2-15、久しぶりの帰宅! ここが我が家だと実感する。
此度の一件がいち段落して、シンジュが休暇を取れるようになった頃。
とりあえずは、もう安全だと判断されたナルは、シンジュとともに、ハウニエル卿の別邸から、自宅へ戻った。
実際のところ、ルルフェウスの戦いに介入したとされる『第三者』の件は何一つ片付いておらず、ナルを暗殺しようとした相手はわからないまま。
拘置所内から姿を消した死体は既に発見されているため、現場の状況から「痴情のもつれ」によるものだということになったという。
ナルとしては、『第三者』なる者も気になるところだが、十年以上も前の【ルルフェウスの戦】に関して首を突っ込む必要も義務もない。
馬車から降りた瞬間、屋敷で待っていた使用人たちが瞳を潤ませて――僅かな沈黙ののち、せわしなく視線を彷徨わせた。
「お帰りなさいませ、旦那様、奥方様。お疲れのところ申し訳ございません。お客様を客間にお待たせしております」
変わらず、服に皴の一つもないジザリが、淡々と言った。
出迎えに集まっていた各使用人たちも、ジザリの言葉に勢いよく頷く。
「客人だと?」
シンジュが、露骨に不機嫌な顔をする。
シンジュの仕事終わりに合わせて帰宅したため、時間は夕方から夜に変わろうとする頃合いだ。
こんな時間にアポなし来客など、不作法もいいところである。
逆にいえば、それだけのことが出来る人物が来ている、ということだ。
「どなたが来ているの?」
おっとりと貴族婦人らしく微笑むと、ジザリはまた、淡々と答えた。
「バロックス殿下でございます」
「あら」
ナルは、頬に手を当てて、驚いた素振りをした。
実際のところ予想はついていたので、驚きはあまりない。
深いため息をついたシンジュは、面倒だと呟きながらも、客間へ向かう。ナルもシンジュについていった。
「旦那様、着替えていかなくていいんですか?」
「構わん。……ナルは、着替えてくるか?」
問い返されて、ナルははにかんだ。
ナル、という愛称で呼ばれることが嬉しいのと、気にかけてくださる優しさに、胸がほっこりする。
「いいえ、このまま向かいます。……シンジュ様と」
シンジュは、ふ、と笑って、ナルの腰を引き寄せると、自分の隣へ並ばせて歩き出した。
(なんだろ?)
なぜか、使用人たちがこちらをじぃっと見ていた。
シンジュとともに客間へ行くと、バロックスがソファに座って足を組み、紅茶を嗜んでいた。
麗しい見目でこちらを見ると、ふふ、と微笑む。
背後で、何人かの使用人が「はぁん」と声をあげたのがわかった。……男性も交じっていたような気がする。
(これが、『王子』という地位の力っ! さすがだわー)
見目もかなり麗しいが、残念なことに、ナルは師匠で美形を見慣れてしまっていた。とはいえ、バロックスが纏うカリスマ性は人々を惹きつけるには充分で、自然と、視線が彼に吸い寄せられてしまう。
数秒遅れて、バロックスの周りを固める親衛隊の男たちの姿を認識する。
「やぁ、おかえり。大変だったね」
シンジュが、会釈をした。ナルも続く。
「殿下のお力沿え、感謝しかございません」
「そう、それはよかった」
「それで、突然の来訪の理由はなんでしょうか」
(切り込むの、はやっ)
シンジュは、椅子に座る間もなく、核心をつく。
バロックスは軽く笑って、親衛隊の隊長以外を部屋から下がらせた。シンジュのほうも、使用人をすべて部屋から下がらせる。
ナルも、退出したほうがいいだろう。
そう思ったが、シンジュに腕を掴まれて、ソファへ引っ張って行かれた。
バロックスは、にやりと面白そうに表情を歪める。
「さて、部屋には私と叔父上、奥方だけだ。ジンのことはいないものと思ってくれていい」
ナルは、バロックスの背後に立つ背の高い男を見た。
無表情で大柄な男だが、立ち姿だけでも絵になる美しさがある。彼もまた、生まれながらの貴族なのだろう。
「本題の前に、今回の件が起きて思ったんけどね。奥方は今後も、狙われる可能性があるだろう? 元々貴族は、反感を買いやすいものだけれど、叔父上の奥方は、別格だからね」
バロックスが、シンジュを見て目を細めた。
反対に、シンジュの眉間に皴が寄る。
「でも、自由なところが奥方の魅力でもあると思うわけだ。そこで、少数精鋭という意味で、彼女に騎士をつけてはどうかな」
「……騎士、ですか」
シンジュは、心から嫌そうな声で言った。
(あ……アレク、ごめん。無理っぽい)
「そう、なんなら、私がよい腕をもつ護衛を紹介しよう」
「折角ですが、ご遠慮致します。……そもそも騎士というのは、絶対的忠誠を誓う者。紹介されてしかるべき者ではないでしょう」
「まぁ、確かに。ならば、自主的に『騎士になりたいっす、全力で守るっす』という者が現れれば、いいわけだ」
「……そうなりますね」
バロックスはあえて言葉にして、シンジュが渋っている理由を明確にした。
シンジュから引き出したかったのは、言質といったところか。
バロックスは、上品な所作でカップを置くと、
「さて」
と、微かに声を張り上げた。
「今後、私は外交に力を入れたいと思っている。それに伴い、叔父上、あなたの立場を明確にする必要があるんだ」
「……刑部省をやめよ、と」
「すぐにではないよ。むしろ叔父上には、刑部省を続けてほしいと考えている。明確、という言葉だと語弊があるね。叔父上に、先王の血が流れているということを、皆に公言しようと思うんだ」
「決定事項ですか」
「はは、叔父上の暮らし心地よりも、外交問題のほうが重要だからね」
ちら、と。
バロックスが、ナルをみた。
「今日は、奥方に贈り物を持ってきたんだ。部屋に届けさせているよ」
つと。
細めたバロックスの目を見たナルは、頭をさげた。
「ありがとうございます、早速、拝見してきますわ。旦那様、殿下、失礼致します」
そう言って退室したナルは、軽く息をつく。
ドアの傍には、追い出された親衛隊の面々がドアを守っている。当然ながら、屋敷の警備員もおり、使用人も控えているのだから、なかなかの混雑具合だ。
そんな彼らに笑みを向けると、ナルは自室へ向かった。
もうすぐ部屋につく、というところで。
「奥様!」
と呼ばれて、振り返ると同時に柔らかいモノがぶつかってくる。
咄嗟に抱きとめると、それはカシアだった。
無表情に定評のある彼女が、瞳を潤ませてナルを抱きしめるなど、レアすぎる。嬉しくて、抱きしめ返そうとしたところで、カシアが離れた。
すかっ、と空を切るナルの手が、行き場を失う。
「申し訳ございません。つい……感情が昂りまして」
「いいの、嬉しい。もっと、ぎゅってする?」
「結構です」
「……ダヨネ」
「お疲れでしょう、寝室のほうへお茶をお持ち致します」
そう言って、厨房へ向かうカシアを見送ると、ナルは自室もとい寝室へ入った。
(わぁ、帰ってきた)
心から安心する。
ここで、シンジュとともに過ごす時間こそ、ナルのもっとも大切な時間なのだ。
(いつから、旦那様のことが、こんなに好きになったんだろう)
出会ってから、半年も経っていないのだ。
最初は、冷やかだが出来る上司、といったシンジュをひたすら理想だと思っていたが、少し可愛いところや優しい部分も見て、傍にいると安心することも知って。
(好きになるなってほうが、無理だよね)
カシアが、カラカラと台車を押して入ってきた。
紅茶を淹れて、ナルが好きなサクサククッキーも置いてくれる。
瞳を煌めかせるナルに、そっと、カシアが声をかけた。
「奥様、その、差し出がましいのですが。こちらを、奥様に」
「なに?」
「わ、私から、奥様への贈り物です。いつもよくして頂いているので。少しでも奥様の負担を、軽減出来たらと……優しい物を、選んだつもりです。あの、では、失礼致します。紅茶のお代わりはこちらにございますので」
カシアは、紙袋をナルに押し付けると、頬を赤くして去って行った。
「ありがとう、って……早っ」
やはり、仕事が忙しいのだろうか。
ハウニエル卿の別邸へ身を隠す前から、カシアとはあまり会わなくなっていた。ジザリいわく、メイド長から直接仕事を教えてもらっているらしい。
(頑張ってるんだな、カシア)
貰った袋を、開けようとしたとき。
「いい使用人をお持ちですねぇ」
「ほっ⁉」
「わぁ、リアルな悲鳴どうも」
背後を振り返ると、ジーンがいた。
もはや、一種のホラーだ。
「ちょうど、殿下が長官と内密な話をされていると思うので。今のうちに、こちらも要件を済ませますね」
「なるほど、そういう……だから、寝室に、か」
バロックスの思惑に、ずぶずぶと嵌まっているような気がする。
ナルはクッキーを口に放り込んだあと、開き直ってジーンと向かい合った。
「で、なに?」
「先日の打ち返しが来ましたよ。条件は良ということで、おめでたく、我々はあなたのモノになりました。可愛がってくださいね」
ぱっ、とナルは顔をあげた。
「有難い!」
「珍しいですよねぇ、こんなに必死になって、奥方が旦那を守ろうとするのは。まぁ、旦那が失脚したら家族は道連れですから、わからなくはないですが」
「でしょ? 私だけ失脚するならいいんだけど」
「すみません、会話が微妙に成り立ってないみたいなんで、話を進めますね。基本、重要事項諸々はこうして直接報告に来ますが、遠方にいるときや報告が出来ない状態のときは、鳥を飛ばします」
「伝書鳩みたいな?」
「カラスです」
カラス。
なるほど、カラスならば闇夜のなか紛れれば見つかりにくい。
(ん? でも鳥って、鳥目って言うくらいだし、夜は飛べないよね。昼間に黒いと、目立っちゃうんじゃ)
ジーンは窓辺に移動して、がちゃりと窓をひらいた。
「うちの子を一匹待機させてるんで、確認してください」
言われるまま覗き込めば、窓の外にある小さなベランダの手すりに。
鷲のような、巨大な鳥がいた。
長い嘴と鋭利な爪が、キラリと光る。
「うちの、伝書係をしている括り鷲の、カラスです」
「カラスって名前なの⁉」
「はい? ああ、当たり前じゃないですか。伝書にするなら、括り鷲しかいないでしょ」
(常識なんだ⁉)
「割と目立ちますが、飛行距離は勿論、覚えた匂いを追跡することもできます。夜のほうが目はきくので、基本は夜に使用します。昼でも飛ぶので、急ぎの場合は昼間でも使っていただいて構いません」
ジーンから伝書の使い方を聞いて、世話の方法も学ぶ。
このカラスは、バロックスからの贈り物という体で、ここに置いておくということだ。
「先に、匂いを覚えさせないといけませんね。奥方、腕を出してください。こうです」
カラスが、ばさっと羽を広げてジーンの腕に乗っかった。
(ひっ)
爪が食い込んで、痛そうだ。
「い、痛くないの?」
「はい。では、奥様もどうぞ」
ごくりと生唾を飲み込んで、腕を差し出すと。
カラスが飛び乗ってきた。
爪が刺さる。かなり痛い。というか、血が出てる。と、思った瞬間、嘴で頭をつつかれた。
――トトトトトン
「めっちゃ猛禽類っ、刺さってるからっ」
――トトトトトン
「痛たたたっ‼」
「あはは、面白いですねぇ」
「ジーンさん‼」
怒鳴ると、ジーンがカラスを自分の腕に乗せた。
つつかれた場所は痛いし、カラスが乗ってきた腕は爪が食い込んで血が滴っている。
(これ、結構な惨事じゃない?)
「うんうん、いい感じで匂いを覚えたみたいです」
「……こんな大変なの。匂い覚えさせるのって」
「いえ、面白かったのでやってみただけです。口元に手をやるだけで大丈夫ですよ……そんなに、睨まないで下さい。ちなみに、この子の主食は生肉なので」
「え。さっき私、食べられるところだったんじゃ」
「……はは。そんなわけないじゃないですか」
(なに、その間)
ジーンは、用意しておいたという鳥用のケージにカラスを入れると、ナルに向き直った。
ナルは、寝室に常備してある救急セットを取り出して、自分で怪我の手当てを始める。
「さて、今後はどうしましょう。私は刑部省を辞めるつもりですが、あなたの希望があれば、どこでも潜入致しますよ」
「できればこのまま旦那様を支えて差し上げてほしいかな。調べてほしいことがあるから、それを平行して貰えると有難い。あとは任せる」
「任せる、ですか」
「うん。報告が必要な情報を、ジーンさんなら判断できると思ってるから」
ふむ、とジーンは目を眇めた。
「あなたが言うと、ほかに目論見があるみたいに聞こえますねぇ。私を試してます?」
「まぁ、それなりに? 有能さは買ってるけれど、私では扱いきれないことも承知してる。その辺りの振れ幅も見ておきたいし」
「えー、全部目論見言っちゃってますよ?」
「わざと知らせておくってのも、面白いでしょ?」
ジーンは、顔をしかめた。
「あなた、ちょっとだけバロックス殿下に似てますね」
(えっ、やだ!)
一通り今後の予定について話し合うと、ジーンはまた、窓から姿を消した。
なんでも、貴族の家は正面の門が厳重らしいので、屋根伝いに移動したほうが楽なのだとか。
(……父が、警戒してた義賊、か)
いつか、ジーン以外のメンバーと、直接顔を合わせる機会があれば。
なぜ義賊などしているのか、聞いてみたい。
ふと、そんなことを思った。
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次で、第二章完結となります。
(本編そのものは、第三章にて完結です!)
第二章最終話は、明日の18時前後(同じく)に更新予定です。
どうぞ、宜しくお願い致しますm(__)m




