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第二幕 第一章【7】 計画と、変化する関係②

「ジーンさんがこっちで、師匠がこっち、と」


 ナルが、優雅さのないてきぱきとした動きで、二人の前に紅茶を置く。

 トレーの上には、もう一人分のカップがある。


 おそらく、ナル自身の分だろう。

 なぜかナルは、自分の分の紅茶カップをトレーに乗せたまま立ち尽くしていた。


「どうしました?」

 露骨に、不快だという響きをこめてしまう。

 フェイロンの視線が紅茶に向いたとはいえ、先程から不躾に見据えられて、ジーンはやや苛立っていた。

 ナルは、ジーンの声にはっとしたように振り返ると、にっこり笑って首を横に振った。


「なんでもない」

「だったら、早くしてください」

「ほう、このあと用事があるのか?」

「答える必要はありません」


 ジーンの切り返しに、フェイロンは驚くこともなく肩を竦めてみせた。

 ナルは、椅子を回ってジーンの隣に座ると、紅茶を机に置いて、トレーを退けた。


「お待たせ。じゃ、話を始めましょうか」


 ナルが、にんまりとフェイロンを見やる。

 フェイロンもまた、ナルを見据えて、にやりと口の端をつり上げた。


(……あれ?)

 今頃になって、ナルが紅茶を置いたあと、立ち尽くした理由がわかった。

 フェイロンとジーンが向かい合って座っていたので、ナルはどちらかの隣に座るしかない。

 此度の件に関していえばジーンの隣だが、彼女の地位や親密さでいうとフェイロンの隣が相応しいだろう。


 非公式の場とはいえ、フェイロンがいる前で、爵位も持たない自分と肩を並べて座ることに不快感を覚えたのかもしれない。

 ナルをみる。

 早くしろと催促したばかりに、我慢して座らせてしまったのか。


(……馬鹿らしい。だから、なんだというんです)

 どうやら今日は、心がささくれだっているらしい。

 こういう日は交渉に向かないというのに。

 いや、違う。

 先程から、時折視線や言動でジーンの苛立ちを煽ってきたのは、フェイロンだ。

 交渉で有利に立つための作戦かもしれない。


「さて、話を始めよう。私が聞きたいのは、此度の毒に関してだ。最初に確認しておきたい。あの毒はベティエール殿を狙っている、それで間違いないか」


 フェイロンは、ナルへ聞く。

 交渉相手がナルであると、理解しているからだ。


「確信は持てませんよ。ですが、十中八九そうだろうという推測をしています」

「もう一つ確認だ。お前たちは、ベティエール殿に害をなそうとしては、いないな?」


 犯人と繋がりはないか?

 お前が犯人ではないな?


 そう、直接問うてきたのだ。

 ジーンは目を眇めて、フェイロンの表情の動きを観察する。

 質問の真意はわからないまでも、表情の動きで大方の人間は「嘘」が漏れてしまうものだ。


「師匠」

「なんだ」

「あまり、ジーンさんを揶揄わないでください」

(え?)


 酷くかすれた、怒りを滲ませるナルの声音。

 ジーンは、ナルを振り返る。


 途端に、フェイロンが声をあげて笑った。


「はは、あまり怖い顔をしているからな。緊張をほぐしてやろうと思ったんだ」

「結構です。大体師匠、敵ではないと確信があったからここに来たんでしょう?」

「それはそうだが、カードは多く持ち、見せる手札は最小限にしたいものだ」


 ぴりっ。

 空気が変わり、フェイロンが表情を改める。


 空気を変えたのは、ナルだ。

 これまでに見たことがないほど、冷徹な表情をしていた。


 とても十七の少女とは、思えない。

 悪名高い父親の元で育ったためだろうか、他者を威圧する方法をよく心得ているようだ。


「師匠は交渉にこられたのですか。でしたら、お話することは何もありません」

「……手厳しいな、ナルは。そうだった、すまない。交渉に来たのではない、協力を申し出にきたんだ」


「協力?」

 ぽつり、と呟いたのはジーンだ。

 ナルは目を細めて、フェイロンを睨みつける。


「でしたら、早く話をしましょう。師匠が、ベティの命がかかった此度の一件を手札として、なんらかの交渉を持ち出されるのでしたら、叩きだすところでした」

「そう怒らないでくれ。お前に叱られると、堪えるんだ」

「協力の申し出、有難く受けたいと思います」


 ナルの冷やかさに対して、フェイロンは楽しそうに笑って返事をしている。

 この二人は、さすが師弟というべきか、考え方が似ているのかもしれない。


 ジーンは二人がどんなふうに出会って、どういった関わりをしてきたかを知らない。

 だが、こうして本音で話し合える関係だろう姿を見ていると、胸中に奇妙なもやもやが広がっていく。


「そうと決まれば、情報共有だ」


 フェイロンからの情報は、以下の通りだ。


 ベティエールの身体は、夢蜘蛛という毒が原因のはずだが、悪化しているように思えた。ゆえに厨房を調べてみるが、これと言って何も出てこない。


 だが、時間をずらして厨房を訪問することで、いくつか変化に気が付いた。


「結論からいえば、犯人はピッタだ。彼が出勤している間、彼の私物が必ず厨房に置いてあるのだが、どうもそれが怪しい」

「何を置いてるんですか?」

「絵画だ、子どもが書いたような。本人いわく、娘から貰ったものだとか。ずっと眺めていたいくらい大切なんだそうだが……こじつけにしても無理がある気がしてな。調べてみたら案の定、ピッタに娘などいなかった」


 ジーンは、話を聞きながら頭の中で自分が得ていた情報を照らし合わせる。

 ジーンもまた、犯人はピッタだと考える。

 唯一の厨房手伝いの使用人だ。

 ちょうど、ナルが来た頃に、ジザリによって、料理に適正があることを見出され、厨房担当になっている。


 半年前。

 ナルが、例の排せつ物を踏んだ頃だ。


 ピッタが屋敷で働き始めたのは、四年前。

 もし最初からベティエールに毒を盛るために潜入したのであれば、半年前に偶然厨房担当につけたのは、かなり喜ばしい出来事だったに違いない。


(ピッタはこの半年、対象と密に過ごしています。……密に過ごすことで、対象の一日の行動を把握し、それに合わせて毒の仕込み方を変えてきた。排せつ物はその一つといったところでしょうか。……ですが)


 ジーンの調べでは、ベティエールの身体はこの一年で急激に弱り始めているという。彼と毎日のように顔を合わせている仕入先の商人複数に確認したため、間違いはない。


(半年前にたまたま厨房担当に? いえ、そうなるように仕向けたと考えるのが合理的。でもなぜ突然。この半年、急激に弱らせたことで周囲に感づかれる可能性もあるでしょうに)


 半年の間に、何か急ぐような出来事が出来たのか。


「師匠は、ピッタが犯人だと判断してるんですね。ジーンさんも同じ?」

「ええ、そうですね。あなたはどうなんです?」

「否定する要素は、ないのよねぇ。厨房に関わってる人なんか、他にいないし。……うーん、でも、ピッタかぁ」


 ナルは腕を組んで考えにふけり始めた。

 納得できない部分があるようだ。


「ジーン、きみはなぜピッタが怪しいと踏んでいる?」


 フェイロンの視線がジーンに向いた。

 ジーンは、淡々と答える。


「奥方がおっしゃったように、他にいませんから。それに、彼の身辺を調べたところ、随分と綺麗に整頓されていました。友人枠、同僚枠、知人枠。それぞれの人数は二人、表面上だけの付き合いで、皆へ与えている印象も同じ。潜入のプロでしょうね」

「なるほど。使用されている毒に関しても、夢蜘蛛という意見で間違いないかな」

「ええ。他の毒も併用している可能性がありますが」

「……夢蜘蛛か。ジーン、あの毒は一体なんなんだ」


 フェイロンの視線がぎらりと嫌な光を宿す。


「まるで奇術のようだ。なんの症状も現れないと思えば、ある日突然、症状がでる。かと思えば、じわじわと身体を蝕み、徐々に弱らせていく。未だに解明されないままの毒だ。解毒薬はないのか」

「解毒薬はありません」


 フェイロンはぎりっと歯を食いしばって、「そうか」と答えた。


「私は、薬学は専門外でな。独自で調べてはいるが、どうもわからない。情報を貰えないだろうか」


 ジーンは、すっと警戒する。

 フェイロンは、十二年前の関係者だ。加害者であろうが被害者であろうが、あの件で振り回された人間が、使用された夢蜘蛛を詳しく知りたいなど、何をしでかすかわからない。


「もし、その情報というのが――」


 製造方法をおっしゃっているのなら、お断りします。

 喉まで出かかった言葉は、すっと目の前に現れた女性の手で遮られた。


 ナルだ。


「師匠、ジーンに聞いてどうするんです。そういうのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()


(――っ)

 胸の奥が、ぞくりとした。


 フェイロンは、肩を竦めてソファに背を凭れた。


「それが出来たら苦労しない。きみの優秀な部下は、それくらい知っているかと思ったんだ」

「後半部分、嘘ですね。師匠はジーンさんについて、まだ疑ってるでしょ。そうやって身元がはっきりとしない人を信用できないのが、師匠です」


 むぅ、と唇を尖らせてみせるフェイロンに、ナルは息をつく。


「ご安心を。ジーンさんは、バロックス殿下からお譲りいただいた諜報戦力です」

「殿下が? なるほど、それなら夜会の際の変装技術や強さも納得がいく。あの王子様は、無駄に精鋭を揃えているからな」


 どうやら、夜会に潜入していたことも気づかれていたらしい。

 しみじみと呟いたフェイロンに、ナルが変な顔をした。


「え、そこ納得するんですか」

「殿下はお前を気に入っているようだ。城で顔を合わせるたびに、お前のことを聞かれる」

「私も殿下の手駒へ出世したんですね」

「その辺の石ころだったままのほうが、楽だったかもしれないがな」


 フェイロンはそう言うと改めてジーンを振り返り、微かな笑みを浮かべた。

 作り笑いではない、正真正銘の笑顔だ。

 口の角度、表情の歪みの均等性、目じりの皴、それらからも、彼が微笑んでいるのが読み取れる。


「すまなかった、ジーン」

「師匠、もういいですから本題を進めてくださいって」


 ナルの軽い苛立ちを含んだ声に、フェイロンは苦笑して「わかった、すまなかったな」と謝罪した。


(……なるほど)


 ソファに座ったとき、呼び名を聞かれたのも。

 ピッタが絵を持ち込んでいると話して聞かせたのも。

 使用された毒が夢蜘蛛かどうか、と聞かれたのも。


 ()()()()()()()()()()()()()()、だったのだ。


 もし夢蜘蛛について無知な者ならば、「どうして毒と絵が関係あるんですか?」と言っていたかもしれない。


 夢蜘蛛は十二年前、玩具に仕込んであった毒だ。

 どんな仕組みかは知らなくても、十二年前のことを知っていれば、絵に毒が仕込んであったと聞いても然程疑問は持たないだろう。


 ジーンが驚かなかったところから、ジーンがすでに毒についてある程度の知識があることを知り、先ほどのカマをかけたといったところか。

 そうやって対象をしぼっていき、相手を特定するのは常套手段だ。


(私が月光花師団の関係者だとは、いくらフェイロンでも調べようがないですし……ああ、もう。私、頭が回ってないんじゃないですか)

 この程度の駆け引きが、出来ていないなんて。

 やはり、寝不足が堪えているのだろうか。


「待て、それは初耳だ」


 フェイロンが声をあげたので、ジーンは意識を会話へ戻した。


「貴族らから身を隠す名目なのはわかるが、その左手のままで療養へ行くのか」

「手はまぁ、まったく使えなくもないので大丈夫です。ほら、紅茶だって煎れられますし。それよりも、療養なんですけど、いつ頃戻れるかわからないので。できればそれまでに、ピッタの件は動けたらなぁ、と思うんですが」


 療養の話を今日、フェイロンが今初めて知ったとなれば、やはり、この休暇の間に決まったことなのだろう。


(となれば、()()は明日か明後日になりますねぇ)


 慌ただしいことだ。

 早いうちに、フェイロン側と打ち合わせをして休みたい。

 どうも最近、寝不足だ。

 元々眠りは浅いほうだが、先の陰陽日以降、満足に睡眠がとれないでいる。


 フェイロンは、あ、と小さく声をあげた。


「そうだ。さっき、ベティエール殿が休暇申請を早めたと言っていたな。ナルの療養に合わせて、休暇を取るつもりなんだろう」

「えっ、ちょ、それ私、初耳ですけど」

「仕入れの関係もあるからな。奥方の休息に合わせたほうが、代理の料理人も仕事がしやすいと思ったんじゃないか」

「……はぁ、そうかもしれませんが」

 ナルは、口元に手を当てて、思考の海に沈んでいく。

 いつもならば考えが纏まるまで待つところだが、今日はフェイロンがいる。


 しん、と静寂がおりると、ジーンは口をひらいた。


「確認したいのですが、目的はピッタの捕縛で宜しかったですね」


 フェイロンが頷く。

 ナルも頷いた。

(……ん?)


 ナルは他に考えがあるようだが、フェイロンには言わないつもりなのか。


 ジーンは人の嘘を見抜くのが得意だ。

 ナルは今、嘘をついた。

 その件について、他に思うところがあるのだろう。


 その後の話し合いは、手際よく進んだ。


 ピッタ捕縛については『生きたまま捕えて犯行動機を問う』という単純明快な話でまとまった。


 裏に誰かいるだろうが、推測だけで話していい段階ではない。

 すべては、ピッタを捕らえてからだ。


 捕縛の行動を起こすのは、レイヴェンナー家の精鋭を使うことにする。屋敷の使用人が使用人に毒を盛ったことを内々で処理する、という名目だ。


 捕縛の理由に、決して「夢蜘蛛」の話は持ち出さない。

 一番重要なのは、ピッタが「夢蜘蛛」を使用していることを、こちらが気づいていないふりをすること。


 これは、欠かせないことだ。

 相手の油断を誘うのは勿論のこと、黒幕が他国の者である場合、どう転ぶかわからないからである。


 以上のことが決まり、ほとんどジーンはやることがなくなった。

 ぶっちゃけた話、あとはフェイロンがピッタを捕えて終わりなのだ。捕らえたあと、本音を吐かせるまでの拷問も、任せることができそうである。 


「――と、ここまでが、ピッタ捕縛の件だ」


 フェイロンは、残りの紅茶を飲み干してから、そう切り出した。


 どうやらまだ、話は終わりではないらしい。


「ナル」

「なんです?」

「お前は、何を企んでいる?」

「え? ……企んではいませんよ。妄想しているだけで」

「それを企むというんだ。ほら、話してみろ」


 フェイロンは、兄のような眼差しでナルを見る。

 温かい視線に、ナルの表情も、幼子が拗ねたようなものへと変わった。


 この二人の関係は、師弟を超えて、家族のようなものなのだろうか。


「今回の件、整いすぎてる気がするんです。なのに、あちこち穴がある」

「引っかかりがある、ということか」

「だって、おかしいじゃないですか。ジーンさんが言ったみたいに、身辺まで整えているのなら、行動だって一貫してプロの犯行にしてもいいはずですよ。なのに、半年でボロが出るような毒の盛り方は、おかしいです。子どもがいないのに子どもがいるとか、調べたらわかる嘘までついて。まるで、初心者みたいな。……うーん、違うなぁ。プロが初心者の真似をしてるみたいな?」

「その辺も、捕らえて吐かせればいいだろう」

「……まぁ、そうですけど」

「ナル」


 フェイロンの呼びかけに、ナルが俯きかけた顔をあげる。


「私は、大切な者を守りたい。ベティエール殿は勿論だが、ナル、お前もだ」

「師匠」

「だから、私はお前に、深くまで踏み込んで欲しくない。何も知らないまま、いや、知らないふりをして、この屋敷でシンジュと幸せな夫婦生活を営んでくれないか」


 ジーンは、息をつめる。

 ふたりは、なんの話をしているのだろう。

 わからない。


 わからないが、フェイロンの言葉の重みは、嫌でも感じることが出来た。

 ふっ、と。

 ナルが、苦笑した。


「出来るわけないじゃないですか」

「……お前はまた、危険なことをしようとしているだろう?」

「ええ、かなり」

「自覚があるだけマシか。お前は、一度決めたら曲げないからな。わかった。せめて、今度は私にも協力させてくれ、私はきみの後ろ盾なのだから」


 フェイロンは、ナルの頭を撫でて、いくつか言葉を交わしたあと部屋を出て行った。

 ナルは暫く、フェイロンが出て行ったドアを見つめていたが、ゆっくりと、冷めた紅茶を飲み始める。


 カップから口を話すと、ナルは微苦笑を浮かべた。


「……ジーンさん」

「なんです?」

「色々考えたんだけどね。私、療養中に、調べ物をしようと思ってるの」

「といいますと、本の筆者の件ですか?」

「ううん。夢蜘蛛を悪用してるやつを見つけて、懲らしめてやろうかなって」


「…………は?」


「だから! 療養の間、私、風花国に潜入してくるから」


 えへへ、と笑うナルに、ジーンはあんぐりと口を開いた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 久しぶりの投稿・・・めちゃめちゃ嬉しいです!! [一言] え・・・ナル・・ン?え?は?・・・ 企みすぎじゃね?  シンジュにめっちゃおこられそう・・・
2020/06/09 22:45 ココナッツ
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