3-8、嵐の前の静けさ
ナルは、ベッドのうえに正座した。
向かい側には、胡坐をかくシンジュがいる。
昼過ぎに、仮眠という名目で一時帰宅したシンジュは、そのままナルを連れて寝室へ向かった。
昨日の段階で、近々シンジュから話があることは察していたため、ナルは大人しく従い、寝室に入るなりベッドに正座したのだった。
シンジュは、懐から白い封筒を取り出した。
蝋の封には、王家を示す判がくっきりと押してある。
「招待状だ」
シンジュはそう言うと、広げてナルに見せた。
宛名の部分は空白になっている。
この招待状と同じものが、それぞれの貴族の元に届いているということだろう。
文面に目を通すと、約二週間後の週末の夜、王城でお披露目パーティを開催するというものだ。
お披露目されるのは先王の隠し子であり、現王の弟にあたる人物――つまり、シンジュだ。
「以前にも言ったが、私の出生に関しては一部の者しか知らないことだ」
はい、とナルは頷いた。
大公は、家柄ではなく、個人に与えられる爵位だ。
シンジュは王弟ゆえに、大公という爵位を、一代限りで戴いている。
「お前を、私の妻として紹介するが……ナルファレア・シルヴェナドは斬首刑にあったと思っている貴族が、恐らく、お前が思っている以上にいる」
「……え?」
「私の出生を知る一部の貴族――所縁のある貴族や、公爵家の者など、だな――は、勿論、ナルが私の妻だと知っているが、ほんの一部だ」
「ほとんどの貴族たちは、私が生きてることを知らなかったんですか!」
「ああ」
ナルの存在は、ナルが思っているよりも興味を持たれていないようだ。
娯楽ばかりで生きている貴族らからすれば、当然といえば当然だろうけれど。
「じゃあ、確実に私への不満も出ますね」
シンジュは、ふと目を伏せた。
「この夜会に顔を出せば、お前が生きていることは、皆が知ることとなる。もし、それが嫌ならば――」
「大丈夫ですよ。というより、もう知られていると思っていました」
そう言って微笑むと、シンジュも笑みを返してくれる。
ぎこちない笑みだ。
「……これからも、妻でいてくれるか」
「勿論です。シンジュ様の妻の座は、誰にも渡しません。……渡したく、ありませんから」
微かに目を見張ったシンジュは、嬉しそうに顔を崩れさせると、ナルを抱きしめた。
「ベルガン公爵の件は、どうなるんですか」
「夜会の後半で、バロックス殿下が直接、公爵に罪状を告げる手筈だ。ベルガン公爵の件は、気にしなくてもいい。多少ゴタつきはするだろうが、うまくやる」
「はい。お忙しいのに、わざわざ伝えに帰ってきてくださったんですね」
「忙しい……のだろうな。刑部省の仕事はまだいいが、夜会そのものの手筈が面倒だ。王族の振る舞いなど、知らん」
大公が一代限りの爵位なのは、王家の者だと認められた存在だからだ。
王族でありながら貴族でもある特殊な地位ゆえに、モーレスロウ王国では滅多に大公の地位を与えない。
王座につかなかった兄弟は、辺境伯の爵位と領土を与えられるのが通常だった。
だが、現王はあえてシンジュに大公の地位を与えた。
そこには、ナルなどが計り知れない深い意味があるのだろう。
「よし!」
ナルは、ぐっとシンジュを力いっぱい抱きしめた。
「大丈夫です、私がいますから!」
「ナル?」
「めっちゃ緊張してると思いますけど、きっとうまくいきます。……とにかく、大丈夫です!」
力を込めて言うと、シンジュは、ふっと憐憫を乗せた笑みを浮かべた。
なぜ、憐憫。
「驚くほど根拠がないな。私を納得させたいのならば、納得できる根拠を提示しろ」
「私には、愛があります。愛に勝るものはありませんから!」
「なるほど、わからん」
「あ、そうだ。緊張したときは、人って字を手のひらに……こうやって書いて、飲み込むといいですよ。緊張がほぐれるらしいです」
見本でやってみせると、シンジュはこれ以上ないほどに顔を顰めた。
「人を飲む……かなり恐ろしいことをするんだな」
「えっ……た、確かに!」
時間はあっという間に過ぎた。
シンジュはナルに紅茶を飲みたいと強請り、いつもの紅茶を淹れる。
束の間の、ゆったりとした時間を過ごすと。
シンジュは、王城へ戻って行った。
後日改めて、王城で打ち合わせをするとのことだ。
夕食のあと、ナルは一人、寝室のベッドに寝転んだ。
両手をかざして、自分の手を見つめる。
十七歳の少女の手だ。
もうすぐ十八になるのだったか。
(私に何ができるだろ……無力だなぁ)
どれだけ知識を貯めても、知恵を絞っても、力がなければ何もできない。
シンジュが倒れそうになりながら働いている今だって、屋敷にいるしか出来ないのだ。
力が欲しい。
大切な人を守れるだけの、力が。
ヴォルグ・ベルガンは、自室に入るなり舌打ちした。
夜の帳が降りた窓の向こうを睨みつけ、カーテンを閉める。
僅かな月光を頼りに、手持ちの蝋燭に火をつけた。
机につき、引き出しから招待状を取り出す。
王家からの、招待状だ。
内容は、新たな大公をお披露目するというもの。
ヴォルグは、公爵と呼ばれるに相応しい威厳に満ちた口ひげを撫でながら、深いため息をついた。
王家主催のお披露目パーティは、三日後に迫っている。
ヴォルグは、これまで王家とはそれなりに密接な関係を築いてきた。
当然、シンジュ・レイヴェンナーが先王の子であることは、知っている。
なぜ、このタイミングで周知にする必要があるのか、という疑問に関しては、直接招待状を国王から受け取った際に、口頭で尋ねることが出来た。
他国との交易を考慮してのこと、だという。
おかしな部分は、何もない。
外交を行うとなれば、使節団をまとめる長が必要だ。
シンジュの出生を考えれば、彼ほどの適任者はいないだろう。
他国との交流に関しても、バロックス王子は以前から貿易展開の機会を窺っていた。
そう。
不審な点は、何もない。
なのに。
ヴォルグは、納得が出来ずにいる。
長年の勘とでも言うべきか。
どうも落ち着かないのだ。
今回の王家主催の夜会には、裏があるような気がしてならない。
招待状を受け取ったとき、ヴォルグはそう考えていた。
違和感を払拭するために、自らが所有している武器製造工場へ、密偵を向かわせたのは招待状を貰った翌日だ。
何事もない、そういった報告を待っていたが――夜会を三日後に控えた今でも、密偵は戻ってこない。
何者かに捕らえられたか、或いは、殺されたか。
ふいに。
慌ただしく駆けてくる音がして、ドアが叩かれた。
不快さに眉をひそめて、返事を返す。
「なんだ」
「偵察が、戻ってきました」
いつもならば、密偵が直接報告にくるはずだ。
けれど、声は使用人のもの。
警戒を滲ませて、入れ、と言う。
ドアが開いて、使用人と、使用人に抱えられた死人同然の男が入ってきた。
密偵の一人だ。
忠誠心の強い男だったので、顔を覚えている。
腐臭に顔を顰める。
自然と、ヴォルグの視線は密偵の男の手に向いた。
密偵の男には、両手がなかった。
腕の先が壊死し、毒素が回り始めた密偵の見目は、見るも無残な姿になっている。十分な手当てもせず、傷口から感染を起こしたのだろう。
「……何があった」
「全員、捕らえ……られ、ました」
話したのは、密偵の男だった。
吐息に近い、呼吸だけの声で、話す。
「おそらく、王家、が。……夜会、に、行っては、なり、ま、せ」
言葉を途切れさせた密偵は、がくんと頭を落とした。
使用人が密偵の身体に軽く触れ、「死亡しました」と告げる。
「ご苦労だった。その者は、誰にも気づかれぬ場所へ捨てておけ」
「はい」
使用人は、密偵を抱えて出て行った。
部屋に残った腐臭を消すために、窓をひらく。
椅子に座り直したヴォルグは、やはりか、と息をついた。
確信した。
此度の夜会は、自分を捕らえるためのものだ。
夜会を大々的に開くことからも、策略を綿密に練っていることがわかる。
武器工場も押さえているようだ。
部下たちが口を割っていなければ、武器製造に関してはしらを切り通せるだろう。
だが、王家の名を使うということは、ヴォルグが逃れることのできないだけの証拠を用意しているとみて、間違いない。
ヴォルグは、招待状を睨みつけた。
直接国王から手渡されたのは、絶対に来るようにという念押しも込めてあったのだ。
もとより貴族に、欠席の自由はないのだが。
一瞬、逃げ道を探ったが、そんなものがないことはすぐにわかった。
ヴォルグは、罪を受け入れ、罪人になるしかないのだろう。
シルヴェナド家が消滅した時点で、覚悟はしていたが――。
「ここまでか」
そっと呟いて、招待状を軽く叩いた。
何気なく、王家の名を視線でなぞったとき。
(……待て)
ふと、思い出す。
確かシンジュは、シルヴェナド家の娘を、嫁にしていなかったか。
たかが伯爵でありながら、ベルガン家を小馬鹿にしてきた、あのシルヴェナド家の――。
シルヴェナド家は、滅んで然るべき存在だ。
なのに、直系の娘が生きているなど、許されるはずがない。
――自分は三日後に、罪人として罰せられるというのに
「ふっ、ははっ、ははははっ」
ヴォルグは、頭を押さえて笑った。
このままでは、終わらせない。
(……最後の舞台といこうか)
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