鉄壁のガンズー、往生
少々齟齬が出たので、100話を訂正しました。
ふたつに分割された老人の身体が落ちていく。
そして、ガンズーも落ちた。着地について考えていなかった。勢いあまって煙突を蹴りつけたが、粉砕してしまったため足の置き場は消えた。
屋根を転がるようにして頭から着地する。痛くない。素晴らしきかな我が肉体。
顔を上げて見てみれば、ウィゴールはちょうど南北通りのど真ん中に落っこちていた。動かないが、油断できない野郎だ。本当にくたばったろうか。
「ガンズー」
呼ばれて振り向く。トルムにミークに――
ノノが、むっすりしていた。
差し出されたので、左腕のいつもの位置に抱きかかえる。
「……もしかしてノノ、怒ってるか?」
聞けば、べちべち頬を叩かれた。「悪かったって」べちべち。「ちゃんと追いついたじゃねぇか」べちべち。「これでも急いだんだぞ」べちべちべちべち。
「ん!」
唇の周りを丸っこくしたままノノが指さすのは門のほう。
あそこに倒れているのは……フロリカ! クソ、やっぱ無茶させちまった。ラダが見てくれる分には、どうも大事は無さそうだが。本当に良かった。ああもう、こんな始末にしちまって情けね――いや、そういうことは言わないんだったな。
ところで、近くにもうひとり倒れている。誰だ? 思い当たる節がない。
だが、近づけばすぐにわかった。
「イフェッタ!? おい、なんでだ!?」
なぜここに彼女がいるんだ? しかも倒れて!
偶然に巻きこまれた? 彼女はそんな間抜けな女じゃない。まさかノノのために来たってんじゃないだろうな。だったら俺の責任だ。
髪を泥で汚したままの彼女を抱き起こす。目は閉じられ、胸には小さな切り口と広がった血の跡が――
……出血少なくね?
「おっせぇのよバァカ」
鼻を摘ままれた。
「ふが」
「ノノちゃんほうってどこほっつき歩いてんのかと思ったら、泥だらけじゃないのもう。アタシもあんま人のこと言えないけどさ」
「お前、平気なのか? その傷――」
「ああ、これ?」
イフェッタは雨で濡れた己の服を引っ張り、懐に手を突っ込む。出てきたのは、赤く輝く鱗だった。
中心に、薄く切れ目がついている。
「チクッとしたときはかなりビビったけど、まぁなんだかんだ守ってはくれたみたい。あの男、なんで見逃してくれたのかは知らないけど」
「ホントになんともねぇのかよ」
「大丈夫だってば。ま、死んだふりしてなんとかノノちゃん横から掻っ攫ってやろうと思ってたけど……そんな必要もなかったね」
彼女の視線はガンズーの後ろにいるトルムたちのほうへ向く。たしかに、彼女に戦闘能力は無い。彼らが来たならば、できることはあまり無かった。
と考えているのかもしれない。
「そうでもねぇみたいだぞ」
ジタバタするので、ノノを下ろした。
即座に彼女はイフェッタの胸へ飛びこむ。ぐりぐりと額を押しつけた。ちょっぴりでもケガしてんだから控えめにな。
「……それならいいけど。あー暖かい」
抱き合うふたりはどちらも雨と泥でひたひただ。ノノなんて病み上がりだ。ぶり返さないといい。存分に暖まってくれればいいさ。
そんなことを思っていると、横から体当たりされた。敵襲か?
「が、が――ガンズー様……」
フロリカの顔に至ってはひたひたどころではない。
「よ、よが……良がっだぁ~……しん、し、死んだなんて言うがらぁ……」
「俺が死ぬわけねぇだろ。ありがとなフロリカ。ノノを守ってくれて」
「ふぐぅ~……」
ガンズーも泥まみれなことに変わりはない。あまり抱きつくと汚れてしまうのだが、引き離すのも気が引ける。
たしかにこりゃ暖けぇや。
「ねートルム。どっちだと思う?」
「……なにがかな?」
「なんであんたがすっとぼけてんの」
「いや、なんていうかこう、傍から見てるとなにか既視感を覚えるというか、身につまされるものがあるというか」
やかましいぞアホたれども。
フロリカが離れないので困っていると、別のアホと目が合った。遠くでドートンが所在なさげにしていた。
どうも脇を庇っているのは、負傷でもしたろうか。なにやらダニエが後ろから服の中を覗いて、「ヤバイわ」「ヤベェかぁ」とか言っている。
ここにノノがいて彼ら双子がいるということは、あのふたりも体を張ってくれたようだ。
なんせ気楽に死んでいた自分である。こいつらのほうがよっぽど働いたろう。
いつだったか、自分がいない間は助けになってくれなんて言ったっけ。
ひとつ、拳をぐっと握って向けてやる。
ドートンは――なにやら嬉しそうなような泣きそうなような――とにかく妙にブサイクな顔になった。痛いのかな。
「ガンズーさん」
急に名を呼ばれ顔を上げる。ラダは崩れた宿屋の中を覗いていたようだったが、その視線はすでに別の場所へ向いていた。通りの中央。
そこにはふたつに分かれてウィゴールが――魔族が死んだというのに、瘴化が起こっていない。
ずる、と奴の半身、その断面からなにか漏れ出た。
あの小さな老人の中になにをどうやって収まっていたのか、やけに細長い体躯。灰色の鱗。トカゲの相貌。
「ふぉ――ほっほっほ……ふひ、ひひひ」
ウィゴール、という名のトカゲの魔族が笑った――ようには見えない。口からこぼれた声こそ笑っていたが、目には怒りしか宿っていない。
まぁそうだろうよ。魔族なんてふざけた連中、そうあっさり倒せるだなんて思っちゃいない。
いいさ。ぶん殴り足りなかった。次はもっと念入りに、しょりしょりと。
そう決意し、どうにかフロリカに離れてもらったガンズーは再び大斧を手に飛び出そうとした。
それ以上の早さで逃げ出した魔族に、一瞬だけ呆気にとられる。
また逃げるかぁ。そっかぁ。
「ふざけんじゃねぇぞコラァ!」
貧相な身体だが、トカゲらしく四足で走るウィゴールは早い。泥水を跳ね飛ばして中央広場へ向かっている。
とはいえこちらにはトルムにラダに、ミークまでいるのだ。この街、この国どころか、半島で十指に入る高速戦闘者たち。
矢が、刃が、剣閃が灰色の鱗に襲いかかる。
泥色の水柱が上がった。ウィゴールは攻撃が襲いかかる瞬間、自らの足元を吹っ飛ばした。トカゲが空を飛ぶ。
着地したのは、ちょうど中央広場の噴水前だった。
「ふぁーはーはー! たわけどもが、バカ正直に並びおってぇ! おのれら全員埋めちゃると言うたろうが! 今度こそ仲良く沈むがよいわぁ!」
高らかに叫び、同じように高く掲げた爬虫類の指先。
ミークが矢を番える。トルムが瞬歩の体勢に入る。間に合うか!?
大地を穿つように、ウィゴールの手が地面を叩き――
べちゃりと、水が跳ねただけだった。
「……は?」
ぴちゃぴちゃと地面を叩き、泥遊びをするトカゲ。
当然、こちらの足先が沈むこともないし、地割れも起きない。
「――土いじりが得意みたいだから知ってるだろうけどさー」
噴水の向こう、街の北側へ続く通りから声。
面倒くさそうに肩を杖でトントンと叩いているのは、我らが虹の魔女。
「練土は早い者勝ちだからね。この辺はもうぜーんぶ私の土地。勝てると思うなら頑張って私のマナ掘り返せば?」
言ってセノアは、勢いよく杖を足元へ突き立てた。
地面の下からなにかハンマーで叩いたような音が響いて、「あばっ」という悲鳴と共にトカゲが跳ねた。今度は自分の意思ではない。
転がったウィゴールは即座に身を起こすと、忌々しげに舌を振り回す。
「な、ナメおって小娘が! 儂の魔術がこれだけと思うなよ!」
その舌の動きに従うように、周囲の雨水が、泥水が、噴水に残っていた水まで巻き上げ、ひとつの渦になり、
「【地還】」
ぱちんと弾けて降り注いだ。押し流されるほどの水量に、ウィゴールはばちゃばちゃもがく。
「私はセノアさんのように力押しはできませんので、地道に対応しましょう。練水ならそう疲れることもなさそうですし」
セノアの後ろからのんびりと出てきたレイスンが、小杖で手のひらを叩きながら弄んでいる。
「さて、次はどうされます? まさか魔族ともあろう者が、手札はこれで終わりということもないでしょう」
ウィゴールは――こちらを見た。ガンズーを筆頭に、武器を構えて並び立っているこちらを。
そして噴水の向こうを見る。セノアとレイスン。魔族にも匹敵する、人類最高峰の術師ふたり。
「――総員止まれ! あそこにまだ魔獣が……あれは! 鉄壁のガンズー! 皆の者、ガンズーが戻った! 勇者たちが揃った! 恐れるものなどもう無いぞ!」
東側から、どうやらそちらの侵攻を片付けてきたらしい兵隊と冒険者の混成軍。先頭にいるのは領主ケルウェンだった。
口をぱかんと開けたままのウィゴールが、やはりそちらも見た。いくら魔族であっても、魔術が封じられてあの大軍を抜けられるだろうか。
最後にまたガンズーを見た。もはやその顔はただのトカゲ。それも、餌を食い損ねて死ぬ寸前の。
「ひゃあはあぁぁっ!」
「いい加減にしろこの野郎!」
空いているのは西側だけ。追い詰められれば当然そちらに逃げる。
アージ・デッソ総戦力に追い立てられる一匹のトカゲ。哀れ? いやぁ、害獣駆除は念入りにやんねぇと。
ただ、東西通りの西側は少々静かだ。被害もそこまで広がっていないように見える。戦力も他に残っていなさそうだし、もしも門の守りまで無くなっていたら逃げ切られる恐れもある。絶対逃がすな今潰せ!
心配は無かった。しっかり塞がっている。
通りのど真ん中、辺りに泥人形の残骸が散らばるその中心で、アノリティは皿を傾けていた。
その器にわんこそばのように鍋の中身をよそうベニーと、簡単に組んだコンロの火加減を見ているオーリーのおやっさん。
「どかんか貴様らぁぁぁ!」
皿から顔も上げずに振られたアノリティの拳が、ウィゴールを吹っ飛ばした。
「で、なにしてんだあんたら」
「……表が喧しかったんでな」
「それでなんで炊き出しだよ」
「だってアノリティちゃんがお腹空いたって言うんだもん」
「空いたのか」
「も」
「もじゃねぇよ」
リスみたいな頬をして自信満々にアノリティが答えたので、ガンズーはそれ以上なにも言わなかった。
改めて辺りを見てみれば、人形の残骸やらアンデッドやら、大小様々な魔獣やら百を下らない数が転がり、少なくない戦闘の痕跡。
さすがのアノリティでもこの数を片付けるには時間がかかる。もしかしておやっさんが手伝ったか。うわ見たかった。やっぱ寝てる場合じゃなかった。
それはともかく。
「手こずらせてくれやがって」
崩れた家の壁にへばりつくようにして横たわるウィゴール。意識はあるらしい。その目はこちらを睨みつけている。
斧ではなく、腰の剣を抜いた。また妙な仕組みで抜け出されても敵わない。確実にここで首を飛ばそう。
が、その手から黒い霧が漏れている。
この術はまさか、
「ふ、ふ、ふぁふぁふぁ、油断したのう。あまりばら撒きたくなかったが、もう形振り構わんわい。貴様らはともかく、後ろの連中はどれだけ耐えられるかの」
『鱗』の原型、人間を狂化させる術!
こいつ、人が集まるのを狙ってやがったのか!?
マズい、ケルウェンたちを、いや全員だ、下がれ――
「規定値を越えるイマジナリーコードを検出しました。一帯の清浄及び転換プロセスに移行します」
唐突に立ち上がった――皿を持ったまま――アノリティの胸部がひらく。
中央にレンズのような球体と、それを覆うプラグなんだか配線なんだか、とにかくよくわからない機構が覗いた。
そこへ向かって、周囲の空気が吸いこまれていく。
ウィゴールから放たれた黒い霧も全て。
ぱたん、と胸が閉じ、謎の空気清浄機は食糧庫へと戻った。
トカゲと目が合った。ただのトカゲ。尻尾を踏まれたような顔をしている。
「まだ他になにかあるか?」
「わ……儂を殺せば、魔王様が黙っては――」
「往生しろこのボケ!」
鱗に剣がこすれる硬い音と共に、トカゲの首が飛んだ。
風船から空気が抜けるように瘴気がぶわりと浮いて、ウィゴールの身体は萎れて崩れていく。
ようやく。ようやく終わったコンチクショウ。
散々手を焼かせてくれやがってああ疲れた。ていうかいっぺん殺されたんだそりゃ疲れる。自分でもなに言ってるかよくわかんねぇ。
ああ――やってやったぞバシェット。
「ガンズーさん」
ケルウェンの勝鬨に周囲が沸き、喧騒に包まれた。まだ街には魔獣が残っているかもしれない、まだ安心はできないぞと領主が続けてもなかなか静まらない。
そんな中を、ラダが静かに近づいてきた。
そうだ。こいつにバシェットのことをどう伝えたもんかな。いや、とりあえずは落ち着いてからで――
「終わっていないかもしれません」
小さく言った言葉に、思わず眉が歪む。遠くからミークがこちらに視線を寄越した。
「まさか、まだ裏があるってんじゃねぇだろな」
「都市同盟で調べてきたことです。地下教団がまだあったころ、裏で暗殺を請け負う商人の噂があったと」
「そんなもんでかい街にはちょくちょくいるじゃねぇか」
「その方法が、相手を半魔と化すという、呪術としか思えないようなものであったと。見知らぬ薬師の話もありました。教団はあの手この手を使っていましたから、それに紛れていたようです」
「それがこいつだろ」
「――その商人は、老人であるという話もあれば、若い男であるという話もありました」
「……マデレック……? と、若いっつったら」
「そして、肝要なものがひとつ」
「もったいぶんじゃねぇなんだよ!?」
叫んだせいか、トルムやセノアまでもこちらに寄ってきた。ラダが彼らを含めて辺りを見回す。
探したのは、別の誰かのようだ。
「……仕事を請けるかどうかは、まだ年少の少女が全てを決めていた。などという噂です。実際に会った者は見つけられませなんだが」
「しょうじょ、だと?」
「私の記憶どおりならば――都市同盟方面から最近この街にやってきて、且つ若い女性を連れていた者はひとりです」
都市同盟から。
最近この街に。
少女を連れて。
マデレックがいつだか言っていた。
あれは商売相手であると。
最近この街に現れた商人と言われて、ガンズーはマデレックを怪しんだ。
いたじゃねぇか! 最近来たのが! 正に目の前でアージ・デッソに入った!
喧騒の向こう、わざわざここまで追ってきた姿が見えた。
ダニエと、その肩を借りたドートン。
「デイティスはどこだ!?」