
朝に軽くパンを齧っただけで、腹が減っていたのを忘れていた。
ちょっと尋常ではない鳴り方だった。新手の魔獣でもやってきたかと思った。
ノノがびっくりしてこちらを見る。
ガンズーは思った。
そういえば自分は、あと先をいちいち難しく考える人間ではない。
あとのことはあとで考える人間だったはずだ。最近、すっかり調子が狂ってしまっていた。
ガンズーはノノの頭を撫でて、
「お前、昼飯ちゃんと食ったか?」
彼女は答えずもじもじするだけだったので、フロリカが代わりに答えた。
「あんまり食べませんでした……他の子に押しつけて」
「そっか」
そう聞いて、そんな困った子を左腕に抱え上げて――なんだか、昨日からそこが定位置のようになってしまった――言う。
「一緒に飯、食いに行くか」
それで初めてガンズーは、ノノが笑うところを見た。