表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

86/108

第二幕 第三章 【8】転生

 天馬は、この世界は不公平だと常々考えていた。

 真っ当に生きても、一部のずる賢いやつらが得をする。真面目に真っ直ぐに、ただ必死に生きた天馬が、どうして二十七という若さで死なねばならなかったのか、何度考えてもわからなかった。


 小学生の頃は、それなりに楽しかった。中学生になってから、ほかの皆と勉強に差がついてきて、授業に追いつけなくなった。

 アニメや漫画にはまって、部屋にこもる時間が多くなり、高校は通信制へ進学して、卒業後は専門学校でメカニック関係の資格を取る。

 就職先は中小企業で給料も安かったが、楽しい社会人生活を過ごした。

 思えばあの頃が最も輝ける時期だっただろう。


 解雇を言い渡されたその日までは――。


 解雇の理由は、経費の着服。

 天馬には身に覚えのないことで、解雇通達を受けた足で、自分を可愛がってくれていた先輩社員の元へ向かった。助けを求めたのだ。


『いやぁ、あいつマジうざいよな。例の横領さ、俺が、あいつがしたように仕込んでやったの。そしたら社長が信じて――』


 可愛がってくれていた、頼りになる、先輩社員がタバコ片手に笑っていた。

 天馬は眩暈を覚えて――その足で、隣の給湯室から沸騰したヤカンを持ち出し、先輩社員に投げつけた。

 天馬にもかかったが、熱さより怒りが沸点に達していた。

 現場は阿鼻叫喚。

 警察が来て捕らえられたが、事情聴取ののち、天馬の「横領」については無実が証明された。ヤカンを投げつけた件についても、相手が被害届を出さなかったことから、大袈裟には至らなかった。


 その後、天馬は人間不信になって仕事を辞めた。

 誤解だったのだから辞めなくていいと言われたが、あのまま勤め続けるほど天馬の神経は図太くはない。

 貯蓄を崩して、ネット小説を読み漁り、最低限の食事と惰眠を貪り、だらだらと過ごす日々。


 両親は天馬を腫れものでも扱うかのように関わり、定期的な仕送りを送ってきたが、手紙や電話、メールなどは一切こなかった。

 思春期真っただ中の頃、ほんの少しだけ、感情的になって怒りをぶつけたことで、両親と天馬のあいだに埋めようのない溝を作ってしまったようだ。


 そしてそれは、二十七歳の冬に起きた。

 深夜にコンビニへ出かけようとアパートの階段を下りた瞬間、誰かがぶつかってきた。驚いて振り返ると、獣のように瞳をギラギラさせた元上司がいた。

 目には隈、やつれて細く、髭も剃っていない不衛生な姿だった。


(こいつ、俺に横領の罪をかぶせようとしたことで、会社から解雇されたんだっけ)

 その後家庭も崩壊し、妻と離婚したとも聞いた。


 荒んだ姿に、ざまぁみろと思った天馬は、本能的に脇腹を手で押さえた。

 ぬるりとしたものが触れて、仄暗いなかで目を凝らして見ると、それは血で。

 先輩は、天馬を刺した。

 何度も、何度も、動かなくなっても、何度も――。


(マジで、クソみてぇな人生だったわ)


 醜い男にめった刺しにされ、最後に見たのは星もない真っ暗な夜空だった。

 天馬の意識は、そこで途絶えた。


 次に目が覚めたとき、天馬は赤子になっていた。

 なぜこうなったのか、わからない。

 周囲の人たちは日本語を話しているものの、見た目は平安時代のような古い衣類を纏っている。


 覚えている限り記憶を辿ったが、会社の元先輩に逆恨みで殺されて――その後、どこか白い場所にいたような気がするが、記憶が曖昧だった。

 だが、日々を過ごすにつれて、天馬は理解する。


 これは、転生というやつだ。

 そう、ラノベやネット小説でよく読んだ『異世界転生』のセオリーである。


 天馬はなんと、風花国という一国の王子に生まれ変わった。


(今度こそ、俺は俺の幸せを掴んでみせる!)


 天馬は、己の力を確信した。

 なぜなら俺は、主人公だから――と、天馬は考えて、第二の人生を歩み始めたのだ。


 ところが。

 せっかく転生したのに、どうやら天馬の頭の構造は前世と同じく中の下ほどらしい。

 魔法や魔術といったチートスキルもなく、前世の記憶を生かした何かが出来るわけもなく、王子は王子でも第四王子という微妙な立場だった。

 来る日も来る日も勉強。

 政治に歴史、経済、他国の言語まで。

 勉強に嫌気がさし、教師から逃げ出して王宮の庭をふらふらしていた――あれは、八歳の頃。


 同じ年頃ほどの、少年に出会った。

 花夏目時次郎という少年は、幼くしてその才能を買われ、その日初めて王宮へ招かれたのだという。

 同じ年ごろでも違うものだと嫉妬を覚えたが、話してみれば、なんと時次郎も転生者であり、同郷の者だった。


 その日初めて、天馬に友達が出来た。

 王子として偉そうにするのも楽しかったが、同じ年ごろの子と和気あいあいとした話をするのは、もっと楽しかったのだ。






「……ん」


 ごろん、と天馬は寝返りを打つ。

 喉が渇いて、枕もとの水差しを取った。

 喉を潤して髪をかき上げ、ため息をつく。


(昔の夢か)


 久しく見ていなかった、前世の夢だ。

 幼き日の時次郎も夢に出てきた。


 あの頃は、時次郎も天馬も無邪気だった。

 身体が幼く、感情や精神が身体の年齢に引っ張られていたのだろう。


(……裏切者め)


 時次郎は裏切った。

 天馬を、いや、この国そのものを。

 だから――天馬は、時次郎を粛清した。


 そのとき、天啓がひらいた気がした。

 かつて親友だった時次郎を粛清したことで、己がやるべきことが見えたのだ。


(――俺は、この害虫どもを屠って、真なる王になるべく転生したのだ)


 やはり天馬は、主人公だった。

 これこそ、天馬が前世で夢中になって読んだ転生もののセオリーである。


 あのときの直感は間違っていなかったのだと、今ならばはっきりと言いきれた。

 今や、この国は天馬のもの。

 何もかもが思い通りなのだから。


 もうひと眠りしようかと思ったが、目が覚めてしまった。

 このまま起きようと半身を起こした天馬は、ふいに慌ただしく駆けてくる足音に眉をひそめた。

 暫くして、脇の部屋で控えていた小姓の小太郎から声がかかる。

 入室を許可すると、小太郎は天馬の傍へ身を屈めた。


 二十代半ばほどのこの小姓は、天馬に忠実だ。

 むしろ、忠実過ぎて時折鬱陶しいこともあるが、それだけ天馬が偉いと理解しているのだから、優秀な小姓といえた。


「どうした」


 余裕をみせて、そっと問う。

 天馬は風花国の王であり、優しく理知的であらねばならない。当然理想を演じるのだからストレスが溜まるが、それは右大臣を通して発散していた。


 権力とは、素晴らしい。

 村を滅ぼすことも、無関係な国同士に戦いの種を撒くことも、人をいたぶって殺すことだってできる。

 一見、ラノベの主人公には相応しくない行為に思えるかもしれないが、これは仕方がないことなのだ。天馬にもストレスはかかるし、常に天馬が余裕であるためにストレス発散はかかせない。

 犠牲になった者たちには、むしろ、天馬の役にたてたのだから感謝してほしいほどである。


 小太郎は、淡々と言った。


「謀反が起きたようです」

「……は?」


 思わず聞き返した。

 調べでは、あのシロウという父の落とし種は、最初こそ謀反を疑ってピリピリしていたが、それはないと断定したはず。

 それが、なぜ。


「すぐに避難を」

「避難だと!? 状況はどうなっている!」


 小太郎を怒鳴ると、小太郎は背後を振り返った。

 先程の足音の主だろう、大柄な男が控えている。

 現状を知らせにきた、護衛の一人だった。


「すでに南門及び北門は制圧され、義勇軍と名乗る者たちが二の砦を突破しております。ここへたどり着くのも時間の問題かと」

「なっ!」


 想定以上に緊迫した状況に、天馬は飛び上がらんばかりに驚いた。


「馬鹿な、諸侯らは問題ないと言っていただろう!」

「その諸侯らの軍も、義勇軍へ加わっております」


 息を飲む。

 天馬は、わなわなと震える手で布団を握り締めた。


「どういうことだ。この国は絶対王政だろう! 貴族が王に歯向かうなど、あってはならない!」

「勿論でございます。どうか主上、今は避難を」


 小太郎の強い口調に、天馬はぎりっと歯を噛みしめながら手渡された上着を羽織り、襖を開いて庭へ降りた。

 冬の夜は冷える。

 ぶるりと身体を震わせたが、遠くから聞こえる物騒な雑音を聞いてしまえば、寒さなどどうでもよくなってしまった。

 襖を開けた瞬間から、剣の交わる音や怒声などが、かすかだが聞こえてくることを知り、護衛兵の報告が間違いではないことを知ったのだ。


 天馬は小太郎を護衛につけて、雅な王宮の庭を横断し、王族の避難通路へ向かう。

 もしものときのために作られた避難通路は、王族と一部の者しか知らない。いくら門を抑えても、王族が絶えることはないのだ。

 そう考えると少しだけ余裕が出てきて、天馬は小太郎に聞く。


「現状、詳しくわかるかい?」

「護衛兵の報告によりますと、貴族の三分の一以上の軍が城下に展開されているとのことです」

「城下へ? 民を惨殺するつもりか?」

「いえ、それが、もしものときのために、民を守るよう配置しているとか」


 それを聞いて、天馬は喉の奥で笑った。

 絶対王政の風花国では、民は王の玩具だ。

 貴族であれ、平民であれ、貧民であれ、いつでも殺して構わない虫けら以下の存在。それをわざわざ守るなど、馬鹿すぎる。


「ん、まて。それなら、王宮に攻め入ってきたのは、どこの軍だ」

「神殿の聖兵のようです」

「神殿だと!?」


 神殿は、国政機関の一つに過ぎない。

 王族や貴族と対立する無駄に権力のある組織であるが、王位を狙うなど逆賊もいいところだ。


 だが、神殿が動いたとなれば、右大臣殺害後の後処理を命じた銀楼が戻ってこないのも頷けた。

 銀楼は、神殿に処分されたのだろう。


「はは、なるほど。狙うは王位か。神殿め、ついに欲に目がくらんだか」

「先頭に立つのは、あのシロウという女のようです。神殿と手を組んだのかと」

「ふん、何が義勇軍だ。すぐに、大貴族らが鎮圧するだろう」


 何も天馬に忠実なのは、右大臣だけではない。

 右大臣は頭のよい男で引き際も心得る使い勝手のいい男だった。

 殺すには惜しかったが、仕方がない。

 あの男も最近は調子に乗り、慎重さを欠くようになっていたのだ。


 権力を誇示するのは構わないが、天馬を見下す傾向が見えたため、処分しようと決めた。

 ちょうど花夏目家が推薦した世話見習いが後宮に入ると知り、犯人に仕立て上げるつもりだったが、残念ながらそちらは失敗したようだ。


 うまくいけば、責任を追及して花夏目家そのものを潰してやろうと思ったが、まぁ、構わない。


 銀楼など、替えはいくらでもいる。

 右大臣は処分出来たのだし、今後、本当の意味で風花国は天馬の天下になるはずだ。


(そのときは、謀反を起こしたやつらは皆殺しだな)


 くっと喉の奥で笑う。

 庭を抜けて、木々が密集する場所まできた天馬は、ふと、人影を見つけて足を止める。


 まだ十代だろう少女だ。

 体躯は小柄で、漆黒の髪と瞳を持っている。


 特別に美しいわけではないが、どことなく目を引くところがあった。

 天馬は、決して物覚えのいいほうではないが、すぐにその人物が誰なのか思い出すことができた。


「きみは、花夏目家が推薦した……」

「ナルです」


 そうだ。

 右大臣殺害の罪をかぶせようとした、あの少女である。


「ナル、きみはこんなところで何をしてるのかな? 後宮から迷子になったのかい?」

「あなたを待っていたんです」


 優しく問いかけると、相手は余裕な態度で返事を返した。

 慌ててみせるのはプライドが許さず、天馬も穏やかに返事をする。


「私に、何か用かな?」

「ええ。いくつか聞いておきたいことがあって」


 そう言って、ナルはニヤリと笑った。


(くっ、マジでラノベ展開だな)

 天馬は胸中でせせら笑う。


 正義の主人公は、力をつけて頭角を現す。それを面白く思わない敵が、主人公に敵対するというシチュエーションは古今東西面白いものである。


「きみも、シロウの息がかかっていたんだね。でも、もしかして一人でここにきたの? 不用心だよ」

「余裕なのね。ちなみにシロウなら、誅殺を掲げて先頭で指揮をとってるわ。あなたを裏切った貴族は民の安全を確保しているし、最後まで寝返らなかった大貴族は銀楼が粛清したから、助けはこないわよ」


 天馬は、少女の言葉がすぐに理解できなかった。

 前半部分は知っていたので余裕で聞いていたが、最後の言葉は、到底信じ切れるものではなかったのだ。

 味方の大貴族が粛清された? 銀楼に?


「……そんなはずがない」

「それがあるのよねぇ」

「黙れ! 風花国は絶対王政だ、誰も王である私に逆らえるはずがない!」


 とっさに叫ぶと、少女は呆れた顔をした。


「今の風花国はどう見ても、王族の権力が失墜してるでしょ。右大臣が権力の中枢だったじゃない」

「ふんっ、それは私がやつを操っていたからだ」

「知ってる。右大臣を隠れ蓑にしてたんでしょ? でも、誰もそれを知らないわけよ。王は傀儡で無能だって、貴族らは思ってるわ」

「それがどうした。私は王だぞ!」

「あのね、有能だけど野心家だった右大臣が国を支えてた。その右大臣が死んだからって、皆があんたを敬うわけないじゃない。右大臣を御せなかった責任だってあるのに。……むしろ、シロウを支援する声が多すぎてびっくりするくらいなのよ」

「……くだらないね。きみは無知なんだ。絶対王政というのは、王が一番偉いんだよ。かの昔、皇帝ネロっていうのがいてね」

「ああ。あんた、『絶対王政』イコール『好き勝手できる』って思い込んでるのね」


 ナルは頭が痛いとばかりに、前髪をかき上げた。

 呆れたような、馬鹿にしたような視線を向けられて、天馬は苛立つ。


 天馬には、少女の言葉の意味がわかりかねた。

 絶対王政とは、王が圧倒的な権力を誇る。

 酒池肉林も、命令一つで行われるほどの発言力と権力を持つのだ。そんな自分が、貴族ごときに粛清などされるはずがない。

 だが、漠然とだが、危機が迫っているのは理解できた。

 あのシロウという義妹が神殿をたぶらかし、貴族をも強引に従えたのだろう。


 天馬はこんな事態になっても、自分が貴族らに一声命令すれば皆が従うと信じて疑わなかった。


「……馬鹿なやつらばっかりだ」

「馬鹿はあんただと思うけど」

「無礼な! 俺はこの国の王だぞ!」

「そればっかりね。……あのね、今はその王を粛正するために皆動いてるの。自分からターゲットですアピールしてどうすんの」

「っ、どこまでも馬鹿にしやがって!」


 天馬は護身用のナイフを懐から取り出し、ナル目掛けて駆けだした。

 距離は二十メートルほどしか空いていない。

 このナイフで息の根を止めてやる――そう思って駆けだした天馬は、ずぼ、と足が地面を踏みぬいた感触に驚き、遅れて浮遊感を覚えた。

 べちゃりと、足がぬかるんだ何かに突っ込んだ。


「落とし穴!?」


 そう、天馬がはまったのは、落とし穴だ。

 だがただの落とし穴ではない。穴のそこから、肥溜のような臭いがするのだ。


「うぐっ」


 匂いにえづく天馬に近づく足音。

 人が一人すっぽり入る深い落とし穴の底から見上げると、ナルが何かを拾うように身を屈めていた。


「なんか落としたわよ? ……これって」

「! 返せ!」


 落とし穴に落ちた反動で、胸に大切にしまっていた本が滑り落ちたらしい。

 天馬が作った自作の本だ。王になった今、本を出すことさえ可能なのだ。日本のラノベをイメージした小冊子で、天馬の力作の異世界転移チートものを描いた。

 一冊分まるまる書き上げるのは大変だったが、満足のいく一冊に仕上がったため、いくつか印刷して自分の分は常に持ち歩いているのだ。


「なんであんたが持ってるの? この本」

「は? その本を知っているのか?」

「読んだわよ」


 天馬が作った本の数は少数で、しかもすべて日本語で書いている。

 神殿関係者の上層部でさえカタカナがやっとかける程度の知識しかないのに、読めるものなどいるはずがなかった。


「馬鹿を言え、それは全部日本語で書いてあるんだ。読めるはずないだろ」


「読めるわよ、私、転生者だもの。もしかしてこれからこの本読むつもりなの? だったら止めたほうがいいわ。つまんなかったから」

「は? はあああああ!?」


 天馬は、言い返そうとひらいた口を閉じた。

 転生者。

 その言葉に、徐々に目を見張っていく。


(待て。……待て。俺は異世界転生した主人公なのだから、最後にはうまくいく。時次郎のときのように)


 言葉にできない焦りが生まれて、よくわからないいい訳を自分にする。

 なぜこんなに焦っているのか、天馬自身わからない。

 大丈夫だと自分に言い聞かせる天馬は、次に発せられた少女の言葉に、魂を深くえぐられた。


「これさ、三分の二が回想と説明なのよねぇ。有名作家ならまだしも、無名でしょ? この作家、誰か知らないけど。文章がめちゃくちゃなのは、まぁ、雰囲気で乗り切れるんだけど、それ以前にストーリーがつまんない。転生したら異能があって女子に囲まれて……で、なに? っていうか。そもそも、何も成してないうえにいいところのない主人公がどうしてモテてるのかわからない。ヒロインの王女なんか、出会ってすぐヒーローに恋しちゃうけど、なんで王女が転生してきた偉そうな男に一目ぼれするのよ。全体的に補正してストーリーを見直したとしても、全然面白くないから」


 だから、読むなら他の本を読めば? とナルが言った。

 悪気は全くなく、まさか作者が目の前にいるとは思っていない様子。

 つまり、純粋な感想だった。


(……中学の頃から、温めてきた話が……)


 もし前世に余裕があって執筆し、投稿したら大賞間違いなしだと思っていた大作が。


「……ふ、ふふ。お前は、ラノベのなんたるかがわかってないんだ。俺は、ネット小説を読み漁った男だぞ!」


 もはや、王としての口調は消え、威厳さえどうでもよくなった。

 落とし穴から、自分を見下ろすナルを見上げ、不敵に笑う。


「それは俺ツエー系って言ってな、異世界に転生したことで最初からチートな能力を持ち、周りからすげぇって言われる話なんだ。お前はそういうの知らねぇんだろ?」

「俺ツエー系……? ああ、本屋で売ってたやつね。私、ミステリーや純文学中心に読んでたから、そっちはよく知らないのよ」

「ほらみろ! お前にはその面白さがわからないんだよ!」

「……うーん。確かに転生した先で、チートな力を持ってたら凄いわよね。でもさ、この主人公、自分の異能? を自覚しただけで、全然使ってないわよね。そうなると、色々破綻してる気がするの。それに、この主人公の力っていうの? 魔王を超越する魔力と神々を超える、えっと」

「聖力だ!」

「そう、聖力を手に入れたって、前半の解説にあるけど。この話、魔王とか神々が出てこないのよね。登場人物人間だけだし、何がすごいのかわかんない。一人称なのに自分をひたすら褒めたたえてる前半の解説部分がもはや妄想というか……ってか、世界観はどうなってるの? ファンタジー? ローファンタジー? 現代?」


 全否定である。

 天馬はふらりとよろけて、壁に手を突く。

 ばしゃん、と足元のぬかるみがしぶきをあげて、ツンと鼻につく肥溜の匂いに我に返った。


「ぐっ、お前。殺してやるっ、殺してやるからな! くそっ、ここから出せ、小太郎はどこだ!」

「ここに」


 小太郎が手を差し出し、落とし穴から天馬を引っ張り上げた。

 滑りながら這い上がると、いつの間に距離をつめたのか、すぐ傍にナルがいた。


「お前っ」

「お前じゃなくて、私はナル。ナルファレアよ」


 そう言うとナルは、天馬の肩に足を置いて、力いっぱい押す。


「はっ!?」


 驚いている間に、天馬は再び落とし穴のなかへ。

 ばしゃん、と背中から肥溜に落ちたため、髪までべったり汚れてしまう。


「まずは、私が精神的に苦痛を得た分の仕返し」

「~~貴様」

「それ馬糞だから。ほら、私って優しいからね、自分がされて嫌なことはしないのよ」


 天馬には、ナルの言葉の意味がわかりかねた。

 だがそれを問い返す前に、ナルの隣に現れた男を見て、こぼれんばかりに目を見張る。

 そこにいたのは、時次郎の弟子だ。

 武官として出仕していたため、故郷との関係性をめちゃくちゃにし、時次郎を処刑するきっかけにしてやった男――。


「……お前、なぜここに。亡命したんじゃないのか」

「おや、私を覚えておられるとは意外です。私のような末端の元武官の顔まで把握されているとは、何か理由がおありで?」

「はは、忘れるわけがない。お前が俺の手のひらで転がってくれたから、時次郎を処刑に追い込めたんだ!」


 途端に、背筋がぞくりと震えるほどの悪寒が走り、息をする間もなくナイフが飛んできた。

 ナイフは天馬の右手の甲へ突き刺さり、衝撃と痛みで悲鳴をあげる。


「ねぇ……えっと、天馬って呼ばせてもらうけど。もうすぐシロウたちがここへやってきて、あんたを捕らえるんだけどね。それまでにいくつか、確認したいことがあって来たの」


(俺の手にナイフが貫通してるのに、この女、何事も無いかのようにっ!)


 後宮でこんなことが起きれば、被害者が天馬でなくても、女たちは悲鳴をあげて逃げ惑うだろう。

 この女はおかしい。

 天馬を、肥溜を仕込んだ落とし穴に落としただけでなく、天馬の傑作小説を罵倒し、手の甲にナイフを突き刺したのだ。


 実際に突き刺したのはナルではなくサトミだが、天馬にとってはナルが部下の男にさせたも同じだった。


「いくつか質問に答えてね」

「ふざけるな、俺がどうしてお前の命令を聞かなきゃならないんだっ!」


 怪我のないほうの手で馬糞を握り締め、ナルに向かって投げつけた――投げつけようとした。

 だが、馬糞を握り締めた瞬間、そちらの手の甲にもナイフが突き刺さり、声にならない音と息が漏れる。


(なぜだ、この女も男も動いていなかったっ!)


 ほかにも部下を引き連れているということか。

 一国の王に会いにきたのだから、部下を大勢引き連れてくるのは当然だろう。となれば、天馬にはもう逃げるすべはない。

 天馬が連れているのは、小太郎一人なのだから――。


「……小太郎?」


 天馬に忠実な小姓であるはずの小太郎が、天馬を見下ろしている。

 いや、見下したような目で睥睨し、左手にナイフを持っていた。それは、つい今、天馬の手に突き刺さったナイフと同じもの。


「黙って聞いていれば。お嬢様に馬糞を投げつけようとしたね? 万死に値するよ」

「お、おじょうさま? まて、何を言ってるんだ。小太郎、お前――」

「謀反を待つまでもない。私がここで殺してやろう。ははははは、もはや命令などどうでもいゴブァ」


 天馬には何が起きたのか、何もかもわからない。

 小太郎が裏切ったように見えたが、なぜかナルの隣にいた男が小太郎の脇腹を蹴りつけたのだ。「ロイク、あなた馬鹿ですか? 馬鹿ですね?」「ジーン、貴様……お嬢様を馬鹿にする肥溜野郎を抹殺して何が悪い!」「ちょっと黙ってて貰えます? その『お嬢様』の話が進まないので」「あっ! そうだね!」などという会話が聞こえるが、お嬢様と呼ばれたらしいナルは、真っ直ぐに天馬を見据えたまま表情を替えない。


 まったくの無表情で天馬を見ている。

 先ほどまでの小馬鹿にした雰囲気もなければ、冷ややかさも、侮蔑も、なにもない。


 それが何にも勝る恐怖だった。

 相手は、年端もいかない少女なのに。

 後宮で見たときの、知的さと天真爛漫さを合わせた少女とは、別人のようだ。


「……どうして、ベティエールに毒を盛ったの?」

「な、なんのことだ」

「前の近衛騎士隊長よ。モーレスロウの」


 天馬は思考を巡らせる。

 前の近衛騎士隊長といえば、そうだ――。


 ぎらっと光るナイフが見えて、天馬は慌てて口をひらく。

 自分は転生者で主人公なのだから、こんなのは間違っていると思いながらも、言われるままにするしかない。


「右大臣に、じわじわ弱らせて殺すように命じたんだ! 毒を使ったかは知らん!」

「どうしてそんな命令を?」

「この俺が口説いてやったのに、俺をふった愚かな女がいたんだ。その女が、モーレスロウ王国の騎士隊長に心を捧げているとか抜かしたんだよ。だから、ついでに殺そうと思ったんだ。恨むなら、俺をふった女を恨め! あの女が悪いんだ! 王である俺が口説いてやったのに――」


 ナルの無表情は変わらない。

 それを勘違いした天馬は、自分は悪くないといい訳を繰り返す。

 

「――ルルフェウスの戦いで毒をばら撒くよう命じたのは、どうして?」


 ルルフェウスの戦い。

 それは天馬にとっても記憶に残る、派手な祭りだった。

 思い出して、ぱっと笑う。

 両腕に刺さるナイフの痛みが、天馬の感情をも麻痺させていた。


「理由? 面白いからに決まってるだろう? この手に毒っていう兵器があるんだ、使わないでどうするよ。右大臣も乗り気だったしな。そこのお前がやってた月光華師団も厄介払い出来て、モーレスロウ王国の騎士隊長も処分できる。しかも! 神殿の正式な【ヒリュウ】までいるんだから、全滅させたほうが手っ取り早いし、その後の反響もおもしろいじゃねぇか。どんだけ人が死のうが、俺は風花国の王なんだ。日本から転生してきた、選ばれた男なんだよ!」


 ナルが、拳を握り締めた。

 目ざとく気づいた天馬は、ははっと笑う。


「お前も転生者らしいけどな。転生者のセオリーも知らねぇやつが、やっていけるかよ。俺はよぉく知ってる。異世界転生した先で、俺は自分の力で成り上がった。この世界は、俺のためにある。俺が主人公として、好きにしていい世界なんだよ!」

「……何言ってるかわからないから、最後の質問ね」


 ナルの声は淡々としていた。


「あんた、時次郎さんとはどういう関係だったの?」


 天馬は、息をつめる。

 ふいに。


 ナルの姿が十代のころの時次郎と重なって見えた――。

 

 

閲覧、評価、誤字脱字報告等など、ありがとうございます。


次で諸々の堅苦しい話(?)は終わるはず。

イチャラブ目指して進みます(*・ω・)*_ _)ペコリ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ