3-9、王家主催の夜会 【始まり】
すでに、招待状を受け取った貴族らは、大広間に集まっているらしい。
ドアの前で、ナルは静かに息を吐いた。
大きく吸って、また、吐く。
プロのメイクリストの手にかかり、結婚式のときのように、いや、それ以上に美しくなったナルは、シンジュの腕にそっと手を添えている。
シンジュもまた、王族らしい全身フルオーダーの詰襟服に袖を通し、いつも以上に堅苦しい格好をしていた。
(格好いいなぁ)
緊張を押し殺しながら、じっとシンジュを見上げると。
「緊張しているのか」
シンジュが声をかけてくれる。
「少し。シンジュ様は、大丈夫ですか?」
「問題ない。予定通りやるだけだ」
涼しい顔で答えるシンジュは、改めて思い出すまでもなく、裁判長なのだ。
大勢の目にさらされることや、現場での判断は、ある意味慣れているだろう。
「私がいる」
「え?」
シンジュがそう言ったので、ナルはきょとんと見返した。
「だから、大丈夫だ」
「それ、前に私が言って、却下されたやつじゃ」
ふっ、とシンジュが笑う。
つられてナルも苦笑した。
周囲の警備兵から、はっ! という恐怖の悲鳴に近しい、息を呑む音がした。
「言ったのはお前だ。愛があるのだから、大丈夫だと」
また、周囲の警備兵たちが、息を呑む。
シンジュが微笑んだり、愛という言葉を口走ることが、稀有すぎるのだろう。
初めてシンジュに会った頃からは想像が出来ないほど、シンジュは表情が豊かになった。おそらく、シンジュから見たナルも、そうなのだろう。
「――そろそろだ」
シンジュが、ドア付近にいる使用人の合図を見て、そっと教えてくれる。
ナルは、もう一度深呼吸をした。
このドアの向こうには、大勢の貴族がいて、シンジュの入場を、今か今かと待っているのだ。
使用人の合図と同時にドアが開いて、シンジュが「行くぞ」と告げる。
腕を引かれるまま歩き出すと、眩い光に包まれた。
一瞬の光を過ぎると、目の前に伸びる赤い絨毯を進んでいく。
大広間の左右に分かれた貴族らは、シンジュの姿を見て、「やはり」だの「噂は本当だったのか」だの、口々に囁いた。
大勢の突き刺さる視線に晒されながらも、毅然と前を向いて、シンジュに続く。
ふと。
「あれって、シルヴェナド家の令嬢ではないの?」という声を皮切りに、話題がナルのほうへ向くのがわかった。
だが、国王陛下の御前のためか、今のところそれ以上ナルの話題は広がらない。
ナルの話題になれば、内容が悪口になるためだろう。
(――っ!)
ぞくり。
誰かの殺気めいた視線を感じて、さっと視線を向けた。
視線を向けた瞬間、殺気は消える。
(気のせい?)
シルヴェナド家は、一族が斬首に処されるほどの大罪を犯してきた。
貴族らから恨みを買っていても、おかしくない。
(麻薬の取引、賭博の運営、人身売買、残忍な快楽に浸る宴を開いたり……そんなのは日常的だったなぁ)
戦争を煽ったのも、一度や二度ではない。
実験対象が欲しいと言う貴族に、村をまるまる売ったこともあった。一か月後、疫病が流行って村は全滅したらしい。
裏社会に顔の利く父は、暗殺を請け負う組織との関係も密接だった。当然、依頼人の顧客情報は父へ流れる仕組みになっている。
情報をもっとも大事にしていた父は、金銭の代わりに情報を要求することも少なくなかった――そして、大きな犯罪に加担しては、己の存在となる証拠を完全に消し去った。
直接、父が手を下した案件は少ないだろう。
だが、あらゆる悪事の後ろには、父の存在があった。
今、ここにいない貴族の何割が、父によって爵位や領土を奪われただろう。
追い詰められて自害した者など、数えるときりがない。
ナルは、静かに目を閉じた。
すぐに、力強く目を開いた。
今は、夜会に集中しなければ。
式典ではないにしろ王家主催のものだ。
主役はシンジュなのだから、尚更失敗はできない。
ナルたちは、赤い絨毯を真っ直ぐに進んだ。
絨毯の両側のあちこちからこちらを見つめる貴族たち。壁にはずらりと、貴族らが正式に『騎士』に任命した護衛が並んでいる。
夜会は、武器の持ち込みに関して徹底的に禁じているが、護衛として騎士を壁際に待機させてよいことになっていた。当然ながら、その騎士も、武器の類は持ち込めないのだが。
ナルも、正式に騎士契約したアレクサンダーを壁際に立たせていた。
最後までシンジュは渋っていたが、ナルが押し切った。
嫌な予感がした。
アレクサンダーと契約したのはナルだが、アレクサンダーには、くれぐれもシンジュを宜しく頼むと伝えてある。
何気なくアレクサンダーの立ち位置を探ったナルは、ふと、髪の長い騎士と目が合った。黄色の背広に身を包んだ騎士で、歳は若い。……見覚えのない騎士だ。
「ナル」
シンジュに小声で呼ばれて、視線を前へ向ける。
国王夫妻、そして、バロックスがいた。
(……リーロン王子は、今日も不参加か)
微かな落胆を押し隠して、シンジュが国王夫妻に挨拶を述べる。
椅子に座った国王は、大柄で豪胆な――正直なところ、盗賊の親分のような見た目をしていた。
国王の隣には、バロックスとよく似た、妖艶な美女が座っている。やや歳をとっているが、それでも、ひと目を惹く美しさは健在だ。
挨拶を終えると、シンジュがバロックスの隣に立つ。
ナルはそっと移動して、王家の人々から離れた。
だが、貴族に混ざることはない。
あくまで立ち位置は、王族側だ。
バロックスが高らかとシンジュを紹介し、盛大な拍手をもって終えた。
歓談の時間に切り替わり、無礼講とは呼べない言葉だけの無礼講タイムがやってくる。
シンジュはあっという間に貴族らに取り囲まれた。
バロックスの行動を確認すると、ソファに座って優雅にワイングラスを傾けている。
(計画が動くのは、終盤だっけ)
詳しい事情を聴いていないので、ナルは今、シンジュの奥方としての立場を貫かなければならない。
ちら、と周囲を見ると。
ナルに話しかけようか戸惑っている貴族婦人たちがいて、にっこりと微笑みかけた。
ほっとしたように、歩み寄ってくる貴族らに、定型的な挨拶を繰り返す。
しばらく挨拶を繰り返していると、ふっと、影がナルに落ちた。
見れば、背の高い男が――ベルガン公爵が、ナルの前に立っていた。
(えっ⁉)
驚くナルに、ベルガン公爵は口の端を歪めて、笑ってみせた。
「ご機嫌いかがかな」
「これは、ベルガン公爵。ご機嫌麗しゅうございます」
驚きを隠して、咄嗟に微笑んで挨拶できたのは、長年ネコを被ってきた賜物だろう。
ベルガン公爵の目は、せわしなくナルを観察している。
ナルの記憶にある、優しく微笑むベルガン公爵は、そこにはいなかった。
その事実は、ナルが思っていた以上に、ナルを落胆させた。
「名前を知って頂いているとは、光栄だな。きみは、大公の妻の……」
「ナルファレアと申します」
「ナルファレア殿、か」
演技か。
それとも本当に、ナルを覚えていないのか。
近づいてきた真意を探ろうと様子を窺うが、ベルガン公爵の目は光を失っており、そこにはなんの感情も見られなかった。
最後にベルガン公爵を見たのは、三年近く前の社交パーティだ。
だが、ナルはベルガン公爵の存在を気にすることはなく、いつものように、リーロン王子の噂を聞きながら過ごしたのを覚えている。
ベルガン公爵は、人気者だ。
彼が援助する支援団体も活躍しており、ベルガン公爵の傍はいつも明るい笑顔で溢れていた。
父の傍にいた頃とは違う。
人々に囲まれて朗らかに微笑むベルガン公爵はもう、ナルの知っているベルガン公爵ではなかったのだ。
ベルガン公爵の視線がナルから移動した。
同時に、軽く腰を引き寄せられる。
「ベルガン公爵、妻と歓談中でしたか」
話に入ってきたのは、シンジュだ。
持ち前の冷徹さを顔に張りつけた彼は、ベルガン公爵を真っ向から睨んでいる。
「シンジュ殿も、これで周知の大公となったわけか。応援しているよ」
「どうも、ありがとうございます」
「先日、領地のほうへ新婚旅行に来たそうだな。従弟から聞いている」
(早速、揺さぶりにきた)
ナルは、胸中で眉をひそめる。
おそらくベルガン公爵は、己が今日、捕縛されることを知っている。
彼が放った密偵を捕らえたことで、目論見は知られていると考えていい。
ベルガン公爵子飼の密偵は、優秀過ぎた。ゆえに、悟られずに逃がすことが困難だったという。双方被害を出しながらも全員を捕獲したが、捕らえた密偵の一人が、自身の両腕を噛み切ることで拘束を外し、逃亡。
行方は分からず、遺体も見つかっていないという。
以上から、ベルガン公爵が欠席した際の演出も打ち合わせたが、そちらはどうやら、徒労に終わったようだ。
「とても素晴らしい経験をさせて頂きましたよ」
「そうか、それはよかった。きみは、働きすぎる。たまには、休んだほうがいい」
ベルガン公爵が笑みを深める。
仮面のような、笑顔だ。
いくつかシンジュと会話を交わしたベルガン公爵の視線が、ナルへ、向けられた。
僅かだけ、眉をつり上げたベルガン公爵が、口をひらこうとしたとき。
「――ダンスの前に、皆に伝えたいことがある」
大広間中に響き渡る、心地よい張りのある声。
バロックスが胸を張って立ち、楽器の準備を始めている楽師たちへ手をあげた。
ダンスの準備や、談話に夢中だった貴族らが、バロックスを振り返った。
シンジュが、ナルを連れて、後ろへ下がる。
ほぼ同時に、複数人の近衛兵たちが、ベルガン公爵を囲んだ。
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