第二幕 第一章【8】 計画と、変化する関係③
ナルは、何度か考えたことがある。
いや、ナルに限らず、誰だって、一度は考えたことがあるだろう。
――生まれ変わったら、何がしたい?
どんな人に生まれ変わりたいか、という希望は置いておく。
すでに生まれ変わってしまったナルにとって、その点は考えても無意味だからだ。
生まれ変わったナルは、父を裏切って、自らも死を選んだ。
嫌々でも父の後を継げば、不利益を被らずに済んだかもしれない。だが、自分が大罪人となることは、決して己が許さなかった。
そして、前世で愚行を犯して死ぬしかなかった自分への慰めでもあった。
けれど、ナルは生き延びた。
シンジュの妻となって、新しい人生をスタートした。
ナルの取り巻く環境は変わり、死刑を待つだけだという、ナルの考え方も次第に変化していって。
生まれ変わった今、ナルがやりたいことも変わった。
それは、やらなければならないこと、ではなく、やりたいことをしよう、というものだ。
心から求めることを、全力でかなえよう。
誰かのため、ではなく。
自分のため、という保身でもなく。
ナルが心から、やりたいと、純粋に思うことをやるのだ。
今、ナルがやりたいことはもう、決まっている。
それは、自分の正しさを貫くことだった。
歴史によって善悪の変わる世で、自分の信念を曲げずに生きていきたい。
傲慢に生きたいのではない。
ただ、間違っていると思うことを強要されても屈しない、自分の生き方を貫きたいと思うのだ。例えそれで、馬鹿を見ることになったとしても。
結局はそこへ、戻るのだ。
父を破滅させたときと、変わらない。
人の本質は変わらないというけれど、まさに、その通りだ。
生まれ変わっても、やはり、自分は自分でしかないらしい。
これは、父をはめたとき以来の、大きな計画だった。
ナルは、あんぐりと大きな口を開いたまま固まっているジーンに笑ってみせたが、すぐに表情を改めた。
「父が言ってたの。月光花師団が取引相手をつぶしたせいで、大損害がでたって」
ジーンも表情を改めて、ナルを見た。
彼は、いつも真剣にナルの話に耳を傾けてくれる。口調は軽いし、女好きだが、ジーンが真面目な性分であることは確かだ。
「父はさらに、続けた。潰しただけでは気が収まらんが仕方がない。やつらが所有していた毒の権利も得たいところだが、相手が悪い。……ってね」
ナルは、当時の記憶を引きずり出す。
酒の席だった。
父が父の友人たちと話しているのを、ナルは父の膝の上で聞いていた。あれは、師匠と出会ってすぐあとのことだ。
何も知らない無知なふりをしながら、猫のように娘を可愛がる父の言葉に耳を傾けたのは。父に取り入るためだ。
従順で、程よく使えるけれど頭が良すぎない娘。
そんな娘の姿を父の理想通りに描くには、行動が早ければ早いほどいいと思った。
父のいう「相手が悪い」というのは、月光花師団のことではない。
ルルフェウスの戦いの折、大量の夢蜘蛛を扱い人々を悲惨に苦しめた、風花国の協力者のことだ。
「十二年前の目的は、あくまで武器の売買だった。カネさえ入ればいいはずだった。なのに、あえて毒を使って、一般民を巻き込んだ」
自嘲気味に笑うナルを、ジーンは食い入るように見つめる。
見開かれた瞳、小さく震える唇、生唾を飲み込む際に動く喉。
緊張で、空気がぴりっと張りつめた。
「まさか」
「それらはすべて、父の演出なのよ。月光花師団を、罠に嵌めるための」
ジーンから十二年前のルルフェウスの戦いに毒が用いられたことを聞いたとき、疑問に思ったことがある。
なぜ、毒を使ったのか。
なぜ、街を滅ぼすほど死者を出す必要があったのか。
その答えは、ナルが幼いころ聞いた父の言葉のなかにあった。
「夢蜘蛛を用いたのは、月光花師団を犯人だと印象付けるため。戦が終わる頃、多くの人々を殺害したのは、月光花師団が負う責任を重くするため。……それが、真相――」
おもむろにジーンの腕が伸びてきて、ナルの右手首を掴んだ。
引っ張られてこけそうになり、咄嗟にジーンの胸に手をつく。
すぐ近くに、怒りに歪んだ瞳があった。
普段、ほとんど感情に起伏をみせないジーンが、怒りに瞳をぎらつかせている。息苦しくなるほどの感情をぶつけられて、ナルは小さく震えたが、俯いたりはしない。
「あなたの父親が、私たちをハメたってことですか」
「そう言ったつもりだけど。あなた方が、父の大事な取引相手を潰したから、その腹いせでしょう」
掴まれた手に力がこもる。
骨が軋むような痛みに、少しだけ顔を顰めた。
「でも、こんな大事、父だけでは成立しない。誰か、風花国に、この取引の中心になる人物がいるはず。私は、その相手を見つける」
ナルは、掴まれた手を、手首をひねって、跳ね除けた。
意外にあっさりと外れた手を動かして、ナルのほうからジーンの手首を掴んだ。
「だから、私は風花国に行くの。ジーンさん、あなたはピッタの件が終えたら自由にしてあげるから、安心して」
「は?」
「バロックス殿下の元にも返さない。療養の旅に出る日までには、申請した住民権が降りるはずだから、それをあげる。まぁ、仲間の具体的な数がわからないから、とりあえずジーンさんの分だけになるけど」
ジーンは、国を追われてモーレスロウ王国にやってきたと言っていた。
そしてつい先日まで、バロックスの元で雇用されていた。
以上から考えると、何らかの理由をもって、雇用契約していたと推測できる。
条件は、恐らくだが、住民権だ。
他国から流浪してきた義賊がもっとも欲しているのは、安息の地である。
つまりジーンは、バロックスの部下である限り、モーレスロウ王国で安泰に暮らせるということだ。
逆に言えば、バロックスに逆らうとモーレスロウ王国に居場所はなくなる。
たった一言バロックスが命じれば、ジーンは戦犯として、国内どころか交流のある国々すべてに、国際手配することだってできるのだ。
ナルは立ち上がると同時に、ジーンの手を離した。
ベッドからクッションを持ってきて、ジーンに渡す。ジーンはぼうっとしていて、ただ受け取っただけで、動こうとしない。
「ジーンさん。少し寝たら?」
ジーンの顔色が優れない。
それは、今日会ってからずっとだが、どんどん悪くなっている気がする。
ナルは渡したクッションを無理やりソファに置いて、ジーンの肩を掴んで寝転がした。
「よし。少し寝たら、マシになると思うから。今日も目の下の隈、すっごいし」
「……私は、なんなんです?」
ジーンが、ナルに手を伸ばした。
さらり、と垂れたナルの髪のひと房を握り締める。
「――っ」
ギリッ、と引っ張られて。
痛みに眉をひそめた。
「確かに私は、祖国を追われてきました。安息の地が欲しくて、バロックス王子の言いなりになってました。歯向かえば、モーレスロウ王国にもいられなくなりますから。私たちが欲しかったのは、誰にも侵されない、縛られない、自由です。……ですが、おかしくないですか」
「何が」
「同情してるんですか、それとも私が信用できないということですか」
「ジーンさん?」
「大体あなたは、なぜいつも、一人で動くんです。たまには、他者を信用してみたらどうですか!」
怒鳴りつけられて、ナルは大きく身体を震わせた。
髪を掴まれた手を振り払って、ベッドまで下がる。
――なぜいつも一人で動くんです
誰かを巻き込みたくないと思っては、いけないのか。
父のとき、ブブルウ商会のとき、ユーリシアの御使い騒動のとき、ナルはいつも一人で解決してきた。
いや、その都度適切な相手と手を組むこともした。
結果も出ている。
何がいけないというのだ。
「な、なんで、怒るの」
「当たり前でしょう! 用済みとなったら、欲しいものを与えて捨てるんですかあなたは」
「え」
そんなつもりはない。
本当に、本当に、そんなふうに考えたわけじゃない。
ナルは、首を横に振ったが、すぐに止めた。
(違わない、のかも)
危ない目にあって欲しくない。
だから、関わってほしくない。
ナルはこれから準備をしてまた別の協力者を得なければならないし、目的を達成するまでに膨大な努力と時間が必要になるだろう。
最悪の結果、辿り着く前に命を落とす可能性もある。
破滅する可能性があるナルの我儘に、巻き込みたくない。
ただそれだけなのだ。
けれど、ジーンの立場からしたら、納得できないのもわからなくはない。
これはつまり、雇用主側の理由に寄る一方的な解雇通告に等しいのだから。
「ごめん。……嫌な言い方をしたかも」
「言い方の問題ではないんです!」
「っ」
ジーンがこんなに怒るとは、想定外だ。
予想さえしていなかった。
切り返しに困っていると、ジーンはさらに言葉を続けた。
「私を切って、他の人も切るんですか。長官のことも」
「……それは」
「まさか、療養先で姿をくらまそうとか、考えてるんじゃないでしょうね」
「大丈夫、誰にも迷惑をかけないように手を回して――」
「だから、そういう問題じゃないと言っているでしょう‼」
「――っ」
(怖い……大人になって、こんなに怒られたの、初めて、かも)
唇を噛んで、動悸が収まるのを待つ。
大丈夫、冷静になって話をすればいい。いつものように。
深呼吸を繰り返すナルを、ジーンが睨みつけてくる。
狐のような人だと思っていた。
笑顔の仮面をつけて、感情を悟らせず、相手を見透かすような瞳で見つめてくる――ちょっと厄介な人。
それが、ナルのジーンに対する印象だ。
さらに付け加えると。
真っ直ぐな面があって、とても優秀で、そしてきっと、とても優しい人だろうとも、思う。
ナルは身体が弛緩してくるのを感じると、すっと視線をジーンに向けた。
「もう決めたから」
「風花国へ行くことですか。それとも、他者を見限ることですか」
「みかっ」
不意打ち過ぎる言葉に、思わず息を呑む。
「あなたがしているのは、そういうことです」
「風花国へ行くのは、私の我儘だし、他の誰かを巻き込むわけにはいかない。大丈夫、皆を中途半端で放置したりしないから。ジーンさんの仲間への住民権も用意するよう手筈を整えておくし……旦那様にも、正式な離婚手続きを――」
「いい加減にしてくださいっ、あなたにとって我々は、その程度なんですか!」
ジーンの手が伸びてきてナルの胸倉を掴むと、力の限りベッドに押し付けられた。
息が苦しくて、ジーンの手を掴む。
爪でひっかくが、力強い男性の手は離れない。
「あなたは、何がやりたいんです!」
「な、な、に」
「実父を裏切ったときもそうです。やることをやって、処刑されておしまい? ふざけないでくださいよ。……あなたを助けるために、ロイクがどれだけ、あなたのために動いたと思ってるんですっ。長官があなたを妻にしたことで、どれだけ大貴族の反感を買ったか、知らないわけではないでしょう⁉」
ぎりり、とさらに首が閉まる。
ナルは呼吸が出来なくなる苦しさに、もがいた。
「やりたいことがあって、それのために捨てざるを得ないものもあるでしょう。でもね、あなたはわかってない。本気で、住民権を与えられた私が喜ぶと思ってるんですか⁉ 」
(――っ)
ふっ、と首の締め付けが緩んだ。
「っ、げっ、は、あぁっ」
喉を押さえて、せき込みながら空気を吸う。咽てまた咳をして、震える手でそっと自分の胸を押さえた。
心臓の音がうるさいほど響いている。
「……だから」
ぽつり、とこぼれた言葉は、ナルの本音だった。
交渉とか、策略とか、そういったものの一切ない、本音の言葉。
「大切だから、守りたいんじゃない」
「そんなの私だって同じですよ!」
間を置かずに言い返されて、ナルはまた、身を縮める。
「あなたを守りたいと思ってる私の気持ちはどうなるんです⁉ 我儘すぎますよ、自分のやりたいことばかり通して、人の意見を聞かずに有無を言わせぬやり方で先手を打つなんて。卑怯です、卑劣です!」
「そんな、つもりじゃ」
(でも、有無を言わせぬやり方……そう、かも。住民権の件、打診もしなかったし)
ナルは、唇を噛んだ。
ベッドに寝転がったまま、ぐしっと目をこする。
「……あなたが、そこまでの覚悟で風花国へ行く決意をしているのは、わかりました。ですが生憎、私はフェイロンではないのであなたの望むままに動きません」
「どうするつもり?」
「あなたが風花国へ行けないよう妨害します。完全に私が有利ですよ。祖国ですから」
ジーンが、仄暗い瞳で、ふっと笑う。
ナルは、目を瞬いた。
「どうです、困るでしょう?」
「そりゃ、困るけど」
「でしたら。もう一度作戦を練りましょう。今度は、あなた一人ではなく、皆で」
え。
ナルは、大きく目を見張る。
真っ直ぐにナルを見つめるジーンの瞳が、ふと、微笑んだ。
「あなた、放っておいたら死にそうですし」
「……でも、私に関わったら」
「あなたは誰ですか?」
(え……あ)
「シルヴェナド家の令嬢じゃなくて、シンジュ様の奥方に、なった……ってこと?」
「違います」
ジーンは、深すぎるため息をついた。
「地位や立場が変わろうと、あなたは生まれたときから死ぬまで、ナルファレアです。ただの一人の少女でしかないんですよ。あなたならば、それくらい理解しているでしょう」
「……でも」
「でも、とか言わない!」
「う」
「なぜあなたがそこまで、自己肯定感を低くさせているのか知りませんけどね。今回の件は、関わらせてもらいますから。フェイロンも呼び戻しましょう」
「ええっ、ちょっ、でも」
「時間がないんです、急いでください!」
さらに反論しようとしたが、ジーンに論破されてしまう。
結局ナルは、師匠を呼びに行き、風花国へ渡る手段についてもあれこれと作戦を煮詰めることになった。
作戦会議の途中で。
師匠に迷惑がかかると落ち込んだナルを、師匠が強く抱きしめた。
「話してくれて、ありがとう。今度も、あとで聞かされるだけだと思っていた。お前が父親を追いやった一件のように」
師匠の言葉は、私の胸の奥に、コトンと落ちて居座った。
話がひと段落すると同時に、ジーンがソファへ崩れ落ちるように眠りについた。
どうやら最近眠れていないらしい。
師匠が、渋い顔で「私はシンジュに頑張ってもらいたいんだがなぁ」とぼやいていたが、なんのことだかわからない。
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