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鉄壁のガンズー、泣いた

 冒険者協会の者たちが言うには、虹瞳の子供が産まれたのはカゼフという冒険者の家であるという。


 ただ、確証があるわけではない。あくまで噂である。

 その噂も、カゼフが女房ともども子供を人に見せたがらなかったから発生したものだ。今回、街の近辺に虹狩りが現れたというからようやく信憑性の出た噂だ。


 カゼフという冒険者はあまり評判が良くない。

 かつては戦槌を片手にいくつかのパーティで功績を残し、上級冒険者まで成り上がったが、近年はあまり活動をしていない。

 それも二つの時期に分かれる。


 結婚して子供ができたころはまだよかった。

 家のため危険な仕事は控えていたというだけで、真面目とまではいわないが、一般的な請負冒険者だったといえる。


 一年ほど前に、女房を亡くした。

 元々身体が強くなく、病気でもしていたのではないかというが、とにかく、それからはまったくもってダメになった。

 一日中、酒を飲んでいるところを見かけた。それは酒場であったり、冒険者酒場であったり、道端であったりして、街中で見かけないときでも寝てるか酒を飲んでいるかといわれた。


 上級冒険者ともなればちょっとした貴族や商人なみに金が回るので、多少の貯えはあるだろうが、ときおり、木の実なんかをひと袋ばかり売りに来て酒代にする姿があったので、それも尽きたのだなどと周りの人間は言った。


 そしてほんのわずかな者が、子供はどうなったのだろうかと思っていた。


 カゼフの家は北東の端の端、林を抜けた奥にあるという。

 二度、教会の人間が訪れたことがあるらしい。

 虹の眼の噂を真に受けて、もし本当であるならば子供を保護すべしと向かったのが一度。

 女房を亡くしたのならば、それをどうしたのか。葬儀をしなかったとしても、街の中に埋葬したならば税を払わなければならないので、その確認にもう一度。

 どちらも、カゼフに槌を振り回されて追い払われた。


 ガンズーは少しだけカゼフという男に同情した。

 昨日の夜、自分はきっと彼と同じような姿をしていたのだ。

 飲んだくれて女にくだを巻き、正体をなくしていたのだ。もしも協会へ行こうと思い立たなかったら、今も同じことをしていたかもしれない。そしてそのあとも。


 ちょっと冒険者として自信をなくしたくらいで自分はそうなった。

 嫁さん亡くしゃあ無理もねぇ。ガンズーは思った。


 だが、子供がいる。

 お前にゃ子供がいるだろうが。ガンズーはそうも思った。


 だから、もしカゼフがノノの父親だったならば、無事に帰してやらなければならないと思った。

 あの子はもしかしたら、父親と、もしかしたら母親の墓がある自分の家に向かったのかもしれない。

 子供が親の元へ帰りたがるのは当然のことだ。


 無事にその子が帰ったというならば、それを見届けて、奴にはちょっと一発、しっかりしやがれと言ってやりたかった。

 もし違ったとしても、彼女を見つけ出してから、やっぱり会ってちょっと言ってやろうと思っていた。


 子供のためなら、きっと持ち直せる。そう信じる。


 そう信じていたガンズーは、小さな家の前で行われたノノとその父親の話を聞いて――なんとか今日は堪えきったと思ったんだがなぁ――泣いてしまった。






「だ、誰だてめぇ……」


 ガンズーはカゼフよりもはるかに背が高い。肩幅もひと回りは違う。

 威圧感に気押されたのかもしれない。彼は引くように身構えた。

 無意識だったろうか、ノノを掴む手を前方に差しだした。


 ガンズーは手のひらで目元を拭って言った。


「カゼフだな」


 目の前の男は自分の名前を知る相手に心当たりが無いようで、顎をせわしなく動かしてガンズーをじろじろと伺う。


「な、なんだ。あ、あの商人の追手か? 冗談じゃねぇ、ガキは勝手に逃げてきたんだ。てめぇらの手落ちだろ。連れてくなら、また金ぇ用意しろ」


 カゼフの言葉にできればもう心を動かしたくなかったが、どうしてもどす黒いものが湧くことを抑えられない。

 今すぐ殴りつけてやりたかったが、子供の目の前でそれはしたくなかった。


 ノノを見れば、うぐうぐとしゃくりあげながらガンズーを見ている。

 ずっと感情を見せなかったこの子が泣いている。


 感情を見せない? バカやろう。


 この子はずっと耐えていただけだ。


「ノノを離せ」


 喉が震えそうになって、ガンズーはつとめて小さく声を絞った。


 ノノは前方に向かってじたばたと手を伸ばすが、襟首を掴まれたままなのでその場で泳ぐようにして前に進めない。

 むしろカゼフがじりじり後ろへ下がるのでそれに引っ張られている。


「なん、なんだよお前、誰なんだ? このガキがどうしたってんだよ、俺のガキだぞ、何だってんだ――まさか、お前が買ったのか?」


 自分の子を盾にしようとする男に、ガンズーはこれ以上なにも言いたくない。下手に会話を続ければ、そのうち怒り狂って手が出そうだ。

 今は一刻も早くノノをこの男から離してやりたい。


「なんだよ、へ、へ、いい趣味してんな。それとも、なにかに使うのか? まぁそうだな、虹の眼だからな。へへ、凄ぇだろ、自慢の娘だぜ」


 多分、ガンズーのこめかみの血管はそろそろ切れる。


「だがダメだ、逃がしたのはおめぇだ。なぁノインノール、せっかく帰ってきたんだから、行きたくねぇよなぁ? おら、連れていきたいならもっかい金払え。あの商人は大銀五枚つけたからな。大銀七……いや、金一だ。金一枚よこせ」


 その台詞で、ガンズーは少し冷静になれた。

 かつてトルムたちが戦ったハーミシュ・ローク都市同盟にあった地下教団は、虹瞳の子供を周辺地域から金貨十枚以上で買い求めていた。


 この男はそんな相場さえも知らないし、自分が損をしたことにも気づいていないのだろう。

 真っ当に冒険者をやっていた頃なら、彼だってきっともう少し鼻は利いていたろうに、とガンズーは思う。


 なにより、自分の子をその程度の価値としか見ていなかったことに、その程度の価値で満足してしまったことに、ガンズーはカゼフを哀れに感じた。


 とにかく、まずノノを助けてやりたい。

 ガンズーは腰の小銭入れに手を突っこんで、中身を適当に掴んだ。金貨や大小の銀貨、銅貨も混ざっているが、おそらく金貨が多いはずだった。


 手前の地面にばら撒くと、カゼフは会心の笑みを出して這いつくばった。手が離れる。

 彼女はたたらを踏んだが、転びはしなかった。ガンズーの目の前まで来ると、じっとその顔を見上げる。


 目線を合わせても、ノノはなにも言わなかった。すんすんと鼻を鳴らす。

 ガンズーも何を言っていいのかわからない。

 ただ、黙って頭を撫でてやることしかできなかった。


 ずり


 なにか――とても重いなにかが、やはりとても重いなにかを引きずるような――正体の知れない音が、林の中から聞こえた。


 ずし じり


 カゼフもその音に気づいたようで、金貨をかき集めながら辺りを見回す。


 ぎりり


 思わず、ガンズーはノノを抱き上げて大きく後ろへ跳んだ。

 その何かは、もう既にすぐ近くまで近づいている。


 自分のとてもつたない魔導探知でもわかった。

 マナか瘴気か――こんな量のマナを励起(れいき)すれば魔術師はぶっ倒れる。瘴気に決まっていた――とにかくとてつもない凝縮率の魔導体がいる。


 たまらず叫んだ。


「カゼフ! ここは街の結界の中か!?」

「あ、え、あぁ? な、中、中だ……結界の端はもっと先……」


 カゼフがわけもわからず答える。彼も異常事態であることはわかっている。

 街の結界の中に瘴気の魔導体――強力な魔物がいる。そうそうありえないことだった。


 結界を力ずくで通り抜けるなにか。

 まさかな、とガンズーは思ったが、こういう時のまさかは当たると知っていた。


 ぎし


 木々の暗闇の中からそれは現れた。

 頭をボロ布で包み、異様に大きな鉈を引きずる巨体。


 ヴィスクたち冒険者を一網打尽にした、虹狩りの化け物だ。






 向こうから来るとはな。ガンズーはどこか気の抜けたようにぼんやりと思った。


 ヴィスクの話では、奴は彼らと交戦したあと姿をくらました。

 山道へ救援に向かった時にはそれらしい気配はまったく無かった。魔王の本拠であるカルドゥメクトリの奥地まで逃げたのではとも考えた。


 だがもし、捧物の奪取を許さず、再び奪い返すことを考えていたならば、ノノたちに危険が残る。


 だからガンズーは、奴を見つけ出して倒すことが、今の自分の仕事だと思っていた。この危険を払うことが、今の自分の役目だと思った。


 だから、向こうから来てくれたこと自体はむしろありがたい。

 しかし今は、ノノがいる。守りながら戦わなければならない。


「おい! バカやろう! 早く逃げろ!」


 カゼフはいまだ、地面の金を拾っていた。

 ガンズーがボロ頭巾から目を離さずに声を荒げるものの、彼は酔いからか焦りからか、その場でわたわたと暴れるだけだった。


 ボロ頭巾が一歩、大きく前に出ると、鉈が嫌な金属音を鳴らす。

 鉈の柄頭で、そのボロ布を無造作に剥いだ。


 出てきたのは、黒く硬質化した肌。

 ごつごつと凹凸のある肌は月の光を鈍く反射している。鼻だか口だか、妙に縦に長い。頭頂部も首も胸元も腕も、鱗のようなものに覆われていた。


「ワニさん……?」


 ノノがガンズーの服を掴みながら小さく呟いた。

 こんな状況でなければ、よく知ってたなぁ、なんて言いながら頭を撫でてやりたいところだったが、そうもいかない。


「――ソれを、よこセ」


 鰐面が鼻先でしゃくるようにしてこちらの腕の中を示した。


(喋りやがった……)


 ガンズーは口内で独りごちる。

 言葉を話した。ということは魔族だ。そして発音に少し不自然なところがある。

魔獣から成った魔族だ。


 原則的に魔族はマナの受容可能な量が桁違いに多い。すなわち強い。

 なにせ身体の組成を瘴気でまかなっているような奴までいるというのだから、そもそも生物としての基礎が別物だ。


 そして、魔獣から成り上がった魔族は人から変性した魔族よりも厄介な場合が往々にしてある。

 希少だからだ。魔族になるほどの力と知性を得ることは、つまりそこまで生き残った類い稀な才能を意味する。


 これまでトルムたちと共に、三体の魔族と戦ったことがある。

 いずれも、死闘だったことは間違いない。死ぬかもしれないと何度も思った。実際にトルムもセノアも死にかけた。


 そしてある一体は、ガンズーの防御を物理的にぶち抜いてきた。慌ててステータスを見てみたところ、力が90超えだった。マジかよと思った。


 嫌な予感がして、ガンズーはその鰐面を凝視してみる。


『 れべる  : 50/50


  ちから  :   100

  たいりょく:   76

  わざ   :   36

  はやさ  :   40

  ちりょく :   19

  せいしん :   28 』


 マジかよ。ガンズーは思った。

 100。

 力が100。99を超えている。限界突破している。ガンズーはもう一度マジかよと思った。


 百以上の数値を見たことがないわけではない。そういう例もあった。

 戦った魔族に、精神が百を超えていてセノアの魔術がろくに通用しなかった相手なんかもいた。

 自分はどれだけ頑張っても体力に99以上ポイントを振れなかったので、魔族の特権のようなものだと理解していた。


 しかし力100は出会ったことがない。

 そして、


(さっそく出てきちまってんじゃねぇかよ)


 ガンズーの恐れていた、自分の防御が通用しない可能性のある相手。

 まさかこれほど早く、こんなタイミングで遭遇するとは。


 だが。ガンズーは腕の中の子を見る。


「……んなこと言ってる場合じゃねぇやな」


 ノノは言葉の意味がわからなかったのか、小さく首をかしげた。

 ガンズーは軽く微笑んで、腰の剣に手をかける。左腕に彼女を抱きかかえているから、慎重に位置を直して、いつでも引き抜けるようにした。


 その時、カゼフが鰐面の足元にすがりついた。


「お、俺はアレの親だ! やる! お、お前ら虹の眼を集めてるんだろ!? やるから、見逃せ!」

「バっ――」


 バカやろう、と言いかけて、ガンズーは間に合わなかった。

 鰐面はすがりつく男に目も向けない。真っ直ぐに、こちらの胸元にいるノノを見ている。

 ただ、ゆっくりに感じるほど自然な動きで、彼の頭に片足を乗せた。


 虹狩りは親どころか、ともすれば村ごと滅ぼしてでも子供を奪っていくことさえある。

 そんな言葉が通じるわけもないだろうに。


 力を入れたようにも見えなかったのに、ことん、と鰐面の足が下ろされカゼフの頭は地面と挟まれた。


「ちょ、ちが、違う、ちょっと、ちょっと待って、待って、たす」


 カゼフはもがくが、頭に置かれた足はびくともしない。


「あ――」

「見るな!」


 ノノがかすかに手を伸ばそうとするので、ガンズーは庇うように彼女の顔を手で伏せて、身を引いた。


 ふしゅっ、と空気が抜けたような音がしたあと、鰐面の足の下から血が散る。

 小さく、まー、と悲鳴ともつかない声が響いてから、いやに硬い水音と共にカゼフの頭蓋は砕けた。


 鰐面は大鉈から手を離しカゼフの首から下を引っ掴むと、そのまま雑に後方へ放り投げる。

 死体は高い放物線を描いて雑木林の向こうへ消え、遠い葉擦れの音だけ残した。


 ノノがガンズーの服をぎゅっと掴む。


 鰐面が足の裏を地面にこするように――汚いものを払うように――してから振り上げ、一歩こちらへ寄る。

 鉈を引きずる音はもうしなかった。後方へ立てるように持ち上げている。


 子供を抱えたままでは不利だ。それはわかっている。

 逃げることも考えたが、速さも相手のほうが上だ。難しいだろうなとガンズーは思った。

 斧も無いからこの予備の剣で戦うしかない。胸当てもはちがねも手甲も腰当ても無い。


 ガンズーは鰐面から目をそらさないよう、ノノを視界の端で見た。

 今まさに、父親を殺された子を見た。

 たとえどんなに最低な父親だとしても、血を分けて共に暮らした親を奪われた子供を見た。


 母も父も死んで、たったひとりになったその子を見た。


「――そんなこと、言ってる場合じゃねぇんだ」


 ガンズーは、なんとしてでもこの子を守ろうと思った。

 腰の剣を抜き放つ。


 鰐面がくわりと口をひらいて、赤い舌があらわになった。

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