ニリアム/メイハルト
「東門が破られました! 土人形が百弱! 南と同規模です!」
「下水から現れた半魔とアンデッドの群れは東西通りで交戦中、南に手が回ってません!」
「南か東、どちらかが合流すれば現場の人員では対処しきれんぞ!」
「支部長! 南東区画から新手の半魔! 門を避けたらしい魔獣も混じって、大群になってる!」
次々と飛びこんでくる協会の職員。中には伝令役を買って出た冒険者も混じっている。
窓から煙の上がる街を見下ろすボンドビー支部長の腕に、血管が浮き出ていた。掴んだ窓の桟がみしりと音を立てる。
人は少ない。支部の人間は戦える者は戦いに、戦えない者も連絡に、住民の救助に避難誘導にと、最低限の数しか残っていない。
ニリアムも迎撃に出たかった。しかし所詮は下級冒険者止まりだった自分、その上、足に古傷がある。足手まといになるだけだ。状況の推移を、歯噛みして聞いていた。
唐突に各所から上がった煙に、アージ・デッソは混乱に陥った。
結界塔は建材に封鉄が用いられ、その結界には防衛の術式まで含まれている。魔術だろうが大砲だろうが、そう易々と崩れるような代物ではない。
その塔が落ちた。信じられない光景だった。
と同時に、街中やアージェ川の下水溝から魔物が出現した。半魔に、まだ人の形を保ったアンデッド。街道強盗のような服装をしていたらしい。
雨が続いていたのが幸か不幸か、往来に人は少なかったようだ。それでも若干の被害が出た。とはいえそれだけなら街の衛兵や冒険者だけでも対処できただろう。
魔物は示し合わせたように南門へ殺到した。急襲に為す術もなく、門は内から破られる。
誰も気づかぬうちに、外には大量の土人形が並ぶ。
他の三門も同様。なにかを嗅ぎつけたのか、野良の魔獣まで混ざりだしていた。
アージ・デッソは、包囲されていた。
「領主様には? あちらへ向かわせた者は戻ったか?」
桟をむしり取らんばかりに振り向いた支部長が、ひどく籠った声を絞り出した。
伝令の顔を見回す。おっかないな、と思いながらニリアムは答えた。
「――まだです。交戦地帯を挟んでいるので、難しいのでは」
「くうぅ……おのれ。現場の指揮に伝えろ! なんとかして魔物どもを通りから引き離すのだ! せめて中央教会には近づかせるな! 民の退避ができなくなる!」
伝令が駆けようと踵を返した途端、また別の者が戻ってくる。
ただそちらは、身体のあちこちを傷つけていた。戦闘の中を潜り抜けてきたようだ。
「し、支部長……」
「どうした!? 今度はなんだ!?」
「に――西門が、破られました。外に待機していた魔物が、全て街中へと……」
「バカな!」
他所ならいざ知らず、西門はそう簡単に破られるほど脆弱な作りはしていない。
二方向からの侵攻ですら手一杯だったのに、さらにもう一方から魔物が侵入してくる。
いよいよマズい。そんなことはニリアムでもわかった。
こんなとき、頼るべき者たちがいたはずだ。彼らはいったいどこに――
「支部長さん」
突然、室内に新たな声。聞こえたほうを振り向けば、窓の外から身を乗り出すようにする女がひとり。
夜閃のミーク。彼ら――勇者パーティがようやく現れた。
「ミーク殿! いったいどちらに!?」
「ごめんね支部長さん。後手になっちゃった。あたしたちの――ううん、あたしの手落ちだ。気付くこともできなかった。相手のほうが上手だったみたい」
時おり見かける彼女の様子からは想像できないほど真剣な様子。当然だ。自分だって彼女を出し抜くということがどういう意味を持つのか知っている。
「とにかく、北側は片付けてきた。群れを抑えてくれてる人たちには、なんとかそちらに押しこむように伝えてる。西側もアノリティを行かせたから大丈夫」
「おお、では――」
支部長が歓喜の声を上げると同時、かすかに窓の外が光った。ずどんと支部の建物が震えるほどの音と振動も。
落雷だ。雷とは街の中にそう都合よく落ちるものだったろうか。そんなわけはない。あれはただの雷ではない。虹雷だ。
「固まってる奴らは心配ない。でも、魔物は街中に散らばっちゃってる。あたしもできる限り狩って回るから、余裕のできた方面から人を回して。それと」
「は、なんでしょう」
「西門は、中から開けられた。魔物は到達してない。もしかしたら東もそうだったのかもしれない」
ぐ、とニリアムは唾を飲んだ。おそらく、ボンドビー支部長も同じ反応をしたと見える。
「誰か内通をしてる奴がいる。あたしの網に引っかからない奴が」
内通者が魔物を誘導したことで陥落の憂き目にあった城なんかの話は昔話でも聞いたことはある。だが、はたしてこの街にそんなことをする価値などあるのだろうか。
なんにせよ、先日からの雨のおかげで直近の人の出入りは少ないはずだ。もしかして、以前から忍びこまれていたのだろうか。
「逃げられなくなってる人が大勢いるから、そっちを優先して。最悪、魔物の群れはあたしたちに任せていいから」
「お願いね」と言って、彼女は雨粒の名残りだけを残して消えた。そしてまた、雷光が近くで閃く。
勇者パーティはとうに動いていた。魔物の主力はほどなく無力化させることができるだろうとは思う。
だというのに、嫌な空気が払えない。
支部長は拳を机に押しつけ、険しい面持ちで黙っていた。言葉をかけるには憚られる。ニリアムも黙るしかなかった。
すぐ近場から、戦闘の音が聞こえる。それと、狼の――というには、やたら野太く重い――遠吠え。黒狼まで入りこんでいるのか。
せめて彼ら勇者たちも、全員が揃っていれば。
そんなことを考えてしまった。
◇
力尽きたように倒れ伏した男を見下ろす。
呼吸はしていない。どうやら鼓動も止まっている。まさかとは思えど、恐ろしさもあったので触れてまで確認はできなかったが。
ともあれ、まあ、死体だ。もしまだ死体でなくとも、このままならすぐに死体になるだろう。
あっけなくも感じるが、人間ならこんなものだ。
メイハルトは鼻頭に溜まった水滴を吹き飛ばすように嘆息した。諦観やら残念やら、嘲笑やら安心やら、なんのための溜息か自分でもわからない。
タンバールモースから少し離れた街道のど真ん中。
鉄壁のガンズーは這いずるようにして死んでいた。
身体を這わせた跡を辿れば、巨大な穴。人がひとりすっぽりと落ちてしまいそうな穴が地面に空いている。どこまで続いているか覗いてもわからない。少なくとも簡単に出られる深さではない。
どうやら彼は埋められた――というより、沈められたようだ。魔術だとは推測できるが、さて、この男が脱出困難になるほどに沈めるとなると、考えるだけで恐ろしい使い手ということになる。
それでもここまでは出てきた。やはりこの男もとんでもない。
が、人は息ができなければ死ぬのだ。息が止まれば脳が死ぬ。脳が死ねば人は死ぬ。当たり前の道理だ。
この這いずった数歩分だけ道理を捻じ曲げたわけだし、あまり常識で考えても仕方ないかも。メイハルトはもうひとつ息を吐く。
鉄壁のガンズーという男に特段の思い入れは無いものの、少々もったいないような気もする。
想像よりもちょっとは頭が使える人間だったようだし、害になるほど冴えているわけでもない。個人的には好感を持って相手してもいいと思える人間だった。少なくとも同僚の太い神殿騎士よりは与しやすい。
ふむ。となるとちょっとは残念だったのかな。などと自嘲した。
まあ、彼のことはいい。自分は仕事をするだけだ。
ガンズーの道具袋を、慎重にひらく。命の気配は無いというのに、突然腕を掴まれてもおかしくなさそうだ。
雑多にあれこれ詰めこまれた中から、目的の物を発見した。
油紙に包まれた茶色の欠片。やはり後生大事に持ち歩いていた。
彼らが回収したという話からここまでようやくこぎつけた。この男がもう少しバカであれば、ウルヴァトー山の道中で楽に仕事を済ませられたろうに。
原理派の連中はこれが大いに役立つと考えているようだが、メイハルトは無理だろうと予測している。
そもそもあの亜竜飛翔体の解析すら遅々として進められない者たちだ。こんなものを手に入れたからといって、進展などきっと無い。素直にダンドリノから技術を買えばいいだろうに。
カウェンサグ男爵が言うとおり、クーデターなどうまくいくわけがないのだ。
とはいえ、自分は命じられた仕事をこなすだけである。
生まれた家に都合があっただけで、メイハルト自身は正道だろうが原理派だろうが、そもそも七曜教自体がどうでもいい。いっそ謀反でもなんでもやって、全て崩壊してくれたっていいと思っている。
そう考えると、あの少年は自分よりもよほど立派かもしれないな。そんなことを思う自分が意外だった。
男爵に連れられていった少年の姿を思い出す。あの子供がどうなるのか興味が無いと言えば嘘になる。
そして――あの子はこの男が死んだと知ったらどう思うだろう。しかも、自分と別れてすぐに。
ちょっと気分が悪いな。やはり自分の頭に浮かぶ言葉が意外だ。どうもそれなりに動揺しているのかもしれない。よくないことだ。
なにはともあれ、目的の物は手に入った。帰還――
……まあ、彼も未練だろうし、逃がしたらしい子供の安否くらい確かめてやろうかな。
ガンズーを屠るような相手に出くわしてはたまらないし、なるべく遠くから。
そんな気紛れもたまにはいいだろう。そうメイハルトは決めた。
と、油紙をまた丸めようとした時だった。気配は無い。
感じられるものなどなにも無い。ただ、雨音も立てない霧雨の中に、ほんのかすか水を弾いたような音――とすら言えない直感。
手を離した。当然、油紙は落ちる。
そこを、鋭い銀閃が通り過ぎた。
投擲。なにかわからないが、鋭利な刃。
身を滑らせながら剣を抜き、なにかが飛んできた方向へ顔を――
「【暗霞】」
詠唱が聞こえたと同時、辺りが暗闇に包まれた。いや、おそらく自分の周りだけが。
近くにいる! 神殿騎士の中でも感知能力において自分を超える者などいない。だというのに全く気配を読めなかった。強い。その上、魔術まで使う。斥候か野伏か、あるいは暗殺者か。
だが問題ない。
「【青刻】!」
この魔術剣は、マナの流れを切り裂く。月銀の刀身ですらあまり使い過ぎると簡単に劣化してしまうが、光の遮断くらいならいくらでも無効化できる。
剣を振るつもりで――突然、握力が消えた。それと激痛。手の甲や腕になにかが突き刺さったのがわかった。
放り出しそうになった剣にどうにか片手を添え、斬り上げる。
きん、と甲高い音。
暗闇は確かに晴れた。が、その視界の中で、己の剣が半ばから断たれている。
「なるほど。神殿騎士でも詠唱は飛ばせないのですか」
声だけが耳に届く。後ろに回りこまれた。速い。
「いいね。こりゃ自信がつく」
メイハルトは、短くなった剣を背後へ薙ぎ払った。