リーロン単話 【特別編】
番外編ではなく、特別編(?)
一人称となりますm(*_ _)m
物心ついたときから、私と兄上には大きな隔たりがあった。
私は、双子の弟だから、当たり前なのだそうだ。
貴族は十歳で社交界に出る。
けれど、私が公式に社交界に出ることはなかった。
興味もない。
最低限の執務さえこなしていれば、城から出ることも許されたし、叔父上とも好きに会える。兄上のようにぞろぞろ側近を従えねば外出も出来ない窮屈な生活は、私にはなかった。
ただ、幼いころから教えられてきた「兄上の身代わり」として行動できるだけの知識と技量を求められ、どこへ出かけても必ず城へ帰らなければならなかった。
私はずっと、見えない鎖で繋がれていたのだ。
兄上とまったく同じように整えられた部屋のベッドで、私はうつ伏せで寝転んでいた。
背中の傷が痛むけれど、出血は止まっている。
いい加減に身体を動かさないと、剣の腕が鈍ってしまう。
腕が鈍ると、怪我を負うリスクが増えるから、文字通り死活問題なのだけれど、怪我で動けないのだから仕方がない。
ふいに、ドアをノックする音がした。
返事を返すと、酷く枯れた声が出た。そういえば、動けなくなってから満足に食事をしていない。
入ってきたのは、叔父上とその従僕だった。
叔父上は真っ直ぐに私の元までくると、従僕が用意した椅子に座ってため息をつく。
「どうですか、怪我の具合は」
「……早く動きたい」
「答えになっていません」
叔父上がまたため息をつく。
その間にも、叔父上の従僕が、私の怪我の手当てを始めた。
叔父上は一日に二度、手当てをしに従僕を寄越してくれる。けれどたまに、こうして叔父上自ら来てくださるときがあるのだ。
ちょっとだけ、特別な時間になる。
「次は、しっかりと門限を守ってください。私にも庇いきれなくなりますよ」
「うむ、わかっている」
私には門限があって、それを超えても城にいないことが知れると、今回のように折檻を受ける。
気を付けているけれど、門限ギリギリになった日に限って暗殺者がどばーっと押し寄せてきたりするのだ。
もう少し、こちらの事情を考えてほしい。
叔父上がため息をついた。
少し、ため息のつきすぎではないだろうか。
「殿下はもう、十五です。ご自身の言動には責任をもって、謹んで行動して頂きたい」
「……兄上もそうなのか?」
「はい」
「ならば、私も兄上のように頑張らなければならない」
うんうん、と決意をしていると、叔父上がなぜか目を伏せた。
手当を終えると、従僕は私から離れて、叔父上の傍に控える。叔父上は頷いて、立ち上がった。
「もう行ってしまうのか」
「用は済みました。……殿下」
「うん?」
「くれぐれも、これ以上馬鹿なことはしないでください」
そう言って退室する叔父上は、心なしか怒っているように見える。
馬鹿なこと、とは一体なんのことだろうか。
私は一度として、馬鹿なことなどしたことがないのに。
こて、と首を傾げた。
空腹はまだ我慢できるので、睡魔が先にやってきた。
身体を早く動かさなければ――と思いながら、私はまた、眠りに沈む。
叔父上は、私の誇りだ。
美しい見目と優秀さから、縁談話も多いというのにすべて断り、独身を貫いている。それというのも、公にされてはいないが、叔父上は父上の異母弟なので、派閥をつくるような真似をしたくないからだという。
叔父上は、心から父上のために動いている。
その姿が美しくて、気高くて、私も兄上のために美しく潔くいたいと思っていた。
叔父上が結婚したのは、私が二十歳をとっくに過ぎた頃だった。
叔父上の結婚は一部の者にしか知らされておらず、私の耳にもすぐには入ってこなかった。
私が知るきっかけになったのは、第三王子である弟がひと騒動起こしたときだ。
兄上以上に優秀な弟だが、なぜか本来の王子の在り方とは別の方面に興味があるらしく、父上が嘆いているのを知っている。
だが、私は弟のことにはまったく興味がないので、どんな人物かも知らない。
弟も私に興味がないらしく、会ったこともない。
だが、弟が騒動を起こしたおかげで、私は叔父上が結婚したことを知れたのだ。
何かの間違いだと思った。
叔父上は、結婚しないと公言していたからだ。
ある夜、仕事終わりの叔父上に会いに行き、直接聞いた。
叔父上は面倒くさそうに私を通り過ぎる。
今の叔父上は、新妻のことしか頭にないらしい。
聞いたところによると、叔父上の妻は、あのシルヴェナド家の生き残り令嬢だという。
処刑されたはずだったが、その前に叔父上と結婚したため、王族規範に沿って処刑を免れたそうだ。
どう考えても、叔父上は利用されている。
あの極悪非道と名高いシルヴェナド家の女に騙されるなんて、叔父上がかわいそうだ。
私は、愛する叔父上のために、この手で悪党を退治することに決めた。
叔父上の逆鱗に触れた。
ここずっと、王子として敬われた言葉遣いをされていたのに、「馬鹿王子が!」と頭に拳骨を食らった。
とてつもなく解せぬ。
理由を聞いても、妻に盲目な叔父上の話は理解できなかった。
なぜ甥である私より、最近知り合ったばかりの悪党の娘を信じるのか。
ちょっとばかり脅かしてやろうと、流行りのぬいぐるみに軽い毒を仕込んだだけなのに、叔父上から今後一切の面会を拒否される結果となってしまった。
私は仕方なく、叔父上に言われたように、叔父上を騙している悪党の娘に、不本意ながら謝罪するために貴族街へ向かった。
だが、なかなか会う機会が得られない。
それでも謝罪せねば叔父上からガン無視を食らうので、なんとか機会を窺った。
そうしているうちに、機会はやってきた。
叔父上の奥方という立場にも関わらず、若い……多分若い……いや、若いのか? 微妙な歳の男と二人で、腕を組んで王都をデートしていたのだ。
叔父上というものがありながら! と憤りながら尾行していると、男の方が憤慨したように悪党の娘を放置してどこかへ行ってしまった。
貴族の娘が町中に一人など、ありえない。
さぞ本人も困惑しているだろう、と思ったけれど、悪党の娘はさっさと歩き出した。
どこへ行くのだ? と思っていると。
郊外にあるのんびりとした一軒家で、別の男と密会を始めた。
なんという、不埒な女だろう!
その後、色々なことがあって。
なんと、完璧なはずの私の尾行が見つかってしまった。
フェイロンという、叔父上の義兄の家で、初めて私は、叔父上の妻の座を射止めた悪党の娘と話をした。
謝罪せねば、と思いながらも言い出せないでいると、ぽんぽんと話題を振ってくれる。
結構、気の利く娘のようだ。
言葉遣いは貴族らしくないザツなものだが、気取っていないところは好感がもてる。
うん。
悪党の娘だが、悪の娘ではなかった。
叔父上の妻であるナルは、普通の娘だ。
むしろ、欲しい言葉をくれて、適度に構って突き放す辺り、叔父上と少し似ている。けれど叔父上よりも言動に心がこもっているような気がする。
うむ、まぁ、叔父上の嫁としては、合格点をやろう。
不本意だがな!
ナルの言う雑草の話には興味を引かれた。
私にもよいところがあるのだろうか。
兄上に劣る馬鹿王子と、呪われた王子と言われ続けた私にも。
わからない、と思っていると、ナルは意外なことを言った。
どうやら、ナルの初恋相手は私らしい。
(ぬあ⁉)
心の中で絶叫した。
会ったこともないのに噂だけで惚れたと、わけのわからないことを言う。しかも、よい噂ならまだしも、まったくよくない噂で惚れたという。
だが、そう言われると。
もしかしたら、本当に私にも、良い所があるのかもしれない。
少なくともナルは、私のいいところを見つけてくれると言った。
私のよいところとは、どこだろう?
*
「なぁ、アレク。私のよいところはどこだ?」
地面に膝をついて全身で呼吸しているアレクを見下ろして、問う。アレクは補水液をがぶがぶ飲んで、どさっと座った。
「はぁ、はぁ」
「なぁ、アレク。私にもいいところがあるのか?」
「はぁ、はぁ」
「なぁ、アレク――」
「呼吸くらい、整わせてくれないかな⁉」
今は、アレクに頼まれて剣の稽古をしているところだ。
鍛えてほしいというので、私の実戦用の剣を教えている。アレクは真面目なので、覚えも早い。私の上司として、騎士の心構えも教えてくれる素晴らしい人だ。
私は心から、ナルの騎士になってよかったと思う。
私からアレクには剣を、勉強や騎士としての役割、そのほかの常識諸々すべてをアレクから教わっている最中だ。
アレクは物知りで、空気を読むのがうまい。
本当に、すごい上司なのだ。
「リンのいいところか。素直さじゃないの? 僕にはないよ、その素直さ」
「素直さ」
「ああ。まぁ、単純でもあるんだけどね」
「それは、悪口ではないのか?」
「そうだけど」
なるほど、さっぱりわからない。
*
「ベティエール殿、私のいいところはどこだろう?」
私は、剣舞をベティエール殿に教えて貰ったあと、尋ねてみた。
私が知っているのは身を守る実戦用の剣であり、流派や型はよく知らない。知らなくても構わなかったが、お茶会などに呼ばれたとき、客人に乞われて披露することもあるという。
知らないまま貴族に仕えると困るそうなので、ベティエール殿が剣舞の型を教えてくださっているのだ。
ベティエールは困ったような表情で、私に言う。
「自分では、どう、思って、いる?」
「わからぬから聞いている」
「そうか。……素直、なところ、だろう、か」
そう言いながらも、ベティエール殿は悩んでいるようだ。
困らせたいわけではないので、すぐに話を切り上げた。お礼を言って、教えて貰った対価の手伝いをする。
ふむ。
素直なところ、か。
具体的には、どういったことなのだろう。
素直とは、どういう意味なのか。
ぐぬぬ、難しい。
*
叔父上の帰宅を受けて、皆で出迎える準備をする。
準備と言っても、ナルが危険な目に合わないように傍で控えるのだ。
殺気ある者にはすぐに対応できるよう、常に剣を携えている。
私はナルの騎士なのだから、ナルと敵対するものはすべて排除するのだ。
ナルの騎士となったとき、そう誓った。
馬車が玄関前で止まり、叔父上が馬車から降りてくる。
最初に挨拶するのは、ナルだ。
叔父上は、嬉しいほうの無表情でナルに頷く。
そしていくつか言葉を交わすと、叔父上は先に風呂へ向かった。
叔父上は帰宅してすぐに食事にしていたそうだが、最近は風呂へ行くことが多いという。
そのことについて、アレクに「叔父上も加齢臭を気にするお年頃なのだろうか」と言ってみたが、アレクは軽く笑っただけだった。
是とも否とも返事をくれない。
いじわるだ。
風呂に向かって叔父上を見送ってから、ナルは一度自室に戻ると言って歩き出した。
部屋まで見送ることになり、ナルの両側を少し下がった位置で、アレクと歩く。
「ナルはすごいな!」
「なに? リン」
三人きりになって声をかけると、すぐにナルが返事をくれる。
なんとナルは、私の言葉を無視しない。とても優しいのだ。アレクもベティエール殿も私の言葉を無視しないから、優しいのだけれど、叔父上はたまに聞こえてないふりをする。
私がうるさいせいだというので、気を付けようと思う。
ナルに、私はつい先ほど見た叔父上のことを話した。
「私はこれまで叔父上の、不機嫌なほうの無表情しか見てこなかったから、嬉しいほうの無表情の貴重さを知っているのだ。ナルに対して、叔父上はいつも嬉しいほうの無表情だから、私も嬉しくなる。やはりナルはすごいな!」
隣でアレクが、「何言ってるかわからないんだけど⁉」と言っているけれど、何がわからないのかわからない。
ナルは、ふふっと笑って、足をとめた。
私を真っ直ぐに見て、口をひらく。
「リンは本当に素直ね。シンジュ様の喜びを自分のことのように喜んで、私のことを受け入れてくれるもの。リンは、人の幸せを喜び、人の不幸を悲しむことが出来る人なのね。……あ、これ、某有名キャラクターのお父様のセリフなんだけどね」
ナルは一度言葉を切ってから、もう一度、口をひらいた。
「リンはそのまま、自分自身に素直でいてね」
「自分自身に、素直?」
「そう。リンは、どんなときでも平等な立場で、自分の考えを貫けるすごい人だから。本当に尊敬してるの」
ナルの言葉は、難解だ。
首を傾げていると、「リンはそのままでいてね、ってこと」とナルが笑う。
話は終わりらしく、再び歩き出すナルの後ろを歩く。
どうやら、私は私のままでいいらしい。
ナルに言われると、すとんと納得できる。
やはりナルはすごい。
私は私の良い部分がどこか気になったけれど、別に気にしなくてもよかったのだ。
ナルが部屋に入るのを見届けて、私はアレクと部屋の前で待機する。
アレクが、奇妙なものでも見るように私を見ていた。
「ナルは、随分ときみが大事なんだねぇ」
「私はナルの騎士だからな」
「いやいや、大事にされるのは主であって、騎士じゃないから。……はぁ、僕もリンくらい強くて美しかったら、ナルにもっと必要とされたのかなぁ」
「よくわからないが、アレクはナルに必要とされてるじゃないか」
「どこが?」
「アレクといるときのナルは、とても穏やかだ。それに、ナルが誰かを呼ぶとき、大抵はカシアかアレクだぞ」
「それは、性別や立場で必要事項を伝える相手が異なるからだろう? ジザリだって呼ばれてるじゃないか」
「ジザリに対して、ナルはとても丁寧だ。カシアに対してもそうだ。アレクに対しては、すごくザツだと思う」
「ザツって……適当にあしらわれてるってことだろう?」
「はっきり説明しなくても意志をくみ取ってくれるから、ナルはとても喜んでいるのだ。アレクはナルにとって、アレクが思っているより大切な存在だと思うぞ」
はた、とアレクが目を見張る。
思い当たることがあるようだ。
何度か頷いて、アレクは苦笑した。
そして、「ナルの言うように、リンは平等に見てるんだな」と言った。
こて、と首を傾げると、なんでもないと言われてしまう。
こうして話をしたり、教えたり教えられたりすることが、とても楽しい。
なにより、ナルと叔父上の笑顔が見られることが、この上なく幸福なのだ。
王子を辞めてよかったと心から思う。
私はこれからも、ナルと叔父上の幸福を、傍で見守っていくのだ。
ちょいちょい挟んでいくスタイルの、単話。
今回はリンです。