鉄壁のガンズー、『蛇』
腰から分断した屍人形の上半身が、きりもみ回転して飛んでいった。別の土塊に激突する。
地面に転がったはずが、這いずるようにしてまだ元気に動いていた。
アンデッドの厄介な点はここだ。どこまでやれば無力化できるのか、見た目からではわからない。少なくとも行動できなくなるほど分割してやればいいのだが、その限界点は個体によって様々。
ほんのわずかに表面を削っただけで崩れ落ちるものもあれば、粉々にしてやってもそのまま動き続けるというなかばスライムのような個体もある。残念ながら首も胸も確実な弱点とは限らない。
最悪の場合、対処する相手が増える。以前、首と肋骨と下半身と腕に別れて襲いかかってくるアンデッドなんかも相手にしたことがあった。
上半身だけで向かってきた屍人形を、ガンズーは思いきり踏みつけた。その個体はどうやらそこまでだったようだ。
鈍重かつ緩慢、さらに土まで纏っているのだから、その動きは鈍い。一体や二体であれば対処は簡単だ。
が、この数。視界を埋めつくすほどの数。
人型のアンデッドが発生する条件はそれなりに限定される。一般的な遺体はたいていの場合、適切な処置がされるからだ。
だから出くわすとすれば、獣のアンデッド。人間の死体から生ずるとすれば、人知れず行き倒れた行旅人。放置あるいは捨てられたもの。遺棄された人里や墓地なんかも稀に。そこにうまい具合に瘴気が溜まってようやく。
これほどの数の人型アンデッドを相手にする経験など、そうそうあるものではないだろう。国家間戦争があったころならいざ知らず。
獣のアンデッドに囲まれ斬っても斬っても突破できず、疲れのせいで死にかけたなんて話を聞いたことがあった。あり得る話だな、などと考えてしまう。
とはいえ、
「こちとら体力カンストだオラァ!」
横薙ぎに大振りした大斧が数体の屍人形をまとめて弾き飛ばす。土だろうと中身だろうと関係なく撒き散らした。
横ではバシェットがバトンでも回すように手斧を操っていた。その旋風に触れたはしから土塊が削げていく。
土の色は同じでも、土石流のように降り注いでくるわけではない。いくら質量があろうとも、ずるずるとのんびり寄ってくるだけならばいくらでも相手ができる。
このふたりなら体力が尽きる心配も無いと思えた。
問題はといえば、こいつらを街の方向へ向かわせてはいけないということだ。ふたり対百超。近くにいるものは引き寄せられるが、全域をカバーはできない。
案の定、視界から外れた一団が、未だ裏街の出口で殺到している住人たちのほうへ足を向けた。
「【土雷】!」
その一団の足元が弾けた。噴出したともいえる。間欠泉のごとく、地盤が上方へ噴き上がった。屍人形が宙を舞う。
「あら~ダメですね~狭いわ~。動かせる土を探すのがたいへん~」
後方からふにゃふにゃとシウィーの独り言。言うとおり、彼女の実力からすると魔術の規模が小さい。吹き飛んだのは数体だった。
「バシェット! 後ろのフォローに回れ!」
「そうすると右翼が抜けるぞ! いくら君でもひとりでは抑えられん!」
クソっ! 戦ってるときは口回るんだなこいつ! とか言ってる場合じゃねぇ!
どうにか抜けられそうなところはシウィーに踏ん張ってもらうしかないか――
「――【曝銀】!」
濡れた頬にひりりと染みるほどの冷気が届いた。と同時に、ガンズーの手が届いていなかった屍人形たちの表面が白んでいく。ぱりぱりと、凍りついていく音がはっきり聞こえた。
連中の動きが軋みだし、見るからに動きが悪くなっていった。氷が剥がれてはまた凍る。足元の雨水まで固まりだした。
「は、早くなんとかしてくださいー! 雨だしここからじゃこれくらいしかできないんですー!」
遠く――アスターを連れているため、これでもかというほど離れていた――からコーデッサの叫びが聞こえた。
氷、というより冷気。珍しい魔術を使うものだ。炎や熱波を扱うより難しいらしいし、特に水気の多い場所ではむしろ火を生むより難易度が上がるとかセノアが言っていた。
それを離れた場所から、奇麗にガンズーたちだけを避けて行使しているのだ。これくらい、なんてことはない。上級の看板は嘘ではなかった。ちょっと見直したぞお前!
ギシギシ震える氷像となった屍人形たちを、片っ端から砕いていく。周囲の温度が下がったので濡れた身体に堪えるが、動いていれば温まる。ガンズーはモグラ叩きでもするように大斧をぼんがぼんが振り回した。
それでもまだまだ無事なものは多い。前衛が壁になって冷気が届ききっていないのだ。何度かしがみつかれ転げそうになるが、身体を捻って肩で叩いた。
凍っていたはずの個体が急に傾き、抱きつかれた。その重みがどんどん増える。後ろからドミノ倒しに押しこんできたらしい。大斧を振ろうにもやりづらい。
もはやちょっとした山になっていたそのひと固まりが、縦に裂けた。左右にぐしゃりと潰れ、ひらいた先にはバシェット。鎖を手にしていた。足元には手斧の斧刃が突き立っている。俺こんなので叩かれてたのか。
唐突に、屍人形の三体ほどが頭を失った。胴体より向こうに浮かせている。槍にまとめて貫かれ、団子のようだ。
「わははは! シーブス・カノルコ、推参!」
「遅ぇこの野郎! 逃げ遅れは大丈夫なのか!?」
「心配無用! 全て逃がした! あとはこれを掃除するだけだ!」
見れば裏街の出口はあらかた片付き、彼の従者らしき者が守っている。住人たちの避難は済んだようだ。
そうなればもはや遠慮はいらない。男三人、得物をぶん回して土の塊を吹っ飛ばしまくった。動く屍人形がみるみる数を減らしていく。
この調子でいけばほどなく全滅させられるだろう。まだ数は多いが、街の援軍が来るまでに始末がつくかもしれない。
むしろ問題はそのあとだな、と考えた。
バシェット共々、盛大に姿を晒してしまっている。むしろ援軍に見つからないよう、さっさと片付けてシーブスに匿ってもらうべきか。
こうなればいっそ、彼を巻きこんでこの所業の犯人を探しに走るのもありだ。そのままなんとか男爵の元まで突撃したっていい。もう事態は無茶苦茶になってしまったのだし、どさくさ紛れにどうにかならないだろうか。
大斧を振りながら、顔を上げた。外壁のほうを見るためだ。謎の魔術はあちらから放たれた。それがもし『蛇』であるなら、いよいよ許しは――
視界に妙なものが映った気がする。目線を戻す。
崩れて若干滑らかになった丘の斜面。麓に誰かいる。ふたり。
ひとりはぼんやりと突っ立っていて、どこを見ているのかわからない。どこかで見たような。
そしてもうひとりは、はっきり記憶に新しい。背が小さい。杖で突いている足元を見て、どうやら小さく笑っている。
禿頭が揺れていた。
「おお、あったあった。めっかっためっかった。よかったのう。これで出てこんならどうしたもんかと思ったわい」
前方の屍人形を弾き飛ばし彼らに近づくと、そんなことを呟いていた。
ガンズーは周囲の戦闘から抜けて、思わず話しかけていた。
「おい、あんた――宿にいた薬師の爺さんか? なにしてんだこんなとこで」
災害が起き、今まさにアンデッドの強襲を受けている現場。そんなところにいる相手に、なにをしているもクソもない。
だが、聞かずにいられなかった。
「お? ほっほー、こりゃ昨日のお兄ちゃん。奇遇じゃのう。儂ゃちょいと探しものがあったでな。お邪魔したの」
「ふーん……そうかい。なに探してたんだ?」
「この丘はのー、墓所にはぴったりじゃろ? なんでかって言うと、マナや瘴気をうまーいこと逃がしてくれる代物が埋まっててなぁ。この街を作った者も知っとったんかもなぁ。儂、すっかり場所を忘れて思い出すのに苦労したわい」
「へぇ。見つかったのか」
「おうさ。ばっちりじゃ。もちっと低いとこにあったら、丸ごとひっくり返さんといかんとこじゃった。危ないのお」
後ろから聞こえていた戦闘音が消えた。全て片付いたのだろうか。すまんなサボっちまって。
そんなことを思いながら、ガンズーは老人の横にいる男を顎で示す。
「そうか。なぁ、そいつは?」
「こいつか? お手伝いじゃよ。儂、肉体労働は苦手なもんでなぁ。この辺の死体ではさすがに脆すぎるから、わざわざ用意したんじゃ」
「おい、ガンズー殿なにを――やや! まさかお主はマイルズか? カウェンサグ男爵のところの! なにをしておるどこぞへ出奔したと騒いでおったぞ!?」
隣に来たシーブスが騒ぐのを聞いて、ガンズーも思い出した。
あの男は、アスターを探しに宿へ来た男爵の使いだ。姿を消したという話も聞いていた。
だがその顔は――土気色を通り越し、もはや黒ずんでいる。
バシェットまでがこちらへ寄ってきたので、振り返る。土塊や白骨が散らばった一帯を今も雨が叩いている。先ほどまでが嘘のように静かだった。
近くにシウィーもいた。コーデッサもどうしていいのか迷い、こちらに足を向けようとしていた。
そこにはアスターもいる。
ダメだ。まだ来るな。
「しかし参った。おんしまでこの街におるとはのう。いやまったく、こうも容易く見失うとは。あの薬はもっと長く体に留まるようにすればよかった。やはり失敗作じゃったな」
視線を戻せば、老人の目はバシェットへ向いていた。
あの薬。『鱗』か。そういえば、彼もひとつ口にしたんだったか。
だからガンズーは、念のために聞く。努めて静かに。
「なぁ、『蛇』ってなこいつか?」
「……いや」
「ほーほっほ。お兄ちゃんバカなこと言っちゃいかんよ。そんな名前を儂が使うわけないじゃろ下らない」
なぜか愉快そうに笑う老人を置いて、バシェットが小さく続ける。
「……ずっと考えていた。『蛇』と名乗ったあの男」
彼はただ、真っ直ぐに目の前の笑う老人を睨んでいる。
「金も情報も、人脈も、あの奇妙な薬も……奴だけで扱うには不自然なほど揃い過ぎていた。確かに我々に姿を見せていたのはあの男だけだったが――」
間を置いて、
「……『蛇』とは、ひとりではなかった」
「おお、それじゃそれじゃ! 言うとすれば、儂ら全体のことを言うべきじゃな。いや、本来なら儂は含んでほしくないが、まぁええ。マデレックのたわけめ、妙な名前など使うからこうなる」
かっかっか、困ったのう、そんな声がガンズーの耳を通り抜けた。
そうか。結局、あの爺さんも外れというわけではなかったのか。
だとすると、こいつら一味――だかなんだか知らないが、とにかく複数人だったわけだ――に始末でもされたのか。ま、アージ・デッソでの件は大失敗だったみたいだしな。どうでもいいが。
雨雲を吹き飛ばすつもりで、上空へ溜息を飛ばした。空は重い。
こいつがなぜあっさりと正体を現したのかは知らない。これもどうでもいい。
ここでなにを探していたのか。足元の地中からはなにか青白い金属のようなものが覗いているが、それもいい。
一連の所業はなんの目的があったのか。これさえもはや。
「爺さん、名前は?」
しっかり相手の顔を見て、ガンズーは言った。
老人はずっと、柔和な笑顔を崩していない。人懐っこそうな好々爺だ。
「儂か? そうさなぁ――ちょっと前からは、えー、なんだったかの。おう、そうそう。ウィゴールと名乗っとるよ。名前もいくつかあると、パッと出てこんでな」
「そうかい。あんがとよ」
「ちゃんと覚えて呼んでおくれ。それで思い出すんじゃ。ほんで、儂の名前がどうかしたか?」
「あぁ、俺はよ」
片手で支えたままだった大斧を、ただ強く握った。
それだけで、斧刃はゆっくりと上がった。中空でぴたりと止める。
「これからぶっ殺すって相手には、名乗ってもらうようにしてんだ」
首に全力で血管を張り、ガンズーは吐き捨てるように言った。
アスター、ノノ、フロリカ、修道院、『黒鉄の矛』、ラダ、オーリーのおやっさん、ケルウェン領主、アージ・デッソの人々。
様々な顔が頭の中にバラバラと浮かぶ。彼らが巻きこまれた災いの全てがこいつのせいだ。この裏街がこんなことになったのもこいつのせいだ。
少なくない数の人間が死んだ。
こいつのせいだ。
ひときわ大きく、老人――ウィゴールは笑った。
「お兄ちゃんならそう言うだろうのー。わかっとったわかっとった。恐ろしいのう鉄壁のガンズーは。儂なんかひと捻りじゃろうのう」
横にただ棒立ちしていた男へ、彼は向き直る。
「おっかないから儂、さっさと使っちゃう。ほれ、やれ」
そう言って男の背を杖で叩く。
男は――抵抗することもなく、そのまま足元の土中へ飛びこむように顔面を突っこんだ。
と同時、黒い靄が広がる。
そこにあったものは、金属のように見えた。だが聞こえてくるのは、どぼどぼと重たい油に近い音。
靄を押し退け泉が湧くかのごとく、その青白い金属が地中から伸びた。男の身体を包んでいく。
アンデッドは、周囲の物質を纏う。
だが、物体を変化させてまでなど聞いたことも――
「ほっほー! 思いつきじゃったが、うまくいきそうじゃのー! 魔族のアンデッドなぞほいほい用意できるもんじゃないからのー! いやー運がええわい!」
靄の向こうから心底嬉しそうな声。
それも、目の前にできあがっていく巨体が発した地鳴りにかき消された。流体状だった金属が、丸みを帯びていく。
その体躯は、もはやガンズーの二倍はありそうだ。
「――源泥……?」
後ろでシウィーが小さく呟いた。神話に出てくる名前だったはずだが、それがなんなのか知らない。
「ありゃ! 土が混じりよったか、いかんのー。まぁええわ、ちょっと重くなったかもしれんが十分じゃろ」
再び届いてきたウィゴールの声。
「さ、行ってこい。とりあえずこの街は更地にしてええからな。あそこのと街にいる虹瞳は殺すんでないぞ」
顔を上げた金属の人型。のっぺりとした顔には、凹凸さえ無い。
源泥人形が、両腕で地を叩いた。