3-1、休日に集まって、紅茶タイム
調理場から、ちらっとリビングを見たナルは。
隣で食器を洗っているアレクサンダーに、小声で聞いた。
「なんか、師匠が緊張してない?」
「そりゃするよ」
「なんで? あの師匠だよ?」
師匠の一軒家に来ているナルは、もう一度、リビングにいる三人を見た。
師匠、シンジュ、そしてベティエールだ。
屋敷では使用人のベティエールだが、ここでは同じ机につき、三人で紅茶を嗜んでいる。
「ベティエール様は、フェイロン様の元上司だからね」
「そうだけど。なんか……ガチガチ? だよね?」
師匠のカップを持つ手が震えている。
(こんな師匠、初めて見た)
ベティエールの視線を受けまいと必死に視線を逸らしつつ、あまり逸らすと失礼だろうから、一応顔は向けているぞ、といった風体を装っている辺りが、痛々しい。
「コータロジの飼い主がベティエールだって知ったときの師匠の表情、私、きっと生涯忘れないと思う」
「そんなに酷かったのか?」
「ホラーちっくな絵画みたいな顔をしてた」
「よくわからないけど、壮絶だったんだな」
洗い物を終えると、庭へ行き、花壇の手入れをする。
アレクサンダーも手を貸してくれた。
「おおー、さすが庭師。手際いいじゃない」
「……僕は、警備長だからね? 庭師は別にいるから。定期的に、手入れにきてもらう程度だけど」
「あ、前から聞きたかったんだけど。屋敷の庭にある温室って、誰の?」
「今はベティエール様が管理されているみたいだよ。野菜とか育ててるんだ。果樹も見た?」
「見た! あれって、ベティエールが育ててるのかぁ……はっ!」
ナルは、薬草の種を植える穴を指でズボズボと開けながら。
勢いよく顔をあげた。
「どうした?」
アレクサンダーが、咄嗟に周りへ視線を巡らせる。
「気づいちゃった」
「何を?」
「今、この家にいる人たち。平均年齢が、割と高め!」
アレクサンダーはシンジュと同じ歳だ。
年齢不詳の師匠は、シンジュより年上だという。
そして、ベティエールが四十代後半。おそらく。
「これ、イケオジマニアには堪らない状況じゃない⁉ いろんなイケオジ取り揃えてます、って看板でおカネ取れるレベルかも」
「そういう発想、やめよう?」
「若いころの私なら、真っ先に飛びついたよ。理想の上司を求めて」
「ナル、十七歳だよね」
「え? ……うん」
「間が怖いんだけど。実は百歳超えてるとか、やめてよ」
「え。私、そんなに叡智に長けた人間に見える? 悟ってる感じ?」
「……そういう前向きなところは、本当に尊敬するよ」
「おや、随分と仲がいいんだな」
第三者の声に振り返ると、輝く美貌に憂いを乗せた師匠が、こちらに歩いてくるところだった。
「師匠、逃げてきたんですか?」
「少し、風に当たりに来ただけだよ。それにしても、アレクってそんなふうにしゃべるのか。初めてみたな」
くすくす、と笑う師匠を前に、アレクサンダーは真っ赤になって歯を噛みしめた。
ナルは、首を傾げる。
「前は違ったんですか?」
「前というか、私やシンジュの前では、別人のようだよ。使用人として教育されてきたからか、随分と大人びていると思ったものさ。それなのに、ナルといるときは、子どもっぽいんだな」
「……子どもっぽくないです。僕、結構いい歳なんで」
「あははっ、いいね。そういうアレクを、私も見たかったよ」
師匠が笑っている姿に、ナルはほっと息をついた。
師匠には笑顔が似合う。
「今、薬草を植えてるんですよ。ヨモナーです」
「ほう、助かるよ。あれは結構使うから」
「単体でも薬として使えますもんね、これ。師匠は、調合に使うんでしたっけ」
「ううん。私が怪我をしたときに、塗るんだよ」
まさかの薬代わりだった。
次にくるとき、救急セットを持ってこよう。
「師匠、あの場に戻りにくいのなら――」
「気を使ってくれるのか?」
「――花壇の手入れ、やって貰えます?」
「さて、そろそろ戻るか……そうだ、ナル」
踵を返した師匠が、肩越しに振り返った。
「なんですか?」
「きみ、シルヴェナド家の令嬢だったんだってな。知らなかったよ」
「あ、聞いたんですね。そうなんです、処刑されそうになったところを、シンジュ様に助けて頂いて」
「え、待って、恋愛結婚だって話じゃなかったの⁉」
アレクサンダーが、がばっと顔をあげた。
どうやったのか、頬に土をくっつけてドジっ子アピールをしていた。
「そういえば、アレクたちって、なんて聞いてるの?」
「シンジュとナルは恋仲で、シンジュが周囲の反対を押し切ってナルと結婚したって」
「それだけ? 処刑の件は?」
「知らないよ。処刑って何? ……え、本当に何⁉」
「ほら、私、シルヴェナド家の令嬢だから。父が大罪を犯して捕まった時点で、斬首決定。実際、親戚筋は全部処刑されたし。まぁ、ほとんどの親族が悪行に手を染めてたし、甘い汁を吸ってたから」
「おかしくないか。ナルは、何もしてないんだろ? なのに、斬首?」
アレクサンダーが驚きと批判の声をあげた。
苦笑したナルの前で、師匠がアレクサンダーへ土をかけた。
ぱらぱら。
(わぁ、こっちにも土がくる……)
「ちょっ、やめっ」
「きみは少し、頭を使ったほうがいい。鉢植えにでもしたら、少しは中身が詰まるんじゃないか」
「フェイロン様っ、目に入るっ」
「入れ!」
仲良し二人を眺めながら、ナルは口をひらく。
「何もしなかったから、罪になるの。私がどれだけの人を見殺しにしてきたか……知ってて知らないふりをして、甘い蜜だけ取ろうなんて、重罪もいいところでしょ」
「だが、ナル。きみは逃げなかった」
ふいに。
師匠が、凛とした声で言った。
「きみは、自分の罪を受け入れた。きみの真っ直ぐさが周りを動かしたんだ。今、きみが生きているのは、きみ自身がもたらした幸運だろう」
「……師匠?」
フェイロンは、ふ、と笑う。
美しさを惜しげもなく笑みに乗せて、ナルの頭を撫でた。
「……逃げなくなったな」
フェイロンの言葉の意味がわからなくて、きょとんとしたナルだったが。
次の瞬間、波のように記憶がフラッシュバックした。
師匠が頭を撫でようとするたびに、ナルは身体を強張らせた。
大きな男性の手が、怖かった頃がある。
ナルが小さいころに頭を撫でてくれた、ある男の人と、重ねてしまうからだ。
過去の思い出に、ナルは息をついて苦笑した。
「昔の話です」
師匠にか、それとも自分にか。
ナルの呟きに、師匠も苦笑した。
「きみがこんなに立派になって、師として誇らしいよ。だが、自己犠牲は頂けないな」
「私、今の生活が楽しくて。この生活を守るために、頑張ろうと思うんです。だから自己犠牲は、やりたくないですねぇ」
「本当に、立派になった。きみを変えたのは、シンジュかな」
よしよし、と頭を撫で終えた師匠は、踵を返した。
「そろそろ戻る。きみたちも二人きりで密会してないで、こっちにおいで。シンジュが面倒くさいからね」
(あれは、一緒に来てほしいってことかな)
花壇の手入れ道具を片付けはじめると。
「相変わらず、素直じゃない人だよ。ついてきてほしいって言えば、ついていってあげてもいいのに」
アレクサンダーがぼやいた。
「アレクは、師匠が大好きだもんねぇ」
「……まぁ、昔はね」
茶化したつもりが、さらりと流された。
アレクサンダーは肩をすくめて、井戸の水で手を洗い始める。ナルも一緒に手を洗って、調理場の勝手口へ向かった。
「小さいころから、仕える主が決まってたし。僕に選択する余地はなかったんだ。でも尊敬している気持ちに偽りはないよ。……それに、あの顔には憧れる」
「ええー。歩く凶器だと思うんだけど」
「そうだけど。好きだろう女性は。イケメンが」
「なにアレク、女性にモテたいの?」
「勿論。僕だって正常な成人男性だからね」
「だったらやっぱり、婚活したら?」
そんな話をしながらリビングへ行くと、シンジュとベティエールが真顔で話をしていた。
これは入ってはいけない雰囲気か、と思いきや。
「三十頃には、気を付けて、いましたよ」
「そうですか。さすが数多の女性を泣かせたと噂高い、ベティエール殿」
なんの話だ、と思っていると。
師匠が作業部屋から、ひょっこりと顔を出した。
「加齢臭についてだって」
「わぁ、リアルぅ」
思わず呟いたナルの隣で、アレクサンダーが自分の腕の匂いを嗅いでいるのは、見なかったことにしよう。
帰る時間になり、シンジュはナルの腕を引いた。
そのまま手をつなげば、ナルが頬を朱色に染める。
「恥ずかしいですよ」
「たまにはいいだろう?」
そういうと、ナルが困ったようにはにかんだ。
可愛すぎる。
背後からフェイロンが茶化してくるが、無視をするに限る。
「では、暇をする。また、気分が乗ったらきてやろう」
「随分な言い様だな。そうだ、シンジュ。きみには言っていなかったが、あの屋敷はいわく付きなんだ」
「知らんわ、どうでもいい」
「そう言うと思ったから、言わなかったんだ。昔、あの屋敷で若い女の人が亡くなってね。それ以来、老人の幽霊が目撃されるとか、男の幽霊が目撃されるとか、うんこの……あれ、そういえば、ベティ隊長は?」
ナルが隣で「えっ⁉」と叫んでいるのを聞きながら、シンジュは「コータロジを見てから帰ると言っていた。私たちは、先に帰る」と伝えた。
ナルとふたり(背後をついてくるアレクサンダーはいない者とする)で、徒歩で屋敷へ向かう。
出掛けようと言われたときはあまり乗り気がしなかったが、いざ行動してみると、楽しいものだ。
「今日はありがとうございます! お出かけに付き合っていただいて。折角のお休みですから、ゆっくり過ごしたほうがいいかなとも思ったんですが」
「気分転換になった。こうして昔馴染みと話すのも、たまにはいいものだ。……ナル、来月頃、長めの休みを取ることにした」
「そうなんですね。お仕事、ひと段落したみたいでよかったです」
「その休暇を利用して、少し遠出をしようと思っている。ナル、お前もこい」
「旅行、ですか」
「そうなるな。……お前が良ければ、だが」
ナルを窺うと、瞳を煌めかせていた。
「社員旅行ですね!」
「新婚旅行だ」
「楽しみですっ、わぁ、嬉しいです!」
無邪気にはしゃぐナルは、本当に、本当に、可愛い。
ナルは気づいていないようだが、彼女には他者を惹きつける魅力がある。その魅力は、ナルの内面からきているもので、彼女を知れば知るほど、真っ直ぐさに惹かれていくのだ。
「ナル」
「なんですか?」
「先ほどの話を、聞いていただろう。我々四人のなかで、誰がもっとも、よい香りがする?」
シンジュ、フェイロン、ベティエール、アレクサンダーは皆、四十路だ。
加齢臭も気になる年頃である。
ナルは、満面の笑みで答えた。
「ベ……旦那様です」
「そうか、嬉しいな」
(やはり、ベティエール殿か……まぁ、わからんでもないな)
本音を隠せず、微かに漏らしてしまったことに焦ったのか。
ナルは、ちらちらとシンジュを見て「バレてない?」といったふうに、様子を窺ってくる。
ややのち、ナルはほっとした表情をした。
(『よかった、大丈夫だったみたい』という顔をしている)
可愛い。とにかく、可愛い。
(私の妻、か……いいものだな)
シンジュは、繋いだ手を強く握り締めた。
フェイロンは、そわそわと歩き回っていた。
シンジュたちは帰路についた。あとは、ベティエールだけだ。
シンジュたちが見えなくなったころ。
ベティエールが「邪魔したな」と言って、玄関へやってきた。
「コータロジを、頼んだぞ」
「はい」
「……もう、上司と部下、ではない、のだから。畏まらなくて、いい」
「ですが」
「私が、惨め、か?」
ひゅっ、と喉が奇妙な音をたてた。
ほんの小さな、国境付近の争いのはずだった。気づかないうちに事態は深刻なほど大規模になり、そして、フェイロンのちょっとしたミスで、近衛騎士隊は半壊となった。
多くの人が亡くなり、ベティエールは自らの判断ミスだと報告。
近衛騎士団長の座を追われた。
「片目は、完全に、見えぬ。右腕が、思うように上がらず、剣を振るえぬように、なった。言葉は、慣れてきたが、初対面だと、驚かれる」
「……隊長」
「だが、私は今、とても幸福だと、胸を張って言える」
ベティエールが荷物を持って、フェイロンの隣を通り過ぎた。
「私は、お前が、滑稽にみえる。愚かで、哀れな、男だ」
「――っ」
「お前は、現実から、逃げたの、だろう。……そして、得たものも、あるはずだ。もう、間違うな。最後まで、貫き、通せ」
ベティエールは振り返ることなく、去って行った。
フェイロンは、近衛隊の生き残りとして王都へ戻ってからも。
自分の取り返しのつかないミスを思うと、心が壊れそうだった。
眠ることも出来ず、街を彷徨っていたときに出会ったのが、幼いナルだ。
(得たもの、か)
ベティエールの言葉を、フェイロンは噛みしめる。
そろそろ潮時かもしれない。
大切なものを守るために。
決意を、固めなければ。
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今回から、第三章です。
どうぞ宜しくお願い致しますm(__)m