7、過去の恋愛には、黒歴史のものもある
夕食を終えて、風呂を済ませた頃。
いつもならば、顔を見せないジザリが部屋へやってきた。
カシアは着替えの用意をするために奥の部屋へ引っ込んでおり、寝室にはそのとき、幸運にもナルしかいなかった。
「奥様、こちらを。例の報告書となっております」
夜中にもかかわらず、髪型や衣類、すべてに於いて乱れのないジザリが、封書を渡す。ナルはそれを受け取って、にっこり微笑んだ。
「早いのね。自分の仕事もあるのに、大変だったんじゃない?」
「奥様の頼みとあらば、苦ではございません」
そう言って、少しだけ頬を緩めるジザリ。
彼は、一礼すると退出を述べて、部屋を出て行った。
(おおお、いい傾向じゃない?)
受け取った封書を持ってソファへ移動しようとして。
奥部屋の、ドアの隙間から人間の目がこちらを見ていることに気づいた。
「ひっ!」
「……奥様、明日のドレスの準備が整いました」
「あ、カシアか。びっくりした」
ドアを開いて傍までやってきたカシアは、無表情のまま、じっとナルの手にある封書を見つめた。
「気になる?」
「……ジザリ様と、手紙をやりとりされているのですか」
「ううん。これは昼間に頼んだ、調べ物」
露骨にほっとして見せるカシアに、んん? とナルは片眉をあげる。
「ちなみに、カシアから見たジザリって、どんな感じ?」
「ジザリ様は、使用人からとても人気のある方です。休みも希望を叶えてくださいますし、各々の使用人の適性を判断して、仕事を割り振ってくださります」
「へぇ、すごいのね」
俯き加減だったカシアが、顔をあげた。
「ですが、ここぞという場面では、選択を逸らす傾向のある方だと思っております。重要な決定権をもつと、可もなく不可もなくといった、差し障りのない判断が……多い、かと」
途中から、カシアの声が小さくなる。
自分が仕えているあるじに、上司の不満を言うことの気まずさを思い出したのかもしれない。
「ジザリが頭のいい人だっていうのは、知ってるつもり。でも、大事な場面で判断をくだせない執事は、使えない人材の烙印を押されるでしょうね」
「……はい」
ナルは、無表情で返事をするカシアを見つめながら、ソファに座った。
「カシアの無表情は、素なの?」
「はい」
「旦那様に合わせているわけではなく?」
「ほかの使用人はそのようです。私は元来、こういった顔ですので」
「そうなんだ。笑ったらもっと可愛いのに」
カシアが目を見張った。
無表情な彼女としては、かなりの驚きようだろう。
「そのお言葉、ジザリ様にも言われました。ジザリ様が初めて屋敷にいらした日です。あの頃のジザリ様は、おどおどされており、ご自身に自信がないご様子でした。けれど、私のほうを見て、はっきりと――」
「カシア?」
言葉を途切れさせたカシアに、声をかける。
カシアは、はっとしたように顔をあげると、頬を朱色に染めて目を伏せた。
(あら、あらあら)
「余計なことを話してしまいました、申し訳ございません」
「余計なことじゃないって。むしろ、カシアの話が聞けて嬉しいもの。……でも、そっか。カシアがねぇ」
「……奥様、誤解されています。私は、決して、そのような意味では、なく」
「いいじゃない。年頃なんだし、恋の一つや二つ、あって当然でしょ?」
「一つや二つ……ですか。奥様も、旦那様以外の殿方に、恋をされたことがあるのですか?」
「……ははは」
「し、失礼いたしました。瞳を蘇生させてくださいませ」
カシアが退室して、想定外に蘇った前世での黒歴史を頭のなかから無理やり追い払った。
(二十八年生きてたら、色々ありますよ。ねぇ?)
ふ、と仄暗く笑ったあと。
ジザリの報告書を広げて、驚いた。
それぞれの使用人の名前、年齢、出身地。現在の配属先と以前の配属先、勤務歴、それから各々が得意としていることと不得手な部分。さらには、客観的にみた性格など、ナルが知りたい内容が、わかりやすく記してあった。
まるで、シンジュが受け取った報告書を書いた人物と、別人のようだ。
報告書の細かな部分まで読み込んでいると、はた、とあることに気がついた。
(ジザリが執事になってから、雇われた人間が……五人。結構いるんだ。ジザリが雇われたのは、半年前だから……うーん、こんなものか)
ナルの実家では、あまり使用人の変動がなかったため、違和感を覚えただけだろう。
なんにせよ、この屋敷に使用人が不足していたことは確かなようだ。
(旦那様、たしかに、自分が執事に任命したって言ってたよね)
後見人を引っ張り出すのなら、執事などという大役を与える必要はない。刑部省長官の屋敷で働くのだから、使用人でも充分名誉なことだ。
この屋敷へ初めて来た日、馬車のなかでジーンが言っていたことを思い出していた。
長官は実力主義者だと。
(……なんだ。旦那様は、ジザリが出来る人間であることを知ってたんだ)
不要になったことを理由に解雇するなら、後見人がいなくなった頃合いでもよかったはず。
それを今まで屋敷に置いていたのだから、まったく期待していないわけではないのだろう。
(時間は有限。慌てても仕方ないし、今やることからやっていこう)
ナルは大きなあくびをしたあと、さっさと寝る支度を整えて、ベッドに入った。
ふかふかベッドを、今日は独占できる。
(もうほんと、このベッドの柔らかさは、サイコーですよ)
横になれば、あっという間に眠気がやってくる。
おかげでシンジュとの初夜も、ナルが先に寝てしまったことで気まずさもなく過ぎた。
(そういえば、二日間一緒に寝たけど、何もなかったな。さすが、大人の男。地位も身分もカネもあって顔もいいんだから、選び放題だよね)
次に生まれ変わることがあれば、そんなハイスペック男に生まれ変わってみたい。
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