鉄壁のガンズー、詰む
大上段から振り下ろした斧が蛙の魔獣を真っぷたつに断ち割った。
それにかまわず突っこんできた蟻顔の兵は二体。槍をかまえている。
ガンズーは下ろした斧をさらに打ち上げる。一体の肩下――肩? 前肢の付け根なんだからきっと肩だろう――から首まで断って飛ばしたが、もう一体への対応が遅れた。
突き出される槍は腹を狙っている。かわしきれそうにないタイミングだった。
蟻兵の複眼は拳ほどの大きさで顔面にくっついていて、当然ながら感情はわからない。わからないがきっと必勝を確信してニヤリとしたのではないだろうか。
なので、仕方なくガンズーは槍の穂先を二の腕で受けた。
軽く力こぶを浮かせる程度のつもりでグッと力を込める。
突かれた穂先は硬い物が押し当たる感触だけを残し、皮膚の上で止まった。
「いてぇ」
思わずガンズーはこぼした。ちょっとだけ痛い。指先で突っつかれるのと同じ程度に痛い。
手甲の届かない、鎧下の袖だけがむき出しの部分である。というか袖も肩の先に少し出るだけの半袖なので、素肌である。
皮膚と筋肉にはばまれ、槍はまったく刺さらなかった。血も出ない。
蟻の複眼は相変わらず感情が読めないが、驚愕したか困惑したか、槍を引き戻すのが一瞬ばかり遅かった気がする。
だから、背後から駆け寄った影に飛ばされた蟻の首を見送って、まさか仲間と思われたんじゃないだろな、とガンズーは思った。自分は外骨格など持っていない。
「ケガは? ガンズー」
「背中がかゆいかな」
蟻兵の首を飛ばした影はガンズーに一声かけ、剣を納める。
広間の中を見回せば、まだ何体か残っていた蟻兵はすべて切り捨てられていた。
「んだよ、全部かたづけちまったのか」
「残しておいた方が良かった?」
「んなこたねぇよ。トルムもずいぶん強くなったなと思っただけだ」
「なんだいそれ」
このパーティのリーダーであり、勇者の称号を持つトルムが笑う。無造作に伸ばされた銀髪が揺れた。
その色味からして、出会ったころはモヤシのように見えたものだったが、頼れるようになったと思うのは本音だ。
戦闘が終わって、後方に下がっていたメンバーへと視線を移す。
ちょうど、ふたりの少女がこちらへ近づいてくるところだった。
「調子に乗せんじゃないよガンズー。すぐケガすんだからトルムは」
「誰かさんが褒めてやんねーし、たまにゃ俺が褒めたっていいだろ」
「ふたりまとめて褒めてあげようか? 枕元で延々と」
「こえーからやめろセノア」
手に持つ杖の先で頭を掻いているセノアに、ガンズーは軽口を叩く。
虹瞳と呼ばれる彼女の目はいくつかの色が重なっていて、万華鏡のように美しいはずだが、やぶにらみになっているせいでなんとも台無しだ。
「ま、トルムが自由に動けるのもガンズーが盾役やってくれるからなんだし、そっちも褒められたっていいじゃん?」
「ミークの弓の援護だって助かってるさ。僕だけじゃ倒しきれなかったよ」
もうひとりの少女、ミークが倒れる蟻兵の頭部に刺さった矢を回収しながら言うので、フォローするようにトルムが返す。
彼女はセノアよりさらに背が低いものだから、ガンズーは彼女を視界に収めようとすると首をずいぶん傾けることになる。
「おいおいまさか本当に褒め殺し大会すんじゃねぇだろな。やめろよ気色悪ぃ」
「あんたが言い出したんじゃない」
「中止だ中止。それよりレイスン! そっちはどうだ!?」
視線を移すと、戦場のど真ん中で立ちつくす少女の背を覗きこむ男――これだけ見ると不審者のようだ――、レイスンはいまだに背中をあれこれといじっていた。
「……いけませんね。やはりまったく仕組みがわかりません」
「やっぱ前みてーにしばらく放っとくしかねぇんじゃねぇか?」
レイスンは立ち上がると、両手をひらいて見せてから溜息を吐いた。どうやらお手上げのようだ。
ガンズーほどではないが彼も背が高い。痩せぎすなのだが、元神官だからかローブを祭服のように仕立てているのでわかりにくい。
その彼と並ぶと、背中をいじられていた少女はことさら小さいのがよく分かる。
近づいてみると、ガンズーの胸より下にあるその頭から、カリカリと謎の音を発していた。たまにウィーンという音も混ざる。
屈んで、正面から目を合わせてみるガンズー。
「おーいアノリティ。生きてっかー?」
少女の目はどこを見ているのかわからない。というかおそらくなにも見てはいないだろう。なにせ右目は全力で上方をにらんで左目はくるくると時計回りし続けるという気持ち悪いことになっている。
レイスンが見ていた背中からは、触手のような銃口のような、なにか金属質の筒が四本ばかりとび出していた。その姿で固まっている。
カリカリ鳴いている少女はやたら白い。足先から指先から頬のあたりまで体中が白い。
全身を鎧で覆っているようにも見えるが、そこらに転がっている蟻兵のような外骨格と言う方が近いかもしれない。髪と眼の色だけは青だった。
機械人形である。というか本人がゴーレム・アノリティと名乗った。
正確には『クウォルデリオン・コッペリアゴーレム・アノリティデリオーネ』とかなんとか言っていたような気がするが、ガンズーたちにはよくわからなかった。
魔王の元へ向かう移動手段を探す旅路の中、古代遺跡の最奥で眠っていた彼女に出会った。というか戦った。
なんやかやあって最終的にトルムに懐いたらしく、さらには移動手段に心当たりがあるというので、以降ついてきている。
レイスンによれば古代文明の遺産の一つであり、似たようなものが発見された記録もあるそうだが――ぶっちゃけロボットだよな、とガンズーは思っている。
そして今ガンズーたち一行が潜っているこの洞窟も古代遺跡のひとつである。
なぜまたそんな場所に潜っているかといえば――
カチン、とやはり謎の音が響いて、唐突にアノリティが正面を見すえた。
自然、ガンズーと目が合う。
「中距離火砲支援を行います」
「あ?」
きゅい。どことなく間の抜けた音を鳴らして、銃口がこちらを向く。
「攻撃開始」
四の銃口から弾丸が連射される。
爪先くらいの大きさがある弾丸はあっちこっちにばら撒かれ、広間の床や壁を打ち、転がる蟻兵や巨大蛙の死体を貫き、そしてガンズーの額をしこたま叩きまくった。
「ぐおおおおお痛ていていていいてて」
「わー危ない危ない危ない!」
「アノリティ! ちょっとこらポンコツ! やめなさい!」
「ぎゃー蛙のかけらが口に入った!」
「みなさん、ここが安全ですよ」
ちゃっかりガンズーの背後にいたレイスンを追うようにして、他の三人も弾丸の嵐を避けて逃げこむと、しばらくしてアノリティは砲火を止めた。
右見て、左見て、
「……面目次第もございません」
ようやく状況を理解したようで、アノリティはきゅんと鳴いた。しゅんとしたのかもしれない。
この遺跡に潜る目的はアノリティの修理だった。
彼女自身が言うには、長期間のスリープモードとメンテナンスの不備、そして非正規の起動プロセスによりシステムが正常稼働していないという。
トルムたちはいまいち理解していないようだったが、要するにバグったってことだな、とガンズーは思った。
そのままでは本来の目的である移動手段も使えないというので、彼女の導きにより――散々に迷った上で――修理環境があるというこの遺跡にやってきた。
アノリティを慰めるトルムを横目に、ガンズーは額を押さえてうずくまる。かすかな傷にさえなっていないが、痛いものは痛い。
「【傷散】」
なにかで頭を叩かれたので見てみれば、レイスンが小杖を手に見下ろしていた。
ヒリヒリしていた額が、かすかな温かさを伴って癒えていくのが分かった。痛みが引いていく。
軽く手をあげて礼の代わりにすると、レイスンも肩をすくめることで返した。
と、
『実績が規定値に到達しました』
頭の中に声とも言葉とも文字とも判然としない、しかし意味だけは把握できる感覚が広がる。
お、とガンズーは思った。とうとう来たか、と思った。
頭の中に画面をひらく。実際になにか映すわけでも操作するわけでもない。感覚だけである。
『 れべる : 50/50 』
来ちまったなぁ。ガンズーは思った。とうとうレベルもカンストだ。
最後のステータスポイントの振り方はもう決めている。当然、力に全振りしかない。五ポイント全てだ。
意を決して頭の中に、あるいは身体に、魂にそう指示する。
『 ちから : 80
たいりょく: 99
わざ : 41
はやさ : 35
ちりょく : 25
せいしん : 25 』
表示――されているわけではない。あくまで感覚――を確認して、ひとつ頷く。
最後のステータス振りには納得していたが、それでも若干の後悔が残っている。力が最大まで届かなかった。技が半端な数値になってしまった。
それもこれも方針を決めるのが遅くなってしまったせいだ。魔導に関わるステータスを半端に伸ばしてしまった。
魔術の使用には古代語を覚えなければならないともっと早く知りたかった。ガンズーは暗記が致命的に苦手だった。今でもほんの数単語しか覚えていないし、それ以上も覚えられる気がしない。
まあいい、と納得する。
(なんせ体力99だ)
方針が決まり、体力値が高くなると、こと物質的な攻撃でもってガンズーに傷を負わせられる者はほぼいなくなった。
攻撃を受ければ痛いことは痛いというのが誤算ではあったが、長いこと負傷らしい負傷をしたことがない。
魔術のたぐいは通ってしまうが、こればかりは仕方がない。表示は無いが相応に生命力も高い実感があるのでそれで十分。ライフで受けるというやつだ。魔術耐性である精神の値もそこそこあるし。
「ガンズー? なにぼっとしてんの」
ふと気づくと、セノアが不思議そうにこちらの顔を覗きこんでいた。頭ひとつ分も下に、虹色の眼が光っている。
「あれでしょ。またすてぇたすとかいうやつ見てたんでしょ」
「まぁな。気にすんな」
ミークがその長い耳の先をいじりながら言ってくるので、適当に返事をしながら斧を担ぎ上げた。
彼女たちには――もしかしたらこの世界の誰にも――ステータスは見えない。だが、特にガンズーはこの事を隠していない。
もしかしたら自分がそういう妄想をしているだけかと思ったこともあるが、ガンズーは他者のステータスも見ることができた。
だから例えば初対面の相手でもある程度――数値上の本当にざっくりとした範囲だが――長所短所を把握することができたので、仲間たちもおおむねそういった特技なのだと納得していた。
なんにせよ、ガンズーの成長は限界に達した。
魔王の本拠地へ辿り着く前に届いてしまったのは少しだけ不安だったが、どちらにせよいつか限界は来たし、十分以上に戦える自信もある。
ちょっとだけ寂しさもあったが、
(まぁ、これからは仲間の成長を楽しみにするさ)
なにせこの世界で、この楽しみを知っているのはガンズーだけなのだ。
鉄壁のガンズー。
勇者一行の大黒柱。
異世界からの転生者である。
◇
「地に閉じよ天の檻、怒れ雷霊、駆け回れ暴れよ吠えよ――【炸雷索】!」
セノアの魔術詠唱が響き渡り、通路の先に雷球が発生した。
雷球は生まれては弾け、弾けては電光を周囲に撒きちらし、電光は縦横無尽に暴れまわって蟻兵の一団と数匹の巨大蛙を蹂躙する。
電光が治まるころには、黒焦げになった魔獣がひと山できている。
「はい、いっちょあがり」
「ミーク、辺りはどうだい?」
「近くにいるのは今ので最後かな」
長い通路を塞ぐように立ちはだかった魔獣たちを越えて先へ進む。
アノリティが言うには、そろそろ深層の入口が見えてくるという。
しばらく進むとあきらかに空気の違う広間に出た。
半球のような部屋の壁はのっぺりとして継ぎ目が見当たらない。天井に小さな穴が規則的に開いていて、そこから明かりが照らされていた。
部屋の中央に短い柱が立っていた。先に謎の球体が置かれている。もしくは突き刺さっている。
ガンズーの腹部あたりの高さにある球体を示して、アノリティはこう言った。
「深層へ」
と言われてもどうしたらいいのか分からない。アノリティもそれ以上どうしろと言わなかった。ポンコツめ。
ミークがおそるおそる球体に手を伸ばした。常に斥候役を買って出ているミークである。多少の罠があっても問題にしないだろう。
ミークが球体に触れた瞬間、柱から床へ光の線が走り、彼女の姿が消えた。
「え!?」
「ミーク!?」
トルムとセノアが思わず叫ぶ。レイスンも杖をかまえていたし、同様にしてガンズーも背の斧柄に手をやった。
のんびりしているのはアノリティだけである。
するとすぐさま、また床と柱に光が走ったかと思うと、先ほどと似たような姿勢のミークが現れた。
「わー、おー、うわー! びっくりしたー! 良かったー! 戻れたー!」
「はいはいよしよし。落ち着きなさい」
ミークはひととおりわちゃわちゃと騒いでからセノアに抱きついた。仲が良い。
「これはつまり……転移装置、といったような物でしょうか?」
レイスンが言うと、アノリティは相変わらず黙ったままだったが、きゅるーんと後頭部の辺りから謎の音を鳴らした。肯定と捉えていいのだろうか。
改めてトルムが聞く。
「ミーク、どうだった?」
「なんかピリッてしたと思ったらここと同じような部屋に出たの。一瞬みんなの方が消えたのかと思っちゃったよ。も一回この球に触ったら戻ってこれたんだ。とりあえず、敵の気配は無かったよ」
やはりレイスンが言うように、この球体は深層へ転移する魔導装置らしい。
いったいどういう仕組みなのかなんてことはまったくわからないが、試したミークにも特に異常は無さそうだし、これを使うしか道も無さそうだ。
まぁきっと古代技術だ。マナとか使ってうまいことやってるんだろう。ガンズーは目の前の事実を素直に受け入れるようにしていた。なにせ魔法があってロボもいる世界である。そりゃあワープ装置くらいある。
「ま、先に進めるならそれでいいだろ。危なくねぇみてぇだし」
ガンズーとしては、それで十分だった。
「そ、そうだけど……なんかやっぱり、少し怖いな」
「ちょっとトルムー、あたしも行ったんだから」
「もう何回かミークに試してもらいましょうか。事故るまで」
「やめてよセノア!?」
腰を引くトルムにわめくミークに石橋を叩き壊そうとするセノア。
なにかする度にあれやこれや騒ぐのは毎度のことだった。レイスンは一歩下がって溜息を吐いている。
すると沈黙していたアノリティが、やはり黙ったまま球体に触れて転移していってしまった。
「あ」
案内役がとっとと先に行ってしまった。
そもそもろくな説明をしない彼女もどうかとは思うが、こんな所でごちゃごちゃ足踏みしていれば仕方あるまい。
「なんにせよ、行くしかないでしょうね」
レイスンが前に出て、装置に触れようとしながらトルムを見る。
「よし、行こう。じゃあ順に行って、ガンズーは――」
「向こうに危険が無ぇんなら、殿は当然俺だな」
「うん。よろしく」
トルムに答えて部屋の入口をちらと振り向く。
散々のんびりしたとはいえ、ここがダンジョンの内部であることに違いはない。気配はしないが、後ろから魔獣なんかがやってこないとも言い切れなかった。
光の線が走り、仲間が次々と転移していく。
最後にセノアが残光を散らして姿を消した。
もう一度、入り口を見る。襲撃は無い。
「おし。俺も行くか」
特に気負うこともなく、ガンズーは球体に手を触れた。
ブー
……ん?
なにか変な音が鳴った。
きょろきょろと辺りを見回す。部屋の景色は変わっていない。仲間の姿も無い。というかそもそも転移していない。装置から光が走ったりもしなかった。
「おいおい、なんだよ」
球体から手を離し、再度、触れてみる。
ブー
んん?
だからなんだよその気の抜けた音は。
さらに触れなおす。ブー。機械仕掛けの豚が油を切らしたような音が部屋中に響き渡る。
二度三度と叩くように触る。ブーブーブー。三匹に増えた。
どういうことだ? ガンズーは思った。
ひとりだけ分断させる罠? 人数制限? あるいは単純に故障か?
などと考えていると、床が光った。やっと成功したか、と思ったが違う。床から球体へ走る光は誰かがこちらへ戻ってくる光だ。
「どしたのガンズー? なんかあった?」
現れたミークが聞いてきたが、ガンズーはなんとも答えに窮した。
不思議そうな顔をした仲間たちが次々戻ってくる。つまり、装置が故障したというわけではなさそうだ。
「いや、それがなぁ……」
全員が見守る中、ガンズーはぺちんと球体に掌を置く。
分断や人数制限であるなら、今度こそ装置は発動しそうなものだが――
ブー
やはりダメだった。
もはやわけがわからない。
と、アノリティが近寄ってきた。球体に鼻先が触れそうなほど近づいて凝視している。というか触れている。不審な物を発見した猫のようだった。豚から猫か、とガンズーは思った。
きゅるきゅるきゅると、こめかみの辺りから変な音を出してから、
「ガンズー様」
アノリティはガンズーの顔を仰ぎ見た。
「お、おう?」
「ガンズー様はこの装置を使用できません」
「なんでだおい? 俺だけか?」
あれだけブーブー言われれば使えないとは薄々わかっていた。
しかしなぜ。
「今代の理解に最も近似した言葉で説明をしますと」
おう。
「魔導適正が足りていません」
おう?
「ガンズー様の魔導適正がなんらかのかたちで成長しない限り」
おおう?
「ガンズー様が先に進むのは不可能です」
…………
『 れべる : 50/50
ちりょく: 25 』
……おほー。