5、庭デート
「わぁ、素敵!」
理想的な木漏れ日が、地面に涼しい影を描いている。
木漏れ日が揺れるたびに、風を見ているような気分になった。
さすがレイヴェンナー侯爵家の屋敷というべきか。
食用花たちの花壇を過ぎた先に果樹園さながらの果物の木々が並んでおり、さらに向こうには、温室があった。
温室を過ぎれば、ツツジ畑に囲まれた小さな雑木林が顔をだす。
ナルは、シンジュとともに、その雑木林へ来ていた。
森林公園の一郭を切り取ったようなその場所は、まさに読書にうってつけと言えるだろう。
「広い庭ですね。そういえば、ここって王都のどの辺りなんですか?」
「黙れ、と言いたいところだが、場所も知らんままでいたのか」
本のしおりを引っ張りながら、シンジュは木陰に座る。胡坐を組んで、膝に肘をつくと、ナルを見た。
「なんとなく、郊外にある貴族邸宅が並ぶ辺りかなと」
「そうだ。ほかに候補があるのか? どこだと思っていた?」
「え、ええっと」
「馬鹿め」
「……すみません」
軽口をたたいたが最後、倍以上になって攻撃されることがわかった。
ここで、今後気を付けようと思うのが通常だろうが、あいにく、ナルは自分が譲れない事柄以外に関しては、とても大らかだ。
(無口だと思ってたけど、貶すときは結構しゃべるんだなぁ)
と、呑気なことを考えた。
シンジュが読書を始めたので、ナルもシンジュが座っている場所から二人分ほどあけて、地面に座った。
持ってきたバスケットの中身を確認してから、本を読み始める。
読書の時間はあっという間に過ぎるもので、喉が渇いたと思ったころには結構な時間が過ぎていた。
時計はないが、木々の影が、記憶にある場所より斜めに移動している。
ナルはバスケットから、使用人が用意してくれた紅茶セットを取り出した。
すでにポットのなかには冷えた紅茶が入っており、カップに注ぐだけで飲める。菓子は、クッキーとマフィンだった。
どちらもこの屋敷に来てから食べたことのある菓子で、ナルが「美味しい」と言ったものだ。
「旦那様、少し休憩にしましょう」
読書に夢中になっているシンジュに声をかけると、シンジュが我に返ったように目を瞬いた。
随分と集中していたようで、シンジュは目頭を押さえた。器用に反対の手で、しおりを挟むと、本を小脇へ置く。
「どれくらい経った」
「おそらく、二時間ほどかと」
「時計は持っていないようだが」
「影の角度から、ざっくりと考えただけです。あまり当てにしないでくださいね」
「ならば最初から言うな」
そう言いながら、シンジュはポケットからシルバーの懐中時計を取り出した。
(持ってるんじゃない、時計)
自分で確認するよりも、ナルに聞いたほうが早いと思ったのか。見ず知らずの人間だったら、シンジュは誰にも時間を聞かず、真っ先に自分で時計を確認しただろう。
ナルとシンジュの間に、関係性ができてきたと思ってもいいのだろうか。少なくとも、ナルは気さくに時間を尋ねることが出来る相手、にはなっているようだし。
それに。
ナルからすると、シンジュとこうして一緒に過ごしていると、不思議と穏やかな気持ちになれた。
あくまでナルは、であって、シンジュがどう感じているかはわからないけれど。
(私、着飾ってないから、楽なんだ。……今はもう、演じる必要ないもんね)
貴族令嬢として演じてきたのは、円滑に日々を過ごすためだ。
シンジュの妻になった今も、貴族婦人としての演技は必要だろう。
だが、こうしてシンジュといるときは、仮面を半分ほど脱いでも大丈夫な気がする。出会って間もないのに、演じる必要性をさほど感じない。
(これって、罪悪感かな。家族や一族は斬首にされたのに、私だけが生きてるし。……私がきっかけを作ったのに。……演じる必要がないってことは、いつ殺されても仕方がないって思ってる、のかも)
「何を考えている」
「え? あ、すみません」
紅茶を注ぐ手が止まっていた。
すぐに紅茶を入れて、クッキーが入った深めの皿を二人の間に置く。マフィンもその隣に置いた。
頭を使って疲れたのか、シンジュはぱくぱくとクッキーを食べて、紅茶を飲む。
ナルも、甘さを堪能しながら、クッキーのサクサク感を楽しんだ。
「そういえば。夫婦を演じていることを知っている使用人は、いないんですか? 少なくとも部下の方はご存じですよね」
「知る者は少ないに越したことはない。いつ誰が裏切るともしれんからな」
「それはそうですけど。使用人の方々とのあいだに壁があると、屋敷にいるときしんどくないですか?」
「ほう。お前は私のことを、よく知っているつもりらしい」
「ただの経験則ですよ」
確かに、少し出しゃばりすぎたかもしれない。
名ばかりの妻として、シンジュの私生活まで口を出す権利はないだろう。
そもそも、今週の休みは帰宅したシンジュだが、次の休日に帰宅するかはわからない。仕事は勿論だが、どこかに恋人がいる可能性もあるのだ。
恋人でなくても、花街のほうへ息抜きにいくこともできる。
踏み込み過ぎたな、と反省をして、紅茶を飲んでいると。
「近々、ジザリを解雇する。余計なことはしゃべるな、悟られるな」
「ジザ……え、ジザリさんを⁉」
ジザリといえば、執事だ。
誰よりも屋敷で信用されるべき立場の執事を解雇など、よほどのことがあったに違いない。
「しばらくは秘書を代役に置くが、基本はお前が屋敷のことは取り仕切れ」
「そこまで私が介入してもいいんですか?」
首を傾げると、シンジュの視線がナルへ向く。
「私は、形だけの妻ですし。旦那様としては、あまり出しゃばられるのも困りものかと」
「形だけとはいえ、妻に変わりはない。私の恥になるような行動さえつつしめば、ほかは自由にして構わん」
現在、屋敷を取り仕切るのは執事の役目だ。
だが本来、夫の不在のあいだ屋敷を守るのは妻の役割だった。とはいえ、屋敷の者たちを統括し、指示を出すことはそれなりの労働になるため、貴族社会が完全確立される前の話だ。
可憐な花として生きていたい貴族婦人は、そんな面倒な仕事を好まずに、執事にすべて押し付けるようになった。という、歴史がある。
ひと昔前の常識とはいえ、妻であるナルが屋敷の一切を取り仕切ることは、決しておかしなことではなかった。
「……わかりました。でも」
「拒否は受け付けない」
「ち、違います。旦那様のおっしゃる通りに致しますが、その前に、少しだけ猶予をください」
「猶予?」
訝しく細められた灰色の瞳に睨まれながら、ナルは頷く。
「ジザリさんが本当に解雇に値する人物か、私にも確認させてください」
「私の判断に誤りがある、と?」
「ちなみに、ジザリさんを執事に任命したのは、どなたですか」
「私だが」
「それを取り消すってことは、自分の判断が誤りだったってことですよね。私、旦那様は決して間違える方ではないと思うんです」
「何が、言いたい」
「旦那様の決定に間違いがないことを、証明させてください」
満面の笑みで、ナルはシンジュに言い放った。
シンジュは暫く黙したのち、盛大なため息をつく。残りの紅茶を飲み干して、おかわりをナルに示すと、懐から折り畳んだ紙を取り出した。
「こんなものを送ってくるやつに、挽回の機会を与えよ、と?」
「なんですかそれ」
手渡された紙は、報告書らしい。
そこには、朝食や昼食に難癖をつけたあげく、庭園で奇怪な行動をする人物について、簡単にまとめてあった。
(報告書というにはお粗末な気もするけど……これ、報告書、よね?)
「変な人ですね、この人」
「お前のことだ」
「ああ、私……私⁉」
シンジュによると、ナルがこの屋敷へ来た初日の行動を報告したものらしい。
(うわ、ひどっ。要点もまとまってないし、事実を淡々と書いただけ。執事なら旦那様が知りたいことを推し量る必要があるんじゃ……というか、これだけ読んだら、ただの変な人だよね私⁉)
このような報告書を作成する者を、執事の立場へ置いたのか。正直、シンジュの人を見る目を疑いたくなる。
「事情があってな。ジザリを雇う必要があったのだが、もうその必要もなくなった」
「それは一体、どうして」
「先日の一斉検挙で、ジザリの後見人が斬首に消えたからだ」
「……それは、メリットがなくなった、という意味ですか」
執事という大役を任せれば、ジザリの後見人は喜ぶだろう。その後見人を引きずり出すことがシンジュの目的だったのでは。
ナルの言葉に、シンジュは目を眇めた。
「わかりきったことを聞くな」
「……待ってください。つまり、ジザリさんもホイホイ青年だったのなら、執事って立場はそんなに重要じゃないってことですよね?」
シンジュは、紅茶のおかわりに口をつけて、少し思案したのち、そうだな、と答えた。
「基本的に、屋敷の管理の大部分は秘書に任せている。ジザリがやっているのは、使用人たちの統括と、日々の報告くらいだ」
「時間があるのなら、やはり、挽回の機会をください」
「お前があいつを躾けなおす、と?」
「ちょ、人間ですよ。犬みたいに言わないでくださいよ!」
ふいに。
シンジュは、くくっと笑った。
突然の笑み――と言っても、人を小馬鹿にしたようなものだが――に、不覚にもドキリとしてしまう。
これは、『仕事に失敗した部下を慰めるために夕食へ誘ったはいいが、部下の天然さに気づいて、笑ってしまった上司の図』ではないか。
(そういう設定で見れば、胸の奥がきゅんとする!)
「よかろう、ならば一週間の猶予をやろう。その間は、これまで通りジザリを執事におくこととする。お前が、やつを変えてみせろ」
「はい!」
「ただし、ここで話した内容はすべて、口外せんことが条件だ」
つまり、ジザリ本人に「解雇の危機ですよ」と声をかけてやる気を出させる――ということはするな、ということだ。
あくまで普段のなかで、ジザリが成長できることが好ましい。
そういうことだろう。
「わかりました。その条件、のみます」
「あいつはお前を嫌っているようだ、うまく取り入ってみせろ。身体を使っても構わん」
「はい‼」
やる気いっぱいに返事をすると、「私の妻であることが大前提だと忘れるな」とアイアンクローを食らった。
潔く返事をしただけなのに、理不尽だ。
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