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2、奥様生活のはじまり


 翌朝、ナルが目覚めたとき、すでに日は高く昇っていた。


(寝過ごした!)


 飛び起きたナルは、咄嗟に自分の身体とベッドを確認する。

 衣類は夜着に代わっており、ちゃっかりと布団に潜り込んでいた。


(誰かが、着替えさせてくれたんだ)


 本来、使用人とはこういうものなのか、とナルは唸った。

 ナルを着替えさせる人物など、使用人以外にはない。けれど、ナルが育ったあの屋敷で、ナルの許可を得ずにナルを着替えさせようなどという勇気のある使用人はいなかった。


 それは駄目だと、いけないことだと、進言する者もなく。

 絶対王政にひれ伏す民がごとく従順な使用人と、傲慢な父と母が住む屋敷での生活は、ただただ息苦しかった。


(ああ、そうだ。家主の、長官……たぶん、刑部省の……に、直訴しないと)


 いくら刑部省とはいえ、突然、罪人を無罪放免には出来ない。(おこな)ったとしたら、それは職権乱用だ。

 長官の立場が悪くなる、だけでは済まない。


(ん、待って)


 ふと、馬車のなかで、ジーンと名乗った青年が言ったことを思い出した。

 彼は、ナルを処刑させないためには、長官と結婚するしかない、と言っていた(実際はもっと軽い口調だったけれど)。

 つまり、長官と結婚すると無罪になる公的な制度があるのだろうか。


(小さいころから、この世界の制度諸々は勉強してきたはずなんだけど。そんなのあったっけ)


 ナルは生まれたときから、中身は二十八歳だ。

 他者より長く生きてきた分、同年代の子たちより頭がよい。その頭のよさを隠して生活しなければ、周囲に不審がられることまで読んで行動できるくらいに、頭は悪くないつもりだ。


 そんなナルは、暇があれば読書に勤しみ、この世界の知識を頭に詰め込んだ。

 読書はもともと好きだったし、字さえ覚えてしまえば、読むことに対してストレスはなかった。


 自分が、転生したというのは、生まれたときに悟った。

 ただ、ナルが理解したのはそれだけで。

 自分が生まれた場所が、外国ではなく異世界であること、極悪人の家系に生まれたことなどは、あとあと知ることになる。


 ナルには、あくまで前世の記憶があるだけ。


 別の世界で、二十八年生きてきた経験があるといえば聞こえはいいけれど、いらないことまで覚えているのだから、記憶など失って生まれ変わりたかったとも思う。


 そもそも、幼子の知識吸収力がよいのは、真っ白な存在だからだ。

 生まれたときから二十八歳のナルにとって、異世界の言葉や字を覚えることがどれだけ大変だったか。

 コツを覚えるまで、自動翻訳機能が欲しい、などと絵空事を考えたりもした。


 だが、字の読み書きができるようになってからは、貪るように読書に勤しみ、この世界の制度も把握したはず。


 首を傾げたとき、ドアをノックする音がした。

 返事を返すと、「失礼致します」と断りをいれてから、メイド姿の少女が現れた。

 無表情で、笑みひとつないメイドは、ナルとは目を合わさずに視線を下げたまま、身をかがめた。


「奥様のお世話をさせていただく、カシアと申します」

「カシア、ね。あなたが服を着替えさせてくれたの?」

「はい」

「そう、ありがとう」


 してやったという恩着せがましさも。

 してよかったのかという不安さも。

 カシアは何一つ見せずに、無表情のままだ。


 昨日、出迎えのために門前に並んだ使用人たちは、軒並み無表情だったが、もしかして、ほかの使用人もカシアのように、笑みひとつ浮かべないのだろうか。


「お着替えのお手伝いを致します。食事は食堂のほうへ準備しております。お部屋での食事をご希望でしたら、運びますのでおっしゃってください」

「う、うん。ねぇ、カシア。聞きたいことがあるんだけど」


 ベッドから降りて、促されるままに着替えを始める。

 すでにドレスの候補はいくつか用意されており、ナルは好きなドレスを選べばいいだけだった。


「長官……えっと、つまり、旦那様はおられる?」

「いいえ」

「いつお戻りになるの?」

「おそらく、休日にお戻りになられるかと。ですが、毎週というわけではありませんので、断言はできかねます」


 仕事が忙しいのだろうか。

 それとも、休日は愛しい女の元へ通い、男としての人生を謳歌しているのか。


 なんにせよ、すぐに会うことは無理そうだ。

 カシアに案内されて食堂へ向かうと、一人前とは思えない料理が並んでいた。椅子は一脚しかないし、明らかに一人用なのに、この品数の多さは暗黙の了解というものだろうか。


 ナルが育ったシルヴェナド家もまた、食事の際は、多品目だった。

 ほとんどを残すくせに、多く準備させるのだ。


「奥様、こちらへどうぞ」


 カシアが椅子をひいて、ナルに座るよう促す。

 言われるままに座って、ずらりと並ぶ料理をみた。


「朝食だよね?」

「はい。……もし、お気に召されないのでしたら、新しく作らせますが」

「いいって。これ、食べきれないから、昼に続きを食べる。残しておいてね」

「昼食は新しく作らせますので、ご心配はいりません」

「心配っていうか、私が嫌なの。明日からは、品目を少なくして貰えると有難いんだけど」

「はい。では、十品目(ひんもく)にしぼって用意させましょう」

「多いよね⁉ 二品くらいでいいから。……わ、これ美味しい」


 スープをひと口飲んだナルは、のど越しのよさに驚いた。ほんのりと甘みのあるじゃがいものポタージュスープだ。

 焼きたてのパンと卵、ベーコンをチョイスして取り皿に入れたとき。


 ノックがして、見覚えのある青年が入ってきた。

 昨日、出迎えの先頭にいた、髪を頭に撫でつけた青年だ。


「おはようございます、奥様。執事の、ジザリと申します」

「おはようございます」


 返事を返すと、ジザリはやはりというか無表情のまま、話を続けた。


(それにしても、若いなぁ。三十は過ぎてないよね)


 執事とは、使用人すべてのまとめ役というだけではない。

 屋敷の管理は勿論、冠婚葬祭があった場合の取り仕切りや、(あるじ)の補佐として仕事をすることもある、重要な役割だ。

 余程、(あるじ)の信頼がなければ、執事にはなれないことを考えると、この若さで刑部省長官の信頼を得ているジザリは、かなりのやり手なのだろう。


「……朝食は、お口に合いませんか」


 つらつらと挨拶を述べたあと、ジザリは、ナルの手元を見て言った。


「とても美味しい。でも量が多いから、今、明日から品目を減らして貰うようにカシアに頼んだところなの」

「かしこまりました、明日からは十品目に致しましょう」

「なんで十品目? 多くない?」

「……ご希望は、おいくつで?」

「二品目。あ、まって。パンは別。パンと、卵と……あ、ちょうどこれくらいだと、有難いかな」


 手元を見せる。

 卵、ベーコン、パン。そして、スープ。


「奥様が望まれるのでしたら、そのように致します」

「ありがとう。あと、この朝食もお昼に食べるから残しておいてね。これもさっき、カシアに言ったんだけど」

「昼には改めて、昼食を作らせますが」

「この朝食の残りは、誰か食べる予定になってるの?」

「廃材として処理致します」

「うん、これ食べるから残しておいて」


 ここでやっと、執事の無表情が動いた。

 といっても、少し眉を顰めただけだが。


「旦那様のお戻りになる日がわかったら、教えてほしいんだけど」

「畏まりました」

「私は普段、何をすればいいの?」

「これまでと同じように過ごして頂いて構わない、と旦那様より承っております。必要なものがございましたら、なんなりとお申し付けください」

「そう。では、もし可能なら、旦那様に、早くお会いしたいと伝えて貰える?」

「畏まりました」


 執事が出ていくと、ナルは胸中でため息をついた。

 ここの使用人が無表情なのではなく、もしかしたら、ナルが無表情にさせているのではないかと思い至ったのだ。


 ナルは、大罪人だ。

 死刑囚で、断頭台の露に消えるはずだった娘。

 そんな娘が、いきなり(あるじ)の妻となり、屋敷に滞在するようになったのだから、使用人たちは不満に思うだろう。


(どうせ、旦那様に会わないと話は進まないし。それまでだけでも、好きなことさせてもらおっかな)


 朝食をすませたあと、カシアに屋敷のなかを案内してもらった。

 実家には無かった図書室なる場所があり、そこにナルが見たことのない本が所狭しと並んでいるのを見たナルは、狂喜乱舞した。


 案内を終えるとすぐに、ナルは図書室にこもった。

 昼食のころには食堂へ行き、終わればまた図書室にこもる。夜には読みかけの本を一冊借りていき、朝になったら返してほかのを読む。


 そういった日々を三日ほど繰り返したころ。


 その日もナルは、図書室に閉じこもって本を読んでいた。

 だがさすがにこうも活字を追っていると、目がおかしくなりそうだ。同じ姿勢でいるため、身体のあちこちも痛い。


 大きく伸びをして、軽い運動と称して図書室内を歩き回った。

 いつの間にか、眠るとき以外はずっと傍を離れなかったカシアの姿がなくなっている。


(あれ? てっきり、私の見張りだと思ってたんだけど)


 どこかに隠れてるのかな、と書架の間を覗き込んだとき。

 突き当りの壁に、カーテンで閉め切られた窓を見つけた。なんとなく、カーテンを手で押しやって外を見る。

 広い庭に、色とりどりの花が咲いているのが見えて、ナルはこぼれんばかりに目を見張った。


***


 シンジュ・レイヴェンナーは、馬車のなかで報告書を読んでいた。

 先の、シルヴェナド伯爵の逮捕以降、多忙な日々が続いており、屋敷へ帰る時間さえ惜しんで執務室で寝泊まりしていた。

 だが、今週はそうも言っていられない。


 面倒ではあるが、ほどよく使えそうな娘を預かっているのだ。

 使用人に見張らせているが、いつ面倒を起こすかわからない。休日には、シンジュ自ら確認に行くと決めていた。

 が。

 シンジュは、執事から届いた報告書を読んで、目元を押さえた。


 シンジュの妻として屋敷で暮らすナルファレアは、初日の朝食に対して文句があったという。

 さらに、昼食にも無茶な注文をつけてきた。

 そのあとは、ひたすら図書室にこもって過ごすこと三日。

 ナルファレアつきの使用人が気を抜いた隙に、屋敷内を抜け出して、庭園に咲く花の花びらをむしって遊んでいた、という。


(どこの変人だ)


 報告書を見た最初の感想が、それだった。

 これから、屋敷へ帰ることを思うと憂鬱になる。


「眉間の皴が、深くなっていますよ」


 シンジュにそう言ったのは、秘書のブッシュだ。

 五十歳には見えない若々しいブッシュは、平民でありながら、実力で今の生活を手に入れた秀才だ。酒や女に溺れず、いつでも仕事に対して誠実に向かう姿勢が、シンジュは気に入っている。

 とはいえ、仕事を優先するあまり、今現在も独身なのは本人も気にしているところだ。


 向かい側に座るブッシュには、屋敷の管理を任せている。

 本来ならば執事ジザリが行うところだが、ジザリはまだ若い。何より、真面目すぎるがゆえに、見落とす事柄も多分にある。


「ジザリからの報告だ。……これを、どう思う」


 報告書を渡すと、ブッシュは一読して、口の端をぷるぷると痙攣させた。


「面白い……奥方、ですね」

「そこはいい。私がこの目で確かめる」

「ああ。ジザリですか? 報告するべき要点がまとまっていませんね。事実を淡々と連ねるには、情報が少なすぎます。やはり、彼にはまだ、執事の座は早かったのでは?」

「使えなければ、解雇するだけだ」

「あはは、酷い(あるじ)ですね」

「使えんものを雇う必要性が感じられん」

「なるほど。では、使えると判断したから、奥方を娶ったのですね」


 ブッシュは、さらっと挨拶をするように核心をつく。

 シンジュは、ただ軽く口の端をつりあげただけに留めた。


「それにしても、花びらをむしって遊ぶなんて、なかなかの変わり者ですね」

「そうだな」

「どんな遊びなんでしょう。聞いておいてくださいよ」

「自分でやれ」

「おや、私が奥方とお話していいんですか? 奥方が私に惚れたらどうします」

「知ったことか」


 馬車が停まり、屋敷の門がひらく。

 玄関に横づけされた馬車から降りると、ドレスを纏った女が出迎えに待っているのが見えた。

 ナルファレアだ。


 さぞ、聞きたいことが多かろう。


 潜入させた捜査官が言うには、ナルファレアは稀にみる才能の持ち主だという。そして、実の父親の検挙に手を貸したのも、この娘とのこと。

 手を貸せば、自分だけは減刑されると思ったのだろうか。


(甘いな)


 シンジュは、くっと笑う。

 さぞ現状にほっとしているだろうが、これからシンジュは、ナルファレアを絶望のどん底へ突き落す。そのときどんな反応をするかで、潜入捜査官の言葉が正しいかどうか、判断できるだろう。








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