3-6、自慢の妻
ナルが宿屋へ戻ると、シンジュは先に戻っていた。
ベッドでクッションを背にゆったりと横になり、観光案内のパンフレットを見ている。
「おかえりなさい、シンジュ様。お待たせしてしまいました」
「待ってなどいない。午前中は外出すると言ってあった、お前と出かけるのは午後からの予定だったからな」
シンジュは憮然と言うと、視線をパンフレットに戻した。
(不貞腐れてる……)
つい今戻ったナルは、部屋の前にいた二人の護衛から、シンジュが用事を済ませたあと、急いで宿屋へ戻ってきた旨を聞いたのだ。
何かあったのかと思ったが、護衛いわく、「早く奥方とイチャイチャしたかったのでは」とのこと。
ナルは、ベッドにあがると、シンジュの隣に寄り添うように横になる。
「お疲れでしたら、今日は、部屋でゆっくり眠りますか?」
「予定通り出かける」
「怒ってます?」
「……」
「シンジュ様?」
「……理不尽な怒りだ、気にするな」
「実は、アレクを護衛につれて温泉卵を探しに行ったのですが、見つからず。そのあと、湖を見に行こうとしたのですが、色々あって行けずに、帰ってきました」
「どこにも行けてないのか?」
驚いたように振り向いたシンジュに、ナルは頷く。
「でも、温泉卵をつくる用意はしてきたので、生卵を購入したらいつでも作れますよ。旦那様、早速つくりに行きませんか?」
「オンセンタマゴ?」
「はい!」
シンジュを強引に誘って、ナルは、アレクサンダーと調べた『源泉』へ向かった。
源泉は、観光地のど真ん中にある。
ししおどしが置いてありそうな石臼型のくぼみに、たっぷりの湯が湧いていて。近くには、熱湯注意と書かれた看板があった。
ナルは、持ってきた材料――ネットに卵を入れたものと、ネットをひっかけた長い棒――を、石臼に引っ掛けるようにして、卵を源泉につける。
近くの案内所で聞いたところによると、温度は大体七十度ということだ。
二十分ほどで出来るだろう。
シンジュと、すぐ傍にある椅子へ座る。
周囲の露店の店員や道行く人々が、何をしているのだろう、という目で見てくるが、気にしない。これはすべて、温泉卵のためなのだ。
「ナル、卵を湯につけているようだが」
「はい。温泉卵を作ってるんです」
「ゆで卵とは違うのか」
「源泉の絶妙な温度でじっくりと熱された卵は、とろーりとろとろになるんです!」
「とろーりとろとろ……」
そんな話をしているうちに、時間はあっという間に過ぎて、卵を取り出す。
あちち、と言いながら、用意してきた深めの紙皿に、卵を割りいれる。そこへ、塩をほんの少しかけて、味を調節した。
湯につけておいた卵は全部で五個。
アレクサンダーたちの分もある。
スプーンをつけて、ナルはそれぞれに渡した。
「ふふふっ、美味しそ~。旦那様もどうぞ!」
「ああ」
ナルは微笑みながら、スプーンで卵をすくう。餡のように絶妙な柔らかさの黄身が見えて、期待は一気に高まった。
一口食べると、ナルはその美味しさに瞳を煌めかせる。
味は勿論、濃厚なコクと舌触りも、まさに温泉卵。
(あ~、しあわせ~)
卵は、どこの世界でも偉大である。
シンジュも、一口食べると、驚いた顔をした。
「絶妙だな」
「ですよね! 美味しいんです、温泉卵~」
「うまっ、なにこれ!」
「ふふっ、どうよアレク。これが温泉卵なの」
「半熟卵とも違うんだな」
「当然!」
いつの間にか、奇異な目でナルたちを見ていた露店の店員や、近隣住民たちが、近くに来ていた。
「あんた、それなんだい?」
「どうやって作ったんだ、美味そうじゃないか!」
何かと思えば、温泉卵の作り方を知りたいらしい。
ナルは、詳しくはないんだけど、と前置きしてから、今作ったやり方を説明した。
すぐに試し始める人々を見ながら、『温泉卵が流行ればいいなぁ』と思っていたナルは。
はっ、と顔をあげた。
シンジュは、どこだ。
作り方を説明するのに夢中で、気づけば一人だ。
少しだけ離れたところにアレクサンダーがいるが、シンジュからは離れてしまったらしい。
というか、いつの間にこんなに人が集まったのか。
人だかりが半端ない。
(新婚旅行で、旦那様を一人にするなんて!)
辺りを見回すと、人垣の向こうにシンジュがいた。
そちらに向かって歩き始めたとき、ふと、シンジュの傍に若い娘がいることに気づく。シンジュはその娘と話しており、照れたような笑みを浮かべていた。
(……これは、愛人候補?)
衣類から察するに、あの娘は地元の売り子らしい。
素朴な優しさを醸す、穏やかな雰囲気の娘だ。
対するシンジュは、驚くほどに表情豊かだ。
(貴族にあるまじきってわかってるけど。……独占したくなっちゃう)
貴族は、相手が愛人を持とうが気にしない。
気にするのは心が狭い証拠、とも言われるほどだ。
けれど。
今のナルには、笑顔で愛人を認める余裕はない。
以前ならばともかく、シンジュのことを本当の意味で好きになってしまった今、旦那様の愛を誰かと分けるのは、心が裂けるほどに痛む。
娘が去っていき、シンジュが視線を彷徨わせた。
ナルを見つけたシンジュは、ふと口の端をつり上げた。だが、ナルの表情を見た途端、足早に近づいてきて、腰を支えた。
「具合が悪いのか」
「え……いえ。すみません、離れてしまって」
「そんなことはいい。人に酔ったのか、気分はどうだ」
「……大丈夫ですよ」
「嘘だな。声に覇気がない」
「……ぎゅって抱きしめて貰えたら、治ります」
シンジュは訝りながらも、ナルを抱きしめる。
「何があった」
(っ)
耳元で囁くシンジュの声に、ぞくりとした。
新婚旅行で傍に居過ぎたのだろうか。
ちょっとしたことで、もっと、くっつきたくなってしまう。
「本当に、何もないんです。……旦那様こそ、先ほどの方はお知り合いですか」
みっともない嫉妬を知られたくなくて、話を逸らすふりをして、さりげなく聞く。
シンジュは、微かに驚いた素振りをみせた。
「……さっきの娘か。親切な娘でな」
「親切……そうですね。旦那様、嬉しそうでした。表情もころころ変わって」
「妬くな」
結局、即バレてしまう嫉妬を見せてしまった。
ナルはこうしてシンジュに甘えてしまうのだ。
そういう相手ではない、という言葉が欲しくて。
(私、すごくずるい。旦那様の妻なんだから、妻として、やることをやらなきゃ)
愛人の存在を笑って認め、夫を癒す彼女らを鷹揚に労うくらいの余裕があってこそ、貴族夫人なのに。
「だが……そうか、表情がころころと。ふむ」
「旦那様、あの……すみません。嫌なことを言ってしまいました」
「嫉妬されるのも悪くないが。誤解されるのは不本意だ。……先ほどの娘に、新婚かと聞かれてな。お前を自慢していた。この時点では、物凄く嬉しかったのだが」
シンジュは、一度話を途切れさせて。
ゆっくりと、言葉を選ぶように、続けた。
「その後……腰につけているウサギの意味を、教えてもらった」
(……ん?)
「仲がいいと茶化されてしまった。……ナルお前は、知っていたな?」
「な、なにを」
「ぬいぐるみが、色によって意味が異なることだ」
表情がころころ変わって――。
ナルは、自分で言った言葉を後悔した。
照れた様子は、新婚だと自慢していたからか。
真面目な表情や、険しい表情は、カナウサギのことを聞いたためか。
「……親切な、お嬢さん、ですね」
「そうだな」
シンジュは、ナルの身体を離すと、にやりと笑った。
「知っていて、私に内容を言わなかったということは。お前も望んでいる、ということでいいな? 嫌ならば、外してほしいと頼むはずだ」
「え、えっと、あの」
「宿屋へ戻ったら、覚悟しろ」
ニヤリ、とシンジュが笑う。
これは……これは、怖いやつだ。
(ギャ――――ッ!)
ナルは胸中で悲鳴をあげた。
二日目の観光を終えて宿屋へ戻り、豪華な夕食を食べる。
屋敷で食べる料理とはまた違った趣向の食べ物は、柳花国の文化も取り入れているのだろう。
食事を終えると、シンジュはナルを抱えてベッドに下ろした。逃げられないように、腕を突っ張って格子にする。
「お、怒ってます?」
「少しな。だが、それ以上に限界だ。我ながら、この歳で、と思うが」
「カ、カナウサギでしたら、私のと交換するのは、どうですかっ」
「そういう問題ではないが……このままでいい。これはこれで、気に入っている。お前にも望まれたことだしな」
(うっ)
シンジュの唇が頬に触れて、柔らかいぬるりとした物が首筋を辿っていく。
そのとき、ドアをノックする音がした。
シンジュは露骨に舌うちして、鋭い返事を返す。
「なんだ」
「レガー・ベルガン様がこられています」
シンジュが、大きく目を見張る。
「……随分と、早いな」
離れていく熱に、少しの残念さを感じながら。
ナルは、乱れたドレスを整えた。
「本人が来られた、ということは、期待してもよさそうですね」
そう言うと。
シンジュは、ちらっとナルを横目で見た。
「……言っておくが、仕事はついでだ。メインは新婚旅行だからな」
「知ってます。目的は新婚旅行だって、最初におっしゃったじゃないですか」
シンジュはほっとした表情で、入り口へ向かった。
ベッドに残されたナルは、ゆっくり身体を起こしながら、ふふっと笑う。
シンジュが旅行先での仕事の件を伝えなかったのは、あくまで仕事がついでだから、なのだろう。
もしかしたら、新婚旅行という長期休暇を取るために、ベルガン領での仕事をダシにしたのかもしれない。
ジーンも、そしてナルも、ついでなのは旅行のほうだと思っていたが、そうではなかったようだ。
「ナル! ナルは、いらっしゃる?」
「ベロニア?」
聞こえてきた声に、ナルは入り口の方へ向かった。
レガーと一緒にベロニアも来ていたようだ。昼間と同じドレスに身を包んだ彼女は、とても晴れやかな表情をしていた。
ナルを見ると、ベロニアが駆けてくる。
ナルも、ベロニアへ駆け寄って、手を取った。
「父を説得してきましたわ! もっとも、もう気持ちは決まっていたようですけれど」
「ありがとう、ベロニア!」
「こんな時間にごめんなさいね。でも、早く伝えたくて……お邪魔だったかしら」
「いつでも来て、歓迎するから」
そう答えると、ベロニアは可愛らしく頬を染めて微笑んだ。
「おかしなお話ですけれど、わたくし、同じ年ごろのお友達がいなくて。とても嬉しいわ、ありがとうナル」
シンジュは、少し離れたところから、ナルとベロニアを眺めていた。
手を取り合って微笑み合う二人は、まるで旧知の仲に見えるほどに親密だ。
いつの間に、仲良くなったのか。
レガーの決断が速かったことに、どうやらナルも関わっているらしい。
「シンジュ殿」
呼ばれて振り返ると、晴れやかに微笑むレガーがいた。
決断した彼は、もう先のことを見据えて動きだしたと言う。
「よい奥方を、貰いになりましたな」
そっと、ナルたちに聞こえないように、声を潜めるレガー。
シンジュは、ナルを見てから、頷いた。
「ええ。自慢の妻です」
誇らしい気持ちを胸に抱き、シンジュは微笑んだ。
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