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鉄壁のガンズーとアスターとバシェット

 アスターが泣いている。

 くずおれた身体にすがりつき泣いている。


 おびただしく流れた血は雨に溶けてどこかへ。もう出血は少ない。胸に空いた穴は向こうが覗けそうなほど。

 ガンズーにとって、あまりに見慣れた光景。

 これから死ぬ人間の姿だった。


 バシェットは死ぬ。


 だというのになんだそのツラ。いつもと変わんねぇじゃなぇか。なんかもっとあるだろうがよ悔しそうだったりさっぱりしてたりしろよ。こっち見たって俺にゃわかんねぇぞなんか言えよ。

 頼むからなんか言えよ。


 ふらふらと寄ってくる弱々しい影。コーデッサはマナの靄を口からまで漏らしている。動けるような状態ではない。

 彼に近づこうとして、倒れかけた。ガンズーがどうにか腕を支える。その目を黒く滲ませながら、真っ直ぐにバシェットへ向けていた。

 声が出ていない。口を動かしても、こぼれるのは靄ばかり。なにか必死に伝えようとしている。


 その姿に、バシェットは少しだけ瞼を薄めた。どうせまた「すまない」とか言うつもりになってんだろう。それくらいわかる。コーデッサにだってわかる。伝わらないわけがない。

 でもそんなこと言われたいわけじゃないんだ。バカ野郎め。やっぱこいつについてって隠居でもなんでもすればよかったんだ。ほんとこのオッサンはチクショウ。


「なんで、なんでっ――!」


 悲痛に塗れたアスターの声が雨音にかき消える。


 なぜ自分を守った。

 なぜここまでした。

 なぜ命をかけてまで。


 彼らは、ガンズーが知る限りでも一言二言交わした程度だろう。襲い、救い、ほんの少しの間、一緒にいただけだ。

 聞きたいことはきっと多いだろう。

 でもその時間はもう無い。


 バシェットは――かすかに手を上げようとした。すがりつく子に手のひらを向けようとした。頭へ置くつもりだったのかもしれない。

 だがやめた。だらりとその手を下ろす。彼には終ぞ触れなかった。


「――無事、なら……いい……」


 それだけ言って、バシェットは死んだ。






 ガラガラと瓦礫が崩れる音。

 どうもしばらく立ち尽くしてしまっていたようだ。気付けば外壁の崩れた隙間から、騎士やら衛兵やらがぞろぞろ出てくる。

 報せを受けた援軍がようやく入ってきたらしい。


 何人かがこちらに寄ってこようとしたが、横から出てきたシーブスがあれこれ言って散らす。人払いをしてくれたのか。彼もボロボロだというのに。


「ガンズー殿。改めて聞きたい。この御仁は何者だ?」

「……白刃の――」


 ぼんやりした頭のまま反射的に答えようとして、止めた。


「いや。俺のダチだよ」

「そうか。おい! 誰ぞ担架を用意しろ! 丁重に神殿までお運びするのだ――」


 半ばひしゃげた槍を掲げながら、彼はまた周囲への指示出しに戻っていった。


 ガンズーの腕にぶら下がるようになっていたコーデッサから、すんすんと鼻を鳴らす音が届く。ただ足元へ首を向けていた。


「コーちゃん」


 いつのまにかシウィーが近くに来ていた。着ていたローブはところどころ破け、左半身には血が滲んでいた。

 杖を立てて平然と立っているようにしているが、見た感じ腕も足も折れているのではないだろうか。


「あなたも休まないと、死んじゃうわ~。それはダメよ」

「……うぐぅ~」


 ガンズーから離れ、コーデッサは倒れこむように彼女へ寄りかかった。かろうじて立っているはずだが、彼女はおくびにも出さない。

 こちらに向けてひとつ頷いた。答えて頷く。


 しゃがむ。目線を合わせるように。

 アスターは嗚咽を止めている。ただ大きく目を見開き涙を零しながら、バシェットの顔を見つめている。真一文字に閉じられた口、頬には痛ましいほど力が込められている。


「こいつな」


 彼と同じように、静かに眠る姿を正面から見据えた。

 安らかな――なんて表現はしない。やり遂げた、なんて顔でもない。バシェットという男は死ぬときだってその表情を崩したりしなかった。

 ただ己に課した役目をこなした。そんな淡々とした顔だ。


「アージ・デッソを出るときゃ、死に場所を探しに行きたがっててな」


 だから淡々と、あったことだけ伝えてやればいい。


「でも、まだやることがあったんだってよ。だから戻ってきた」

「やること……?」

「お前のことさ」


 アスターが意外そうな目をこちらへ向ける。真っ直ぐ見返す。


「お前のために、まだ戦おうとしたんだな」


 全てを失い本懐も果たせなかった。しかしまだやるべきことがあった。

 さて、彼の望みはどう変化していたのだろう。あるいは今も、仲間の遺志を継いで遺跡に向かうことを願っていたろうか。

 それはもうわからない。聞くことはできなかった。いっそかつての望みに従ったまま仲間と同じ場所で死ぬのも正しかったのかもしれない。


 ただ、ひとつ間違いないことがある。

 彼はアスターを守った。

 小さな命を、確かに守りきった。


「――強くなりたい」


 かすれた呟き。地に落ちたバシェットの斧を見ながら、アスターはそんなことを言った。

 頭を撫でて、ガンズーは立ち上がる。


 周囲を見回す。神殿騎士や兵が、崩れた外壁や土砂に潰された家の周りを動き回っている。


 ウィゴールの姿は無い。戦いの最中にはもう消えていた気がする。

 なんとしてでも――あいつだけは、なんとしてでも。バシェットの遺志だなんて言うつもりはない。こっちも散々やられっぱなしなんだ。あいつだきゃマジでただじゃおかねぇ。

 そのためには――


 ああ、まったくだ。強くなりたい。

 力が足りない。少しも足りていない。

 あとちょっと力があれば、あんな人形なんて叩き砕いていた。あとちょっと身体が頑丈なら、吹っ飛ばされることなどなかった。あとちょっと速さがあれば、バシェットをフォローすることができたかもしれない。


 あとひとつ、知力がほしかった。それだけだったはずなのに、今はもうなにもかもが足りなく感じる。


 全てをねじ伏せる力があれば、ノノと離れることだってなかった。


 もっと――もっと力があれば、アスターを泣かせずに済んだのかなぁ。





「ガンズー様!」


 タンバールモースにある七曜教大神殿は、敷地の中にいくつかの小神殿まで併設されている。小、とはいえそのひとつひとつがアージ・デッソの神殿に近い大きさであり、中も広い。

 裏街の人々は、一旦そこに収容されていた。それなりに密度は高いのだが、雨を凌げるというだけで彼らは喜んでいるようだ。住んでいたあばら家とは違い、雨漏りなどひとつも無い。


 ガンズーたちはシーブス神殿騎士に従い、ここで少し腰を落ち着けることになった。シウィーとコーデッサは敷地内の魔療院で治療を受けている。

 バシェットの遺体は、早急にこの神殿で荼毘に付される。雨、さらには瘴気の強く残る場所で亡くなった。彼をアンデッドにするわけにはいかない。彼には帰るべき場所がある、と伝えると、責任を持ってお返しするとの返事だった。


 ひたすら静かなアスターと共に、人々から離れて身体を休めていると、よく知る声が耳に届いた。

 顔を上げると、被りの中からはみ出た髪の端を濡らし、走ってきたのだろう息を荒くしたフロリカの姿。

 その背には、外套と毛布で厳重に包まれたノノが乗っていた。


「来たのか」

「し、神殿騎士様から報せをいただいて――慌てて出てきました」


 見れば向こう、神殿の入口あたりで連れの修道女ふたりがシーブスと話をしている。

 まさかあいつ使いとかやらずに自分で伝えに行ったのか。ガンズーの言えた立場ではないが、どれだけタフなのだろう。


「ノノは大丈夫か?」

「まだちょっと熱はありますが、ご飯も食べましたし心配ないと思います」


 彼女に背負われているお包みを少しめくる。やはりまだ本調子ではないのか不快そうな顔をしていたが、ガンズーの顔を見るとにへと笑った。

 重くなっていた心と身体があっという間に癒される。ああ、もう、ほんと、強くなりてぇなぁ。風邪なんかフンッてやったら飛んでかねぇかな。


「アスター君と――ガンズー様は、大丈夫ですか?」

「ん……まぁ、な」


 あまり大丈夫ではないのが顔に出ていたろうか。もしかしたら、ここに来るまでに仔細は聞いているのか。心配させてしまった。

 なにより、アスターの様子は明らかだろう。フロリカが来ても、顔を上げようとはしなかった。


「なに、ちょっと叩かれたくらいで参るガンズー殿ではなかろう!」


 がははと笑いながら寄ってきたシーブスがそんなことを言う。


「俺もお前もちょっとってモンじゃなかったろうがよ。なんでお前そんな元気なんだ」

「いやこれが困ってしまってな。あれこれやっていたら周りの者が休め休め治療を受けろとうるさいのだ。あんまりやかましいから伝令くらいならよかろうと無理やり出てきてやったわ!」

「なんでそんな元気なんだ……」


 朗らかに笑っていた彼だが、背後のアスターに目を止めると神妙な面持ちになった。

 その子はバシェットの斧を抱えている。手斧とはいえ、自分の身長に近い大きさの得物。簡単に持ち上げられる重さでもない。

 だが手放さない。ガンズーは好きにさせるしかなかった。


「……かの者は適切に扱い、必ず返そう」

「すまねぇな。詳しく明かせる身の上でもねぇのに」

「なぁに心配いらん! これでも神殿騎士なのだ! タンバールモースにおいてそれくらいの融通を利かせんでどうする!」


 その言葉に、ピクリとアスターが反応した。

 気付いたシーブスは少し驚いたようだったが、彼に向けて笑顔をさらに大きくする。


「君も、その、あれだ! 苦労が多いようだが、神殿騎士を目指してみるというのはどうだ!? 強くもなれるし、偉くもなれるのだ! 煩わしい事情などひと吹きにできるぞ!」


 単に、沈んだ子供を元気づけようしての言葉だろう。この男はそれ以上のことなど考えていないだろう。

 それでも言われた本人は、深く考えこんだ。強くなれる、というところに思うところがあったのかもしれない。


 と、入り口の辺りがにわかにザワつく。

 振り向けば、従者を何人か従えた美麗な服を着た男。線の細い顔をしているが、ガタイはいい。


 男は神殿の中を睥睨し、こちらへ目を止めた。ずかずかと歩いてくる。


「生きていたか」


 一歩離れたところからアスターを見下ろし、一言。


「男爵殿」


 咎めるような口調で、シーブスが言った。それでガンズーにもわかった。

 男爵。カウェンサグ男爵。

 こいつがアスターの父親だ。

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