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第二幕 第三章 【9】シンジュとナル①

 ナルは、自分が国王天馬に対して苛立たしく感じた理由を理解した。

 父や元ベルガン公爵も万死に値する男たちであり、彼らが齎した被害は甚大だ。被害者からすれば、相手が誰であろうと許せないだろう。


 だが、ナルが直接被害を被ったのは、天馬からだけ。

 元ベルガン公爵も最後はナルを罠に嵌めようとしたが、あれはこちらが促したところもある。


 だから、ナルは特別に、天馬に対して恨みが強いのだろう――そう思っていた。

 腹立たしいのも、そのせい。


 けれど、決定的に父らと天馬とは違うところがあった。

 それは。


「あんた、自分が正しいことしてるって思ってるのね」


 落とし穴のなかで惨めに馬糞まみれになっている天馬は、後宮で初めて会ったときのような優雅で雅な雰囲気はまったくない。

 メッキが剥がれ、隠していたみすぼらしい本性が丸見えだ。


 ナルを見上げたまま、天馬は小さく身体を震わせた。

 天馬の口が何か動くが、聞き取れないし、どうでもよかった。


「あんたの言ってることってつまり、自分は特別だから何しても許されるってことでしょ?」


 また、天馬が何かを言おうとした。

 だが、声はナルまで届かない。


「……くだらない。心の底から、救いようのない男だわ」


 ナルは表情一つ変えず、天馬に背を向けた。

 隣で拳を握り締めているサトミの腕に、そっと手を添える。


「行きましょう」

「……はい」


 サトミはまだ不満があるようだったが、ぐっと目を瞑ることで想いを振り払った。

 ナルは、ちら、と小太郎という小姓を見たが、どうやら彼が、シンジュが潜入させていたという『諜報員』らしい。


(……お嬢様、って呼ばれたら、誰かすぐわかっちゃうから……)


 元より隠す気はないのだろう。

 サトミがロイクと呼んだのだから、刑部省では『ロイク』と名乗っているのだと記憶に留めた。


 彼はこのまま天馬の見張りをするのだろうか。

 シロウがくるころには、姿をくらますのだろうか。


 どちらにせよ、シンジュ側の者なのだからナルが気にすることはない。


 落とし穴から離れて王族専用の避難通路まできた。

 シロウが下調べで確立しておいた地下通路だ。

 あえてこちら側を開けておけば、この通路を利用して天馬が逃亡するだろうことを企んでの制圧順序であった。


 地下通路の途中で、ふと、サトミが足をとめた。

 二人それぞれ手に蝋燭を持っているので、一人が止まると明かりの加減ですぐにわかる。


「どうしたの?」

「……時次郎は、私のせいで殺されたんですね」


 サトミが自嘲する。

 いつも飄々としている彼にしては珍しい、と思ってすぐに考えを改めた。

 ここ最近、サトミはこうして本心をさらけ出してくれることがある。

 相変わらず冗談か本当なのかわからないときや、何をしているのか意味不明の言動もあるが、それでも心を許されてきているように思えて嬉しかった。


「花夏目家の者を敵視しているのは知ってました。だから、あなたを囮に天馬の行動を見張れた。でも……それは、私が武官として仕えていた頃も同じだったようです。私が武官になったから、それを利用して……やつは、時次郎を……」


 ナルは「それは――」と言いかけて、止めた。

 つい先程、ナルが天馬に『時次郎との関係』について聞いたとき、露骨に天馬は表情と雰囲気を変えた。

 あの瞬間、ナルは本能的にあの場を離れなければならないと察した。


 気づいてしまったからだ。

 本当の黒幕を。

 誰も知らないだろう、すべての者たちを手のひらの上で操っていた者の存在を。


 でもそれは、ナルが勝手に想像しただけに過ぎず、事実かどうかわからない。

 仮に真実であっても、今後の行動に支障はないのだから、あえて()()を明らかにする必要はないと考えた。


 ナルは強引に頭から考えを振り払う。

 今は自分がやるべきことをやる、それだけだ。


 ナルはサトミの腕にそっと手を置いた。


「だったら、最初からやっぱり天馬が悪いんじゃない。サトミは当時を後悔してるのかもしれないけど、当時、国王が絡んでるなんて気づけた自信あるの?」

「それは……不可能ですね」


 サトミは、深いため息をついた。

 苦笑を浮かべると、いつものように肩をすくめてみせる。


「あなたの言う通り、後悔しても仕方ありません。今やるべきことをやります」

「そうね」

「ところで、あの馬糞なんですが。貴族夫人がやることじゃないと思うんですよねぇ」


(そっちに話が行っちゃうかー!)


 ナルは、さりげなく視線をそっぽへ向ける。

 あの落とし穴及び馬糞を敷き詰める計画は、ナルが強引にねじ込んだのだ。

 ナルは忘れない。

 モーレスロウ王国王都で、シンジュの屋敷で、食らった精神的ダメージを。


「それはほら、サトミが人工的なうんこは作りたくないっていうから。作ってほしかったのに! そしたら、馬糞にせずに済んだのよ?」

「いやいや、糞の種類について論じてるわけじゃなくてですね。落とし穴の底に馬糞を敷き詰めて、そこに相手を落としてせせら笑う貴族夫人なんて、ドン引きですからね」


 ナルは、ぱっと微笑んだ。

 てっきり叱られると思っていたのだが、サトミから怒りは感じられなかったため、ほっと力を抜く。


「褒めないでよ、照れるじゃない! うふふ、我ながらよくできたと思ってるの。予定調和のごとく嵌ってくれたしね」

「……変なところだけ前向きに受け取らないで貰えます?」

「…………まぁ、ベティを狙うのにうんこを選んだのは、天馬じゃなかったみたいだけど。というか、そもそも私が狙われたわけじゃなかったんだけどね。二次被害に遭った身としては、あれくらい許されると思うの」

「どのみち、天馬の今後の処遇を思えば軽いものかもしれませんね」


 長い地下通路を抜けると、出入り口を守ってくれていたアレクサンダーとリンに合流した。

 王族専用避難通路だが、万が一、この出入り口を押さえられてしまえば、永遠に地下へ閉じこめられかねないゆえ、もっとも信用できる護衛ふたりを残したのだ。


 本当は、ナルの個人的な恨みを払うために『天馬と対話したい』なんて無茶な行動に付き合わせるのが忍びなかったからだが、それは秘密である。

 ちなみにサトミに同行して貰ったのは、表向きは内部について詳しいという理由からだ。

 だが実際は、時次郎や勝也の件で、サトミもまた、天馬には恨みがあると感じたからだった。そんなサトミにも天馬がどんな人物か知ってもらい、心の奥底にある恨みを僅かでも今後消化出来ればよいと考えたのだ。


「ナル、叔父上が呼んでいるぞ」


 シロウたちと合流する予定の場所へ、一足先に向かおう。

 そう思って歩き出したナルに、リンが言った。


 聞き間違いかと首を傾げて振り向いたナルに、アレクサンダーが頷く。


「ベティエール様が遣いで来たから間違いないよ。ナルが戻ってきたら、連れてきてほしいと頼まれた」

「……ベティに?」

「うむ。叔父上が呼んでいるから、来てほしいと。だが、ナルが断るなら行かなくてもいいと思うぞ」


 リンはそう言って、美しく微笑む。

 美貌が眩しいが、シンジュ至上主義だったリンがナルに、シンジュからの伝言を『無視してもいいんじゃない?』と助言するなど、驚きだ。


「あ、いえ、行くわ。案内を頼める? 場所わかるかな」


 二人が場所を言うと、サトミが顔を顰めた。

 そしてなぜか遠い目をして「あそこですか」と呟く。どうやら、この戦火のなかでも安全な場所らしく、サトミが案内してくれることになり、四人でシンジュが待っているという場所へ向かった。



 *



 ナルは、遠い目をした。

 シンジュは、持ち込んだテーブルと椅子に貴族らしく優雅に座り、ベティエールが作っただろうクッキーを摘まみながら紅茶を嗜んでいた。


 王宮を中心に、七カ所へ見張り台が設置されている。

 見張り台とは名ばかりの石造りの塔だが、一定間隔に設置されているわけではなく、三つ近い場所に並ぶ箇所がある。

 それは、王宮内の森林近く――天馬が落とし穴のなかで喚き、王族専用の避難通路へと通じる、あの近辺だ。

 ここの見張り台同士は渡り廊下で繋がっており、すべてが石で出来ているため、明かりを取り入れるよう壁をいくつかくり抜いてある。


 その渡り廊下の一つに、シンジュはいた。

 シンジュが見つめる向こうは、石壁がくり抜かれた明り取りの窓となっており、とても見晴らしがいい。

 しかも、シンジュが座っている場所からは、ピンポイントで天馬の落とし穴が見えた。

 それだけではない。

 渡り廊下は高所にあるため、あちこちで上がる『作戦完了ののろし』もひと目で確認できる。


「……なに、してるんですか」

「特等席での見物だが?」


 にやりと笑うシンジュを見て、さすがバロックスの叔父だという謎の感想を得た。

 しかも、風花国に来て、モーレスロウ王国風のテーブルと椅子、紅茶まで用意し、焼き立てのクッキーまで摘まんで――。


「ゆ、優雅、ですね」

「ふん、当然だ。この日をどれだけ待ちわびたかお前にわかるまい。……最高の場所で、最高の状態で、見物したいだろう」


 ナルとは違った感覚だが、言わんとしていることはわからなくもない。

 シンジュは、ルルフェウスの戦いのあと、周囲に悟られずに、ごく一部の者たちを動かし、己がすべて責任を取る覚悟で奔走してきたのだから。

 ナルはそれをつい最近知ったばかりで、あのときは教えてくれてもよかったのにと不貞腐れたけれど。

 後々考えたナルは、シンジュは自分一人が抱えることで、ナルや他の者たちを守ろうとしてくれたのだとわかった。


 ベティエールがナルへ椅子をすすめる。

 執事のように完璧な所作に驚きつつ、以前より引き締まったベティエールの筋肉を観察しながら椅子へ座る。


(今度機会があれば、触らせてもらおう)


 筋肉は硬いのか、柔らかいのか。

 場所によって違うのか。

 これは決して不埒な考えではなく、人として当然の疑問なのだ。


(出来れば撫でまわしたいけど)


 そんな自分の考えを頭の隅へおいやって、差し出された紅茶を見る。

 失礼致します、とアレクサンダーが少し口に含み、味や臭い、刺激などを確認したあと、ナルに「どうぞ」と差し出した。

 異国での毒見は当たり前らしい。

 それは相手がシンジュだとしても、アレクサンダー的には同じようだった。


 無事が確認された紅茶を飲み、ベティエールの紅茶の味に、ナルは瞳を輝かせる。


「美味しい! ベティ、すっごく美味しい!」


 シンジュの後ろに控えたベティエールは、微笑んでクッキーの皿も差し出してくれる。

 もはや毒見を待たずに食べてアレクサンダーに睨まれつつも、ほろりと口のなかで崩れる懐かしい至上の味に、うっとりとした。


 などと茶会に混ざりながらも、ナルはしっかりと窓の外、順番にあがっていくのろしを確認する。

 そして、落とし穴にはまったままの天馬を、シロウが率いる部隊が捕らえたのを目視する。シロウの手で、橙の色がついたのろしが上げられ、全軍に国王捕縛が知らされた。


 ナルは、カチャリとカップを置いた。

 紅茶タイムはここまでだ。

 モーレスロウ王都の屋敷と似たような優しい雰囲気での紅茶はとても美味しくて、泣きそうになるくらい懐かしい。


 ナルは、真っ直ぐシンジュをみた。

 色々な掴みの話題を考えていたが、その全部が引っ込んでしまう。


 モーレスロウ王国を出ると決めたとき、シンジュと交わした約束があった。


 まず、無事という連絡をいれること。

 可能ならばシンジュの元へ戻ることになるが――万が一、シンジュと夫婦でいることが、ナルのやりたいことの枷になるようならば、そのときは離婚に応じる、というもの。


 それらの答えを聞くために、シンジュはあえてナルをここへ呼んだのだろう。

 アレクサンダーから、シンジュからの遣いが来たと聞いた時点で察していた。こうしてシンジュに直接切り出すのはもっと先だと考えていたナルにとって、これから行わねばならないやりとりは、とてつもなく辛い。


 だが、効率を考えると、話すタイミングは今しかないような気がした。

 シンジュは特使としてここへ来ているため、本国へ戻る日程もある。

 ナルとしても、天馬を捕縛したこのあとからが本格的に多忙となり、身辺の警護にも気を張らねばならなくなるのだ。


(……本当に、出来た旦那様だわ)


 私には勿体ないくらい、とナルは思う。

 ナルはそっと息をついて、顔をあげた。


「シンジュ様」


 シンジュが、ゆっくりと視線を窓からナルへ移す。


「お招きくださって、ありがとうございます」

「手間を省くためだ。話があるのだろう?」


 ナルは頷いて、無理やり微笑んでみせた。


「私は元気です。まだ楽観視は出来ませんが、概ね目的も達成しました。今後についてはざっくりとした流れを決めてあるため、細部に至ってはその場その場で判断し、行動していく予定です」

「ほう」

「シンジュ様。私……この国に、風花国に、残ろうと思います」


 ベティエールが、大きく目を見張るのが視界に映る。

 シンジュは表情を変えず、手に持っていた紅茶カップに口をつけて、再び顔をあげた。


「それで?」

「私は、私のやりたいことのために、風花国に残ります。シンジュ様、どうか私を、モーレスロウ王国大公の妻から外してくださいませ。……離婚、してください」


 即却下された以前とは違う。

 今度は、ナルが主体となる確固たる理由がある。


 ナルは震える拳を膝の上で握り締め、泣きそうになるのを堪えて、微笑んだ。



閲覧、評価、ブクマ等などありがとうございます!


次は【シンジュとナル②】となります。

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