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第二幕 第二章 【9】シンジュ①

 人事の変更に関する諸々の手続きを終えたシンジュは、決定事項を伝えるために刑部省の長官室に戻っていた。

 辺りはすでに、闇の帳が降りている。

 蝋燭を一本だけつけて、ランプのなかへ置いた。

 橙色の温かな明かりが、ぼんやりと部屋を映し出す。


 つい先ほど、式部省からくだった正式な辞令だ。

 式部省は治部省同様、長官の任につく者は、王族の血筋でなければならない。国内の人事を司るのだから当然だろう。責任ある者が行い、不祥事の責任を負える立場でなければならないのだから。


 式部省の長官は、頭が固い。

 懐柔など決してされず、己の正義を貫く素晴らしい人物だ。

 シンジュは彼をとても尊敬している――馬はまったく、これっぽっちも、合わないが。


 そんな男からもぎ取った人事に、口の端をつり上げる。


 そう、頭が固い男なのだ。

 だからこそ、公式の手順で手続きを踏み、正当な理由もとい理屈を並べることで、可能性の隙間をこじ開けることが出来た。


 ドアを叩く音がして、ジェンマを部屋に通した。

 ジェンマが、さっと補佐の机に目を走らせたのは一瞬だ。


「こんな時間に、何の用だよ。もう、仕事終わってんじゃん。外、真っ暗だぞ」

「何時でも王城におられるでしょう」

「まぁな、ここは俺の家も同然だし」

「それは違う」

「で、こんな時間に呼び出しっつーことは、補佐には聞かれたくない話か?」


 シンジュはにやりと笑って、椅子をすすめた。

 シンジュの笑みを見たジェンマが、気味が悪そうに美麗な顔をしかめる。

ジェンマは、最近やたらと身綺麗だ。

 以前の、王城の華と謳われたときのように所作一つとっても、洗礼された美しさがある。


 風の噂で、兼ねてより所望していた「可愛い孫」を手に入れたため、愛されるよう精一杯努力していると聞いた。その話はその場で聞かなかったことにしたため、真実を確かめてはいない。

 やたら麗しいジェンマから目を逸らしたあと、視線を戻す。

 シンジュの表情からは、尊敬する先輩に向ける気安さが消えていた。

 冷徹な上司の顔で、ジェンマを見据える。


「人事の変更を伝える」

「は? こんな時期にか?」

「そうだ。――三日後を持って、私は治部省の副官へ就任することになった」


 ジェンマは、目を瞬いたあと首を傾げた。

 理解できないと言った姿に、そっと内示を見せる。


「……へ? ええっ!? どういうこった、これ!」


 穴が開くほど内示の見たジェンマは、まるで嘘を見抜くかのように、隈なく書面に目を走らせた。


「刑部省の新しい長官は誰なんだ?」


 真っ先に問われた内容に、シンジュは胸中で笑った。

 やはり、自分が在籍する部署の今後が気になるのだろう。当然だ。そしておそらく、ジェンマが想像している通りの人事変更になっている。半分は。


「暫くの間、私は刑部省長官と治部省副官を兼任する」

「……意味わかんねぇんだけど。前例がないぞ? 理由があるにせよ、変な前例を作ると今後どんな不祥事に関わってくるかわかんねぇだろう!」

「あいにく、今後のことなど知らん。私は、今を見ている」


 ジェンマは憮然として、腕を組んだ。

 上司の前とは思えない態度だが、そこがまた彼らしいので、今回ばかりは見逃そう。


「シンジュ。兼任なんかして、どうするつもりだ」

「簡単な話だ。殿下のご希望で、外交政策に携わることになった。だが、刑部省長官の私は王城を離れられんし、かといって新しい長官に適切な者もいない。名ばかりの長官になるが、ジェンマ殿、あなたは私が不在の間、長官代理としてすべての職務をやってもらうことになった」

「そこは予想通りだったわ! つか、無茶ぶりにもほどがあんだろ。俺、副官の仕事もあるんだぞ!?」

「承知の上だ」

「もっと悪いわ!」


 ジェンマが頭を抱えた。

 暫くそんなジェンマを観察していると、ゆっくり顔をあげたので、話を続ける。


「三日の間に引き継ぎを行う。此度の件は、王族としての職務を優先せねばならないがゆえの、仕方がない人事だ。私は治部省副官として、特使の名を預かり、他国との交友を深めてくる」

「へぇ。大層な理由で」

「殿下の命令だ。私は柳花国の出身で現在はモーレスロウ王国の王族。外交の橋渡しには丁度よい。披露目をしたのもそのためだ」

「お前なら、刑部省の人材不足を餌に回避できただろ」

「徐々に育っているから然程問題はない」

「お前の命令だから聞くってやつもいる。けっこう上司として尊敬されてんだぞ」

「上司が変わって職務に支障をきたすような向上心のない者は、刑部省には不要だ。何がなんでも仕事を遂行してのし上がる、そういった野心を持たねば、ここでは生き残れまい」


 ジェンマは、深く息をつく。


「……治部省副官は、確かずっと空位だったな。名前だけ借りるんだろ、どうせ。……まぁ、でも、外交か。……しゃーねぇか」


 ジェンマはだらんと項垂れた。


「ルルフェウスの戦いだって、まだ十数年前だ。緊迫した空気も多分にある。国交で両国に得策となるものがあれば、争いへの抑止力にもなるしなぁ」


 バロックス王子自ら外交を担当しているのは、そういった理由からだ。

 国同士が良好な関係を築くことは、最優先事項である。国家間の争いほど、百害あって一利なしなものだ。


「で、三日のうちの引き継ぎを終えたら、お前どうすんの」


 人事報告は終えた。

 シンジュは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 シンジュは刑部省の長官そのものを辞するつもりだったが――それが治部省副官になるために当然のことだと考えたのだが――まさかの却下がでた。

 却下を出したのは、式部省長官だ。

 二つの職を配するなど前代未聞だが、必要性は理解している。だが、両立せよと言われたときには、嫌がらせかと思った。

 長官と副官、それも部署の違う二つの職の執務を全うするなど、一つの身体で出来るはずがないのだから。


「治部省の仕事を片付けながら、他国の情報を学びます。刑部省にいては知れぬことも多々ありますゆえ」

「あそこは、他国の賓客接待とかやってるもんなぁ。習慣うんぬんについて詳しいだろうけど……お前、仕事もすんの? んなもんリーベに任せとけよ。もともと副官なんて空位だったんだ。問題ねぇだろ」

「治部省の長官殿が見逃してくれませんよ。相応しくないと判断したら、即移動させられます」

「俺、あいつ嫌い」


 むす、と言うジェンマに苦笑した。


「その後は、外交特使として他国へ向かう予定です。詳しいことはまだ決まっておりませんが、半月のうちに出立します」

「そのこと、ナルは知ってんのか」


 シンジュは、妻の愛称が出てきたことに僅かな不快感を覚えながら、いいえ、と答えた。


「特使ってさ、相手が交友的ならいいけど、好戦的だったり外交するつもりのない鎖国相手だと、かなり骨がおれるぞ。殺された例もある」


 シンジュは頷く。

 すべて承知の上だ。

 ジェンマは、「そうかよ」と投げやりに答えた。


「ま、刑部省長官を辞めないだけいいとしてやる。ここでそれさえも放棄されたら、俺、本気で止めてたからなぁ」


(……そうか。帰る場所を残してくださったのか)


 ジェンマの言葉で、式部省長官がただの嫌がらせで兼任させたわけではない可能性に気づかされた。あくまで可能性であって、嫌がらせ説は否定しないけれど。


「大変だろうが、頑張れよ。また、ナルとふたりでいるところ、見てぇし。お前といるときのナル、すっげぇ楽しそうだろ? 俺まで嬉しくなるからな~」

「……それほど妻と会ったことはないはずでは」


 ジェンマは、優しく微笑んだ。


「ナルはいつも、俺の胸と脳内にいるから」


 シンジュは、聞かなかったことにした。


 *


 バロックスを中心に集まる人の顔ぶれは、此度の件の中核を担う者ばかりだった。

 シンジュのほかには、橋渡し役として元ブブルウ商会のフィーゴがいる。フィーゴの補佐役らしき商人も一緒だ。

 バロックスが選んだ外交面の秘書官や、文官、警備隊長などもいる。


 シンジュの今後を知るために、治部省長官リーベ・グリーラも同席していた。

 赤みがかった金髪を短く切りそろえた髪型に、空色の瞳を持つリーベは、男らしく精悍な顔立ちをしている。だが、苦労しているためか、実際の年齢より遥かに老けて見えた。

 ジェンマより幾つか年下だと聞いているが、ジェンマのほうが若く見えるほどだ。


 リーベは、平民出身の文官だ。彼の優秀さを気に入ったグリーラ家が養子にとり、リーベはグリーラの名を名乗ることになったという。グリーラの養子に入ったことで、先代王弟の従弟となり、治部省の長官という大役を担うことになった。


 どの部署も長官という任には、優秀な者がつく。

 だが、その中でも重要な部署――治部省や式部省――の長官は正四品上とされるため、王族しか就任できない仕組みになっている。


 武官のように背筋を伸ばし、僅かの乱れもない燕尾服を着こなすリーベは、両手を後ろで組んでいた。唯一、鷹揚に椅子に座るバロックスを冷やかな目で睥睨しながら。


「――以上ですね。我らはこれにて失礼致します。仕事も残っておりますので」


 リーベの言葉に、バロックスはにこやかに頷いた。

 その嘘くさい笑顔に、リーベもまた、作り物の笑顔で会釈をする。シンジュもそれに続いた。


 部屋を出ると、リーベの手がおもむろに伸びてきて、肩を引き寄せられた。

 そのまま歩き始めるのだから、歩きづらい。


「長官、痛いので放して頂けますか」

「きみが優秀なのは知っているが、どうもあの王子は好かない。……本当に、柳花国を通過せずに迂回し、いきなり風花国を目指してもよいのか?」


 リーベが小声で言う。

 今回の外交の目的は、風花国との交友関係の構築だ。


「はい。柳花国への不遜に当たる可能性を考慮して、風花国へ向かう旨を伝えることも算段のうちです」

「何かあるようだな」

「何か、とは」

「譲れないものがだよ。きみから、過去に見ないほどの熱意を感じる」


 リーベはそう言うと、肩を引き寄せていた腕を外した。

 解放されて、シンジュはその場で立ち止まる。


「なぜ驚く? きみは昔からわかりやすいんだ」

「初めて言われました」

「はは、私たちは似ているのかもしれないな。……きみが決めたことだ、全力で応援しよう。だから、無事に帰ってきたまえ。きみの席は、私が死守しよう」


 シンジュは、感謝を述べて、そっと拳を握り締める。


 こうして他部署へ来て初めて、自分が如何に刑部省長官として至らないか、わかった気がした。

 いや、まだわかっていない部分も多々あるだろう。

 それでも、上に立つ者としての貫禄や安心感、見て貰えているという誇らしさから、この人の元でなら尽くしてもいいと当たり前のように思えるのだ。

 リーベは、官吏として、男として、人として、尊敬に足る人物だった。


 シンジュは、ふと窓の外へ目をやる。

 穏やかな風が木々を揺らしていた。本格的な冬の真っただ中のため、シンジュが見ている木々は丸裸だ。


 ナルと結婚して、半年以上が過ぎた。

 今後も彼女と共にいるためには、今の生活形態を変えていく必要が出てくるだろう。それほどの価値がナルにあるのか。

 兄王のために尽くすと誓った自分の夢と比べて、どちらか選ばなければならないときが来たら、シンジュはどうするだろう。


 自分のなかで、答えは決まっているような気がした。

 フェイロンも、兄も、皆が変わっていく。時代は流れて、昔の若さゆえの無謀ともいえる夢へ真っ直ぐに突き進んではいられない。


(……さて、ジーンをどうするか)


 ジーンをナルにつけたのは、あくまで刑部省文官として警護対象を円滑に守るため、情報のやり取りが必要だったためだ。

 その文官としての役目も、ナルが国境を越えた時点で終え、ジーンは王城へ帰還する手筈だった。だが、彼は戻ってこない。

 ナルが国境を超える前日に書いただろう報告書が封書で届いたが、そこに、ジーンの筆跡で、自身の辞表も同封してあった。


 ナルが風花国へ行くと話し合ったときに初めて知ったが、ジーンは元々風花国の人間だという。これを機に、祖国へ帰ったのだろうか。


(……あの男は、謎が多いな)


 仕事の覚えも早く、出しゃばらずに淡々と裏方に徹する有能さがある。

 最近はナルと親しくなったようで、風花国へ行く計画をたてる際も、ナルとよく話すのを見かけた。急激に距離を縮めた雰囲気は、シンジュにも伝わってきたほどだ。


 ナルが望むのならば、何でも叶えてやりたい。

 たとえそれが、シンジュよりもジーンを選ぶという、生涯の選択であったとしても。


 シンジュは、いつだったかフェイロンにそんなことを言った。

 思い出しながら、くっと口の端をつり上げる。


(もっとも私は、最愛の女を奪われるのを指を咥えて見ているほど、愚かではない)


 ナルは、自分の女だ。

 本人が望めば、なんでも叶えてやりたい。

 そう――()()()()()()


 シンジュの命尽きるそのときまで、シンジュを選ばせ続けてみせよう。


(あいにくと、結婚したからと胡坐をかくようなタチではないからな)


 いつ、どんなときも、努力する。

 これまでもこれからも、シンジュの生き方は変わらない。


 もし今後、シンジュの生き方を変える者が存在するとすれば、愛する妻くらいではないだろうか。



閲覧、誤字脱字報告、評価、ありがとうございます!

第二章も、あと数話で終了致します。


次の更新は、近いうちに。

どうぞ、宜しくお願い致しますm(__)m

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