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鉄壁のガンズーとトカゲ

 おうあんたも元気だったか爺さん。

 という万感の思いを込めて、ガンズーは斧を振り下ろした。

 街道の石板が叩き割られ、盛大に破片が散る。あとでここを通る者には悪いことをした。


「おお、物騒じゃのぅ。か弱い老人になんてことするんじゃ」


 頭を撫でる姿勢のまま、ウィゴールは数歩ほど離れていた。爺の癖にすばしっこい野郎だ。

 だが確かに奴は自らの足で飛び退いた。はっきり見切れる程度の動き。妙な術なんかの様子も無い。

 殴れば倒せる相手。少なくとも、今のところは。


「わざわざまた出てきてくれてありがとうよ。死ね」

「せっかちな男よ。対話の精神っちゅーもんは無いんかお主には」

「話なんかいくらでも聞いてやるよ。頭かち割ってからな」

「おっかないやっちゃなぁ。もっと心にゆとりを持たんといかんぞ」


 からから笑いながら説教でもするように老人は杖を振る。

 気配は人間のものだ。それは先に会ったときから変わっていない。見た目もただの爺にしか見えない。


 だというのに、下手に動けなかった。できることなら、最初の一撃で終わっていてほしかった。

 嫌な予感。嫌な気配。

 そりゃそうだ。ただの爺なわけあるか。なにをしてくるつもりだ。


 悔しいが、まず口を動かした。慎重に相手の出方を窺う。なにせ後ろには、ノノとフロリカがいる。


「それで? 今度はなんの用だ? あのなんとかって金属ならここには無ぇぞ」

「あれなぁ。いやー、勿体ないことしたわい。本当ならこの辺の街くらい叩いて潰しちゃろうかと思っとったんだがのう。ほんと大したモンじゃお前さん。今から取りに行くにも鳥小屋の連中を相手にするのはしんどいしの」


 鳥小屋? 神殿か、あるいは七曜教会のことか? 源泥(アダマ)はたしか教会の連中が回収したはずだ。


「あいにくだったな。あそこにバシェットがいたのを恨め」

「ほんになー。まったくマデレックめ、選りによってあんな輩を残さんでもよかろうに。無駄な苦労をさせられるわい」

「やっぱ、『鱗』とかいうあの薬を作ったのてめぇか。それをあの商人にバラ撒かせてた。領主んとこに潜りこんだのもお前だな?」

「りょうしゅ? 領主……おお、そういやちょいと宿代わりにさせてもらったの。あの薬もなぁ、まだまだ改良の余地があるんじゃ。試作品の試しにもちょうどよくてな。あの人形(ゴーレム)はそれの賜物でもあったっちゅーのにまったくもう」


 どこか自信あり気に語るウィゴール。

 その表情に、なにかしら思惑があるようには見えない。


「……ずいぶんベラベラ喋りやがる」

「先々で邪魔してくれよったからなぁお前さん。時間も無くなってきたしとっとと済ませようと思えば、それもダメときた。降参じゃよ降参。だからその礼みたいなもんじゃ。交渉をするなら真摯にするのが作法じゃろ」

「交渉だぁ?」


 ぶらぶら適当に振っていた杖を、こちらへ向けた。ガンズーを越えて、その背後へ。

 そこには当然、フロリカに抱えられたノノがいる。


「その子、くれんか?」

「――あ?」

「くれ」


 …………

 こいつが虹瞳を狙っていることはわかっていた。だから、その要求が出てくるのもわかる。

 まあ、うん。わかる。不思議なことじゃあない。


「……まさか『くれ』で通ると思ってんじゃねぇだろな」

「そうは言うが儂も困っててのう。やっぱり男より女がいいらしいんじゃよ。もうひとりおったが、あれはちょっと育ち過ぎじゃな。それくらいがギリギリなんじゃよなんとかお願いできんかのう」

「な、なにが目的ですか!? ノノちゃんをどうするつもり!?」


 耐えかねたようなフロリカの声。ダメだ、あまりそちらに意識を向けさせるわけにはいかない。

 だがウィゴールは、朗らかに笑った。孫娘を相手にする爺の顔だ。


「なにってお嬢ちゃん。虹瞳の行く先はひとつじゃろ」

「また魔物にでも売り渡すってか? 金が欲しいってふうにゃ見えねぇけどな」

「売るぅ? なんでわざわざそんなこと。ちゃんと自分で運ぶわい」


 運ぶ。

 魔物が集めた虹瞳の行き先は、カルドゥメクトリ山脈の最奥、魔王境界。

 例えば魔王への恭順を示す人間でも、その奥へ進めるような者はいない。


 できるとすれば――


「――人間に見えるけどな」

「こうでもせんと煩くてしょうがないからのう」


 言って、目を笑みの形にしたまま大きく口を開けるウィゴール。顎が外れて、千切れるのではないかというほどに。


 ぬるり、と喉奥からなにかがせり出した。

 灰色じみた光沢のある鱗模様。人間の頭から、人の頭ほど大きいトカゲの顔が飛び出している。


 魔族。


「そりゃそうだろうよ――!」

「が、ガンズー様……」


 かすかに震える声と共に、腕を掴まれた。魔族の姿を目の当たりにして、フロリカはガンズーの背に隠れるようにしている。

 ノノと目が合った。いつもの無表情。奇妙なトカゲを一瞥して、またこちらに視線を戻した。

 おう。大丈夫だぞ。魔族なんぞちょちょいのちょいだ。


「ああ、心配せんでええぞ。この辺でこれができるのなんぞ儂とあやつくらいのもんじゃ。誰でもできたら人間なぞ残らんわなぁ。ま、ウークヘイグンの坊主は無理やり結界に入りこんだようじゃが。無茶しよるのう」


 老人の口から顔を出したトカゲが、これまでと同じ声音で喋る。爬虫類の眼がやはり笑っているようだった。

 ごくん、とトカゲが体内へ潜っていく。あとにはまた、のんびりした顔の爺が残った。


「さてどうじゃ? こんだけ手ぇ晒すことなぞそうそう無いぞい。ちょっとくらいお願いを聞いてくれてもいいと思うんじゃが」


 ウィゴールはわざわざ手を擦りながらこちらを見上げてきた。

 どうやら、彼としてはかなりの譲歩、相当の大サービスをしたらしい。


「……ノノを渡して、こっちになんか得があんのか?」

「ガンズー様!?」


 驚くフロリカに、軽く手を上げて抑える。ノノ当人といえば、平然とした顔でやりとりを聞いていた。


「そうさなぁ、うーん。そうさなぁ。ああ、これならどうじゃ。あとふたり虹瞳がおったろ。あれにゃ手を出さん。手を出させんようにしちゃろ」

「ふーん。魔物に言うことでも聞かすのか?」

「兵隊に儂の言うことを聞かん者などおらんわ。そのくらいは容易い。周りの人間も安心じゃなぁ」

「ノノはどうなる?」

「マナーのなっとらん下っ端のせいで勘違いされとるが、儂らは違うぞ。食いも死なせもせん。悪いようにはならん。むしろよい生活かもしれんな。飯もうまいし、歳が近いのもおるから寂しくもなかろ」


 うんうんと頷きながら言う老人に、こちらも適当に首を振った。


「へーえ、そうかい。だってよ、ノノ」

「ふーん」

「行きたいか?」

「ちょっとたのしそう」

「マジかよ」

「うそ」


 ちょっと本気でビビったガンズーだが、ひとつノノの頭に手を置くと、勝手な期待をしているウィゴールに向き直った。


「悪いな。交渉決裂だ」

「いい話じゃと思うんだがのう」

「お前さんよ、兵隊に、って言ったな。野良の魔獣は? 人間にも虹瞳を狙うような奴ぁいるぞ?」

「そこまでは面倒みきれんなぁ」

「その下っ端だかが持ってった虹瞳はどうなった?」

「食ったか取りこんだか、どっちかじゃろな。儂ゃ知らん」

「歳の近いのがいるってことは、他からも集めてきたわけだ。どうやった?」

「そりゃ色々じゃ。邪魔が入ることもあったでな、苦労するわい」


 なるほど。

 大きく息を吸った。吐いた。少し傾げた顔に、霧雨が当たる。

 心を落ち着ける。あまり効果は無かったが、肺の中が冷えてくれたおかげで頭も冷えたような気もする。


 要するにこいつは、


「――寝ぼけたことぬかしてんじゃねぇぞクソ爺」


 徹底的にナメたことしか言っていない。

 まともに交渉するつもりなど無いのだ。語ったこと全て、今この場で気の向くままに並べ立てただけにすぎない。

 そもそもこいつのやってきたことからして人間の命など屁とも思っていない所業だ。なにが対話の精神だクソッタレ。結局のところ、ただ面倒になって正面から来ただけじゃねぇか。


 やっぱり頭は冷えなかった。血管が切れそうになる。

 こちらも交渉する気など毛頭なかった。なにがあろうと許すつもりは無い。断固としてぶっ飛ばす。


「フロリカ。行け」

「――え?」

「こんなのでも魔族だ。守りながら戦えるかわからねぇ。アージ・デッソまではもうそう遠くない。走れ」

「で、でも」

「ノノを頼む」


 大斧を構えた。ウィゴールは笑顔を崩さないままだが、その目はつまらないものでも見るように淀み始める。

 魔族が放つような圧倒的な威圧感も感じない。瘴気が漏れたりもしていない。

 なのに、空気だけが重くなっていく。


 きゅ、と鎧下の裾を掴まれた。ノノが唇を尖らせている。


「だめ」

「……すまねぇノノ。すぐ追いつく」

「ガンズー様、私は――」

「頼むフロリカ。行け」


 フロリカの逡巡は終わらない。終わらないが、一歩だけ横へ足をずらした。ノノの手が離れる。中空を泳ぐように掻く。


「行けぇ!」


 ガンズーは叫んだ。

 追い立てられるように彼女が走る。ウィゴールの横を大きく迂回するように。


「おいおい、そういうわけにはいかんぞ――」


 そちらへのんびり手を伸ばそうとする老人。

 その手へ目掛けて最速で踏みこむ。斧を落とすように。


 軽い感触と共に、枯れ木のような腕が飛んだ。

 衝撃は少ない。血も少ない。そして、ウィゴールの反応も少なかった。ひょいと跳んで離れただけだ。


 フロリカの背が離れていく。嫌なところを見せずに済んだ――とはいかなかったようだ。肩越しに、ノノがこちらを見ていた。

 小さな手が、ガンズーへと伸ばされている。


 大丈夫だすぐ追いかける。一緒に帰れないのは残念だけどな。


「ありゃまぁ、足の速いお嬢ちゃんだ。こりゃ追いつけんかもなぁ」


 片腕の先を空にした老人が、街道の先を眺めてぼんやり呟いた。


「おうとも追いつけねぇぞ。ここでぶった切られるんだからな」

「酷いことするもんじゃなぁ。年寄りを労わらんかい。こっちの都合も知らんと好き勝手しおって」

「どの口がほざいてんだ」


 ふえぇえ、とわざとらしい溜息を吐いて、ウィゴールは失った腕を軽く振った。

 その先に一瞬で新たな腕が生える。ただし、鱗に覆われた。


「まぁ、ウークヘイグンのことが無くともわかっとったこっちゃ。お主が邪魔になるのはな。あるいは勇者トルムだかいう小僧よりも厄介、と言うとったのは本当じゃったかもなぁ」

「へぇ」


 こちらを見ようともせず、空に向かってからから笑うウィゴール。

 余裕ぶったその態度が気に入らない。

 だからガンズーは、ためしに言ってみた。


「そりゃ、『ガラジェリ』って奴に言われたのか?」


 笑い声が止んだ。

 中身がトカゲだろうと、その顔は人間のもの。

 しかし限界まで見開かれた彼の目は、爬虫類のように瞳孔が細まった。


「――なぜ知っとる」

「さてな」

「……やはりおっかないのう、異邦人は」


 爬虫類の目をした男が、ただぶら下げるままに持っていた杖を地面に突き刺す。


「とっとと去ね」

「てめぇがな!」


 叫び返しながら、裂帛の気合を込めて踏みこんだ。


 はずだった。

 踏みこんだ足先から届く感触が、ひどく脆い。つんのめるように前傾した。

 目の前に映る自分の足は、地面の中へ大きくめり込んでいる。

 急いで引き抜こうとして――反対の足も踏ん張りが効かない。


「――あの練土使いの嬢ちゃんがいないのは不運だったのう」


 顔を上げた瞬間、さらに視界が下へ落ちる。腰あたりに、冷たい感触。


「どうもナメられたと思っとったようじゃが……ナメるに決まっとろう。儂を誰じゃと思うとる」


 ずぶり。また落ちる。肩が冷たい。

 しゃにむに斧を投げつけた。腕の反動だけで飛ばしたが、それでも十分な加速と回転で放たれた超重量の大斧。

 間欠泉のように噴き上がった土に、あらぬ方向へ弾き返された。


「偉大なる魔王様の近侍ぞ。獣魔にも劣らんわい。こっちこそナメてもらっては困るというもんじゃ」


 ガンズーはなにか、罵倒でもしようか、あるいは唾でも吐こうかとした。

 だがその前に、冷たい土の中へ頭が沈み――

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