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フロリカ/ステルマー

 この人はもしかして、存外に弱い人なのでは。

 縮こまって情けない心情を吐露する姿に、そんなことを思ったのを覚えている。


 正直なことを言えばフロリカからガンズーに対する第一印象は、きっと粗野で乱暴な人なんだろうなぁ、子供たちとはあまり接してほしくないなぁ、だった。

 なにせでかい。身体のなにかしらがでかい人間はどこか適当だったり雑だったり抜けていたりするのだ。自分がそうだからわかる。すでにこれが完全に偏見なあたり、それほど間違っていない気がする。

 彼はもう、なにもかもでかい。見上げなければその顔が見えない。子供どころか自分でも肩に座ることができそうだ。


 それが案外おとなしい。冒険者らしい大雑把なものだが、敬語らしきものまで使っていた。あの恐ろしい我らが院長のことだから、失礼な物言いがあればぴしゃりと言ってしまうのではと思っていたが、そんなことはなかった。

 こんな人もいるんだなぁ、と感心したし、結局その後はまたも世話になってしまったし、略式葬において自分と同じ目の潤ませ方をしている姿に、彼に対する見方はすっかり変わった。


 どうやら偏見もそう外れていなかったようだ。

 油断したらすぐに院の子供たちを餌付けしようとするので、いつのまにか彼を叱る役は自分になってしまった。

 ノノに対してもその適当さでもって大いに贅沢をさせていたらしい。日に日に血色が良くなり肉づいていくその子を見る度に、いいことなんだけど、今はそれでもいいんだけど、と思わずにはいられない。

 なにやら自炊の道を模索しているというこぼれ話を聞き、想像してニヤついてしまったこともあった。似合わない。


 実のところ身体を見られたことはあまり気にしていない。

 考えれば顔が赤くなるのは自覚しているし、これは自分の性質なので仕方ないとも思っている。

 ただそれ自体は、院の子に見られるのと大差が無いと考えていた。短い付き合いでも、彼が割とアホの子だというのはわかっている。八つも歳が上らしいのに、年下の悪ガキを相手にするような気持ちになっていた。


 だから時おり見せるやたら落ち着いた表情が、ちぐはぐに感じられて不思議だったのだ。


 ただ、なんとなくその違和感に、朧気ながら答えも見えた気がする。

 鉄壁のガンズー。あの人はきっと、本当はもっと違う性分を持った人だったのではないだろうか。

 恐れも後悔も人一倍に感じるような、ごく普通の人。

 力も身分もあるのに、わずかななにかを失うことがとても怖い。


 頑張る、と言っていた。なにかはわからないけど、頑張る。

 もしかしたらあの人は、ずっと――ずっと頑張り続けている。

 鉄壁のガンズーを続けている。


 鉄壁のガンズーは負けない。

 かけがえのない大切な仲間と共にあろうと戦う。

 弱き人たちのために自分の身を呈して戦う。

 小さな命のために戦う。


 全てを守る。守ろうとしたがる。

 誰がそれを彼に課したのかはわからない。自身だろうか。理由など無いのだろうか。

 いったい、いつからそうしているのか。


 強いガンズー。怖いガンズー。優しいガンズー。泣き虫のガンズー。

 どれが本当の彼かといえば、きっと全て彼自身には間違いない。

 ならば、あのガンズーは誰だ。あの弱いガンズーは誰だ。


 あの姿を、また見せることはあるだろうか。

 できれば遠慮なく見せてほしい。


 きっとそう思った時に、自分の恋は確かなものになったのだ。






 走る。雨に濡れた道を走る。

 修道服の裾が足にまとわりつく。煩わしい。それでも走る。

 それなりに体力はあるほうだという自信があったのに、子供を抱えてとなるとやはり厳しい。けれど走る。


 ただただ必死にフロリカは街道をひた走っていた。左手に森の端が少しずつ近づいてきている。アージ・デッソまで、もう間もない。

 胸の中で、ノノはずっと肩に顎を乗せていた。駆けてきた道、その向こうをひたすら見つめているようだ。その先にはガンズーがいる。


 ガンズーが負ける、とは思っていない。たとえ魔族が相手だろうと、たったひとりだろうと、負けやしない。だってここにノノがいる。

 だがあの魔族の得体が知れないのも事実だった。なにが起こるかなんてフロリカには予想すらつかない。

 少なくとも追ってきてはいないが、だからといって気軽に構えることなどできはしなかった。


(誰か――誰かに伝えないと! ガンズー様が戦っている!)


 アージ・デッソへ急げ。誰かに助けを。

 誰だ? 領主? 院長様? 冒険者協会の人か?


(トルム様!)


 いいや、あの街には勇者がいる。ガンズーの仲間がいる。

 彼らに伝えれば、きっとなんとかなる。


 街道の石板が滑った。あまりに気が急いていた。前方へ飛びこむように身を投げ出してしまう。

 手は使えない。うつ伏せに倒れるわけにもいかない。胸に抱いた子供を守らなければ。


 どうにか肩を捻った。背中から落ち、水溜りが跳ねる。

 慌てて半身を起こした。ノノは――無事のようだ。


「ノノちゃん、ごめんね。大丈夫?」

「だいじょぶ」

「よかった。もうちょっとだから、頑張ろうね」

「……だいじょぶ?」


 気付かなかったが、服の肩口が少し裂けていた。血も少し。それを見る自分の顔に髪がかかる。どうやら頭も擦ったか、頭巾の感触が失せていた。

 眉に水滴。暖かいということは、雨水ではない。が、気にしない。


「大丈夫。お姉ちゃん頑丈だから」


 背中をばっさり斬られたって生還したのだ。これくらいで泣き言なんて吐いてはいられない。


 立ち上がり街の方角へ振り返る――直前、遠くに小さな影が見えた気がした。視線を戻す。街の反対側、ガンズーが残った方向。

 霧雨の向こう、確かに人影。


「ガンズー様――?」


 ――ではない。

 距離が離れているからはっきりしないが、ガンズーではない。影は細い。

 そして――速い!


 フロリカは呼吸も忘れて走った。ノノをきつく抱きしめて走った。

 ゴミ処理場の遠景が視界に入った。もうアージ・デッソの南門はすぐそこだ。


 馴染み深い街の姿が見えて――


「え?」


 南門は開け放たれ、幾筋もの煙が上がっている。





 冒険者協会から報せを受けた主は、商工会との打ち合わせもほどほどに鉄壁のガンズーを迎える準備を進めることにした。


 勇者パーティの助力もあり、奥様の様子も少しずつ落ち着きを見せ始めている。先日など、主のみならず自分にまで労いの言葉をかけていただいた。久々に名前を呼ばれ、思わず感激してしまうところだった。

 ケルウェンという男にも仕える家自体にも、それほど肩入れをしないつもりで働いていたはずだが。

 案外自分も気が軽い。ステルマーはそんなことを思う。


 ともあれ、主は今度こそガンズーを正式に晩餐へ招こうと考えている。当然その手配は自分がしなければならない。

 彼が、領主家とはほどほどの付き合いにしたいと考えているのはわかっていたので、個人的には長旅のあとくらいしばらくほうっておいてやればいいと思うが、感謝を伝えたいという主の気持ちもわかる。

 まあ、子供が寝る時間にはお開き、と言えば応えるくらいはしてくれるだろう。あの男は話せばわかる男だ。


 彼らは今、タンバールモースにいるのだという。この雨に邪魔されたようだ。直近の状況を考えると少々歓迎できない事態だが、下手に騒ぐようなこともありはすまい。

 協会からの報告に若干不自然なものを感じないではなかったが、多少の問題くらいなら協会が、あるいはガンズー自身が自力でなんとかするだろう。街同士の関係にさえ影響しなければそれでいい。というかこちらは忙しい。


 少なくとも、虹瞳を無事に送り届けるという仕事は達成したというのだから、こちらとしてもあとは彼らの帰りを待つだけである。

 残りふたりの虹瞳までついていったと伝えられた時はまさかと思ったが、それ以外には特に問題も無い。勇者パーティと修道院のあいだでなにか長い話し合いがあったようだが、些事だろう。


 そんなわけでステルマーは、街の外壁を見回っていた。この雨で脆くなった部分も出たかもしれない。ようやく雨音も静かになってきたので今の内に、という命だった。

 自分が直に回らねばならない仕事だろうか、と思ってしまうが、初めてあたる仕事はまだしばらくのあいだ直接に出向かねばならない。なかなか疲れる。


 アージ・デッソの外壁はそれはもう簡素なものだ。

 はっきり壁だと自信を持って言えるのは西側くらいだろう。あとは適当に切り出した岩を重ねただけだったり、ただの木柵だったり、そもそも途切れてたりする。タンバールモースのものとは比較にならない。

 さすがは冒険者の街だけあり、結界の維持に使われる核石も質のいいものが使われるので外敵に困ることはほぼ無いが、もう少しこう、なんというか。


 もし稟議を出せるようになったら建築計画を申し出てみようか。せめて外から見て恥ずかしくないような外壁を。


 つらつら考えながら外周に沿って歩いていると、向こうからなにかごちゃごちゃ言いながら走ってくる男女がいた。

 痴話喧嘩かなにかか、と考えたがちょっと趣が違う。似た髪色に似た雰囲気。血縁か。さらに言えば走る速度がずいぶん早い。冒険者のようだ。


「ダニエよー。雨だっつーのになんで俺まで付き合わなきゃなんねーのかねー」

「うっさいドートン。あんただってちょっとサボり気味だったでしょ知ってんだからね。もうすぐガンズー様帰ってくんだよ怒られるよ」

「へーへー。にしたってお前しばらく他のことしてたのに急にどしたんだよ」

「しょうがないでしょミーク様いっつも急なんだもん。なんとかしてもうちょっと走力つけないと」

「今度はなにやらされんだ」

「……王都まで行くかも」

「うおマジかよいーなー。俺らも連れてってくんねーかな」

「……走ってだけど、来る? 零泊三日くらいだってさ」

「……頑張ってね」


 ふたりは前を見ずに走っているので、ステルマーには気付いていない。避けないつもりで真っ直ぐ向かっていく。人に道を譲るのは嫌いなのだ。

 が、あれこれ話をするまま、彼らはあっさりと道を遮る自分をかわしていった。こちらに目を向けてはいないはずだ。

 冒険者。やはりこれくらいのことは容易いのだろうか。若いというのに。


「君たち、ちょっとすまない」

「あん?」

「あ、領主のとこの家令……様」


 驚いたことに少女のほうは自分のことを知っていた。まだ家令になって間もないので、面識のある冒険者など鉄壁のガンズーと、あとは協会の職員くらいのものなのだが。

 目端の利く者なのかもしれない。これは案外期待できるかも。


「君たちどうやらここを走る修練でもしているようなので、それなら聞きたいと思ったのだ。今、外壁の修繕箇所を調べている。気になるような場所は無かっただろうか」

「うへー。この雨ん中で? 貴族の家の人もけっこう大変っすねー」

「なるほど外縁ですか。うーん、そうですね――」


 こことこことあそことあそことあっちとあっちと。

 少女はやたらこと細かく教えてくれた。ステルマーがここに来るまでに見てきた場所も含まれている。

 適当に言っている、というわけでもない。こちらの調査と一致する箇所もあればおそらく脆くなりやすいだろうと予測していた箇所もある。

 よく見ている。何者だろうか。もはや街の端から端まで把握しているような口ぶりだった。


「つっても、最近は街の近くまで魔獣が寄ることも少なくなったじゃないっすか。壁や柵なんて急ぐ仕事っすかね」

「体面もある。外から来る者が街に不審を感じても困るだろう」

「なるほどねー、そういうのもあんのか」


 大きな体躯の少年が腰に手を当てながら上空を見上げた。その向こうには、結界塔の頭が見える。


「あれもあるからいらねぇんじゃねぇかと思ってたけど。まぁ、街ん中もまるきり安全ってわけじゃねぇし、用心に越したこたぁないか」

「それはそうだ。もし結界が解けてみろ。最後に頼りになるのは防護壁だよ」


 彼と同じくそちらを見上げる。


 と同時に、結界塔の天辺が爆散した。

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