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第二幕 第二章 【4】温泉街 ~人間だから、仕方がない~

 ジーンは、寝室のベッドに座るなり、柔らかくて自分のものよりも小さな手に、ぐいっと肩を抑えつけられた。

 ベッドに寝転ばされて、自分を押し倒したあとさっと身を退けた主を見る。


「なんですか、誘ってるんですか」

「少し寝たら? 最近、また寝れてないんじゃないの」


 ナルは苦笑すると、ベッドの端に座って足をぶらんと揺らしてみせた。


「今、三人ともお風呂だし」

「あのですねぇ、だからこそ私が起きてないといけないんですよ」


 呆れて言うと、ナルはおかしそうに笑った。

 改めて言うまでもなく、そんなこと、ナルがわからないはずがない。


 今、騎士二人と侍女が、同時に内風呂を使っている。

 護衛二人と傍仕え一人、合計三人を傍におくことは、最低限、命を守るために必要だ。一人でもかければバランスが崩れ、機能しなくなるため、あの三人が交代で入浴するなどありえない話だった。

 だから、三人で同時に入浴させる、という強引である意味非常識だが、この方法がてっとり早い。


 もっともこれは、ジーンがいるからこそできることだ。

 ジーンとナルは、のちほど別に内風呂を使っても問題ない。あの三人さえまとめておけば、とりあえずは。

 ベルガン地方へ入ってから、一同の警戒心が増しているのがわかる。

 可能ならば旅路の間もそれくらい警戒してほしかった。

 今このタイミングで皆が気を緩めずにいられることは、称賛すべきかもしれないが。


「ジーンさんは文官として同行してくれてるんでしょ? 武官の働きを求めるのは酷だわ」

「それ以前に、私の主はあなたですからね。忘れてません?」

「柳花国からは働いてもらうから。今のうちに休みなさいって」

「……まぁ、少し、うとうとしてきたので眠ってもいいのですが」


 どの道、何者かが侵入すれば、寝ていようとも、気づくくらいには訓練してきた。安全面でいうと、寝てしまっても問題はない。

 倫理的な問題は、ジーンとナルの間では、ほとんど意味をなさないので、まぁ、そういった意味での問題は考えなくてもいいだろうと思っている。

 今もっとも問題なのは、報告事項と耳に入れておきたい事柄があるということだ。

 あの三人はナルの安全面ではなくてはならないが、いたらいたで、個人的な報告ができないので困ってしまう。


 そもそも、とジーンは胸中でため息をつく。

 三人が同時に入浴している間、当人も風呂場で待機する予定だったと知ったのは、つい先ほどのこと。先に男二人が風呂へ行き、次にシロウが女性側へ向かう際、ナルも共に脱衣所へ向かおうとしたのだ。


 腕を引いて引き留めれば、シロウの目の届くところにいたほうがいいでしょ、と当たり前のように言った。

 どうやら、ドレスのまま浴場で待機するつもりらしい。


(まぁ、一緒に自分も入るとか言い出さないだけ、マシなんですかねぇ)


 守る対象が全裸で護衛も全裸では、動くに動けない。

 最悪、奇襲に合ったとして、護衛は全裸で戦い、侍女は適当に布でも巻き付けて主を守りながら逃げればいいが、主を全裸のまま走らせるわけにはいかないのだ。


(まったく、もっと私を頼りなさいよ。そうやって、一人で完結してしまって)


 ナルは物事を考える才に長けていると思っていたが、どうやらすべてに当てはまるわけではないらしい。

 彼女の一言がどれだけ周囲へ影響を与えるのか、また、どれだけ周囲が彼女を大切に想っているのか、その辺の考えが希薄だ。


 これまで、独りで生きてきたナルの生い立ちを彷彿とさせるように、当たり前のようにナルは自分でなんとかしようとする。


 今だって、ジーンが強引に風呂場から引きずってこなければ、湯気で重くなったドレスを纏って、侍女たちの風呂が終わるのをじっと待っていたのだ。

 部下も気を遣うし、主としての態度としては間違っている。


「……これから、柳花国に入りますけど。さらに風花国へ行けば、身分差が激しくなります。不快な想いを沢山するでしょう」

「でしょうね」

「……あなたが想像できないような、世界ですよ」

「無礼があった瞬間切り殺されたり、偉い人の前では頭を地面に擦りつけていないといけないとか、そういう? あとは、そうね。格差が激しいらしいから、その日に食べる物もなくて、路上で生活してる人もいるでしょ」


 ぷらぷらと足をぶらつかせながら、ナルが言う。

 ジーンは、目を瞬いた。


「そうですが……え? 風花国へ行ったことがある、ってことはないですよね」

「ないわね。ただの想像」

「やけに具体的すぎませんか」


 モーレスロウ王国は、罪に対して平等な国だ。

 貴族だろうが人殺しは重罪で、だからこそ陰で暗躍する裏社会というものが存在しているのだが、そこでは商売が行われており、身分差云々は関係ない。カネがすべての世界なのだから。


 身分差が激しい、という言葉から想像するのは、大抵の場合、奴隷階級と王族の間に、別の階級が存在してるのか、と思う者が多い。

 身分差が激しいとはすなわち、モーレスロウ王国の者にとっては、身分差が大きい、という意味で捉えられるのだ。


「別に驚くことでもないと思うけど。昔のモーレスロウ王国だって、身分差が激しかったじゃない。人の命なんて、一部の権力ある人間が握ってるのよ。罪がなくても、お前が悪いと言われれば従うしかない場面なんて、珍しくもない」


 ふ、とナルはどこか遠い場所を見た。

 視線を追うけれど、壁があるだけで何もない。

 もしかしたら、ナルの父親はそういった暴君ぶりを見せていたのかもしれないな、と考えて、恐らくそうだろうと納得した。

 ただシンジュから聞いていただけかもしれないが、それにしては――目がからっぽだ。


「眠らないの?」

「確認しておきたい事柄があるので、そちらが優先です。こうして二人で話す機会が、今後あるとは限りませんし」

「え? 言ってくれれば人払いするわよ」

「何言ってるんですか、外聞が悪いでしょう」

「……外聞を気にして、目的を見失ったら意味がないじゃない。あとから、あのとき動いておけばよかった、って思うことはしたくないからね」


 そう言って、ナルは肩をすくめる。

 ジーンは、訝しく目を細めて、ナルの横顔を見た。


(この人、まだ何か抱え込んでますねぇ……まったく)


 だが今は、今後についてだ。

 すべて片付いたあと、ナルが抱えている辛さは、本人がシンジュへ打ち明ければよい。


「わかりました、今後はそうします。……それで、ですね。柳花国に関してはシロウ殿がお詳しいので、このまま任せて、私は情報収集を中心に動きますけれど。風花国では、私の傍から離れず、必ず言うことを聞いて無茶をしないと誓ってください」

「待って!」


 ナルが、ぎょっとしたようにジーンを見た。


「その誓い、これで三回目なんだけど。私、誓いすぎじゃない? そもそも誰に誓ってるのかもわからないし」

「あなたは無茶をしそうなので、こうして固定概念として意識に植え付けているんです。何度だって言いますよ」


 ナルはむすっとした顔をした。

 怒られて不貞腐れる子どものようだ。


「誓います。無茶しません」

「……わかりました」

「次はいつ?」

「風花国へ入国前に、あと三回は誓ってもらいます」

「誓いが安っぽくなるじゃない!」

「――それで、これから向かう柳花国ですが。いくつか街を経由して、宵衣へ向かいます。ここは、長官が幼少期を過ごされた場所なんですよ」

「シロウも言ってたけど。シンジュ様が育ったっていう屋敷で泊まることが、そんなに危険なの?」


 首を傾げる様子から、シロウから聞いたあと随分と考えていたようだとジーンは苦笑した。

 シンジュは言う必要がないと言っていたが、隠し事をするなど、本当に狭量な男だ。


「危険といいますか、奥方が気分を害されるかもしれないので、お耳にいれておいたほうがいいかと」

「何を?」

「その屋敷は、長官が五歳まで育った場所なのです。宵衣という名は、明けを待つ者が纏う衣の名でから来てまして。ぶっちゃけ、身分のある独身女性が集団生活している場というところでしょうか」

「……は?」

「わかりにくいですか? 後宮へ向かう人員を育てるところ、といえばわかりやすいでしょうか」

「わかりやすいけど。じゃあ、シンジュ様のお母さまって、後宮に入る予定の人だったの?」

「そうですよ。後宮に入れば王のものですが、入る前の女人で身分を持たない者――貴族でも、妾腹から生まれた子などですね――は、来賓の慰み者として提供される場合があるんです」

「……そしたら、もう後宮に入れないじゃないの」

「基本は。ですが、国賓レベルの相手をもてなして相手の子を孕めば、よい待遇で生活できます。身分のない女人は、埋もれていく後宮よりも、慰み者の道を選ぶ者も少なくないんです」

「誰の子かわからなくなったりしないの?」

「娼婦とは違いますからね。その辺りは、宦官が管理しています」


 ほう、とナルが感嘆の声をあげた。

 女性側からしたら不快な話だろうと思ったが、そうでもないらしい。


「自分で道を選べるのは悪くないわね」

「基本、志願制ですからね。その点は褒められていいかもしれません。……話の続きです。長官のお母上なんですが、我が子をモーレスロウ王国へ差し出した褒美として――国家間の絆を深めた功績者って意味ですよ――後宮の妃になられたんです。第三王妃ですね」

「……それはまた、すごい出世じゃないの」

「説明するまでもないですが、モーレスロウ王国の世継ぎは現王のおひとりでしたから、先王陛下がシンジュ様を引き取って、教育を受けさせたんです。世継ぎの男児が亡くなった場合、いらぬ対立を生みますからね。結局、現王陛下は無事に王位を継がれたので、長官は内密のまま大公になられたということです」


 ナルは、へぇと感心したような返事をした。

 思わずジーンは胸中で苦笑する。


 シンジュの心境を勝手に想像して悲観にくれるかと思っていたけれど、やはり、ナルはそんな愚かなことはしないらしい。

 ナルの父親がしでかした悪事に心を痛めていたから、シンジュの過去へも何か思うところがあるかと思ったが。


「その長官の母上ですが、なかなか貪欲な方で、幼いころの長官には婚約者がおりました。この婚約者が現在も、その屋敷で暮らしております」

「……は?」

「婚約を破棄されたんですから、生涯独身は当然です。いわゆる傷もの扱いになりますし」

「なんでよ⁉ だって、シンジュ様当時五歳でしょ?」

「年齢なんて関係ありませんよ。婚約破棄された不名誉は生涯ついて回りますから。その元婚約者殿は、婚約破棄されたあとに宵衣の屋敷へ入れられて、生涯呼ばれることがないにも関わらず、後宮入りに備えて長年暮らしてらっしゃいます。そのことをお耳に入れておこうかと。長官の奥方という立場上、無関係ではありませんしね」


 とはいえ、特に危険があるわけではない。

 相手が何か危険なことをしでかす可能性がないわけではないが、立場上不可能だ。

 ナルが自分から近づいて弱みでも見せない限り、相手はナルがシンジュの妻だということも知らないだろう。


「……そう、うーん、なかなかの違いね。私、風花国に入ったら質問ばっかりすると思う」

「それは構いませんけど」


 今度はジーンが首を傾げた。

 ナルは、視線だけで「なに?」と問うてくる。


「女性ってもっとこう、そういうの嫌がるものかと。元婚約者ですよ? 夫が昔、暮らしていた屋敷ですよ? 嫌じゃありませんか」

「むしろなんで?」

「なんでって」

「二十歳とかで恋人同士だった相手がいるっていうんならわかるけど、五歳のときの元婚約者でしょ? そこまで私、心狭くないつもりだけど」

「……そうですか」

「ジーンさんの知ってる女性が心狭すぎたんじゃないの? 大丈夫? いい加減、刺されるわよ」


 ぐっ、と言葉につまる。

 確かに、欲望の吐きだし相手に、面倒ごとにならない相手ばかり選んできたのも、女のそういった感情が面倒だからという理由がある。


(確かに、私の考えが偏りすぎていたのかもしれませんね)


 ナルやシロウは、ジーンの知っている女性像からはかなり離れている。


「話ってそれだけ? だったら、そろそろ寝たら?」

「……寝ますけど。ああ、そうです。明日に国境を渡ることは長官へ報告しておきました。それと」

「今度はなに?」


 枕に頭を乗せ直して、ナルを見上げた。


「言語が変わるのは、国境門を超えてすぐです。国境を越えたら、花国語に変えてくださいね」

「………………え」

「え?」

「……忘れてた」

「はい?」

「言葉が、通じないってこと‼」


 おおおう、と頭を抱えるナルを見て。

 叡智に長けた娘だと思ったかつての自分の慢心を、恨めしく思った。

 当たり前のように、ナルが花国語も話せると思い込んでいた、そんな自分を。





 アレクサンダーは、先に着替えて待機していた。

 隣では、リンがほかほかと湯上りの嬉しそうな笑みを浮かべている。


(まったく、薄い壁一つ隔てて風呂とか、非常識すぎるだろっ!)


 会話さえなかったが、相手が身体を洗ったり湯舟の湯がぴちゃんと跳ねたりする音は、しっかり聞こえるのだ。

 すぐ隣に全裸の――と思うと、アレクサンダーとて男なのだから、色々と思わないでもない。

 いい歳だが、年齢のわりに経験が少ないのだ。

 ドキドキだってする。

 男として、普通に。


(だからこれは、別に不敬なわけじゃなくて……勝手に連想されるだけで、裸とか、そんな、自分から想像したわけじゃないし)


 アレクサンダーが自分自身に言い訳していると。

 ややのち、シロウが脱衣所から出てきた。


 そのまま待機していると、シロウが寝室へ向かう。

 ぎょっとして、アレクサンダーは声をかけた。


「ちょ、ナルを置いていくのか?」

「我が君でしたら、寝室ですが」

「…………え」

「おや、もしやわたくしと共に、我が君も入浴中だと考えておられた、とか。残念ですが、我が君の入浴はそれほど安いものではございませんよ」

「なっ、ななななななななにいってんだ! そんなこと思ってなかったからっ」

「そうだぞ! 私も、そなたの裸が安いものとは思っていないからな! それに、隣から聞こえた水音は一人分だった。ナルが一緒のわけがないだろう? な、アレク」


 リンがそう言って頷いているが、シロウが「ハッ」と嘲った目でアレクサンダーを見たあと、寝室へ消えた。

 護衛として何事も淡々とこなすリンは、すぐに持ち場であるナルの元へ向かう。

 アレクサンダーも向かおうとして、その場で膝をつくように崩れ落ちた。


(……ああ、あああああっ、返せ俺の理性!)


 無性に悔しい。

 ナルだと思ってたらシロウだった、ただそれだけなのに。


閲覧、評価、などなど、ありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ

いつの間にか、70話くらいになってて驚いています。

ここまで読み進めてくださった方、本当にありがとうございます。


第二幕第三章で、完結予定となっています。

宜しくお願い致します!

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[良い点] リン君いい子だwww
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