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第二幕 第二章 【7】ジーン①


 ビュオッ、とひと際強い風が木々を揺らした。

 夜闇を照らす月明かりのなか、大きく揺れる大木の仄暗い影が、風をみせている。

 ジーンの身体を覆う黒い衣は、当時のものと違って、防寒に適した素材で作らせた。よって身を切るような真冬の寒さはあまりないものの、長時間だと堪える。

 素肌の見えている双眸の辺りが冷気でチクチクするほどだ。


(歳をとりましたねぇ)


 若い頃ならば、真冬であろうと真夏であろうと、いくらでも動けるような気でいたのに。


「棟梁」


 低い男の声に、視線だけを向ける。

 かつて風花国で暮らしていた頃から共にいる腹心で、ジーンが部下たちへ出す指示を細かく調整し、各々へ発信する補佐だった。

 共に、曲芸のように屋根をかけ、義賊として隣を走っていた彼は、まだこうして傍にいる。多くの者は殺され、自死し、自由を求めて離脱し、世界へと散って行った。


 ジーンが動かすことのできる戦闘員としては、補佐であるこの男とあと二人くらいだ。

 幸運にも各地で安寧を得た者たちの協力を得られるため、情報収集には困らない。だが、かつて巨大な組織であった月光花師団は、今やもう、数えるほどしか残っていない。

 共に逃亡した同胞たちも、モーレスロウ王国での生活に慣れて永住する決意をした者が多く、今回の旅にも声をかけなかった。


 多くの同胞が消え、残った者たちも新しい人生を歩み始めている。


 補佐は、風花国で暫く身を置く手筈になっている俳師からの言付けを持ってきたようだ。返事を伝え、いつもならばすぐに立ち去る補佐が、今日に限ってなかなか離れて行かない。


 姿は見えない。

 並んで会話などしたら、万が一何者かに襲撃された際に全滅してしまうからだ。


「まだ何か?」

「……そのお姿を、また拝謁できるとは思ってもみませんでした」

「昔は仕事のたびに黒装束で闇に紛れましたからねぇ。今回も必要になるかもしれないので、用意しておいたんですよ」


 かつての同胞に対するジーンの声は、とても冷やかだ。作り笑い一つ必要ないことが気楽だと思っていたときもあるが、実際は、そうではなかった。


 こうしていると、五感が研ぎ澄まされていく。

 木々を揺らす不穏な風の音、病室のようにじとっとした空気の匂い、渇いた空気に含まれるなんともいえない不快な味、目の周囲を撫でるチクチクとした冷風、それらを全身で堪能するように、ジーンは空を見上げた。


――月光って、淡く包み込むみたいで綺麗だよな


 そう言ったかつての親友は、遥か以前に死んだ。

 これからジーンはまた、風花国へ戻る。あの、地獄のような場所へ。

 他国へ行ったことのないジーンたちにとって、風花国はすべてだった。


「棟梁」


 今度は、返事をしなかった。

 その意味を察して、補佐は諦めに似た空気を残して去っていく。


 ジーンは頭のなかの資料と現実、今後を照らし合わせて、風花国へ入国後の手筈を再確認する。シロウに丸投げだった柳花国の段取りが分かった今、それに合わせて計画を微調整する必要がある。

 もっとも、ジーンは予めシロウのツテや予定を探っていたため、ほぼほぼ想定内なのだが。


 ジーンはそっとため息をつく。

 シンジュやシロウ、ジーンがツテを頼りに計画を練ってここまできた。昨夜は暗殺者が送られてきたし、旅費としてそれなりの資金も使っている。


 これらをナルは最初、一人でやろうとしていたのだ。

 ただの無謀で終わらせることもできるが、無駄に頭がいい彼女は、一人で行動できる方法を模索して、地道に風花国へたどり着くことになるだろう。

 気が遠くなるような年月をかけても、どれだけ心身に傷をおっても。


 そう思うと、腹立たしさがこみあげてくると同時に、ナルがそういう道を選ばざるを得なくした環境に苛立ちを覚える。

 誰も信用できなくなるほど、手酷く裏切られたことでもあるのだろうか。


 ジーンは仄暗い目で自嘲すると、身を翻した。

 これまでとは違った意味で、今夜は眠れないだろう。

 あの場所へ戻るのだから。


 部屋へ戻る前に、ナルへ今後の予定についてもう一度確認しておこうと、ナルの寝室へ向かう。

 最近、ナルが意外と抜けていることに気づいた。

 王子を動かしたことやこれまでの行動から、どうやらジーンは、ナルに対してある種の神格化をしていたようだ。


 寝室に忍び込み、天蓋付きのベッドの幕を右手で押し上げる。

 部屋が暗い時点で薄々察していたが、ナルは寝ていた。それはもう、ぐっすりと。


「……いやこれ、熟睡し過ぎでしょう」


 疲れや緊張は察するが、気の置ける者たちが大勢いる屋敷だというのに。

 ジーンは逡巡して、ベッド脇に腰を下ろした。


(報告のしようがないじゃないですか)


 苦笑したのち、すっと表情を引き締めた。

 風花国へいけば、嫌でもナルはジーンの過去を知るだろう。握り締めた拳が、小さく震える。故郷へ戻るのが怖い。何も出来ない歯がゆさを想い出し、愚かな選択しか出来なかった自分や、過去の惨めさを想い出すから。


 そっと、ナルの髪を撫でる。

 まったく起きる様子がない。


 今日のように、過去を思い出し感情がざわめく日は、女の元へ通った。それは、風花国に居た頃からモーレスロウ王国に腰を据えた頃まで、変わらない。

 いや、変わらなかった、というべきか。

 最近は、そう、王子の元を離れてからは、女の元へ通う頻度が格段に減った。旅の支度を始めるころには、すべての女と手を切っていたし、何より、これまでのように偽りだらけの自分でいる時間も、減っていた。


 今が心地よ過ぎて、それが怖い。

 ささやかな幸福が一瞬にして崩れ去る非情さを、知っているから尚更だ。


 あまりにもナルが起きないので、頬をつねってみた。

 饅頭のように、弾力があって瑞々しく、柔らかい。


(人を信じろとか、協力を求めろとか言ったのは私ですけど、シロウや私を信用し過ぎじゃないですかねぇ)


 ふと、気づけば笑っていた。

 ナルの快活さは心地がよい。

 打算的なくせに、甘い部分も多く、人であることを捨てないところも、もどかしいながらも気に入っている。

 王子の元にいた頃のような、息苦しさもない。

 このまま、ナルの部下でいられたらいいのに。


 頬をふにふにしていると、さすがに目が覚めたらしいナルが、ぼんやりとした目でジーンを見た。


「……真っ黒だけど、どうしたの?」


 なんのことだと思ったが、ジーンが着ている装束であると理解すると、苦笑した。


「あのねぇ、もっと危機感を抱いてくださいよ」

「シロウのこと? さすがに丸投げし過ぎたかな」


 そういうことではない。


「でも、もし危なくなったらジーンさんが助けてくれるんでしょ?」

「善処しますが、いつも助けられるとは限りませんから」

「ふふん」


 何が嬉しかったのか、ナルはにんまりと笑うと、また目を閉じた。

 うとうとしているようだし、やはり話は無理だろう。


 やがて寝息が聞こえてきて、ため息をついた。


「私がいる前で寝るとか、安心されても困るんですけど」


 呟いてから、眉をひそめる。

 これではまるで、男として認識してほしいみたいだ。

 ジーンは鼻で笑った。



 いつの間にか、手の震えは収まっていた。


閲覧、評価、誤字脱字報告、ありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ

「ジーン②」はやや先になります。

数話後に、唐突にジーン②が入ってくるかと。


次回更新は、明日です。

宜しくお願い致します。

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