3-3、新婚旅行、いざ出発
二頭立ての馬車には、レイヴェンナー家の家紋が入っていた。
今日に備えてメンテナンスした馬車は、より座り心地がよくなっている。加えて、ふわふわのクッションを敷いてあるため、長旅でも身体への負担は最小限になりそうだ。
外観は落ち着いた濃茶をベースに濃度を変えて着色が施され、シックな上品さを醸していた。
新婚旅行に出発したのは、つい先ほど。
人数は、合計六人と少ない。
ナルとシンジュ、護衛に、アレクと腕の立つ警備騎士が二人、そして御者だ。
シンジュが雇っている警備員のなかには、騎士だった者や傭兵あがりの者も多く、その中でも、騎士としての地位を与えられている二名の者が、此度の護衛に抜擢された。
ナルは落ち着かない気分で、窓から外を見た。
王都の検問を出たので、暫くは自然豊かな景色が広がるだけだ。自然ならば師匠の家でも見れるので、珍しくはない。
いつもなら向かい合って座る馬車だが、今日、ナルはシンジュの隣に座っていた。
いや、出発する際は、向かい合って座っていたのだ。
けれど、出発してすぐに。
シンジュに腕を引かれて、隣に座らされた。
無言で席を移動させられた身としては、何かいけないことをしてしまったのかと怯えてしまう。
しかも、馬車に乗ってから、シンジュは一言も言葉を発さない。
(空気が、重いっ)
どうしようと悩んだ末に、差し障りのない話をすることにした。
「今日は、いい天気で――」
「此度の旅行の目的だが――」
(いやああっ、かぶったああっ)
しかもどうでもいい話で、重要そうな案件を遮ってしまった。
(馬鹿なのっ、私馬鹿なの⁉ なんであと数秒、待たなかったの⁉)
「ああ。いい天気だな」
「は、はい。それで……あの」
シンジュが取り持ってくれたので、ほっと息をつく。
シンジュは頷いて、話を続けた。
「旅行の目的は、新婚旅行だ。一生に一度のことだからな、よい想い出になるよう全力で楽しみたい。いや、楽しんでほしい」
物凄く真面目な顔で、シンジュは言う。
仕事報告のように、淡々と。
「はい、では一緒に楽しみましょう」
ナルも、はっきりと返事を返した。
ナルの気持ちはシンジュに伝わったようで、シンジュは神妙に頷いた。
そして、再びの沈黙。
その沈黙は、休憩する街へ着くまで続いた。
休憩に寄った街は、王都とベルガン公爵領の間にある、ワイファーノス伯爵領にあった。
ナルたちが乗った馬車が、ゆったりと道をゆく。
街には五十メートルほどの直線の道があり、片側には、年季の入った屋台式の露店が並んでいた。
揃わぬ物はないと言われている王都から来たとはいえ、他者が治める領土の露店は、また違った味わいがある。
なかでも、限定の地産物は目を引いた。
馬車を止めて、馬を休ませている間。
ナルたちは、露店を見て回ることにした。
「ナル」
シンジュに呼ばれて振り返ると、シンジュは肘をナルに向けた。
誘われるまま、シンジュの腕に手を添えた。
「なんだか、照れます」
「手を繋ぐほうがいいか?」
「いえ、こっちのほうが、恥ずかしさはまだマシかとっ」
「そうか」
ふっ、と笑うシンジュの笑顔が、とても優しい。
二人きりで(護衛の三人はいないことにする)デートできるなんて、幸せすぎる。先程までの気まずさが嘘のように、あれやこれやと、露店について話をした。
「ん?」
「どうかしましたか?」
シンジュが、一件の雑貨屋の前で足を止めた。
軒にぶら下げてある、紐のついたうさぎのマスコットぬいぐるみを、シンジュは渋い顔で見ていた。
「これは、私を騙った贈り物に使用された品と同じものだな」
「カナウサギですね! ずっと持っていると、願いが叶うってやつです。ちょっと前に王都で大流行したんですよ」
「……ジーンがそんなことを言ってたな。ナルは持っているのか?」
「いえ、残念ながら機会を逃しまして」
「流行は過ぎたが……買うか?」
「いいんですか⁉」
喜ぶナルを見て、シンジュが笑み崩れる。
固まってしまったような厳めしい表情は、仕事から離れると消え去るらしい。ナルは、どっちのシンジュも格好いいと思った。
ナルは、うきうきと、どのカナウサギにしようかと迷う。
ふと、シンジュがこちらを見ていることに気づいて、「駄目ですっ」と言った。
「駄目、とは?」
「選ぶところ、恥ずかしいので見ないでください」
「そういうものか?」
シンジュは、同じ露店の反対の軒にもカナウサギがぶら下げてあることに気づいて、そちらへ足を向けた。
ナルは、沢山あるカナウサギのなかから、自分の願いと同じカナウサギを探した。
カナウサギは、色によって意味する願いが違うので、気をつけて選ばなければならない。
これだ、と一体決めて、シンジュを呼ぶ。
シンジュは手際よく支払いを済ませて、ナルは品を受け取った。早速、ドレスの腰についている飾りに、カナウサギをくっつけた。
こうして、衣類や鞄にカナウサギをつけるのが基本の楽しみ方だ。
「旦那様、ありがとうございます!」
「よく似合う」
目を細めて微笑んだシンジュは、ふと、露店の商品棚からカナウサギを一つ手に取ると、それも購入した。
どうやらさっき眺めているとき、シンジュもお気に入りを見つけたようだ。
「旦那様も購入されたんですね、一緒ですね!」
「ああ。ナルのは、茶色のぬいぐるみか。落ち着いた色だ」
「はい! シンジュ様は、どれに――」
(ん?)
「これだ」
(んん?)
シンジュが見せてくれた、カナウサギは。
耳と片足が黒色で、その他の部分が灰色をしていた。
色合いは、落ち着いていて悪くない。
だが。
「どうしてそれになさったんですか?」
問うと、シンジュは少し照れたように、呟いた。
「お前と私の髪の色に似ていたからだ。いつも一緒にいるみたいだろう?」
「あ……本当だ。素敵ですね」
心から、嬉しかった。
そこに偽りはない。だが、願うことならば、お揃いだと言わんばかりの腰のベルトにカナウサギをつけるのは、遠慮してもらいたい。
シンジュは、それぞれ色によってマスコットが意味する願いが異なることを、知らないのだろう。
シンジュが腰につけたそれは、カナウサギ夜バージョン。
【絶倫になって相手を虜にさせる】という意味がある。
ナルは、ふっと遠い目をした。
間の悪いことに、今、ナルの腰で揺れるカナウサギは、通常バージョン第二弾。
意味は【他人に屈せず自分を貫き通す】だ。
今のナルにとって、シンジュと共に幸せになるという願いが、とても大切だから選んだ代物だが。
シンジュと並んでつけることで、まるで、シンジュの誘いを拒んでいるかのようにも、受け取れる。
「どうした、疲れたか」
「いえ。今日のことを、一生忘れないだろうなぁと思ったんです」
いろんな意味で、印象に残ったからだ。
すれ違う若い娘たちの、視線が痛い。
彼女たちは、大流行したカナウサギの意味を知っているのだろう。
休憩を終えて、再び馬車に乗り込む。
無言の息苦しさは、もうない。
シンジュはナルの腰を引き寄せて、自分の肩に凭れるようにした。
疲れているだろう、という言葉とともに。
もしかして、屋敷を出発してすぐ、ナルを隣に移動させたのは、凭れてもいいぞ、という意味だったのかもしれない。
「ありがとうございます」
昼食を食べて、ほどよい時間が過ぎたこともあり。
次第にナルは、うとうとし始める。
「横になれ」
「んー」
促されるまま横になると、とてもリラックスできた。
改めて考えるまでもなく、シンジュに膝枕されている状態だった。ナルほど小柄ならば、馬車の座席で横になれるらしい。
(膝枕……嬉しい)
これ起きたとき首痛めるやつだ。
そう思いながらも、睡魔に勝てず、ナルはすとんと意識を落とした。
ぼんやりと意識が浮上したのは、馬車がガタンと揺れたときだ。どうやら山を越えているらしい。辺りはまだ明るいが、陽光が夕方の色味になりつつある。
まだまだ眠いナルは、身動きせずに、ぼんやりしていた。
(……そういえば、旦那様って恋人がいないんだっけ。あの毒を送ってきたのって、結局誰なんだろう)
ぼうっと考えていると。
「旦那様」
アレクサンダーの、静かだが鋭い声が聞こえた。
「なんだ」
「つけられています」
「……相手を調べろ」
物騒な言葉に、ナルの意識は徐々に明確になる。
(起きないと!)
「この辺りは、盗賊が出るそうだ」
シンジュが命じたその一言に、ナルは、起きるのを止めた。
ナルの髪を、シンジュが優しい手つきで梳いている。
アレクサンダーは、「はっ」と頷いて、馬車から離れて行った。
(旦那様が、そんなことをいうなんて)
ナルが旅に備えて調べた情報によると、目的地までの道に盗賊が出るような物騒な場所はない。
盗賊が出るそうだ――とは、盗賊に扮して相手を痛めつけておけ、という意味だ。
今頃、気づく。
ナルが知っているシンジュは、ほんの一面に過ぎないのだということを。
シンジュは、刑部省長官だ。
片方を選び、片方を捨てることのできる人。
(……あれ。そういえば私、シンジュ様に嫁いでから、誰にも狙われてない、よね)
なぜ今の今まで、気づかなかったのだろう。
嫁いだ初日こそ、自分は多くから恨まれていると自覚していたし、今後狙われるだろうことも予測していたのに。
ナルに危害らしい危機があったのは、殺人事件の容疑者にされたとき。
毒が贈られてきたとき。
そして、バロックスが壁を越えてきたとき、だろうか。
だがそのどれもが、危惧していたシルヴェナド家関係ではない。
では、ナルが心配していたシルヴェナド家関係の危険は、どこへ行ったのか。嫁いで半年だ。いい加減、ナルの命を狙う輩がいてもいいのに。
疑問の答えは、すでに出ていた。
(先手を、打ってくださってるんだ)
ナルはシンジュを守りたい。
でも具体的に何をしているかを、シンジュには言っていない。言わなくてもいいと、シンジュが言ってくれたのだ。
そして、おそらく。
シンジュもまた、黙ってナルの傍にいながら、ナルのために裏で動いてくれている。
直接言われたわけでも、証拠があるわけでもない。
なのに、ある種の勘が、ナルに確信させる。
ナルの安全な日々はシンジュがくれている、と。
馬車のなかで、シンジュが「楽しもう」と言った言葉が、胸に重く響く。
ぎゅっ、と胸が苦しくなった。
(好きだな)
不器用で、優しい旦那様。
(命を救ってくれた人……じゃなくて。私、シンジュ様が、好きだ)
閲覧、ブクマ、評価、感想、誤字脱字報告、ありがとうございます!
新婚旅行が始まりました。
やや糖度多めで、お送りすることになると思いますm(__)m
次の更新も、明日の18時前後となります。
完結まで突っ走ろうと思うので、あと少し、宜しくお願い致します。