鉄壁のガンズー、アダマ
青白い表面は、頭のてっぺんから足の先まで滑らかで、装飾なんて概念は存在しないようだ、それどころか、四肢の形はあるのに関節の役割をするような節目さえ無かった。
だからか、距離感や間合いがいまいちわからなかった。
伸縮するように跳ねた拳が、ガンズーの前にいたシーブスを撃つ。金属と金属がぶつかる強烈な激突音と同時、神殿騎士の姿は消えた。
はるか後方で今度は石が砕ける音。ちらと振り返れば、裏街出口あたりで外壁が盛大に崩れていた。彼の従者たちが騒いでいる。あの辺りに突っこんだのか。ご丁寧に逃げ道まで塞いでくれた。
この野郎、と叫んだつもりで、代わりにガンズーは大斧を振り上げた。人形は無造作に手――らしき位置にある突起――で受け止める。異様な硬さと共に、なぜか手応えの無さすら感じる軟らかさも伝わる。
自慢の斧は、人形の表面に小さな刃筋を残すにとどまった。
「うほー、傷がつきおった。とんでもない膂力じゃのう。源泥が歪むところなんぞなかなかお目にかかれんわ。凄いもんじゃな」
いつのまにやら人形の肩に乗っていたウィゴールが、額に手を当て眺めるようにして喜悦している。なにが面白いんだこんにゃろう。
そこへ鎖に繋がった白刃が襲いかかった。バシェットが横へ飛びながら手斧の柄を繰っている。
だが人形の肩がうにょんと隆起し、盾となって奴を庇う。重い音が響き、斧刃は弾かれた。
「かかか、怖い怖い。言っとくが、儂が死んでもこやつは止まらんぞ。動かしとるのは中身じゃからな。親切で言うとるんじゃから、無駄なことはするでない」
その場にちょこんと座り、杖を膝の上に置いた。もはや公園で日向ぼっこでもしている爺のような風情だ。
「ま、死にたくなけりゃ頑張るがえぇ」
ただし、眺めているのは雨と災害の跡と、決死の抵抗をする人間の姿。
そう、ガンズーは決死の覚悟をしている。
『 れべる : 1/1
ちから : 130(+30)
たいりょく: 130(+30)
わざ : 30(+30)
はやさ : 40(+30)
ちりょく : 30(+30)
せいしん : 80(+30)』
なにをどうやったらこんな化け物ができるんだよ、チクショウめ! 俺なんかかわいいモンじゃねぇか!
信じられないことに、先のゴロツキたちが施されていた強化と同様のものまで用意されている。中身になった男が仕込まれていたのだろうか。どういう仕組みか知らないが、本当にバカげている。
「【沼踏】!」
シウィーが叫ぶ。人形の足元が急激にぬかるみ、足先を――やはり足の役割をしているだけの突起だ――沈め始めた。
この巨体にこの金属の密度なら、重量は見た目以上のはず。簡単に沼の中へ沈んでいくと思えたが――
「あ~、やっぱりちょっと無理~?」
杖を掲げていた魔術師が呻き、液状化したはずの地面はあっさりと固さを取り戻していった。
「当たり前じゃろ。源泥をなんだと思っとるんじゃ。ちょっとのマナくらい吸って終わりぞ」
膝付近まで埋まった足を、人形はこともなげに引き抜く。さらに腕を振り上げるが、その形は拳ではない。ずるりと体表の金属が集まると、刀のような姿へ変じさせた。
狙いは当然、直近に攻撃をおこなったシウィー。
振り下ろされる刀。質量も勢いも尋常ではない。もし彼女がまともにくらってしまえば、真っ二つどころか塵になる。
無理やりに身を割りこませ、ガンズーは彼女を庇った。身へ寄せるかたちに構えた大斧で襲い来る刃を受ける。
叩かれた斧刃に、ピキと小さな罅が入った。
マジかよ、と思った時には大いに後ろへ弾き飛ばされる。背中でシウィーを押してしまった。ふたり揃ってたたらを踏み耐える。
「クソ、シャレんなんねぇ! ありゃなんだ!?」
「源泥です~。封鉄の語源になった物質ですね~、わたしもあんな大っきなの初めて見ました~。強靭で柔軟でマナを弾きも吸いもして、とにかく凄いです~。竜殻より上って言う人もいますね~」
「つまり、魔術もあんま期待できねぇってわけか」
己が持つ大斧の完全上位互換。打ち負けるのも仕方ないか。そういう金属――なのかさえ怪しい物質――が人の形をとって暴れている。なんて厄介な話だ。
バシェットが人形の猛攻をどうにか躱しながら手斧を打ちこんでいるが、さほどの痛痒も与えていないようだ。彼の得物もガンズーのものと同じ材質。決定打にはならないか。
「でも~、やるしかないですから~。塁を穿つ槍、門を砕く矢、天上の城を落とせ弓聖――【破天槌】」
シウィーの詠唱。それに応えるように、周囲の土が盛り上がった。
いくつもの棒状にそびえ立った土柱は、そのまま中空へ浮き上がり彼女の頭上に並んだ。めきめきと形を変え、騎士槍に近い形状となる。
己の身体より大きくなった土の槍を、人形へと向けた。十本、ニ十本、地面からはまだまだ槍が生み出されていた。
「ふんぬ~!」
場違いに間抜けな気合いを上げて、彼女は杖を振った。
風切り音を鳴らして、幾本もの土槍がバシェットと交戦していた人形へと飛来した。
人形の滑らかな表面に激突し、砕ける。傷はつかないものの、その衝撃は一本一本が重量級。確かに人形を揺らし、動きを阻害している。
こりゃいいや! ガンズーも槍を追うように駆けだした。
土の欠片が降り注ぐ中、人形の足へ斧を振り下ろした。相変わらずの奇妙な手応え。だが、わずかに痕は刻まれる。さすが我が相棒、上位の物質だろうが、まったく通用しないなんてことはない!
「そこを狙え!」
一歩下がったバシェットがくるりと回った。動きに追従するように斧刃が飛び、人形の胸を打つ。
よく見れば、そこには何重にも刃筋が刻まれており、間違いなく削れた痕跡があった。至近距離で同じ個所をひたすら叩いていたようだ。凄まじいことをする男である。俺ならどこかで殴り飛ばされてたな。
言うとおりにそこへ斧をぶちこんだ。感触に違いはないが、若干の火花と共にほんの小さく粉が飛んだのがわかった。削れている。
「あいた、あいたた、ええい鬱陶しいのう土がパラパラと。練土は厄介じゃなぁ、実体混じりの魔術は勘弁してほしいわい」
土槍が打ちこまれ続けている上方からのんびりした声。ウィゴールはどうせまた盾を作らせて身を守っているのだろうが、この連打の中では自由にできまい。
が――正直、この源泥人形を甘く見ていた。
「おい、あれ。退け」
突然、目の前の身体が明らかに薄くなった。表面の金属体が、どこかへ流れた。
おそらく右腕へ。
首を上げた時には、腕の先にたっぷりと流体が丸まっていて――
「避けろ!」
ガンズーが叫ぶのは遅かった。
びゅん、と腕が伸びる。
投網のように広がった金属体が、魔術を行使し続けていたシウィーを捕える。
人形はその腕を大きく振った。声を上げる間も無く、彼女は凄まじい勢いで飛ばされる。遠く、シーブスが飛ばされた辺りに突っこみ、瓦礫の中に消えた。
「シウィーさん!」
コーデッサの悲鳴が聞こえた。一瞬だけ視界に入るアスターの姿。マズい、お前は逃げろ、その子を連れてもっと遠くへ逃げろ。
戻ってきた人形の腕が、鞭の動きで強かにバシェットを打った。腕がついでとばかりにガンズーにも振り下ろされる。肩を打たれ、地面へ押しつけられる。
「あんまりこやつらに構っててもしょーがないからのー。とりあえず、先に回収するモン拾っとくとするかい」
どごん、と衝撃音を残して、人形は跳んだ。その重量感からは信じられないほど高く。
街全体にまで響いたのではと思える地響き。着地したのは、コーデッサとアスターの目の前だった。
「ひ――」
「お嬢ちゃん、ちょっと退いておくれ」
ウィゴールは虹瞳の子、つまりアスターを捕えるつもりだったのだろう。
だが人形は、まったく加減無しに腕を振った。足元の子を抱えてどうにか転がったコーデッサが打ち据えられなかったのは、単なる運だろう。
「ありゃ?」
それなりに離れている。しかし老人の間抜けな声が耳まで届いたのは、倒れたようにしたまま泳ぐようにガンズーは駆け出していたからだろう。
足も手も使って走る。半ば無意識だった。アスターをなんとしてでも守らなければならない。
「アスターくん逃げて!」
コーデッサが叫ぶ。言われた子もそれに従おうとした。きっと足がうまく動かなかった。彼は尻もちをついてしまった。
「おい、こりゃ、やめんか、殺しちゃならんと言うとるじゃろ! もちいと優しくじゃ、優しく! わからんのかこのアホたれ!」
「え、え、――【氷華】!」
振り上げられる人形の腕。その根元あたりで、弾けるように氷の塊が生じた。
多少なり凍ったところで、あの剛力は遮られたりしないだろう。だがそれでもわずかに狙いを逸らすことはできたようだ。
女の小さな身体など押し潰すはずだった拳は、彼女の横の地面を叩き飛ばした。
「【氷華】! 【透槍】!」
暴れる人形の真正面で、彼女は懸命に立ちはだかる。氷の粒が周囲に舞う。
雨の中で氷を扱うのは難しいと言っていた。そのとおりだったのだろう、彼女の持つ杖の核石はすでに黒く染まっていた。
彼女の目からわずかに黒い靄が漏れる。限界だ。膝をついた。
再び振り上げられた人形の腕に、鎖が巻きつく。
「ぬうおあ!」
視界の端で、バシェットが鎖に全体重をかける。力も重量も負けているはずだ。それでも人形はほんの少し、後ろへ傾いた。
しかし制することができたのは片腕だけ。
足がぬかるむ。
人形はさらに片腕を振る。
ぬかるむなら弾き飛ばせ。
転がるようにガンズーは飛びこんだ。
アスターの前へ。
もう一歩、足に全力。
眼前に超質量の金属腕が迫る。
背後の子もろとも、弾き飛ばされそうだ。
ガンズーは飛びこんだ勢いのまま、大斧を盾にするようにして体当たりした。打ちこまれる人形の拳へ。
一瞬だけ意識が飛んだ。本当に一瞬、時間にして一秒の何百分の一ほど。
気付いた時には地面が無かった。足が泳いでいる。自分が飛んでいるのだとわかったのは、頭から外壁に激突してからだった。
瓦礫が降りそそぐ。埋まったが、どうにか隙間から外の様子は見えた。アスターは――まだ無事だ。なんとか攻撃を逸らすことはできた。
即座に瓦礫を跳ね飛ばそうとするが、どうも腕が動かない。そんなバカなことがあるか、この身体がどうにかなっちまうことなどあるわけない。
腕どころか、全身が動かない。いまいち感触も無い。頭でも打ったろうか。たしかに頭なら打ったが、それくらいなんだ。動けこのバカ。起きろ!
隙間から人形を見れば、またもその腕を刀の形に変え、足元の子へ向けようとしていた。掌に乗るような相手に、なんてもの出してんだチクショウ。
その肩で老人がなにやら騒いでいるが、聞く耳など無いらしい。
役立たずの身体を叱咤しまくると、指は動いた。少しずつ回復はしている。
だが遅すぎる! アスターを守る者はもう――
バシェットが立ちはだかった。
刀が突きこまれる。
彼の胸から、大量の血が吹いた。