3-2、新婚旅行とは
「新婚旅行って、素敵な響きですね!」
うふふ、と微笑むファーミアに、ナルは「そうね」と相槌をうった。
変わりのない穏やかな使用人控室には、ファーミアとメルル、カシアがいる。ナルも加わって、紅茶タイムだ。
この部屋にいるときは、概ね無礼講となっていた。
「わたしも、結婚したら新婚旅行へ行きたいです!」
「ファーミア、あなた相手がいるの?」
カシアの冷やかな言葉に、ファーミアはふふんっと大きな胸を突き出して、胸を張った。
「きっとすぐできるもん!」
「恋人と夫は違うのよ。結婚なんて、そう簡単にはできないの」
言ったのは、メルルだ。
ファーミアは、むぅと頬を膨らませた。
「そんなことないもんっ、私だって結婚できるもんっ」
「人を選ばなければ結婚はできる、と思うわ。私たちの年齢ならば」
(カシア……)
あながち間違いではない言葉だから否定はできない。
「つまり、気持ちが繋がる相手と結婚できることが奇跡……ということよ」
「そうですね、カシアさん。となると、ファーミア。やっぱり、あなたには難しいかもしれない。恋人にはしたいけれど妻にはしたくないタイプだもの」
「メルル⁉ うう、私だって、いい奥様になるよ⁉」
「カシアさんは、恋人にも妻にもしたいタイプですね」
メルルが、カシアを見て言った。
ファーミアが「私にだけ酷いいいっ」と嘆いているので、ナルはそっと背中を撫でて慰めた。
「そう、ありがとう。そういうのはよくわからないけれど、メルルは高嶺の華って感じで、私が男ならば、手が出しにくいわ。でも、愛人にはしたい」
(カシア、絶妙な表現を!)
メルルは、難しい表情で黙り込んだ。
そして、ちらっとナルを見る。
「奥様は……崇拝したい対象です」
(はい?)
「メルル、奥様はとても可愛らしいタラシ女性なのよ。私的には、恋人から妻にして頂き、生涯を尽くしたいわ」
(カシア?)
「はーい! わたしは、奥様の妹になりたいですぅ」
(う……うん! でも私のほうが年下のはず!)
三人がそれぞれ話し合うのを聞きながら、ナルは苦笑する。
やはり、女の子に囲まれるのはいい。甘い匂いがするし、会話もぽんぽんと弾む。最近は、年配の男性に囲まれることが多くなったせいか、こういう雰囲気に胸が躍った。
部屋に戻ったナルは、そっと息をついた。
時折、様子を見に行く使用人たちは可愛いけれど、まだ慣れない。同じ屋敷で過ごすというのは、わりと神経を使うものだ。
気晴らしに読書をしてから、次の仕事に取り掛かろう。
ジザリと合流して、今月の各使用人の配置や屋敷の修繕について相談せねばならない。庭師に剪定を頼む時期も近づいている。
図書室から借りてきた本を、広げたとき。
「失礼してますよ」
「!」
振り返ると、窓辺にジーンが立っていた。
相変わらず、心臓に悪い登場の仕方だ。
「……びっくりするじゃない」
「そうですか? 次からわかりやすく、窓を突き破って入室しましょうか」
「やめて」
思わず、部屋に入った瞬間、ジーンが窓から飛び込んでくるシーンを想像してしまう。安易に想像できてしまうのが悲しい。
「ご存じかとは思いますが、来月、長官が向かうベルガン地方。あの辺りは観光地で、温泉が有名なんですよ。羨ましいですねぇ」
「温泉ね。でも、人に肌を見せる習慣がないんだし、大浴場はないでしょ。内風呂みたいなものかな」
「ふふふ、ところがベルガン地方は柳花国にも近いので、結構大規模な温泉地帯になってるんです! あちらの国の方々は温泉好きな方が多いですしね」
「そう」
「……なんか冷めてます?」
「楽しみだけど。旦那様だって不慣れでしょうし、内風呂くらいしか使わないんじゃないかな」
「長官の母君は、柳花国の方ですよ? なので温泉にも馴染みがあるんじゃないですかね。長官も、四歳くらいまでは母方のほうで暮らしてましたし……あれ、ご存じなかったんですか?」
ぽかん、とするナルに、ジーンもまた驚いた顔をした。
「……知らなかった」
「おや。まぁ、基本的に内密にされてることですしね。なんでも長官の母君は柳花国の大貴族で。レイヴェンナー家当主の奥方も柳花国の方なので、その所縁で養子になったとか。まぁレイヴェンナー家の奥方は、少々訳ありのようですが」
「そっか。……旦那様、元王子なのに存在を知られてないって、おかしいなって思ってたんだよね」
「調べておきましょうか?」
「別にいいかな」
あっさりと返事を返したナルに、ジーンは肩をすくめた。
「男らしいですねぇ。それとも、無関心なんでしょうか」
「んー。あなたたちの手を煩わせるのが申し訳ないだけ。知りたくなったら、本人にきくから。それより、頼んでいたやつはどう?」
「こちらです。リストにまとめておきました」
「ありがとう!」
リストを受け取って、ざっと目を通した。
ジーンに調査を頼んでおいたのは、『日本語』についてだ。シンジュの愛読書以外に、日本語を使った本が他にはないのか、また本の出処はどこか、そういった辺りを調べて貰っていた。
リストによると、複数の本が発見されているようだ。
どの箇所に『日本語』を見つけたのか、具体的な場所と、一部抜粋して載せてくれているのも有難い。
「大半が、風花国から来てるみたいですねぇ。例外もありますが……あ、この辺りです」
「ああ、これは多分違う。別の文字だから」
「……あなたには、この文字が読めるんですか?」
ジーンの、探るような視線を束の間見つめ返して、くすりと笑った。
「まぁね。誰が書いたとか、わからないの?」
「もう少し時間がかかりそうです。でも、徐々に絞り込んでますから、すぐにわかると思いますよ」
「……そう。もう一つ調べ物をお願いしたいんだけど、いい?」
「ええ。あ、その前にこちらを渡しておきますね。一冊だけ手元にあるので」
ジーンが差し出したのは、青年が両手を広げて空を仰ぎ、絶叫しているイラストで飾られた本だった。ここまでがっつりと、表紙をイラストにした本をこの世界で初めて見た。
この世界の本は、表紙にタイトルが書いてあるだけだ。どれもハードカバー製本で、本そのものが高級なものとして扱われている。
「ありがとう、あとで中身を見ておく。もう一つの調べものなんだけど、ベルガン公爵家についての調査をお願いしたいの。特に、ベルガン地方の温泉街近くに屋敷を構える、ベルガン公爵の従弟殿について」
「畏まりました。……やはり、お気付きでしたか。長官に、不満くらい言ってもいいと思いますよ?」
ナルは、心から苦笑を浮かべた。
シンジュと向かうことになっている旅行先は、温泉で有名なベルガン公爵領土だ。そして、以前バロックスに提示された要求の『ルルフェウスの戦いの首謀者』候補にあげたのも、ベルガン公爵だった。
「それとも、実はもう聞いてます?」
「新婚旅行に行くってことなら聞いてる」
「その新婚旅行が、実は仕事だってことについてですよ」
「何か意図があるんでしょう。私はちゃんと気づいてるし、問題ないと思うけど」
ジーンは、納得がいかないようで、顔をしかめている。
「それって、あなたに甘え過ぎてませんか? 長官」
「そう?」
ナルは、首を傾げる。
「ちなみに、あなたが長官から聞かずに察したのは、どんなところです?」
「『新婚旅行』の目的ってこと? 多分、敵の目を旦那様に向けさせるためでしょう。『新婚旅行』だと称していても、自分の領土へ向かうとなると警戒する。だからこそ、『新婚旅行』って言い切ることで、ベルガン公爵の警戒を煽ってるんじゃない?」
「……でしょうね」
「多分今回の旅先で、旦那様は基本的に『仕事』には関わらないと思う。裏で動く工作員から、目を逸らすのが目的だろうし。そもそもこのタイミングでの行動ってことは、バロックス殿下も一枚噛んでるはずだから、人手は足りてるでしょうしね」
「……やはり、長官はあなたに甘え過ぎな気がします」
頭を抱えるジーンに、苦笑する。
不思議と、気を許したくなる雰囲気を纏っているジーンには、色々なことが話しやすい。けれど、お互い深くかかわろうと思わないのは、ジーンが『そういう姿を演じている』からだろうか。
ナルは最低限、今後について具体的な指示をして、あとはジーンの判断に任せた。
ジーンが帰ったあと、ソファに座って考える。
今回の旅行の目的は、敵の注意をこちらに向けること。
二つ目の目的は、おそらくだが、ベルガン公爵の従弟を見極めることだろう。
(まぁ、私には関係ないか)
シンジュが「新婚旅行」として振る舞ってくれるのなら、ナルもそうするだけだ。
ナルが動くのは、おそらく新婚旅行が終えてからになるだろう。
それまでは、ゆったりと。
十七歳の新婚少女らしく、無邪気に楽しもう。
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(明日の更新も18時前後となります)
次回より、新婚旅行(?)が始まります。