第二幕 第三章 【15】それぞれの道②
――人の死は見世物ではない
新王シロウの倫理的観点から、風花国での、公開処刑はなくなった。
前王天馬は、牢獄へ幽閉後、最低限の人に見守られながら斬首にされたのは、新王即位一年と少しが経った頃。
前王天馬の死は正式に、風花国の民へ報告された――。
その日。
静かに涙を呑む実子が数人。
完全に国政が新体制になることに恐れを抱く貴族。反対に、希望を抱く貴族。
だが、もっとも人々の印象に残ったのは、希望に湧き、あちこちで祝いを始める民たちの姿だった。
「シロウ陛下が即位して一年も経つのだから、確実に今後、国政は変わっていくだろう。なのに、天馬の処刑に一喜一憂するのはなぜだ」
本日の護衛、リンとともに、ナルは都を歩いていた。
昼も過ぎた時刻なのに、都は祝いムードだ。
「信じてるんでしょ、今後、もっと暮らしが豊かになるって」
「信じてどうこうなるわけではないだろう。行動してやっと変わるものだ」
風花国の官吏として国政に携わるようになり、リンは少し変わったかもしれない。
官吏とはいえ、あくまで臨時ゆえ、護衛がある日は護衛優先になる。
リンの配属先は外交部門だ。
シンジュ一人では内外の官吏にまで目を向けるのは厳しい現状ゆえ、シンジュが外交に専念できるよう、リンは内側の膿を探しつつ、官吏たちが根底から誤解している他国の常識や風花国の立場を教える、教官になっている。
一歩引いた場所から物事を見ることが出来るリンには向いている仕事だ。
素直さも健在なので、リンも気づかない発見や発言をした相手を純粋に褒めるため、教官として人気もあるという。
リンに常識を教え続けてくれたアレクサンダーの功績も大きい気がしなくもないが、さすがリンである。
「リンの言うことは正しいと思う。でも昨年まで彼らは、祈ることさえしなかった」
「それは、そうだが」
「この国は、彼らが生まれ育った、彼らの国なの」
現状を受け入れ、耐える。
それが普通で当たり前の日々。
そんな彼らが、期待を抱くようになった。祈るようになった。
いずれ、彼らのなかから積極的に国を変えたいと、行動に移す者がでるだろう。
「今学び舎に通う子どもたちは大人になれば、国の在り方を理解すると思う。国民には、正しい知識をつけ続けてほしいの。今後何十年何百年経って、万が一、王や貴族が間違った道を進み始めたとき、疑問を抱いて立ち向かえるように」
「民が? ふむ、確かに、シロウ陛下が即位するに至る経緯に、国民は関与していないうえ、即位しても暫くは無関心だったな。……ナルは、遥か先を見ているのか」
「買い被りすぎ。国が国として機能するまで、出来ることをしたいと思うだけなの。って言っても、私一人の力は微々たるもので、何も出来ない自覚もある……。私、皆に助けられなきゃ生きていけないし、ここまで出来なかったから」
それに、正しい知識とナルは言ったが、ナルの正しさと他者の正しさは違うだろう。
学び舎で学んでほしいのは、ナルが押し付ける正義ではなく、あくまでこの国の常識やあり方のうえに、子どもたち自ら導き出すだろう『正しさ』だ。
ふいに、リンがナルの頭をぽんぽんと撫でた。
リンにしては珍しい仕草だ。
「頼ってもいいと教えてくれたのはナルだ。私だって、以前のまま城で暮らし続けていたら、今ごろ母に暗殺されていたかもしれない。そうなったら、兄上を酷く悲しませただろう」
「リン」
「む?」
「一緒に来てくれて、ありがとうね」
すべてを捨てて、リンはついてきてくれた。
何もない、ただの娘であるナルに。
ピタ、と頭を撫でていた手が止まり、リンがふいっと顔をそらす。
「リン?」
「なんか変だ、顔が熱い」
「照れてるの? あっ、風邪!?」
「わからない。……なんだろうな、へんな気持ちだ」
リンが俯いてしまった。
耳や首筋まで赤いが、足取りはしっかりしているし、口調に乱れもない。
暫くそうっとしておくことにした。
これから向かうのは、神殿だ。
神殿にもまた、月に一度の頻度で顔を出している。
午前中は研究所へ行き、諸々の報告を聞いてきたのだが、他国の研究員が来てくれたおかげで、サトミが少し楽になったらしい。
彼も背負うものが多すぎる一人なので、せめて、研究だけでも分け合ってくれれば余裕ができるだろう。
ベティエールいわく、派遣されてきた他国の研究員たちは、ちょっと、いや、かなり個性的な者ばかりで、一つの分野に特化しすぎた者ばかりらしい。
そんな彼らをサトミが役割分担させたことで、研究速度があがり、新しい発見があったとか。
専門分野に至っては、ナルにはさっぱりだったが。
神殿の巨大な門が見えてくると、ナルに気づいた見張りがすぐに走っていった。
来訪を知らせてくれたのだろう。
神殿は外部の者は受け付けず、神官や巫女になるには多くの洗礼が必要である。
神の住処とも言われており、清浄なる者しか神殿の門扉は開かない。
そんな神殿の門を、顔パスで通るナル。
我ながらおかしいと思うのだが、諸々の特殊な立場を鑑みて、ナルは出入り自由になった。
門を通り過ぎて、本殿の入り口にターレイが出迎えにきてくれる。
神官長補佐の彼は常に多忙なはずなのに、毎回ナルに付き添って案内をしてくれるのだ。最初はナルの見張りを兼ねているのだろうと思っていたが、どうやら本人の希望らしいと聞いてからは、仕事の邪魔をしているようで心苦しく思う。
今日のターレイも、キラキラとした瞳でナルを見ている。
とてもいい笑顔だ。
「ようこそ、お越しくださいました。心よりお待ちしておりました」
「ターレイ様、ありがとうございます」
「そのような。もっと気さくに、話してくださって宜しいのですよ。僕の気持ちはいつもナル様とともにございますので」
彼がこういう態度だから、自然とほかの神官や巫女たちも、ナルを敬ってくれる。
なので出来れば止めてほしいのだが、ターレイにとって、なぜかナルは特別らしい
ターレイが、傍に控えていた神官を振り返った。
笑顔を消した彼は抑揚のない声で「護衛の方を待合室へ」と命じる。
言いつけられた神官が、リンを促した。
いつものことなので、リンとナルは視線を交わして頷き合うと、ここで別れた。
あくまで特例はナルだけなのだ。
大きく国が変わろうとしていること、その中心にナルがいること。
それは勿論だが、今現在の神殿においてナルは何かしら特殊な存在、らしい。詳しくはナルも知らないのだが、神託が下ったとかで、ナルに関しては色々と神殿は融通を聞かせてくれる。
(神託とか、なんか嘘くさいんだけどねぇ)
変わらずナルは神様などいないと思っているし、ナルが比較的神殿で自由に振舞えるのは、フェイロンが融通を利かせてくれているからだろうと考えている。
ナルはターレイの案内で、森付近の屋敷へ向かった。
途中で、ナルは聞こうと思っていたことを思い出して、口をひらいた。
「そういえば師匠が、神殿を通して正式に『生涯独身』宣言したって聞いたけど」
つい昨日、屋敷に齎された情報である。
それを知ったシンジュが、酷く悔しそうな顔をしていた。義理の兄弟として思うところがあるのだろう。
部外者であるナルが口を出すことは憚られるが、真偽は確認しておきたい。
なぜならば、フェイロンはモテるから。
実際はモテるというより、神格化されている。フェイロン個人を崇拝している信者がごろごろいるのだ。
先の『陰陽日』の儀式の際(ちなみに、陰陽日とは、年に二度、王宮で行われる『あちらとこちらを繋ぐ』由緒正しい風花国の国儀だ)。
お偉い方々は必ず出席せねばならない儀式で、ナルは不参加でもよかったのだが、興味本位でシンジュにくっついて参加したのだ。
とてつもなく静謐な場だった。
祈祷をする際の神社と雰囲気が似ていたかもしれない。
だが、何よりナルを驚かせたのは、フェイロンを見たときの、貴族らの反応だった。
今回が初めての儀式参加となる『新たな神官長ヒリュウことフェイロン』だったのだが、そんなフェイロンを見た貴族らの幾人かは、フェイロンを見るなり石化した。
儀式が終えた瞬間、むせび泣いた者もいる。あげく、何人かが『ユーリシア大陸を見た!!』などと言い出したので、頭大丈夫かな、とナルは本気で心配したものだ。
そこまでいかずとも、フェイロンの美貌に心奪われた者が大勢おり、新たな神官長に対して「女神様」という呼び名が定着したのだ。
どこの国でも、フェイロンは女神らしい。神官長なのに。
ターレイは微笑んだ。
「元より、風花国には婚姻がございません。神殿に至っては、同衾を禁じておりますのはご存じかと」
「ええ、もちろん」
「ですが、神官長ヒリュウの血筋だけは、世継ぎを作ることを許可されているのです。あくまで、娯楽ではなく、世継ぎをつくること、という点が重要なのですが」
フェイロンは元々、神に仕える神人という者の血筋らしい。
神自ら己の血をわけて作った、いわば神と人の混血である――と、言われている。
その末裔の誰かが『神官長ヒリュウ』『姫巫女メイ』となるのだ。
「ターレイ様も、その家系じゃないの? 世継ぎ作りは許可されるのよね」
「はい。ですが、こさえた世継ぎが力を継承するとも限りませんし。神殿で育った僕としては、同衾諸々に興味がございません。それに、世継ぎ作りは手順や規則も厳しいので、僕はそんな面倒、ごめん被ります」
「……そんなに大変なんだ」
「神官長ヒリュウは、さらに面倒な縛り、ごほん失礼を。面倒、ではなく、大切な責務諸々が伴います。それならば、皆から女神と呼ばれて作り笑顔で手を振っているほうが、余程楽でしょう。ただでさえ、神官長の職務は多忙なのです」
「……確かに」
世継ぎ作りは、神殿では仕事の一環になるのか。
どちらでもいいのならば、厄介な仕事は背負い込まないに限る。神官長になると決めたとき、フェイロンはすべてを理解し、決意のもと、行動を起こしたのだろう。
(まぁ、女神様に子どもが出来たら、なんか人間味? 違うかな、人間感? でてくるものね)
有名アイドルが実は結婚してた! と知ったファンが、ファンを辞めるのと同じで、イメージというのも大切なのだろう。
「それから、これはおそらくですが。先月発布された婚姻に関する法が、来月から施行されるそうですね。それに備えて、神官長ヒリュウは、先手を打たれたのでしょう。申し込みをする輩が必ず出てきますので」
「あ、なるほど」
「ちなみに僕は、一妻多夫でも歓迎いたしますよ」
にっこりとそういうターレイに、笑顔を返す。
ターレイがナルを慕ってくれるのは理解しているが、そこには、別の思惑もあるように思う。
なぜならば、ターレイのナルに対する賛辞などの言葉は、すべるように口からこぼれてくるのだ。
つまり、軽いのだ。
「ターレイ様って……」
「なんでしょう?」
「実は結構、めんどくさがり屋だったりする?」
「はい。ですので、ナル様が今の神官長を連れてきてくださって心から感謝しております。僕は、トップに立つ人間ではないので」
「私が連れてきたわけじゃないんだけど」
「だからこそ、凄いのです。神官長って融通のきかない堅物で、何もかもそつなくこなすタイプですね。でも、あなたのことにだけは本気になる。結果論ですが、ナル様のおかげで僕は助かったんです。神官長の任務から解放されましたし、世間は現神官長を求めている。お役御免となった僕は、かなり自由になれましたよ。ナル様は僕にとっての救世主です。心の底からあなたを愛している狂信者だと、胸をはれます!」
慕ってくれている理由が思っていたのと違った。
知らぬ間に、狂信者ができていたのだった。
季節が移り変わり、すっかり初夏の自然になっていた。
ナルがここでひと月みっちりと勉強したときとは違い、木々は青々とした濃い匂いを発している。
だが、転生者が住まうアパート型の屋敷はそのままだ。
外に出た瞬間、雲間から日差しが降り注いで、眩しさに目を眇めた。
日差しは然程強くないが、揺れる木陰が動くことで風が優しい景色を見せる。
そんな木陰に寝転び、読書に勤しむ男が一人いた。
かつては長かった桃色の髪をばっさりと切り、坊主に近い頭にした彼は、真剣に分厚い本を読んでいる。
黙って読書に勤しむ姿は、文句なしにイケオジだ。
「おーい、天馬―」
少し近づいた頃、軽く手を振って声をかけると、イケオジが顔をあげた。
途端に、凛々しいイケオジが、にやりと悪だくみをする悪戯っ子のような表情になる。
「よぉ、久しぶりじゃん」
「どうよ、元気でやってる?」
「残念ながら元気だわ。俺、長生きすっかも」
世間で処刑されたことになっている天馬は、神殿の絶対的法のもと、転生者として勤勉に励んでいる。ナルも経験したように、転生者に与えられる科目試験に受かれば卒業でき、神殿から出られる――つまり、卒業しない限り神殿からは出られない。
後宮ではやたら気取った様子だった天馬だが、ここにきてからは、完全に素の姿に戻っている。
ナルは彼の隣に座ると、天馬が読んでいる本の表紙を見て驚いた。
「それ、転生者の記録?」
「そ。勉強科目関係ねぇけどな。つか、お前と約束した通り、俺は生涯ここで、風花国のために生きるって決めたじゃん? その手始めに、ちょっとこれをな」
――生きて償うには、重すぎるだろ。俺がやったことって。……ほんと、なんであんなに気が大きくなってたんだろなぁ、俺
投獄から数ヶ月経って様子を見に行った天馬は、そう言った。
そしてナルに直接、死刑を望んできた。
そんなに簡単に死ねるはずなどないと切り捨て、ナルは天馬をここへ連れてきたのだ。
「いい覚悟じゃないの」
「あ、そうだ。ちと気になることがあってさ」
天馬は、今まで読んでいた本をぱらぱらとめくって、気になる記述をあげていく。それは本というよりも、紙を束ねたバインダーのようなものだった。
記録内容は、これまで神殿が保護してきた転生者についてだ。
おもに職業や出身地、前世での名前などが記載されているが、時折、死んだ理由を記載している者がいる。
「事故ないし殺害された者ばっかりなんだよ。それも、本人にほとんど落ち度がないっつーかさ」
「転生する条件の一つかもね。私は病死だったけど……んん、でも、追い込まれて身体を弱らせたんだから、ある意味殺人に繋がる?」
「あと、全員日本人なんだよ」
天馬は本を閉じて、んー、と考えを纏めるように唸る。
屋敷を見上げ、神殿を見た。
「ラノベとかでさ、神様が転生させてくれたりする話あるけど、俺よく覚えてないんだよなぁ。死んだあと、神様に会ったかどうか」
「私だってそうよ」
「あとさ、ナルが神託を受けたっぽい場所って、映画館なんだろ? なんで映画館?」
「さぁ。映像で何があったか説明したかったとか」
「神様なら、脳裏に直接植え付けたりできねぇのかな。それに、後半、声がぶつぶつ途切れてたって言ってたよな。それって、マイクじゃね?」
びっくりするほどナルが興味のない分野だが、天馬の言いたいことはわかった。
「もしかしたら神を名乗ってるやつって、すっげぇ科学者じゃねぇかなぁっていうのが、俺の今の仮定」
ある意味面白いかもしれない。
神をあがめる神殿で、神を否定するのはどうかと思うけれども。
ナルにとってまったく興味がないことでも、神殿の存在は風花国にとって重要だ。
神殿内部やこれまでの歴史を研究してくれるのならば、大変有難い。
風花国は、風花国民のものだ。
いつまでも、神託やら神のお告げやらに頼っているわけにはいかない、というのがナルの考えである。
人は学び、成長し、進化する。
そうなれば、いずれ神殿が不要になる日もくるだろう。
そのとき、天馬がこれから行う研究が役立つかもしれない。
ナルはいくつか天馬と言葉を交わしてから、神殿をあとにした。
今後、天馬は死ぬまで神殿のなかで生き続ける。
神殿内でも天馬の存在は秘匿にされているため、ほとんどの者が知らない。
天馬自身も、神殿の外の情報は入ってこない。
彼の子も妻も、天馬は死んだものと思っている。
天馬に会いにくるのは、ナルだけ。
そんな孤独な場で、彼は風花国のためになるかもしれない研究を、死ぬ間際まで、一人で行い続けることになる。
それが、ナルが天馬に課した懺悔だった。
「くっ、くくく」
酒を片手にご機嫌なシンジュに、ナルは首を傾げた。
今日の夕食は、寝室で二人きり。
風花国へ越してきてからも、日々の基本的な生活は変わらない。
唯一変化があったとしたら、夕食だろう。
夫婦揃う日は、食堂ではなく寝室でゆったりと話をしながら食べるのだ。
現在はいわゆる共働き状態なので、帰宅や就寝時間がなかなか合わない。
シンジュに至っては、モーレスロウ王国にいたとき同様、仕事で泊まり込むことも少なくなかった。
今日は久しぶりの、夫婦で過ごす日。
ナルのテンションも、ほんのり上がるというものだ。
「シンジュ様。何か、いいことがあったんですか?」
「ああ。お前を狙っていた右大臣の子飼いを、すべて排除できた」
「……え?」
ナルは忘れていたことだが、モーレスロウ王国から柳花国、そして風花国と旅をしてきた際に、毎夜のごとく襲撃にあった。
その襲撃者を、シンジュはずっと追っていたそうだ。
ナルとしては、天馬が右大臣にベティエールを殺すよう命じた、ということを聞きだした時点で満足していたが、シンジュはそうではなかったらしい。
右大臣に忠実だった、子飼い暗殺者たちを探したのだ。
ピッタを見張っていた者を捕らえ、そこから一年を費やし、やっとのこと全員捕縛成功。
そののち、処分したということだ。
「裏ルートで雇った者の足がつきにくいのは、どの国でも変わらずだな。風花国は権力者のもみ消しが常なのでわかりやすいとはいえ、右大臣の命令によってモーレスロウ王国で行われた悪事については暴くのに苦労した」
(……処分しちゃったのか)
新たな刑法の施行前に、旧法律で裁いておこうというシンジュの魂胆が見えた気がした。
「どれも凄腕の暗殺者ばかりだったな」
「さすが元右大臣ですね。よく知らないんですが、結構カリスマ性のある人だったとか」
「敵を褒めるな。今褒められるべきは、お前を守り抜いたジーンだろう」
シンジュはそう言って、酒を傾ける。
ジーン、という言葉に一瞬、きょとんとしてしまったのは、サトミと呼び慣れてしまったからだ。
だが、シンジュの言うことは尤もだと、神妙に頷いた。
「ナル」
「なんでしょう」
「どんな理由があれ、ジーンはお前を守り抜いた。お前としても、私よりジーンと一緒になったほうが、幸せになれるのではないか? 歳も近く、これから過ごす時間も長かろう」
「……はい? え、ご命令ですか?」
言葉の真意を掴みかねて、首を傾げる。
「ご命令でしたら従いますが……えっと、ジーンと結婚しろってことですよね」
「……」
「シンジュ様がお望みならば、そのようにします。……が」
とん、と手に持っていたカップを置いた。
「私はシンジュ様と共にいたいです。シンジュ様だって、こっそり私のこと守ってくれてるの知ってるんですから」
「ほう?」
にやり、と悪い顔をするシンジュ。
どこまでも似合うその笑顔に、ナルはなんとなく、ぷいっと顔をそらした。
「少なくとも今の私が赤ちゃんを産みたいと思うのは、シンジュ様だけです」
「お前……!」
「それで、ジーンに近づいて何を探れば――はい?」
シンジュが仰々しく驚いた素振りをしたので、ナルのほうが驚いた。
お互い、こぼれんばかりに目を見張っている。
「なんですか? 変なこと言いました?」
「……産む気があったのか」
「え」
「のらりくらりと避けて、私の子を産みたくないのかと」
「とんでもない。最近忙しかったから、なかなか、その、夫婦の営みを出来なかっただけで。避けてませんよ? あの、話を戻しますけど、私はジーンと結婚したらいいんですか?」
「……」
「……あの?」
「今の話は、なかったことにしろ」
「何か調べたいことがあったんじゃないんですか?」
「少し酔っているだけだ、なんでもない」
シンジュはぐいっと酒を煽ると、グラスを置く。
机を回り込んでナルの隣に座ると、手首を掴まれ、そのまま押し倒された。
「旦那様?」
驚いている間に着物の帯を解かれた。
はらりと着物がはだけて、胸を覆っている帯も手際よく取り除かれる。
露出した肌を慌てて隠すと、ナルの上に覆いかぶさったままのシンジュが笑った。
「着物もよいものだな」
「……旦那様、えっちな顔してます」
「久しぶりだからな。しかも、愛妻から子作りの許可が出たんだ。興奮しないわけがなかろう」
「あ、あの。今日は汗をかいたので、お風呂へ行きたいんですが」
ちら、と胸元を隠しながらシンジュを窺う。
即却下されると思ったが、シンジュは思案顔をした。
「風呂か。……趣向としては悪くない。むしろ好む。だが、のぼせるだろう? 落ち着いて営むには、部屋のほうがよい」
「お風呂に行ってくるので待っててくださいって話です!」
なぜ一緒に入ることになってるのか。
むぅ、と睨みつけるナルを、シンジュの柔らかな視線が受け止める。
「私は、充分過ぎるほど待ったと思うが」
顔が近づいてきて、唇が合わさる。
夫婦になってから二年近く経つというのに、未だに慣れないのは、それほど回数を重ねていないからだ。
素肌に触れる男の手の感触に身体が火照り、なんの迷いもなく身を委ねる。
心地よい波に揺られ、視界が潤み、快楽を貪った。
「ナル」
耳元で囁かれる声は、熱を帯びていて。
荒い呼吸のなかで紡がれる名前に、胸の奥がきゅうと切なく歓喜に震える。
「愛している。死ぬまで離してやらんから、覚悟しておけ」
熱い吐息が肌を撫で、囁かれた言葉に身体を震わせた。
無我夢中でシンジュにしがみつき、無意識のなかで、シンジュの名前を呼ぶ。
快楽に溶けていく意識のなか、涙がこぼれた。
ナルが生きてる罪を、受け止め、受け入れてくれる夫がいる。
それだけで、ナルは立っていられる。
そして。
これからも歩み続けていけるのだ――。
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