第二章 第二幕 【6】シロウ
「おほほ、あら嫌だ。ご挨拶が遅れましたわ。宵衣を治める、タエコと申します」
「……え」
タエコという名前にも驚いたが、それよりも、宵衣を治めるというくだりに、目を剥く。
つまり、領主ということだ。
モーレスロウ王国で言うところの、ベルガン公爵に等しい立場の女性ということになる。もっとも、柳花国の貴族位がモーレスロウ王国と比べて、どの程度権力があるのか知らないけれど。
ナルは気を取り直して、顔をあげた。
「こちらでは、領主が窓から来られるのですか?」
が、先に口をひらいたのはジーンだ。
ナルは後ろに追いやられて、背中に隠される。
「領主というほどの者ではございませんわ。わたくしはただ、主上よりこの領地をお預かりしているだけですもの」
(それを領主って言うんじゃ)
なんと言っていいか迷うナルを見て、タエコは「うふふ」と笑った。
ジーンがナルを、さらに背後へ押しやる。
ある意味失礼なジーンの態度だが、タエコはにんまりと笑って首を傾げた。
「そう警戒されずとも。母として、娘の様子を聞きにきたのです。シロウは、あちらではどのように過ごしているのかしら」
「え……シロウのお母様……?」
(初耳なんですけどもっ!)
ジーンを仰ぎ見る。
ここ数日、何度こうしてジーンに意見を乞うただろう。
「確かに、シロウ殿から母君が宵衣を治めていると聞いたことがありますね」
「ちょ、私にも! 報連相!」
「とっくにご存じだと思っていたので」
それはそうだ。
この件は、シロウがナルに報告すべきことなのだから。
とはいえ、シロウが報連相を怠るような者とは考えにくい。
そうでなければ、あの刑部省の精鋭部隊で副官が務まるはずがないのだ。
何か意味があるのか、と考え始めたナルの思考は、すぐに打ち切られた。
タエコがすたすたと机に歩み寄り、椅子に座ると、向かい側を扇で示したのだ。
「さぁ、こちらへ。わたくしの愛娘の恋愛話を聞かせてくださいな」
「……はい。失礼致しました」
逡巡したすえ、ナルは自己紹介をした。
そして、ジーンに隣について貰うことで椅子に座り、ぽつぽつとタエコと話を交わす。窓からいきなり入ってくるなんて、驚いたが、シロウの母だと知った途端、然程意外に思えなくなるのはなぜだろう。
「――以上でしょうか。シロウとは出会ってまもないため、私はあまり彼女を知らないんです」
申し訳ない気分で、シロウがコレクションしている物や、道中興味を示した物について話した。
到底恋バナと呼べるような内容ではなかったが、タエコがしみじみと「あの子、しっかり恋をしてるのねぇ」と呟いたことから、「恋愛話」という言葉の意味そのものが、この親子とナルの間に差異があることを知った。
話は、タエコの実母である第三王妃の話になり、その息子であるシンジュの話になった。幼い頃のシンジュの話を聞いて、そして、シンジュの婚約者だったという女性の話になる。
「まったく、お母様ったら。シンジュに婚約者を作っておきながら、あの子を他国へやるなんて。わたくしならば、シロウを決して他へやったりは致しませんのに。……まぁ、あの子は自分からあちこち行ってしまうので、問題アリ物件として誰も引き取ってはくださらないのですけど」
さりげなく凄い一言を付け加えたタエコは、にっこり微笑んでナルを見た。
「あなたがどこのどなたか存じませんが、あの子が『大切な人』だと言ったのですから、母として全力で協力致します。シロウの父親は、風花国の前国王です。シロウを矢面に立たせて、通行許可証をせしめ……ごほん、発行できるよう、申請してあります。鎖国国家ですが、王族は例外ですので」
「え、待ってください。それだと、シロウが危険ではありませんか」
敵地へ乗り込むのだ。
本名を告げて堂々と入国するなど、矢面どころの話ではない。
ナルの言葉に、タエコは首を横に振った。
「あの子が決めたのです。これから風花国へ向かわれるならば尚更、通行許可証は必要でしょう。入国後は速やかにシロウから離れて、行動なさって。あの子は、風花国現王の妹として、王へ会いにいくことになっておりますの」
「……僭越ながら。その作戦は、危険かと。安全である根拠はあるのですか」
言ったのは、ジーンだ。
風花国出身の彼は、かの国の身分差をよく理解している。ナルとしては外交問題になるようなことは風花国の王とてしないとは思うが、シロウの身が危険なことに変わりはない。
ましてや、ナルたちを引き入れたとなれば、尚の事――。
タエコが、柔らかく微笑んでナルを見た。
「素敵な殿方に守られて、羨ましいこと」
「え?」
「あなたが今後不安になるだろうから、先にわたくしの口からシロウの安全に関する根拠を引き出そうとしたのよ、この糸目の殿方。胡散臭い笑顔、とても素敵だわ」
ジーンの笑顔が、にっこりくっきり濃くなる。
何かしらの感情を堪えているようだ。
「そうね。安全かどうかはわたくしも言い切れません。でもね、あの子の覚悟や気持ちを踏みにじるようなことは、なさらないでくださいな。……誰に従うでもなく、ふらふらとしていたシロウが……シンジュというツテを使ってモーレスロウ王国まで行って、腰を据えたかと思えば向こうでもふらふらしていたシロウが……やっと、心から仕える主を見つけたのだもの」
どうやら、ナルについて調べてあるらしい。
娘が突然連れてくると言いだした相手の素性くらい調べて当然だが、知って尚、タエコは知らぬ存ぜぬで通すようだ。
何かあったときの保身のため、また、愛娘に対する配慮だろう。
(シロウの過去に、何があったのか知らないけど。人の数だけドラマがあるって、誰か言ってたっけなぁ)
ナルは、微笑んだ。
「入国できるなら、こちらとしては有難い限りです。シロウのお母様、一つ、お聞きしたいのですけれど」
「あら、なぁに?」
「この通行許可証に、見覚えはありませんか?」
ナルの言葉を聞いて、ジーンは懐から、ピッタの部屋で得た通行許可証を見せた。
タエコはそれを手に取って、記憶を探るように目を細めたあと、はっと目を見開いた。
「これは、右大臣家の家紋ですわ」
右大臣は、風花国における重鎮の役職名の一つだ。
つまり、その右大臣が、この通行許可証を作ったということになる。ピッタを――モーレスロウ王国へ送り込んだ主、ということか。
手元に戻ってきた通行許可証を眺めて、菊とシャクナゲが合わさったような図を覚えた。
この右大臣が、ベティエールに毒を盛り、今尚ナルを暗殺しようと目論んでいるかもしれないのだ。
もしそうならば、ルルフェウスの戦いでばら撒かれた毒を生産した者に大きく近づくだろう。
しん、と静寂が降りたところで、タエコがぱちんと手を打った。
「今夜は、皆で食事に致しましょう? もっと沢山お話したいわ」
*
この世界に馴染めない。
そんな言葉が、ぴったりだった。
変人奇人、頭のおかしな娘、我儘で身勝手――それらが、世間がシロウに向ける目だ。
シロウの母は、先代の風花国王の子であるシロウを産み、貴族位を得たため、シロウに直接乱暴な言葉を吐く者はいなかったけれど、人の目というのは雄弁に語る。
何より、陰口というものは自然と耳に入ってくるものだ。
居心地の悪い世界で、シロウはいつしか好きなものも好きと言えない、何事にも無関心な子どもになっていた。
そんなとき、叔父であるシンジュが一時帰国した。
隣国モーレスロウ王国国王を父に持つシンジュは、幼い頃に王家に養子へ入り、そのままモーレスロウで暮らしているという。シロウは半ば強引に、シンジュにくっついてモーレスロウ王国へ渡った。
誰も自分を知らない世界に行きたかったのだ。
そこでも奇怪な者を見るような視線は変わらなかったが、男装していたこともあり、比較的穏便に受け入れられた。叔父のツテではなく、実力で刑部省精鋭隊副官の座を得たからだろうか。
性別を偽ったとはいえ、自力で得たカネで送る生活は悪くなかった。
変わり者と言われても平然と出来たのは、シロウ自身がそれほど繊細ではなかったこと、何より、刑部省勤務そのものが仮の居場所だったからだ。
いつか出て行く。
また、どこかへ。
そう決めていたから、何でもできた。
シロウは、主であるナルの隣に座り、夕食を食べる。
久しぶりの故郷の夕食は、品数が十四品もある懐石料理だ。ほかほかうるつやの白米が食欲をそそる。……なぜか、呼んでもいないのに母が同席しているのが気になるが、ナルに迷惑をかけなければ構わない。
シロウは、ナルにそっと声をかけた。
「いかがですか、我が君。お口に合うでしょうか」
ナルは、頬張った口をもぐもぐ動かしながら、片手を口元に当てて、何度も頷いた。嚥下してから、改めて笑顔を向けてくる。
「すっごく美味しいわ。いいわねぇ、白米。モーレスロウ王国はパンが主食だから、白米が恋しくて。それに、このお吸い物もとても美味しい。わかめが入ってるけど、海産物まであるのね。なにより、こう、小鉢が沢山ある懐石料理タイプの食事なんて、本当に贅沢! ありがとう、シロウ」
そう言ってはにかむナルの目が、ほんの少し潤んでいる。
どうやら、甚く感激しているようだ。
懐石料理は確かに高価で贅沢な食事だが、モーレスロウ王国になかった懐石料理を、まさかナルが知っているとは。
(さすが、我が君……見識が広くあられる)
幸せそうに食べる姿を見ていると、嬉しくなってくる。
シロウも自然と笑みを浮かべ、自分の分を食べた。
部屋にはほかに、ジーンと母がおり、護衛の二人は先に食事を終えている。
この屋敷には一時的とはいえ女中がいるので、シロウが必ずナルに付き添う必要はないのだ。
シロウはさりげなくジーンを見た。
元々、ジーンに対してはあまりよい感情を持っていなかったが、今回の旅で少々見直した部分がある。
ただの優柔不断で飄々とした男ではなく、鋭い観察眼と気遣いも持ち合わせているようだ。
何よりシロウが気に入ったのは、ナルに対する絶対的な忠誠だった。
シンジュからは、ジーンの同行について刑部省との連絡係だと聞いていたが、どうやら他に理由があるらしい。
(叔父上は、余裕ですねぇ……我が君が心変わりされても知りませんよ)
若い男が傍で自分を守ってくれるのだ、ナルがころっとジーンに惚れても仕方がない。
もっとも、あのシンジュが、女性にこれほど執着するなど未だに信じられないけれど。
「これもおいしー!」
「白和えですね。この豆腐は、水の美しい領地で作らせているのです。専用の業者がおりましてね」
「そうなのね、あー、幸せ」
美味しそうに食べるナルに、自然と笑みがこぼれる。
ふと。
明日のことを思って、視線を下げた。
シロウを矢面にして風花国に入った場合、ナルと別行動になってしまうことが、ずっと不安だった。シロウは、ナルが役目を終えるまで、貴族らの目を引く必要がある。
その間、ナルを支えることのできる者がいるのか、と。
だがそれも、杞憂だったようだ。
個人的に信用ならないと思うジーンだが、ナルに関することならば信じられる。
何か、ジーンには秘密があるようだが――昨夜の襲撃事件といい、ジーンの持つ情報量に驚かされる――シロウは興味がない。
リンの強さや忠実さは、過去に類を見ないほど鉄壁だ。
戦闘以外においては頭の回転が緩くなるが、アレクサンダーがいることで調和がとれている。アレクサンダーに至っても、護衛としては歳を食っていると思っていたが、なかなか俊敏な動きをする。特別に秀でた部分が見えないのは、すべてにおいて平均を上回る技術を持っているからだ。余程、使用人として上級な教育を受けてきたのだろう。
もっとも、ナルを見る目にやや良からぬ色が混じっているのが、気になるのだが。
ナルは、シロウにとって初めての主だ。
友達のような感覚で接してくれるナルは、知り合って間もないにも関わらず、シロウを信用してくれる。
シロウの他者とずれているらしい価値観についても、興味深そうに、ときおり面倒くさそうに、話を聞いてくれる。
そして必ず、感想をくれるのだ。
公平を絶対とするシンジュでさえ、シロウは変人で面倒なやつだと思っているのに、ナルはシロウの感覚を馬鹿にしない。
独特なのねぇ、と笑うナルの笑顔が、とても好きだ。
こんなシロウに――どこにも居場所がなかったシロウに、全幅の信頼を寄せてくれる。
それだけで、充分、シロウのすべてを捧げる理由になるのだ。
夕食が終えて、母が余計なことを言う前にナルを連れて部屋に戻る。食事中にいくつか会話をしたからもういいだろう。
明日の準備があるのでシロウは別室で休むため、代わりにハナがナルについてくれることになっていた。
ベッドに座ったナルに、そっと声をかける。
「我が君、明日の朝に出発致します。三日後には風花国の国境門へたどり着けるでしょう」
「何から何までありがとう、シロウ」
「とんでもない。好きでやっているのです」
シロウは、ハナが控えるのを確認してから、ナルに退室を述べた。
「あ、シロウ」
「はい、何か」
顔をあげたシロウへ、ナルが勢いよく抱き着いてくる。
驚いて抱き留めるシロウを顔をじっと見て、ナルは悪戯っ子のようににんまりと笑った。
「絶対に生きて帰るわよ。……これ、主命令だから」
目を見張る。
明日どのように風花国へ入るかは、まだ伝えていないはずだ。シンジュにも話していない。
優しいナルならば、シロウに危険が迫ることを嫌がるかもしれないと思っての配慮だったが、どうやらすでに知っていたらしい。
(わたくしの気持ちを、尊重してくださるんですね……優しい主)
シロウは、表情を引き締めて頷いた。
「畏まりました。我が君の仰せのままに」
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