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2-14、幸せな朝


 ぼんやりと、窓の外が薄墨色に輝きだす頃。


 シンジュは、黒い詰襟服を着こんで、ベッドに腰を下ろした。

 眠りにつく妻の髪を梳き、頭を撫でる。


 頬が緩んでしまうけれど、誰も見ていないのだから、構わない。


 ふと、昨夜、香油の匂いが消えていることを指摘したシンジュに、ナルは我に返ったように「風呂へ行く」と言い出した。

 屋敷へついてから風呂へ入っていないようだ。


 つまり、香油の匂いを落としたのは、昨日の朝方なのだろう。

 フェイロンを思い出して苦しむシンジュを見て、翌日にすぐ、香油の匂いを落としてくれた。その気遣いが、嬉しい。


 可愛くて、愛おしくて、大切な妻。

 昨夜は、時間をかけて緊張をほぐし――という余裕もなかったが、次こそ、大人の余裕をみせよう。


 このまま、ナルが起きるまで傍に居たい。

 おはよう、と真っ先に声をかけたい。


 けれど、不眠だが元気なシンジュと違って、ナルが起きるのは、もっと後になるだろう。


 さらりと頭を撫でる。

 絹のような髪を指にはさんで、感触を遊んだ。


「……行ってくる」


 妻にそっと呟いて、口づけを落とすと。

 シンジュは、部屋を出た。




 執務室に戻ると、そこには誰もいなかった。

 済んだ書類の山が置いてあり、直接指示が必要な案件は、副長官の権限で行われていたようだ。


(ジェンマ殿が、ここまで来てくださったのか)


 シンジュの権限が必要な事案に関して、ロイクが代理に連れてきてくれたのだろう。

 申し訳なさに、そっと目を閉じた。


 そこへ、


「おう、シンジュ」


 と言って部屋に入ってきたのは、ジェンマだった。

 シンジュは、頭を下げた。


「不在の間、代理を務めてくださり、感謝致します」

「いいっていいって、どうせ俺、城に住んでるし」


 違う。そこはあなたの家ではなく、執務室。

 喉まででかかった言葉を飲み込む。


 ジェンマから、書類に起こせない内容に関しての引継ぎを聞いた。それから、ロイクは仮眠に、ジーンはついさっき帰宅したことも、教えて貰う。


「ありがとうございます」

「よく考えなくても、お前、働きすぎだったわ。俺ほどじゃねぇけど。これ、祝儀だ。どっちかわからんかったから、両方用意しといた。遅くなっちまったけど、結婚おめっとさん」


 そう言って、ジェンマは包み紙を投げて寄越すと、執務室を出て行った。

 会釈で見送ってから、執務机について、仕事を始める。


 ふと、ジェンマがくれた包み紙が気になった。

 軽い気持ちで()けると、なぜか、便秘薬と下痢止めが入っていた。


(……どっちがいいかわからない? 結婚おめでとう?)

 まさか、高度なプレイを勧めてきたのか。


 シンジュは、そっと戴き物を机の端へ追いやった。


 この後やってくる、仮眠明けのロイクの差し入れもまた同じ品だということを、このときのシンジュはまだ知らない。





 いつもと違う食堂で、ナルはアレクサンダーと共に、食卓についていた。

 食堂の出入り口に護衛がいるため、部屋には二人だけだ。


 女中に頼んで、今日はアレクサンダーと二人分の朝食を用意してもらった。

 シンジュ以外の誰かと食事をするのは久しぶりで、少しだけ気持ちが浮立っている。


(ふわふわと嬉しいのは、昨夜のこともあるんだけど。……旦那様、お仕事大丈夫かな。眠っておられないはずだし)


「ついさっき、報告があった。僕が知らせることになったから、伝えるよ」


 パンをちぎりながら、アレクサンダーが真剣な表情で話し始める。

 ナルもまた、パンを口に入れながら、「うん」と頷いた。


「つい先ほど、盗難にあった遺体が見つかったらしい。北西部の森の中だ。傍には、若い女の自殺体もあったと」

「……まるで、痴情の(もつ)れみたい」

「そうなるだろうな。若い女が暮らしていた家からは、貯蓄がごっそりなくなっていたらしい。これだけだと物取りにも見えるけど、加害者が殺された件や安置されていた遺体の盗難など、一連の騒動をどこかの組織に依頼した、とも考えられる」

「……なるほどねぇ、そういうシナリオになってるのか」


 刑部省を中心に、モーレスロウ王国の重鎮らに【ユーリシアの御使い】の存在を仄めかそうとしたのはいいが、ナルへ送った刺客が全滅したことによって、予定を変更したと考えられる。

 不自然さをなくすため、若い女の自殺体とともに盗んだ遺体を破棄した、といったところだろう。


 卑劣な行為だ。

(父も……よく、そんな画策をしてたっけ)


 どの世界にも裏社会がある。

 そこで暮らす人々は、決して真っ当な手段では生きていけない。


 シルヴェナド伯爵は、こちらの世界に身を置いていたがゆえに、モーレスロウ王国の法律で裁けた。あえて、裏社会に身を置いていたのだから、裁かれるべき男だったのだ。


 だが、なかには、()()()()()()()()()()()()()()()()もいる。


 ナルは、深いため息をついた。


(考えるの、やめよ。私ひとり、どうのこうの考えたところで、何か変わるわけでもないし。……むしろ、ストレスで禿げる)


「昨夜、シンジュがきたみたいだけど」


 アレクサンダーが、ちら、とナルを伺った。

 頷くと、少しだけ言いにくそうに口ごもってから、話し出す。


「シンジュは、ルルフェウスの戦いについて調べているのかも」

「……私、歴史書に載ってることくらいしか知らないんだけど。その戦いで、何かあったの?」


「ベティエール様が近衛騎士団団長として参戦されていることは、知ってるか」

「うん。そのときに、大怪我を負ったって。……判断ミスで、近衛騎士を辞めざるを得なくなったことも、聞いてる」


「そうだ。じゃあ、その近衛騎士団のなかに、フェイロン様がおられたことも知っているな」

(え?)


 それは、初めて聞いた。

 以前、シンジュから、フェイロンが近衛騎士にいたということは聞いていたけれど。


「あいにく、僕は屋敷に居残りだった。シンジュは王城で内政に携わっていたし……当時はまだ刑部省勤務でもなかったから、それほど重役じゃなかったけど」


(ルルフェウスの戦いでは、第三者の組織が戦いを拡大させたせいで、甚大な被害がでたって……それを、ベティエールや師匠は、目の当たりにしてるんだ)


 ナルは、眉をひそめた。

 あの師匠が、かの戦いに参戦していたということにも驚きだが、時期的に、ルルフェウスの戦いののち、師匠は近衛騎士団を辞めたことになる。


「どうして旦那様が、ルルフェウスの戦いについて調べてると思うの?」

「気にならない? 親友だと思っていたフェイロン様が、突然、近衛騎士を辞めて屋敷を譲り、失踪したんだ。ルルフェウスの戦いから戻ってきて暫くした頃だった。何かあった、と思うだろ?」

「まぁ、うん。……アレクも気になるの?」

「まぁね。でも、もういいや」


 そう言って、アレクサンダーは肩をすくめた。

 デザートのフルーツを食べながら、ナルは首を傾げる。


「なんで? 師匠のことがわかるかもしれないのに」

「きみが言ったんだろ。……僕に、居場所をくれるって」


 フルーツを食べ終えたナルは、フォークを置いて、ナプキンで手を拭いた。

 口の周りも簡単に拭いておく。


「昨日はうやむやになっちゃったけど、話はできた?」

「うん。思ってたこと、ぶつけたよ。置いて行かれて寂しかったこととか、腹が立ったこととか」

「そう」

「フェイロン様、なんて言ったと思う?」

「師匠の考えは読めないからねぇ。うーん」

「『それはすまなかったね』だってさ」

「わぁ、簡潔」

「だろ? しかもそのあと、『きみが私の薔薇を育ててくれてると聞いてる、あの薔薇を分けてくれないか。実はあれ、珍しい品種だったんだ。薬の実験に使いたいんだよ』って言ってきたから、断った」


 きょとん、とナルは目を瞬いた。


「断ったの⁉」

「当たり前だろ。捨てられた薔薇を見たときの僕の気持ちがわかるか? これはフェイロン様に捨てられた僕自身だって思ったんだ。それから、せっせと世話をして、やっと十年かけて育てたのに、なんであの屋敷から出て行ったフェイロン様にやらないとならないんだよ」

「……今って、草木に自他を投影するの、流行ってるの?」

「え? ……とにかく、そういうわけだから。責任は、取ってよ」


「責任? あ、居場所の件ね! これからも――」

「不満だ」

「まだ全部言ってないんだけど」

「警備長だと、不満だって言ったんだよ。もっと、明確な責任の取り方をしてもらわないと困るんだよね」

「め、明確な、責任の取り方?」


 アレクサンダーは、フォークを置いて背筋を伸ばした。

 自然と、ナルも姿勢を整える。


「貴族は、騎士を持つことができる」


 貴族、なかでも女性は、傍に騎士を置くことができる。

 専用のボディガードといったところだろうか。

 騎士は、公式の場にも出席を許される、由緒ある身分だ。


「騎士の身分が欲しいってことか。確かに、出世だわ」

「……違う。僕は身分とか地位に興味はないからね。きみを傍で守ることができるから、望むんだ」

「物凄く有難いし嬉しいけど、年齢的に婚活とかしたほうがいいんじゃない?」

「余計なお世話だよ! とにかく、シンジュの許可が下りたら、僕がきみの騎士になってもいいよね?」

「ええ、それは勿論」


 頷いてから、果実水を飲んだ。


 ナルは、アレクサンダーがフェイロンの頼みを断ったというくだりに、驚いた。

 アレクサンダーが薔薇の世話をしていたのは、どうやら、自分自身のためだったようだ。


 アレクサンダーと初めて会話をした日、彼が言った言葉のすべてが嘘ではないだろうから、フェイロンを大切に想っている気持ちに、変わりはないだろう。

 けれど。


 アレクサンダーが、心から尊敬して仕えてきた(あるじ)と離れて、十年。


 止まっていたはずの時間は、実は、ゆっくりと確実に、動いていた。








閲覧、ブクマ、評価、感想、その他諸々ありがとうございます!


前回あとがきで嘘つきました。2-16が、二章完結です。

すみません、入りきらなかったっ。


次も、明日の18時前後更新予定です。

あと少し、宜しくお願い致しますm(__)m

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― 新着の感想 ―
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