8、女の子は、雑貨とメイクがお好き
「ねぇ、それはなに?」
「奥様⁉」
カシアに案内されて、使用人の女性用休憩室へ顔を覗かせたのは、その日の昼過ぎだった。
使用人たちからすれば、いい迷惑だろう。
ナルがやってくると、部屋にいた二人の使用人は、大慌てで立ち上がって頭をさげた。
「ごめんなさい、突然」
「い、いいえ、とんでもございません」
使用人の休憩室とはいえ、屋敷のなかにある部屋の一つに過ぎない。不可侵領域ではないため、ナルがきても問題ないはずだ。
(まぁでも、せっかくの昼休みに課長とか社長が休憩室にいきなりきたら、休憩どころじゃなくなるけどねぇ)
自分がいかに酷なことをしているか改めて考えたが、もうあとには引けない。
休憩室にいた二人は、ナルやカシアと同じ年頃の少女だった。
三つ編みを後ろで結んでいるのが、メルル。
眼鏡をかけた子が、ファーミアという。
二人がいた机に、雑貨や化粧品が雑多に置いてあった。
それに目をやったナルに、メルルが慌てて謝罪をした。
「申し訳ございません、すぐに片付けますので」
「ねぇ、そのマスコット、持っていたら願いが叶うっていうカナウサギじゃない?」
ナルが、机の上に二個転がっている、人差し指サイズのうさぎのぬいぐるみを指さした。
「えっ、ご存じなんですかぁ?」
「ファーミア!」
ファーミアは、きらきらと瞳を輝かせてナルをみた。
それを咎めたのは、メルルだ。
「今、王都で流行ってるよね。色ごとに、叶う願いが違うとか」
「そうなんですよ~。奥様がご存じだなんて、嬉しいです!」
ファーミアは、にんまりと笑って、机のうさぎ二つを手にとった。
「こっちが私のカナウサギで、グリーンと水色。願いは、無病息災です!」
「無病息災って、健康面で不安があるの?」
「どこも悪くないんですが、私はおっぱいが大きいのが悩みなので、少しでも小さくなればいいなぁって」
しゅん、と俯くファーミアの、先ほどから見ないようにしていた胸へ視線を向ける。
無病息災が、その願いとなんの関係があるのかは、さておき。
(デカイ、よねぇ)
ファーミアの背後に回って、服の上から両方の胸を持ち上げるように触る。ずしりと柔らかい感触がした。
大きすぎて、ナルの手から余裕でこぼれている。
「おっ、奥様っ」
「なかなかいいもの持ってるのね」
「あっ、そこっ、もんだらっ、あぁっ」
「ふむふむ。羨ましい限りだわ」
「――奥様」
カシアのびしっとした冷やかな声に、ナルははっとした。
いけない。これはセクハラだ。友達同士ならまだしも、ファーミアは嫌でも断れない立場なのだから。
「ご、ごめんね?」
「いいえっ、奥様が、その、お望みでしたら、いくらでも……どうぞ」
ぽ、と赤くなるファーミアは、問答無用で可愛らしい。
思わず、「え、妖精?」と呟いてしまったほどだ。
「奥様、ファーミアはこうやって皆を誑かしているのです。無意識ですから、尚のことたちが悪い。どうか、騙されませんよう」
「か、かしあ⁉ 酷いわっ、私、誑かしてなんかないもん」
「そのように幼いふりをして、あなた、私より年上でしょう?」
ファーミアは、むぅと俯いてしまう。
確か、カシアが十七歳。
ナルも十七歳だがもうすぐ誕生日を迎えるため、カシアのほうが一つ年下だ。
ファーミアは十九歳。
メルルは十六歳だったか。
使用人二人が軽口をたたきあう様子を、ぽかんと見ていたメルルは、はっとしてナルに頭をさげる。
「も、申し訳ございません」
「どうして?」
「その……騒がしく致しまして」
「休憩室へ来たのは私だもの、承知の上よ。むしろ貴重な休憩時間をつぶして悪いと思ってるの」
「滅相もございません!」
メルルは超のつく真面目少女らしい。
彼女は、女性使用人――いわゆるメイドたちの中で、飛びぬけて美しい容姿をしている。手入れを欠かしていないだろう淡い金髪と、翡翠色の瞳も、ずっと見ていたくなるほど綺麗だ。
美人な分、無表情だと迫力があるため、淡々とした物言いが「怖い」「相手に不快を与える場合がある」と、ジザリの報告書にあったことを記憶から引っ張り出した。
(なるほどね。……十六歳か。年の割にしっかりしてるなぁ)
同じ年頃の子たちはどんな話をして、どんなふうに過ごしているか見たかったのだが。
メルルの反応からすると、ナルが使用人休憩室にくることは、やはり迷惑だろう。
ここへくるのは、今日だけにしようと決めた。
決めたからには、目的を果たしておかねば。
「もう一つのカナウサギは、メルルの?」
「……え?」
「あら、違った?」
ぽかん、とするメルルに、首を傾げてみせる。
すると横から、ファーミアがもう一体のカナウサギを差し出した。
「この、白とピンクのカナウサギは、メルルのですよ。魅惑的になれるのです!」
「魅惑的? メルルは充分魅力的なのに、これ以上?」
「は、あ、あの、は⁉ 」(※メルル)
「メルル、騙されては駄目よ。奥様もファーミア同様、こうして無意識に相手を篭絡しまくる困ったかたなの」
(カシア⁉ そんな覚え、全くないんだけどっ)
心のなかで、叫ぶ。
メルルが「奥様になんてことを」と怒る――かと、思いきや。
「そ、そうなの? ……それは、ええ、その……困ったかたね」
と、頬に手を当てて、ほっと息をついた。
まるで、恋する乙女のように。
(ええっと……んん?)
なんだか、擁護されているのか、貶されているのかわからない。
とはいえ。
ジザリの一件を機に、カシアとの距離は近づいたようだ。
歳が近いからか、メルルやファーミアとも親しくなれそうな予感がする。
少し前のカシアならば、ナルの前で堂々と軽口をたたくなど、考えられなかっただろう。やはり関わってみないことには、彼女らの本質や性格を見聞することは出来ないらしい。
関係を深めることで心配なのは、立場の垣根を越えてしまう可能性だ。主従関係の延長にある親密さというのは、なかなか判断が難しいだろう。
ふいに。
メルルがちらちらとナルを見ていることに気づいた。
「メルル、どうかした?」
「奥様、その、どうして……名前を」
「名前?」
「私の名前を、ご存じなのですか?」
(ああ、それでずっと、落ち着かない様子だったのか)
「旦那様から屋敷のことに関わっていい許可を戴いたから、少しずつ馴染んでいこうと思って。至らないことばかりだけど、よろしくね」
メルルは勿論、ファーミアも、ぽかんとした顔をした。
カシアだけが、なぜか自慢げにうっすらと微笑んでいる。
(ええっと……あ)
「それ、メイク道具でしょ。新しいやつ?」
机の上にあったチークを指さすと、ファーミアは微笑んだ。
「はいっ、購入したての春の新色でございますっ! ここのメーカー、比較的安いので私たちでも買えるんですよ」
「庶民の味方だよね、ここ。春の新色、すっごく綺麗。このピンク、ファーミアに似合うと思うよ」
ファーミアは、照れたように「えへへ」と笑ってから、
「奥様も、このメーカーの化粧品をお持ちなのですか?」
と聞いた。
ナルは、肩をすくめてみせる。
「残念ながら、私は持ってないの。カラーバリエーションもいいし、欲しいんだけど」
「でしたら、旦那様にねだってみてはどうですか?」
「ちょっ、ファーミア、あなた奥様になんてことをっ!」
メルルがファーミアの頭を押して、無理やり礼をさせた。
「あはは、いいのいいの。今は無礼講。私は、堅苦しいのは苦手だから。でもそうね、メイク道具は用意してもらっているのがあるけれど、無くなるころに自分で選んでみようかな」
年齢的に肌はまだ瑞々しい……はずだ。
とはいえ、貴族の嗜みとして、最低限のメイクはしなければならない。
ふと。
コンコン、とドアをノックする音がして、「ジザリです、こちらに奥様はいらっしゃいますか」と声がした。
「ここにいるわ、何か用?」
「奥様、報告書の件で少々ご相談がございます。よろしいでしょうか」
「ええ。……少し行ってくる。カシア、あなたも休憩に入りなさい」
かしこまりました、と頭をさげるカシアに、軽く手をあげて、ナルは使用人休憩室を出た。
(願いが叶うぬいぐるみと、化粧品か)
父が失脚するだいぶ以前から、身分を隠して王都を物色することがあった。
なぜそんなことをしたのか、理由は沢山あったが。
屋敷に充満する腐敗したような匂いと、牢獄のように閉鎖的で窮屈な空間から、僅かでも逃げたかった――それが、もっとも大きな理由だったと、今ならばわかる。
何年もお忍びで王都へ出かけてきたナルには、想像がついていた。
ファーミアやメルルのように、若い娘が夢中になるものは、大体決まっているということに。
可愛い雑貨、メイク道具。
さらに付け加えるなら、色恋関係か。
(どこでも、若い子の好みって、基本は変わらないんだよね)
そんなことが、なんだか嬉しいと感じるのは、なぜだろう。
カシアたちを休憩室に残して、ナルは少し離れた廊下でジザリが作った報告書を見た。
これは練習だ。
昨日あった出来事を、「シンジュに提出する報告書」という名目で書いてもらったものである。
ジザリいわく、シンジュに接するとき、どうも身がすくんで思い切った判断を下せなくなるという。
「うん、上出来」
ジザリは、ほっと息をついた。
「ありがとうございます」
「よく伝わる内容になってる。事実と考えを分けているのもいいと思う」
「……奥様のおかげです」
「大袈裟ねぇ。週末に旦那様へ定期で送る報告書に関しては、私は確認しないから。ジザリの判断で書くのよ。不安になったら、あなたを信じてる私や旦那様を、信じなさいね」
「はい。がんばります!」
にっぱー、と。
眩しいほどの笑顔を向けられて、ナルは目を眇めた。
(これは、予想以上に懐かれたかもしれない)
ジザリの背後に、ぶんぶんと振る尻尾が見えるようだ。
ナルは、使用人一覧のお礼を改めてジザリに伝えて、どれだけ役にたったのか具体的に伝える。
恐縮です、と言いながらも嬉しそうにするジザリに、ナルも微笑んだ。
もう少しで、方向性を間違うところだった。
世の中には、即戦力になる執事も大勢いる。
公爵家の執事ともなれば、希望者も大勢いるだろう。
だがシンジュは、あえてジザリを執事に据えた。
それだけ、ジザリが「化ける可能性がある」人材だと判断したのだろう。
縛りつけたのでは意味がない。
命じたことをこなすのは、誰だってできる。
ジザリは今、どのように行動することが相応しいのかと、自分自身を見つめ直しているところだ。
そしてそれは、ジザリ自身の「変わりたい」という意志によって、行われている。
ジザリが、執事である自覚と誇りをもち、自分自身の器を正確に測れるようになったとき。
あるじの意志を汲んで動くことのできる執事へと、変わっていくだろう。
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