2-12、交渉
ハウニエル公爵の別邸で、ナルは広い一室へ案内された。
ベッドがあるので、自室代わりになる場所だろう。
一対のソファに、机、飾り棚、クローゼット、生活に必要な家具は一式揃っている。クローゼットのなかには、ドレスや下着類が並んでいた。
ひとり、部屋のなかに放り込まれたナルは、ふと、シンジュの屋敷で、まだ慣れない日々を過ごしていた頃を思い出した。
あのときもこんなふうに、心細かった。
けれど今、決定的に違う部分がある。
アレクサンダーも、この屋敷に来てそのまま、ナルを警護してくれているし。大丈夫だから心配しないで、という手紙も、屋敷へ送った。
今は、心細いなかに、目的がある。
何気ない日常に戻るために、やれることをやるだけだ。
ドアを、叩く音がした。
突然のことに驚いて、振り返る。
ノックに応えると、シンジュが入ってきた。
「旦那様⁉」
帰宅にはまだ早いはずだ。
思わず、偽物じゃないかと疑ってしまうが、どう見ても、シンジュだった。
あまりにも警戒していたためか、シンジュは眉をひそめて、入り口の傍で立ち止まってしまった。
「……なんだ、その顔は」
「いえ、その、お早いお帰りだと」
シンジュは、軽いため息を落とした。
「のちほど、王城へ戻る。ここはハウニエル公爵所有の屋敷でな、王城から近い場所にある。行き来もしやすい」
「えっ、そうなんですか」
馬車で連れてこられてそのまま屋敷へ押し込まれたため、具体的な場所まで把握していなかった。てっきり、貴族街だとばかり思っていたけれど、違ったらしい。
(さすが公爵家……王城の近くに別邸、って)
「……怖いか」
「はい?」
「このままで話したほうがいいのなら、ここにいよう」
シンジュの気遣いに満ちた言葉に、ナルは、瞳を煌めかせる。
今日、暗殺されそうになったことを、気にかけてくださっているのだ。
(優しい旦那様だ)
「顔がにやけているぞ」
「えへへ、旦那様がお優しくて、幸せ者だなぁと思ったんです。あの、大丈夫です。どうぞ、近くへ……あ、私が近くにいきましょうか」
旦那様に歩かせるのも、とナルのほうから近づくと、シンジュに軽く頬を掴まれた。
むに、と頬をつぶされて、アヒル口になる。
「お前がこっちへきたら、ふたりで立ち話になるだろうが」
ふ、と笑ったシンジュが、ナルを抱き上げた。
「ふぁい⁉」
「……お前はたまに、変な声をあげるな」
「お、お、おお姫様だっこですよこれ!」
憧れに憧れた、あのお姫様抱っこで、ベッドに下ろされる。
てっきりソファへ連れていかれると思っていたナルは、驚いた。
話をするのでは、なかったのか。
シンジュを見ると、苦笑が帰ってくる。
「今さっき、着いたばかりだろう。少し休め。お前は頑張りすぎるところがある」
「私だけ横になるわけにはいきません。旦那様だって、お疲れなんですから」
(なんだか、今日の旦那様、いつにも増して優しい!)
ナルは微笑みながら、ベッドに正座する。
シンジュは軽く笑って、向かい側に胡坐で座った。
もはや、話をする際の姿勢は、これに定着しつつある。
「現在、お前に護衛をつけている。その理由の説明にきた」
シンジュは、ユーリシアの御使いや昨夜の事件の顛末、その他、昨夜ナルが事件に巻き込まれたのは、偶然ではなかったことなどを、説明した。
(……どうしよう、よくわからない)
「納得できていないようだな」
「えっ、あ……いえ、その。ユーリシアの御使いっていうのを、初めて聞いたので。ユーリシアって、前に旦那様が持っていたあの本に出てきた、伝承に等しい大陸の名前、ですよね」
「ああ」
シンジュが頷く。
「確実に存在するが確認できていない、という意味を含めて、ある組織を【ユーリシアの御使い】と我々が名をつけた」
ナルは、首をかしげだ。
(……遺体が逃げるとか、そういう『ありえないこと』を行う組織? うーん)
そこにヒントがあるような気がするが、腑に落ちない。
父親を追い落とす下準備の際、ナルは、取引相手は勿論、父が警戒していた権力を握る人物や組織をくまなく覚えた。
刑部省がそこまで警戒する【ユーリシアの御使い(仮)】なる犯罪組織を、父が認識していなかったはずがない。
(ユーリシアの御使いっていうのが、刑部省がつけたコードネーム的なものだとしたら、名前が違う? ……ありえないことをやってのける犯罪集団なんて、いたっけ)
頭のなかで、いくつか暗殺を請け負う組織の名前があがるけれど。
どれも、浮かんですぐに消えていく。
というか、なぜそんな奇術めいた犯罪を犯す必要があるのだろう、自己主張の強い集団なのだろうか。
まるで、あちらの世界にあった怪盗小説のようだ。
(……待って。もしも、犯罪集団じゃなかったとしたら……?)
「ナル? どうした」
「……いえ。……え?」
「なんだ?」
「あ、いえ。……物凄く出過ぎた口を聞いてもよろしいですか?」
シンジュは微かに瞠目したあと、頷いた。
「私、どうもその【ユーリシアの御使い】って呼ばれる組織について、納得できないものがあるんです。どんな組織なんですか?」
シンジュが、眉間にしわを寄せて腕を組んだ。
「ルルフェウスの戦いは、知っているか」
「噂には。柳花国との国境で起きた紛争で、暴動が組織化して巨大となったため、鎮圧に王国軍が出向いたと……ですが、指揮官の判断ミスで、軍に甚大な被害が出たとか」
「そうだ。あの紛争にはモーレスロウ王国の民と柳花国の民、そしてそれぞれの国の軍がいた。だが、それらの暴動を煽る第三の組織の存在が、確認されている」
「その第三の組織が、【ユーリシアの御使い】ですか?」
「そうだ」
ナルは、人目を憚らずに腕を組んだ。
(刑部省内で断言してるってことは、根拠があるはず。でも、なんだろう、このモヤモヤ感)
まだナルは、納得できない。
むしろ、違和感は増すばかりだ。
「ルルフェウスの戦いに第三者がいたのは、わかりました。でも、それと今回の犯人を結びつけるのは、かなり強引すぎません? そもそも、遺体を盗み出すとか、生き返るとか、それをする意味がわからないんですが」
つと、シンジュの目が細くなる。
「お前に話していないこともある。刑部省で判断したことだ」
「旦那様」
「ナル。お前は、私の決定に間違いがあるというのか」
ひと際、厳しい声音で告げたシンジュに。
ナルは、真剣な表情で伝えた。
「旦那様。私は、刑部省――そして、旦那様の判断に疑問を抱きます」
しん、と静寂が降りた。
「さっき、ふと思い出したんですが。父が、心底嫌っていた『義賊集団』がいるんです。あくまで噂ですが、空を歩いたり、何もない所で火をおこしたり、と、有り得ないことをして見せるとか。さらには女から老人、果ては死体にまで変装できる者もいるらしいですよ」
「……それが、どうした」
「第三者がルルフェウスの戦いに介入した。戦いが終わり、その第三者は、その義賊に罪をかぶせようとした……とは、考えられませんか」
その義賊集団は、『ありえない』ことをするという特徴がある。
ルルフェウスの戦いに介入した第三者が、義賊集団だと擬態するためにわざと『ありえない』出来事を引き起こしている、という理由ならば、納得できなくはない。
ナルは静かに息を吐きだした。
そして、真っ直ぐにシンジュを睨みつけて、両手でベッドを叩いた。
もふ、と柔らかすぎるベッドが、奇妙な音をたてる。
「それで、バロックス殿下は、何をお望みなんですか」
「どういう意味だ」
「いい加減に、旦那様に変装するのをやめてください。あなた、バロックス殿下の遣いの方でしょう」
ぎり、とナルは歯を食いしばる。
本当はもっと怒りたい。
まさか。
まさか、ここへ来たシンジュが、偽物だったなんて。
どうしてもっと、早くに気づかなかったのか。
バロックスが別邸を貸した時点で、目論見があることはわかっていたのだ。
どこかのタイミングで、交渉を持ちかけてくるだろうことも、予想できていたのに。
目の前のシンジュが偽物ならば、誰かが擬態しているのだ。
悔しい。
悔しすぎる。
(旦那様の、お姫様だっこ。むちゃくちゃ嬉しかったのにいいいっ)
殺気さえ放ちながら睨みつけるナルに、シンジュは軽く眉をひそめた。
「何を言っている?」
「言葉のまま。これ以上、怒らせないで。よりによって、旦那様を騙るなんて」
「落ち着け、ナル。私は――」
「それ!!」
びしっ、とナルはシンジュ(偽)を指さした。
「旦那様は、私を愛称では呼ばないのっ。名前でだって、滅多に呼んでくださらないんだからっ!」
「え……」
「さすがにそこまでは、分からなかったみたいね。旦那様は、未だ一度だって、ナル、って呼んでくださったことはないの!!」
「……え、ええー。嘘でしょ。そんなことでバレます? っていうか、どこまで奥手なんですかあの人は」
シンジュに変装した人物が、額を押さえた。
深いため息をつきながら、天井を仰ぎ見る。
「いやもう結婚して両想いになったんですから、愛称で呼ぶでしょ。あなた、本名わりと長いですよ……でもまぁ、理由はどうあれ、変装を見破られたのは久しぶりです。バロックス殿下が褒める貴女がどれほどの者か、この目で見たかったんですよ」
相手はそう言って、軽く俯いた。
右手で前髪を掻き上げて、左手で顔を覆う。
次に顔を上げたとき、そこにいたのはシンジュではなかった。
ナルは、瞳が落ちてしまうほどに、目を見張った。
「バロックス殿下は、刑部省内に犬を飼っているとおっしゃっていました。……ジーンさん、あなたが、殿下の飼い犬ですか」
刑部省長官補佐ジーンは、目をこれ以上ないほどに細めて、にんまりと微笑んだ。
「ええ。何も変装はロイクの専売じゃないんです。私は既存の人間になり変わることができますから、技術だってやつより上だと言い切れますよ」
「……ろいく? 誰?」
「っと、先に用件を済ませますね。正体を明かしたのは、私の今後に関係があるからでして。こちらが、殿下より預かってきた書類です。あ、開封はこちらのペーパーナイフでどうぞ。返事に必要な紙とペンも持参しております」
てきぱきと準備をするジーンを傍目に、ナルはバロックスからという封書に視線を落とした。
(げ!)
読む前に目に飛び込んできた、正式な代理御璽の印とバロックスのサインに、ナルは胸中で悲鳴をあげる。
代理御璽とは、次期国王であるバロックスのみが使用することを許可された印で、これを使用するということは、公式文書として管理される書類ということだ。
(ぐ、ぐぐ……これ、受け取った時点で、もう逃れられないやつっ)
王子から直接送られてきた、公的書類。
その内容に目を通したナルは、落胆と驚愕を同時に覚えた。
(これを、公的なものとして管理するの⁉ ……何を企んでるの、あの王子は)
「ジーンさん。中身はご存じですか?」
「殿下から伺っていますよ。わからないところがあれば、聞いてください」
「……ここに、ある条件を飲めば、【月光花師団】をまるっと私に下賜するって書いてあるんですけど。この【月光花師団】っていうのは、もしかして」
「あ、我々のことです。あなたがさっき、義賊とおっしゃった」
「ジーンさんが⁉ 褒美でかっ‼」
思わず叫んでしまい、慌てて口を押さえた。
ジーンも、しーっと唇に指をあてる。
「殿下いわく、あなたを埋もれさせるのは勿体ないと。そしてあなたに足りないものは、情報源だともおっしゃっていました」
「……ごもっともです」
さすが、秀才と噂に名高いバロックス。
ナルの目論見など、見抜かれていたらしい。
ナル自身が、とても「できる人間」だとアピールすることで。
ナルの才能を見出し、妻にしたシンジュの株をあげることが第一の目的だった。
シンジュの評判が下落している現在、数少ない味方にバロックスがいれば、ひとまずは安泰といえるからだ。
加えて、バロックスがもし、ナル自身に駒としての利用価値を見出せば、何かの折に、この身と引き換えに交渉をすることも可能かもしれない……という、狙いもあった。
(そう、私を使える駒に見せることが、作戦だった……けど)
「……あなた方を丸々下賜するって、これ、本気?」
「そのようですね」
「つまり……旦那様のことは守り切れないから、自分で頑張ってね。代わりに情報源をあげよう!! ってこと……か」
確認するまでもなく、そういうことだ。
言外に、守ってほしいと望んだナルに対して、それは出来ないという、明確な返事だと受け取っていい。
そうでなければ、褒美としてこれだけの対価は与えない。
あの父が、目の敵にしていた【義賊】だ。
優秀なんてものではないだろう。
その義賊を配下につけていたバロックスにも舌を巻くが、それをあっさり下賜するなんて。
「あはは、言い様ですよ。バロックス殿下は、あなたならばシンジュ殿を守り切れると確信したんです。もっとも、我々もただじゃないですよ? 殿下が指定したこの条件、あなたに飲めるんですか?」
「勿論」
ナルは、ジーンが差し出した紙とペンを持つ。
「条件は、ルルフェウスの戦いの際、第三の組織として現場をかく乱した主犯を、候補三つまで絞ること。これ、刑部省が今までずっと追っている案件です。バロックス殿下も、数年に渡って調べてこられたのに、いまだに尻尾さえ掴ませない――」
「私を、誰だと思ってるの」
ナルは、候補者三名の名前を、紙に記した。
その三人は、父であるシルヴェナド伯爵と密に繋がっており、一度の取引で億単位のカネが動くほどの商談相手だった。
どの者も、ナルが知る限りでは未だに、暗い噂の一つもない、潔癖と言われる人物たちだ。
紙を渡すと、ジーンが息をのむ。
「ちょ、これ。柳花国の重鎮に、モーレスロウ王国公爵家の……」
「その三人は、武器の製造と輸出をしているの。当時、父と取引があったことは間違いない」
「……武器の製造は違法ですよ。そんなことをすれば、バレない筈がない」
「調べて確かめればいい。私は、取引の報酬のために、今ある引き出しから情報を売るだけだから」
ジーンは、信じられないというように、首を横にふる。
「例の戦いが起きたのは、十年以上前ですよ。あなた、当時いくつです?」
「五、六歳?」
「そんな昔のこと、覚えてるんですか⁉」
「その頃には字が読めたし、会話も聞き取れたから。……ちゃんと、覚えてる」
ふ、とジーンが笑う。
ナルに、化け物でも見るかのような視線を向けて。
「今ある引き出しって、どんだけあるんですか。でも、なるほど。それだけ記憶力がよかったら、狙われるのもわかりますよ」
「……私、旦那様と結婚するまで、お淑やかな令嬢の仮面かぶってたからね?」
「でも今日、実際に狙われたじゃないですか」
ぐ、と言葉につまるナルの前で。
ジーンは、ベッドから降りた。
「書類のほうも、よろしいですか」
「あ、どうぞ。サインしたから。控えは貰っとく」
「では、確かにお預かりしました。間違いなく、バロックス殿下にお届けします」
ふいに。
廊下のほうで、ざわめきがおきた。
「あ。本人来ちゃいましたねぇ。私は窓から失礼します」
「えっ、ちょっ、ここ二階だけど⁉」
「あはははっ、平気ですよ~」
言うなり、軽やかすぎる動きで、ジーンは窓から出て行った。
ぽかん、とナルは窓をみる。
(……なんか色々起きたけど…………変装って、すごいなぁ)
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あと、2、3話で二章完結です。
もう暫くお付き合い頂けると、幸いです。