鉄壁のガンズーと蛇
「大人しくしているかと思っていたら、また急に出てくるんですのね。なにをしにいらっしゃったの?」
「悪い子にちょっとお説教かな。誰かさんが好き勝手させるんだもん」
「あら。それは仕方ありませんわね。年長者は敬わなければ」
「それはそっちのキミからしたらでしょ。よっぽど長生きのクセしてよく言うよ」
「女性の年齢を揶揄するなんて念入りに潰されたいのかしら、と言っていますわ」
「潰されるのはイヤかな。でも固められるのはもっとイヤかな。前に怒らせたときは五十年くらい出てこられなかったからねおっかないね」
「その代わりこちらは溶けた尻尾の先がまだ治ってないみたいですわね。まだ怒っていらっしゃってよ」
「わぁ、まだ気にしてたのあれ。しつこいね。相変わらずだね」
「訂正します。今、とっても怒ってらっしゃるわ」
「おっかないね。ボクおしっこ漏れちゃう」
「で、はしたないことを言いに来ただけなのかしら?」
「いいや。起きてるのかどうか確かめに来たんだよ。起きてたね。残念だね。ずっとふて寝してるかと思っちゃった」
「あぁ……なるほど。勘違いしてらっしゃるわケーナズテイアス様。今回計画したのはわたくしです。手助けしていただいただけなのよ」
「おやそうなんだ。意外だね」
「意外なことなんてありませんわ。お優しいもの」
「ふーん。ちょっと見ないうちに彼女も変わったね。驚いたね」
「――え? はぁ。え、やだ、照れますわ。こほん。えっと、愛を持てるのはあなたやジギーだけじゃないのよ、ですって」
「愛ってなんだろう。考えたことないなボク。ジギエッタはとても立派だと思うけどね」
「あなたも余程だと思いますの」
「なんでだい?」
「だって、その化身を失ってしまってもよいつもりで来たのでしょう? 当の相手ではなく、その保護者なんかのために」
「そういえばそうだね。困ったね。でもまぁいいんじゃないかな」
「――熱心で羨ましいわね」
「きっとキミもわかるよ」
「そう。期待するわ」
◇
煙が上がったように見えた。
森の手前、伐採中のひらけた場所に彼女はいる。切り株のひとつに軽く手を翳していて、ガンズーが辿り着いたその時にはちょうど煙の残滓が残っているだけだった。
なにをしていたのだろうか。
いや、考える必要は無い。追いついた。
「人間……だよね?」
ちょこちょことミークが近寄ってきて、ガンズーに耳打ち――背伸びしたって届かないので、単に小声になっただけだ――する。
そこにいるのが人間かそれ以外か。彼女ならば何枚も壁を隔てた先を、目を閉じていたってわかるはず。なのにそう聞いてくるということは、自信が無いのだ。どう見たって人間だから。
ちらと首だけでアノリティへ振り向いた。
「生体反応に異常はありません」
そりゃそうだ。普通の人間だものな。
ただ、ウィゴールのように擬態している可能性もある。奴だって見た目はただの老人だったのだ。誰に看破されることもない偽装――正しく皮を被っていたのだ。
「あれと一緒にしないでくださいませ」
気付けば彼女――アシェリはこちらに向き直っている。
ちょこんと両手を前で組んで、薄手のスカートが風に揺れていた。雨に濡れていたはずの頭もすっかり乾いている。
雲間から覗いた西日が、彼女の髪を虹色に染めた。
「――ヒスクスは逃げたようですわね。もう、本当に置いていくだなんてあんまりだわ。そう思いませんこと?」
「……親父を名前で呼ぶのか?」
「あら、なにかお聞きになった? 心配しなくても、ちゃんとお父様って呼ぶこともあるのよ。お願いがあるときはね。例えば」
例えば年端のいかない少女がはにかむように、小さく首を傾げてこちらに笑顔を向ける。
目だけが笑っていない。
『 れべる : 20/50
ちから : 16
たいりょく: 17
わざ : 22
はやさ : 20
ちりょく : 43
せいしん : 39 』
歳を考えれば――見た目どおりなら――驚異的な能力ではある。
だが、常識の範囲内だ。自在にゴーレムを生み出すだとか、門を丸ごと消し飛ばすだとか、そんなことができるとは思えなかった。
しかし、その目から放たれているのは――
これまででもなかなか味わったことのない殺気だ。きっと嵐や地震が意志を持って向かってきたとしたら、こんな感じだ。
「ウーちゃんの仕返しがしたい、とか」
言葉の意味がわからず、少しのあいだ沈黙することになった。仲間たちも同様だったようで、レイスンがちらりと横目をこちらに向ける。
ウーちゃん? 名前か? 誰だ?
ウーちゃん。ウー。ウー……
「まさかと思うが、ウークヘイグンのことじゃねぇだろうな」
「小さなころから一緒だったんですのよ。いつもわたくしを守ってくれたの。お仕事を頑張ってきたときはね、お鼻を撫でてあげるの。ひんやりしてコツコツしていて、とってもかわいいの」
頬に手を当て、身を捩りながらアシェリは語る。
鼻を撫でられて、かわいい。
あれが? 「いざ尋常に勝負」とかなんかそんな感じのこと言ってたあれが?
とはいえ――なるほど。
「許しませんわ」
肩をくねらせたまま、彼女はガンズーを睨みつけた。
「お前らがノノたちを攫ったからだろうがバカぬかすんじゃねぇ」
逆恨みも甚だしい。
だいたい、話から立場を想像すればウークヘイグンだって職務を全うしただけだろうに。結果的に俺と戦うことになっただけだ。それも驚くほど正々堂々と。
誰であろうと、あの戦いにごちゃごちゃ言われたくない。
「こんなところにいるより遥かに幸せなのに……本当、愚か。ああ、やっぱり陛下には末端の管理をきちんとするようお頼みするべきだったわ。せっかくの虹を餌としか見てない連中なんて、魔獣と変わらないのに」
「そっちの都合なんか知ったこっちゃないんだけどさー」
どうも痺れを切らしたのか、セノアが口を挟んだ。
ちょっと待てなんか大事なこと言ってたような。いやどうせ聞いたって教えてくれるとは思わんが。
「それで結局、あんたなんなの。魔王の信奉者かなにか?」
「信奉者?」
それを聞くと、アシェリは心底おもしろいというように、口元を隠してころころ笑いだした。
「おバカさん。えぇ、わたくしは確かに信奉していますわ。でもね、人の世に居場所を失った哀れな人たちと一緒になんてしないで。わたくしは己の宿命に従ってここにいるの。おわかりかしら、オバさま? せっかくの虹が台無しね」
「殺すわ」
杖を引っ提げ突撃しかけたセノアの襟を掴んで止める。たいへん恐ろしい挑発をかました少女はといえば、やはり面白そうに笑っているだけだ。
事ここに至っても、その仕草は歳相応、見た目どおりとしか言いようがない。
いや、おそらくそれで正しいのだ。この少女――この子は、見た目にも中身にも嘘など無い。今この場では。
あるいは、街にいたころの姿にも嘘は無かったのかもしれない。
「……デイティスも愚かだったってか?」
「デイティス様? いいえ、彼は好きよ。彼はね、あの志を持ったままなら、とっても脅威になる方なの。そこの人みたいにね。そんな方がウーちゃんみたいにわたくしを守ってくれたなら、素敵だなって思ったの」
彼女の指差す先にはトルムがいる。いまいち心当たりが無いのか、彼は自分に指を向けて不思議そうな顔をした。
言っているのはきっと、勇者と呼ばれる者の特殊性を指しているのだろう。やはりなにかあるのだ。彼女やケーがわかるようななにか。
「――でも、残念。ご家族を愛されてますもの。きっと来てはくれないだろうなって思っていましたわ。本当に……残念ね」
やっぱり子供だ。
あの表情は、たぶん本気で言っている。隠そうともしていない。
だが、おかげでよくわかる。精々、好きな玩具を無くしてしまったという程度の感情だ。本気で悲しんでいるとは言い難い。
「まあいいさ」
言いながら、ガンズーは一歩踏み出した。斧を手に取るか迷ったが、彼女の力が見切れないうちはやめておく。
デイティスに謝らせて、アージ・デッソの人たちにも謝らせて――とにかく自分のやってきたことを理解させねば。
その口振りから、魔王の息がかかっている者だとはわかった。もしかしたら、とても近しい立場にいるのかもしれない。
ならばやはりここで捕える。ヒスクスのように、直接戦闘力も逃走能力もあるわけではないはずだ。多少の魔術で止まってやる気も無い。
人間ならば、連れ戻さなければ。
「悪いが魔王のとこにゃ帰れねぇぞ。きっちり全部吐いて、やったことを償ってもらうぜ」
指を鳴らしながらまた一歩。しかしアシェリは動かなかった。
ただ、もはや嘲笑うかのように浮かべていた笑みが、すっと消える。
よく見れば、なんてことはない普通の瞳だ。少々切れ長の、あどけなさすら残る美しい目。
ならば、蛇のようだと思えたあの目は――
「鉄壁のガンズー。やっぱりお優しいのですわね」
その目が細まる。
「わたくしはアシェリ。虹の呪いの申し子。武器も持たずに、わたくしを捕えようとでも? ああ、なんてお優しい。慈愛に溢れ過ぎて、とろけてしまいそうだわ」
彼女の髪が、波を打ったように見えた。
赤、黄、緑、青。陽光に光り、鮮やかに映える。
「わたくしがなぜここにいるのか考えなくて? 帰る? そうね、わたくしは帰りますわ。あなた方に、十分な報復をさせてもらってから。一緒にね」
ふわりと、踊るような仕草で。
アシェリは両手をうなじに這わせ、大きく髪を広げた。
「――お母様」
――はあぁい
虹がうねる。
思わず全員が後ずさった。微動だにしなかったのはアノリティだけだ。
広がったアシェリの髪が、捩じれるように巻き上がる。元の長さを完全に無視して、ぞわぞわとなにかの形を模った。
人? いや、女。
まるで、半身が蛇のような姿をした、妖艶で美しい――
「――あぁ」
髪の中から浮きだすように現れた女が、深く息を吐いた。
「バカな子ねぇ、アシェリ。ケニーなんかに構っているから、こんなところに出てきてしまって。マナが薄くていやだわぁ」
「だってお母様、この人たち酷いのよ。ウーちゃんのこと謝ってもくれないの。わたくし、我慢できませんわ」
「おぉおぉそうかいそうかい、それは酷いわねぇ。お母さんがよぉーく言って聞かせてあげるから、あなたは隠れているのよ。危ないからね」
「うん、お母様」
頭上と足元――足、というか腹というか髪というか――で会話していたかと思えば、唐突に蛇の半身が崩れた。
輝く髪の色はそのまま、解けたように散らばってアシェリを包みこむ。
彼女が消えればそこには、虹色の鱗を体表に纏った女がひとり。
「――勇者。異邦人。虹。コッペリア。ちょっと余分もいるけれど……うふふ、悪くないわぁ。本当にスエスは豊作ね」
蛇を模していた半身もすでにふたつに分かれ、二本の足で地に立っている。
ドレスでも着ていれば、そこらの宮殿で歩いていそうな気品さえ漂っていた。
だが――ああ、これだ。この目だ。
蛇の目だ。
「じゃあ、大事な娘のお願いだから、ちょっとだけ痛い目を見てもらいましょうかしら。でもごめんなさい。わたし、加減が下手なの」
アシェリから感じた殺気。確かに凄まじい威圧感を持っていた。
これは違う。殺気じゃない。
生物が共通して持つ、生存本能。それがなにをどう間違ったか、諦めが肝心だと伝えてきている。
ウークヘイグンやかつて戦った魔族。バシェット。ウィゴール。あの恐ろしい力を持った源泥人形だってこんな圧は感じなかった。
そんな相手がいるとしたら、
「魔王、ガラジェリ――!」
引き攣り、なぜか笑みのように頬が上がってしまう。口元を歪めながら、ガンズーは呻いた。
蛇の顔がこちらを向く。
「あらやだわ、ダメよそんな呼び方をしちゃあ。せっかく顔を合わせられたんだもの。もう隠さなくてもいいんだから、ちゃんと呼んでちょうだいな。授かった名前も、あなたたちが付けてくれた名前も気に入っているのよ?」
ぱかりと歪むように――だがこちらとは意味が全く違う――彼女の口も大きくひらいた。
覗く舌の先は、割れている。
「虹鱗艶蛇ガラジェリ――会いたかったわ。あなたたちもそうでしょう?」




