鉄壁のガンズー、男
アルストラ・カウェンサグ。言われてみれば、アスターと似ているような気もするし、髪の色も同じだ。名前もおそらく、母親が名残りを持たせたかったのだろうということがわかる。
でもダメだね。アスターはこんな冷たい面倒くさそうな目なんてしないね。この子は優しい奴なんだ。似ても似つかないね。
彼の後ろに並ぶ従者の中からひとり、こちらへひらひらと手を振る男がいた。軽鎧の優男。
メイハルト・ナーサレム神殿騎士。亜竜退治の帰りに姿をくらまして以来だったが、なにしてんだこんなとこで。いや、タンバールモースにいるのは当然だろうけども。
「それはなんだ?」
カウェンサグ男爵はアスターを見下ろすまま、顎を少し揺らす。示したのは我が子が宝物のように抱える斧であったらしい。
その子は父親へ視線は返したが、答えはしなかった。
「まあいい。アージ・デッソの院へも早急に連絡せんとならん。来い」
「待て、待て待て男爵殿。この子も疲れておるのだ。そう急かんでもよいではないか。もっと順を追ってだな」
「カノルコ卿。これは家の問題だ。余計な口出しは無用」
「それはわかるが、お子のことも考えてだな」
「これの父親は私だ。考えるのは私だ」
思わず――本当に反射的に――ガンズーは笑った。鼻からくぇーと謎の音が出ていった。
「お前が父親?」
これも意識せずに言った。もうちょっと穏便に行くつもりだった。
無理だった。
「てめぇのガキ、魔物に売る父親がどこにいんだよ」
ガンズーが知っている限りでもふたり。ここにひとりと、アージ・デッソにひとりいた。実際、もっといるのだろう。
許さん。存在すんなそんなもの。
男爵がこちらへ顔を向けた。特に気を害した様子も無い。いまいち感情の見えない視線を寄越してくるだけだ。
「鉄壁のガンズー。我が子が助けられたと聞いた」
「てめぇでやっといてなに言ってやがる」
「私は下の者に処理を頼んだだけだ。行き先など知らん」
「ぬけぬけとこの――」
「今回の働きにも感謝しよう。とはいえ、素直に引き渡してくれていればこれほどの騒ぎにまでならなかったかもしれんがな」
「やましいとこあっからコソコソ探しに来たんだろうが」
「交渉のため差し向けたに過ぎん。君たちがこれを逃がそうとするほど入れこんでいるとはな」
自分の子を「これ」とか言うんじゃねぇスッタコ。
「お前のところなんかに行ったら、なにされるかわかったモンじゃねぇからな。次はアスターをどこにやるつもりだ?」
「どこにもやらん。カウェンサグを継ぐに必要な教育をする」
「弟はどうする。またガキができたらどうすんだ?」
「また家を出てもらうかもしれんな」
殴ろう。そう決めた。
せーの、まで力を込めたが、アスターが声を上げるほうが早かった。
「あ、アロトはどうする――の、ですか?」
切羽詰まった顔をしている。アロト、とは彼の腹違いの弟のことだろうか。
父親はなんということも無いように答えた。
「お前次第だ」
その弟は喋ることができないのだという。
実の子を無用となれば捨てた男である。家の役に立たないとなれば、さてその子をどうするだろう。
やっぱりここで殴ってカウェンサグ家には没してもらったほうがいいような気がしてきた。
「ところで、結局のところ君はなんだ?」
「あ?」
「これの、なんだ?」
「だから、俺はそりゃ、アスターの――」
「君が身請けしたのはそちらの虹瞳だけだと聞いている。これの扱いについてなにか言うことがあるのか?」
あるに決まってんだろ。そう言いたいが、口に頭が追いつかない。
目の前にいるのはアスターの実の父親。どれだけクソ野郎でも、そこだけは変わりがない。
あくまで他人でしかないガンズーに挟む口は――挟む口は……いややっぱある絶対ある誰がなんと言おうともある!
「ノノ! アスターも一緒に暮らすぞ!」
「んん……んー?」
「フロリカ! 院にゃ悪いが、今後はこの子も俺が面倒見る!」
「ええ!? が、ガンズー様、あの」
「アスター! 家はちょっと狭いが、大丈夫だ! いざとなったらお前の部屋だって作ってやる! だからこんなトコにゃさっさとおさらばして――」
「ガンズー」
頭から煙を吹きそうになっているガンズーに、アスターは静かに言った。
「ありがとう」
頬に力は入っていない。虹の眼がこちらを見据える。
「もういいよ」
彼は少し、迷うように逡巡してから、また顔を上げた。
「騎士のおじさん」
「お、おじ――私はまだそんな歳ではないのである! お兄さんと呼んでほしい」
「おじさん。神殿騎士になったら、強くなれる?」
「ぬうう……ま、まぁそりゃ強くなるぞ。というか、強くなければなれんからな。心技体が揃い、魔術の研鑽を重ね、神とその教えに真摯でなければいけないのだ。狭き門だ」
「偉い人になってもできる?」
「ん? あぁ、なるほど。それは問題ない。私も警邏隊長を兼任しているし、かつては領主家から神殿騎士を兼任する者もいたのだ。むしろそうなれば、この男爵殿なぞ目ではない箔になるというものだな、わはは! おっと失礼」
「そっか」
ひとつ、ふたつと頷いて、アスターは立ち上がった。
バシェットの斧は封鉄でできている。大人でも、持ち上げるのに苦労する。
それを彼は、たしかに抱え上げた。
「ガンズー、ごめんね。僕、ここに残るよ」
「な」
「フロリカさん。院のみんなには、よく伝えてください」
「アスター君……」
呻く以外にできないガンズーを置いて、彼は自分の父親へ向き直った。
「条件があります」
「条件だと?」
「アロトの病気は僕がかならずなんとかします。だから、家から出したりしないでください。お義母さまもそうです」
「そんなことか。まあいいだろう。しかし私がそんな約束を素直に守ると思っているのか? 煩わしくなれば、またお前ごと切り捨てるかもしれんぞ」
「そんなことできません」
即答するアスターに、かすかに男爵の眉が動く。
「僕になにかあったら、ガンズーやアージ・デッソと喧嘩になっちゃうかもしれないから。父上は、そんなことしないと思います」
毅然として言う子供の言葉に、誰も――その父でさえ、なにも言えない。
彼はずっとこのことを考えていたのだろうか。それとも今、思いついたことだろうか。
どちらにせよ、彼は自分を人質に父親を脅した。
アスターは今、戦っている。あるいは、これからずっとこの戦いは続く。
「……よかろう」
小さく男爵が答える。なにか――ほんの少し、嬉しそうに見えるのはきっと気のせいだ。
「そういうわけだ、ナーサレム卿。滅多なことはできなくなった。今後の支援には期待せぬように、と司教様には伝えてほしい。ああ、これまで世話になったよしみだ。下手な告げ口などせんよ。好きにすればいい。どうせうまくいかん」
「左様ですか。参ったな、お叱りを受けそうだ」
男爵がボソボソと小声でメイハルト神殿騎士に告げた。言われた彼もなにやら肩を竦める。
シーブスは不思議そうな顔をしていたので、位置の関係でガンズーにだけ聞こえたようだ。
「――アルストラ様!」
唐突に、金切り声に近い叫びが横から響いた。
そこにはボロを纏った女がひとり。遠巻きにこちらを窺っていた裏街の住民たちの中から、抜け出してきたようだ。
一度見かけた。崖崩れ騒ぎの前に、アスターが見ていた女。
「お母さん……」
ぼんやりと漏れたアスターの声。やっぱりそうか。
フロリカが驚いたように彼女を見てからこちらへ顔を向けたので、頷いて答えるしかなかった。
あれが母ちゃんだってよ。困っちまうよな。
だって、まだ子供の名前呼んでないんだぜ。
「なぜ、なぜその子ばかり……」
わなわなと肩を震わせ、歯を剥き出しにしている。視線は震えるように、カウェンサグ男爵とアスターの間を行き来していた。
その視線が、斧を抱く子供にキッと定まる。
「お前――なんでお前ばっかり、なんで……」
彼女と男爵、そしてその子供との間にどんな思いがあったのかなど知ったところではない。知るべきところでもない。
だがその目は、てめぇの子に向ける目じゃないぞ。
男爵が鬱陶しそうに片手を振った。従者が女を下がらせるために動き、それを合図にしたように彼女も叫んだ。
「お前なんか、産むんじゃなかった!」
バチンと弾けるような音。
へなへなと倒れる女。
戸惑ったように主を見る従者たち。
平手を掲げた修道女。
そしてなぜか、その背中でいえーいと片手を上げているノノ。
女へ一発かましたフロリカが、顔を上気させたままずんずんとこちらへ戻ってくる。男爵や従者たちに「失礼しました」と頭を下げた。
それから、アスターに向き直る。抱きしめる。
「頑張ってね。アスター君……頑張ってね」
「ごめんね、フロリカさん」
「ううん。またすぐ会えるから。院のみんなも一緒にね」
暖かそうに彼女の肩へ鼻先を埋めていたアスターが、目だけ上へ向けた。ちょうどそこには、ノノがいる。
フロリカに背負われたままの彼女は、ひょいと手を上げた。彼も手のひらをその手に合わせる。
言葉は無い。ただそうしている。
きっと、それで十分なのだろうと思う。
彼の目がこちらを向いた。
口は相変わらず一文字。だが、なにかを噛みしめるような無駄な力など入っていない。
耐える時間は終わった。これからは、立ち向かう時間になる。
「アスター」
「うん」
「負けんなよ」
「うん。ガンズーも」
「ったりめぇだ」
彼は何歳だっけ、と考える。たしか、六歳か、七歳にはまだなっていないという話だったはずだ。
過酷だなぁ、と思ってしまう。もっと、子供なんてなにも考えずにいられればいいのに、と思う。そんな世界ならいいのに。
しかしアスターは戦う道を選んだ。その眼に悲壮なものなど無い。
戦士の眼をしている。男の眼だ。
ガンズーは結局、彼になにもしてやれなかった気がする。
守ることはできたかもしれない。けれど、はたして彼を救ったのは誰だったのだろう。
彼に覚悟を、心を晴らす力を与えることができたとすれば――
「行くぞ」
短く言ってカウェンサグが身を返した。フロリカがアスターから離れる。
アスターは、その身に余る重い手斧をしっかりと担ぎ直した。従者のひとりが手助けを申し出るが、断る。
これこそが自分の力である、というように握り締めている。
父について歩こうとして、少し振り向いた。
その先には、茫然としたまま座りこんでいる女がいる。
「お母さん、さようなら」
静かに言って、アスターは父と共に去っていった。
ポン、と――いうにはちょっと強すぎる。棍棒で殴られたような――背中を叩かれた。
シーブスがうんうんと首を振っている。
「任せろ」
「……あいつよ、神殿騎士になれっかな?」
「芯の強そうな子だ。やると言うならやるであろう。しかし虹瞳の神殿騎士か。前例は無いが、もしそうなればこれは歴代を超えるものになりそうだな。いや、楽しみ、実に楽しみだ」
勇者の素質に虹瞳の騎士。
たしかに楽しみだ。俺より強くなるかもなぁ。