鉄壁のガンズー、暖かい
目の前を横切った白光の刀身は、もう少しでガンズーの顔面にめり込むところだったし、わずかに触れた大斧の封鉄でできた刃がしょりりと削れた。いい感じに砥げたんじゃないかな。
いやシャレになんねぇ。さらに頑丈になったってのにあっさり切られそうだ。
ではそんな剣をモロに受けた者はどうなったか。
アノリティからの砲火が止み、つんのめってふらついたガンズーと同様、たたらを踏んでよろめく女の姿があった。
どうも交差した弾みに飛ばされたらしい。かろうじて倒れることはしなかった。背から血を流しているが、出血が少ないのは傷が浅いわけではない。体表の鱗がざわざわと集まり、必死に傷を塞いでいる。
「こ――」
上げた顔は蛇――というより般若。いや、あれってたしか蛇みたいなもんなんだっけか。じゃあやっぱ蛇だ。
あらあらなんて言いながらずいぶん余裕ぶった態度をとり続けていたが、一太刀いれられただけでこのザマだ。断言できる。こいつ絶対こっちが本性だ。
「――んのガキどもが……優しくしてりゃつけあがりおって」
「いたぁあいっ! 痛いわ痛いわお母様ぁ!」
「黙ってなさいアシェリ! あなたの身体のせいよ! この身体じゃなければこんな連中になんかねぇ!」
「うわ~んお母様ごめんなさぁい!」
歪んでひらいた口からふたつの声が同時に放たれる。不思議な光景ではあるが、その内容がやたら情けないせいで聞く気にならない。
しかし一太刀。ここまでやってようやく一太刀。されど一太刀。
混乱しているならなんだっていい。ここで攻めきる!
トルムとひとつ頷き合い、一歩を駆け出して――
「【暗霞】」
途端、辺りが闇に包まれた。
なんだこれ。まったく別口から詠唱が聞こえたぞ伏兵か?
横からトルムの「あれ? ……あ」という声だけが届く。おいそれはなにか大事なことを忘れてたときの反応だな。
「――ご主人、抑えて抑えて」
「ああ!? 邪魔するんじゃないよ人間! なにしに来た!?」
「いえね、あの側近の旦那から様子を見てこいと。下手すりゃ頭に血ぃ上らせてるから連れ帰れだなんて、いやぁ無茶を仰る」
「バカ言うんじゃないわ……こんな無様晒して帰るだなんて、このわたしが」
「ほら、お嬢さんも参っちまってるじゃないですか」
「お母様ぁ……」
「……ぐぐぐ」
「それと、お屋敷も大変みたいですよ」
「なんだと?」
「山崩れでも起こしたようで」
「…………」
闇の向こうから聞こえていた会話が一瞬途切れた。ガンズーは手探りするように彷徨うが、ガラジェリの位置がつかめない。この辺りのはずなのだが。
近くにいるのは間違いなかった。なぜなら、
「――キーーーーーッ!」
金切り声――というかなんかもう漫画のようなステロタイプのヒステリー――がすぐそこから響いたからだ。ついでにじたばた地団駄を踏んでいるのもわかる。
適当に斧をぶん回せば当たるかもしれない。仲間も巻きこむかもしれないが。
一か八かと斧柄に握り直したところで、静かな、地獄の底から這い上がってくるような声。
「……覚えてなさいよあなたたち」
にしては、もはやコッテコテの悪役台詞でしかなかったが。
そっちからちょっかいかけてきたクセしやがって。
ともあれその言葉を最後に、辺りを覆っていた闇は風に吹かれるように消えていった。
後には――蛇の姿も、少女の姿も、闖入した何者かの姿も無い。
西日が眩しい。平野の向こうに落ちかけた太陽がガンズーを照らしている。
晴れたってのに肌寒いな、と思った。当然だ。もうすぐ夜になるし、もうすぐ冬が来る。
ここはスエス半島の最北に近い。もう二か月もせずに、一面の銀世界になることだろう。
かまくらを作ろう。そう決めた。ノノと一緒に雪で遊ぶ。
いや待て、レベル上がっちまったや。なんだっけ、レベルが上がればなんか解決することがあったような。頭がぼんやりしている。出てこない。
まあいい。かまくらだ。火鉢はあるから、あと餅……餅? うーん。なんか代わりになる物あるかな。米でも練ればなんとかならんか。
突っ立ったまま、しばらくそんなことをぐるぐると考えていた。餅。
「勝った……いや、退いてくれたのかな」
餅が喋った。いやトルムだった。銀髪が日の光で瞬いている。やけにピカピカ光る餅だなぁと思った。
からん。彼は握り続けていた剣柄を落とす。光刃はとっくに消え失せていた。
「はぁ……疲れたね」
こちらに笑顔を向けた。と同時に、ぼふんと目から鼻から口から耳から黒い煙が噴き出した。やっぱ滅茶苦茶に負担かかってたんじゃねぇかあれ。
「……死ぬなよお前よ」
「いやー大丈夫らいりょうふ。はいぽうぷらんりゃはいかなうべぼ」
謎の言葉を残して倒れる勇者。まぁ本人が言ってるし大丈夫だろ知らんけど。
それより――俺も疲れた。
ゆっくりと振り向く。視界を回す。
倒れたまんまのセノアとレイスン。アノリティはいつのまにか元の姿に戻っていたが相変わらず動けないらしい。
ミークが駆け寄ってきた。結局、軽傷で済んだのはあいつだけだったな。
「――ガンズー殿!」
それと彼女の後ろ、遠くから駆けてくる馬車が一台。
御者台にいるのはどうやらステルマーのようだった。護衛代わりか、冒険者を何人か随伴させている。
どうやら、アージ・デッソもひと段落ついたようだ。
ガンズーは安心した。
なので、そのまま身を投げ出すようにぶっ倒れる。
頭が地面で跳ねるよりも前に、意識はどこかへ行っていた。
◇
「あんたは取り柄が無いって言うけどね」
もそもそと飯を口に運びながら母親が言うので、またどんな益体の無い話をされるのだろうかと考えてから、これはいつの話だったっけと思い直した。
そうだ。たしか就職活動がなかなか捗らずに悩んでいたころに、こんな話をしたような気がする。
いつもどうでもいいことばかり聞かせてくる人だったけれど、このときに言われた言葉だけは妙に耳に残っていて、覚えていた。
「これって思ったひとつのことに凄くこだわるでしょ」
しかし当時の自分は、適当にしか耳を傾けていなかった気がする。
後から振り返って、なんか割といいこと言われたような、と感じたのだったか。
「それねぇ。熱心ってふうにも言えるんだよ」
顔がぼやけて見えない。いや、覚えてはいる。でも見えない。
ただ、母親がこちらへ顔を向けずに話しているのはわかる。むしろそのほうがありがたい。気恥ずかしくて仕方がない。
「あんたの取り柄、って考えてもいいんじゃないの」
結局のところ、その言葉がなにか役に立ったかといえば特には無い。今から考えれば面接のネタくらいにはできそうなものだが、就職に役立ったなんてことも無かった。
おそらく、その次にまた耳の痛い話をされたからだ。
「もし子供なんてできたら、あんた結構よくやれるような気がしてさ」
どう考えても就活中の学生に向ける期待ではない。
どうせ従兄弟が結婚したもんだから、あわよくば自分にも孫がなんてことを考えてしまったのだろう。いくらなんでももうちょっと待て。
というかそもそも、子供以前に――
「あんたホントいい加減、彼女くらい作りなさいよ」
うるさいやい。
◇
まどろみの中で物音が耳に届き、ガンズーは半分だけ覚醒した。
夢を見ていた。もう覚えていない。
「――すみません、ご無理を」
「べつにいいじゃないこれくらい」
「いい悪いではなく、怪我人だらけで忙しいんだよ私は」
声が聞こえた。女と女と男の声。
全て聞き覚えのあるもの。男は医者だ。そしてこの背中に感じる薄いベッド。どうやらここは冒険者協会の病室かな。
辺りの音は拾っても、目は開かない。なぜならまだ寝てるから。
「あ、いた。こっちの気も知らないで寝こけてるわ」
「ボロボロですね……これ、凄い傷」
「そうでもないよ。見た目は酷いが、魔術で治癒もされている。だいたいこの男の身体は常識で考えちゃいかん」
「んじゃなに。マジで寝てるだけ?」
「そうだな」
「きっと疲れてたんですよ。ずっと大変でしたし」
耳元でガサガサゴソゴソやかましい。ゆっくり寝かせてくれ。
「それじゃ私は行くので。好きにしてくれて構わんが、汚さんように」
「はい――はい? あのお医者様、どういう意味で――」
「ほっときな。アタシらお届けものに来ただけなんだから」
「そ、そうですね」
ほんの少し静かになった。
すると、なにか胸に暖かいなにかが置かれる。ふんにょりと覆い被さって、なにやらもぞもぞする。
「……ぐっすりですね」
「わかってんのかな……あぁ、このしがみつきっぷりはわかってるわ」
「あ。ずっと眉間に皴よってたのに。安心したんですかね」
「だいたいあんな寝顔だった気もするけど――まぁ、今回ばかりはこうなるか」
「……普段をご存知で」
「え? まぁ、うん」
「……そうなんですか」
「? ともかく、邪魔してもなんだし戻るとしましょ。悪いわね付き合ってもらっちゃって」
「いえ、私もお顔が見たかった――じゃなくて、連れていってあげないとって思ってたので」
「ふーん」
「な、なんですか」
「あんたも一緒に寝てけば?」
「無理ですぅ」
ふたり分の足音が離れていって――
静寂。すぐそばに寝息。
眠ったまま、ガンズーは優しく胸元に手を当てた。
背中がある。小さな背中。
ぽんぽんと撫でた。
寝息の中で、「んむふー」と返事があった。
暖かいわ。こりゃ明日には全快してんな俺。
ん?
そういえば俺、ステータスって結局なに上げたっけ。
力、体力、技、早さ、精神……
…………
「んむむゆ」
まぁいいか。