3-11、王家主催の夜会 【最後の舞台】
「ありえぬ」
ベルガン公爵が、低く呟いた。
「私が、シルヴェナド家に敗北するなど、ありえぬ」
「ベルガン公爵、私の騎士は二人とも優れています。……私よりも、遥かに。どうかその点は、お認めくださいませ」
「シルヴェナド家の小娘が、私に指図するのか!」
目を血走らせて怒鳴るベルガン公爵に、周囲の貴族が、困惑したような表情を浮かべ始めた。
こんなにも簡単に本性を現してしまうくらい、許せないのだ。
シルヴェナド家に敗北したことが。
「何をしたんだ、お前は。シルヴェナド家に生まれながら、どうやって王家に取り入った。なぜ生きている。なぜ!」
ナルは、そっと目を伏せる。
ナルが現在も生きていることや、シンジュの妻になったことに関しては、他の貴族らも疑問に思っているだろう。
王族規範について説明するのは、簡単だ。
だが、そういう問題ではない。
シンジュがナルを娶ること自体が、ありえないのだ。
ナルは顔をあげて、ベルガン公爵を見据えた。
血走っているのに、彼の目は、ガラス玉のように無機質だ。
(――っ)
何を言えばいいのか。
ナルが何を言っても、きっと、ベルガン公爵には届かない。
そもそも、なぜナルは、言葉を届けようとしているのだろう。
ベルガン公爵は悪で、これから断罪されるべき対象だというのに。
「――その考え方が、間違っているとなぜ気づかない」
(っ!)
玲瓏な美声が響いて、大広間の人々が固唾を飲む。
入り口のドアに、寄りかかるようにして立つ、師匠がいた。
大広間のそこここで、息を呑む音や、持っていた何かをドサリと落とす音、がくりと床に膝をつく音などが、聞こえた。
「――あ、あの美しさは、まさか」
「間違いないわ。あのお方は、レイヴェンナー家の……フェイロン様だわ!」
「ああっ、僕初めてお顔を拝見したよ。まさに女神だ!」
「わし、生きていてよかった……もう、悔いはない」
「ああっ、どうしましょう。瞬きするのが勿体ないわっ」
「女神……女神の、降臨だ」
ざわめく貴族らへは僅かも視線を向けず、師匠は姿勢を整えると、シンジュ、王家、ナル、そしてベルガン公爵へ視線を向けた。
「彼女がシルヴェナド家の人間であったのは、確かだ。己の出生は、選ぶことができないように、変えることもできない。……だから彼女は、シルヴェナド家に生まれたことを受け入れて、自分自身で未来を切り開いたんだ」
カツ、カツ、カツ。
足音を響かせて、師匠が歩み寄ってくる。
すれ違う貴族らが、頬を赤くしたり、ぽうっと見惚れたりするが、当人は素知らぬ振りで、ナルの近くまで歩み寄った。
「彼女の全てを、私が保証しよう」
高らかと宣言した師匠に、ベルガン公爵は、ぎりっと歯を食いしばる。
「たかだか、侯爵家の子倅が偉そうに」
「私はレイヴェンナー家当主、レイヴェンナー侯爵となった。私がナルファレアの後ろ盾となろう」
「それになんの意味がある。侯爵ふぜいが、いきなり現れて後ろ盾だと? そんなことで、シルヴェナド家の罪が消えるものか!」
はぁ、と。
師匠が、憂いを帯びたため息をついた。
「その考え方が、間違っていると言ったはずだが」
「なにを――」
「彼女は、ナルファレアという一人の女性だ。シルヴェナド家の娘、という捉え方しかできん貴殿に、彼女個人を責める資格はない」
ベルガン公爵は、言い返そうと口をひらく。
それより先に、師匠が続けた。
「先ほどから聞いていれば『シルヴェナド家に敗北』だの『シルヴェナド家の小娘が』だの『侯爵ふぜい』だのと。果てには『王家に取り入った』など」
師匠は、ナルを横目で見た後、ベルガン公爵に視線を戻した。
「答えは、目の前にある。ナルファレアという少女と、シンジュという男が、惹かれて結婚した。それだけのこと。なぜ生きているか云々については、王族規範を読み込めばわかるだろう」
師匠は、また、ため息を落とす。
「貴殿は、随分と差別的な発言ばかりしているが。地位でしか人を判断できん貴殿が、地位や身分を持たない一般民衆へ心を砕くとは思えんな」
「黙れ! 貴様の言葉など誰が信じる! 貴様がルルフェウスの戦いで犯した判断ミスで、どれだけの者が死んだと思っているんだ。かの戦いで被害が拡大したのは、すべて、貴様のせいではないか!」
ベルガン公爵は声を荒らげ、肩で息をしていた。
彼の息遣いが響くほどに、大広間は、静寂に満ちていた。
師匠へ視線を向けていた人々も、ベルガン公爵の言葉に、唖然としている。
皆が、真っ直ぐに、ベルガン公爵を見つめる。
(……ベルガン様)
ナルは、目を伏せた。
「どういう意味だ、ベルガン公爵」
言ったのは、バロックスだ。
「かのルルフェウスの戦いで、そこの、遅刻してきた失礼な男……フェイロン・レイヴェンナーが、ミスをしたというのか」
「そうで――」
はっ、とベルガン公爵は、口を噤む。
やっと、自らの失言に気づいたようだ。
「私は、かの大戦で被害が拡大したのは、第三者の介入によって判断を誤った近衛騎士長が原因だと聞いているが」
バロックスはこれ以上ないほどに眉をひそめて、シンジュを見た。
シンジュも険しい顔で、首を横にふる。わからない、という意味だ。
バロックスは傍にいた近衛騎士にも聞くが、やはり、知らないという答えが返ってきた。
「……そうだ」
ぽつり、と呟いたのは、師匠だ。
「かの戦いで判断を誤ったのは、私に違いない」
師匠は目を伏せながらも、はっきりとそう告げる。
そして、再び、ベルガン公爵を見据えた。
「ベルガン公爵はよくご存じだ。まるであなたが私に、判断ミスをするよう、仕向けたかと思うほどに」
「な、にを……私は、何も、知らない」
「ルルフェウスの戦いで起きたことについては、私が聞いている」
威厳ある声が響く。
国王は、厳しい表情で師匠を、そしてベルガン公爵の双方を睨みつけた。
「私が信頼していた、ベティエール……かの大戦での判断ミスを理由に辞職した、近衛団長は、こう言っていた。自分の部下が犯した罪は、団長である自分の罪だと」
国王は一度、落ち着くように息を吸って、言葉を続ける。
「そして、こうも言っていた。その部下はまだ若く才能がある。だから、責任はすべて自分が負うゆえ、その若者は不問に処してほしい。いずれ、この国を支えるほどの、大きな力となる者だから……とな」
国王は、獲物を狩る獣のような、怒りを押し殺した視線で、ベルガン公爵を睨みつけた。
「ベティエールは、相手の名を最後まで言わなかった。自分が墓まで持っていくと言っていた。なぜその者の名を、お前が知っている!」
拳を震わせた国王は、拳で肘置きを叩いた。
「ベティエールは、私の信頼する部下だった。見るも無残な大怪我を負い、後遺症は未だ治らぬ。……バロックスに、かの戦いの主犯がお前だと聞いたときは、信じられなかった。民のための慈善事業は勿論、お前が、王家や国家のために、数々の困難を打開してきたことも事実だからだ。証拠がそろっても、信じたいという気持ちは変わらなんだ。だが……今はただ、許せぬ」
盗賊のような見目の国王だが、激怒することは滅多にない。その国王が、ベルガン公爵を今にも殺さんばかりに、殺気のこもった目で睨んでいる。
縮こまる貴族らがほとんどのなか。
ベルガン公爵は、薄らと、口元に笑みを浮かべた。
「……そうか、なるほど。陛下までも、シルヴェナド家に毒されていたとは」
ベルガン公爵は、そう言うと同時に、右手をあげた。
庭園に通じる窓が一斉に割られ、帯剣をした黒装束の者たちがなだれ込んでくる。
アレクサンダーとリーロンがナルを守るように立つ。
大広間の状況は、一転した。
壁際にいた騎士たちが主の元へ駆け寄り、襲ってくる黒装束の者たちと応戦する。
黒装束の男たちは武器を持っているが、大広間にいた者たちは、丸腰だ。
近衛兵が王族をいち早く避難させたので、その点についてはほっとしたけれど。
(こんなに沢山の刺客をどうやって潜ませて……外には見張りだっているはず)
まさか、という考えが浮かんだ。
ベルガン公爵が今日ここで自分が罪人になると知っていたのなら。
数々の罪状から考えて、斬首を言い渡されることは、わかりきっている。
そうなれば、彼が所有する財産は、すべて国が没収するだろう。
ベルガン公爵ほどの人間ならば、悪事で稼いだ分も含めると、個人資産だけでも小国の国家予算はあるはずだ。
それらをすべて使い、雇える限りの傭兵を、雇ったのだとしたら。
「あああっ!」
近くで、貴族の一人が切られた。
血しぶきをあげながら地面に倒れ込むと、目を見開いた状態でぴくぴくと痙攣する。
アレクサンダーがナルの腕を引いて、背中に庇った。
「逃げるよ。ここは危険すぎる。こっちは丸腰だっていうのに……っと!」
襲い掛かってきた黒装束に、アレクサンダーが身体を回転させて拳を鳩尾にめり込ませた。
黒装束は一瞬動きが止まったものの、すぐに剣を横に一閃する。
アレクサンダーはかろうじて避けて、ナルに「逃げろ!」と叫んだ。
(逃げろって言われても!)
今や、大広間は黒装束の者たちと、貴族、護衛騎士たちで入り乱れている。
「ナル、急いで逃げて。私も、あまり持たないと思う」
ナルに襲いかかろうとする黒装束を、リーロンも足止めしてくれている。
けれど、武器を持つ複数人相手に丸腰では、苦戦するのも当然だ。
(シンジュ様は……シンジュ様は、どこ⁉)
つい先ほど避難した王族のなかに、シンジュの姿はなかった。
この大広間のどこかにいるはずだ。
視線を巡らせたとき。
真っ直ぐに、ナルを睨みつけるベルガン公爵に、気づいた。
「ベルガ……」
ふっと頭上に影が落ちて、黒装束の一人がナルに飛び掛かってきたことを知る。
(――もうっ)
さっと身体が動くのは、師匠から受けた厳しい特訓の賜物だろう。
身を寄せることで間合いをつめたナルは、相手の手首を掴むと。
突進してきた力を利用して、黒装束の者を背負うようにして投げた。
だがすぐに、別の黒装束がナルに襲い掛かってくる。
(早っ、無理っ、体勢とか整えられないから――っ)
それでもなんとか、剣の錆にだけはなりたくないと身体をひねるが、やはり、間に合わない。
第三者の飛び蹴りが黒装束の者に炸裂して、ナルに振り下ろされるはずだった剣は、床を回転しながら転がっていった。
(……え。助かっ、た?)
顔をあげると、そこにいたのは、大広間に入ったときに目があった見知らぬ騎士だ。
「まったく、世話がやけますねぇ。っていうか、大男一人投げ飛ばすとか、あなた実は、ゴリラですか?」
(この声!)
「ついさっき、ベルガン公爵が数多の暗殺者を雇っているという情報を得ましてね。こうして忍び込んでいたというわけです」
「え。暗殺者なのこいつら⁉ 堂々としてるけど!」
「さすがベルガン公爵。長年に亘り、尻尾さえ掴ませなかったやり手ですね。本当に、ついさっきなんですよ、情報が入ったのは。これだけの数を極秘に雇うなんて、普通なら出来ませんよ」
ジーンは、襲いかかってきた別の黒装束との距離を縮めて、剣を持つ手首を押さえる。蹴りつけてきた相手の足を足でガードして、素早く肘を打ち込んだ。そのまま複数回蹴りつけて、剣を奪うと、首の後ろを肘で強打する。
黒装束は白目をむいて、不格好な姿で床へ転がった。
「ええー、ジーンさん、つよっ」
「そういう世界で生きてきたんで」
「あっ、外の見張りはどうなってるの?」
「殺されてると思いますよ。腕利きの暗殺者は見張りの暗殺、ごろつきまがいの暗殺者と傭兵崩れは大広間への雪崩れ組。……と、いったところでしょう。腕の良い暗殺者は、王家主催の夜会に乗り込むなんて仕事、金を積まれても請け負いませんから」
暗殺のプロ、特に個人で殺し屋をやっている者は腕がよい。
一度の報酬が、民衆が生涯遊んで暮らせるだけの金額になることも、多々あることだ。
(やっぱり、全財産を使ったんだ……この騒ぎのために)
はっ、とベルガン公爵がいた場所を見ると。
庭のほうへ歩いていくのが見えた。
ナルは、咄嗟に追いかけた。
今、追いかけなければ、ならない気がした。
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次の更新も、明日の18時前後を予定しています。
次で、王家主催の夜会編(?)は終わります。
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