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2-10、淡い初恋


 昼を過ぎて、書類を片した頃。

 シンジュはジーンの淹れた紅茶で、物足りなさを感じながらも休息をとっていた。


「……ふっ」

「うわっ」


 露骨にドン引きする補佐の反応に、シンジュは相手を睨みつけた。


「なんだ」

「今日はいつにも増して、気持ち悪いですよ? 笑いすぎですから。……そんな昨夜はお楽しみだったんですか」

「何をだ」

「何って……そんな、男同士の猥談なんて、話し始めたらきりがないですよ? 具体的に言ったり想像してもいいのなら。ナルファレア嬢との閨は――」

「言わんでいい!」

「あなたが聞いたんじゃないですか」


 むす、と不貞腐れるジーンは、随分と女慣れしているという。大体、こういった者は女がらみでトラブルをおこすのに、ジーンに至っては、綺麗さっぱり、相手にも割り切らせているらしい。


(相当な手練れなのだろうな)


「……なんですか、見つめられても嬉しくないですよ。私が美しいのは知ってますので」

「お前は、妻を娶らないのか」

「でましたこれ! 幸せの押し売り!」

「……違う。ただ、お前なら、初めての閨事は、どのように持ち込むのだろうと思ってな」

「そんなもの、初夜にそのままに決まってるじゃないですか。あ、長官の場合は、特殊なんでしたっけ。夫婦になってからのちのち好意を寄せるっていう……。…………え」


 ジーンが、こぼれんばかりに目を見張った。


「もしかして。……まだ、なんですか」

「何が」

「初夜ですよ!」

「初夜ならば終えた。閨事がまだなだけだ」

「嘘でしょ? ……え、嘘ですよね? やっぱりあの奥方では、そんな気になれませんか⁉」

「どういう意味だ!」


――コンコン


 ノックの音に返事をすると、ロイクが入ってきた。

 ロイクは、神妙な表情で、シンジュの前まで歩み寄る。


「長官、お嬢様との閨事は、今夜にでも済ませてください」

「……何があった」


 ロイクの表情は、珍しいほどに強張っていた。

 ジーンが、そっと身を引くのが見える。重大な話を始める空気を読んだのだろうが、表情に「閨事とどんな関係が⁉」と好奇心が浮かんでいた。


「昨夜捕らえた、宿屋の女中ですが。牢獄内にて、殺害されました」


 つと。

 部屋の空気が張りつめる。


「さらに悪いことに、昨夜回収安置しておりました被害者の男性遺体ですが。……何者かに、盗まれた模様です」

「遺体を、か」

「こちらが具体的な報告書となっております。こちらの観点から、女は殺害され、女を殺害した何者かが遺体を盗み去った、と考えるのが妥当かと」


 シンジュは報告書に目を通してから、ロイクをみた。


「報告書からみた妥当な考えは、よくわかった。それで、お前個人の考えは?」

「……私の意見で言わせていただければ、死体が生き返り、その死体が女を口封じに殺害した、のではないかと考えます」


――ありえない


 そう一笑にふせれば、どれだけよいだろう。


 そのありえないことが、起こった。

 それはつまり、例の集団が動いたということだ。


 ほんの微かに、シンジュは口の端をつり上げる。


「……ユーリシアの御使い、か」

「おそらくは」


 ユーリシアの御使いが動くと、ありえないことが起こる。


 かの、ルルフェウスの戦いのときのように。





 紅茶を嗜みながらの雑談は、とても、まったりとしたものだった。

 話していたのはナルと師匠だけで、ひたすら結婚したことについて揶揄われた。

「シンジュのどこが一番好きなのか、聞きたいな」

 という師匠の質問に、正直に、「一つになんて、絞れないですよ」というと、なぜか物凄く笑われてしまった。


 そんな時間もすぐに終えて、ナルは大きく伸びをして立ち上がる。


「少しだけ庭の手入れをしてきますね」

「おや、有難いな。なぜか最近、薬草が見つからなくて困ってたんだ」

「……それ、本気で言ってます?」

「うん?」


 新しい薬草の種をまいておこう。

 今の季節に合う薬草の種がちょうどあればいいけれど。


 歩き出したナルを見て、アレクサンダーが腰を浮かせた。


「僕も――」

「わ、私もやるっ!」


 アレクサンダーよりも先に、白マントの青年がナルへ駆け寄ってきた。ナルはちらっと師匠をみる。

 師匠は、笑顔で「頼んだよ」と言った。


「じゃあ、彼と行ってきます。アレク、師匠の相手よろしくね。嫌ならいつでも逃げてきていいから」


 アレクサンダーは口をぱくぱくさせたが、やがて、ぐっと顎を引くと頷いた。

 決意を固めた様子のアレクサンダーに、微笑む。


 ナルは、白マントの青年と、調理場の勝手口から庭へ出た。

 今の時間、曇りとはいえ正面の花壇は陽光が強いので、中庭の花壇から手を入れよう。花壇と言っても、植えてあるのはもっぱら薬草ばかりだけれど。


「あなた、名前はなんていうの?」


 白マントの青年は、ナルを見て、すぐに目を逸らした。

 さっきから、直視してこないのは、ナルを嫌っているからだろうか。


「リ……」

「リ?」

「リ……ン」

「リン?」

「あ……そ、そうだ。リンだ!」

「そう」


 やや、いや、かなり胡散臭いけれど、ここではそれもまかり通る。

 ナルは師匠と出会ってから今まで本名さえ知らなかったし、師匠もナルのことを聞かなかった。余計な詮索はしない。それが、暗黙の了解になっている。


 ナルは倉庫へいくと、手袋とスコップ、くま手、バケツをもって、花壇に戻った。


「よし、はじめますか」

「何をするんだ?」

「草むしり」

「……草、むしり?」

「もしかして、はじめて?」


 リンが頷く。

(どこの坊ちゃんなの)


 草むしりをしたことがない、ならばわかるけれど、存在自体を知らないなんて。


 いいところの出身にしては護衛もつれず一人で出歩いていることも、おかしい。一番の謎は、ナルを尾行していたということだ。


 害はなさそうなので、尾行の件はとりあえず頭の隅に追いやっているけれど、一体何者なのだろうか。


(まぁいいか)


 師匠の家にいる限り、そういった詮索は、あまりしたくない。

 聞いた分だけ聞き返されても困るからだ。


 ナルは、草を引っこ抜いて土を落とし、バケツへ入れるまでを説明した。


「できそう?」

「馬鹿にするな、それくらいできる」


 リンは実際に手際よく、作業をすすめた。

 しっかりと根まで引っこ抜き、ちぎれた分はスコップで掘り返してバケツにいれるほど丁寧だ。しかも早い。


「……上手ね」

「雑草を取り除かないと、薬草が育たないんだろう? 一己を生かすのは、私の存在意義だ」

「え?」

「あ、いや……知り合いが、そう言っていた、から」


(なにか、訳ありなのかな……聞かないけど)


 黙々と作業を終えて、バケツ一杯になった草を、裏の森へ捨てに行く。

 バケツをひっくり返して落とした草を、ざっと確認していると。


「し、知り合いが……」

「ん?」

「知り合いが、言ってたんだ。その知り合いは、兄のために生かされているんだけど、それがとても嫌になることがあるって」

「んん? よくわからない」

「……り、りーろん、って知ってるか」


 リーロン。

(リ……リーロン王子のこと⁉)


 ナルは、勢いよくリンを振り返った。


「第二王子、リーロン様でしょ?」

「ああ。その、リーロンと、この雑草はよく似ている」

「……はい?」


 何を言ってるんだ、と思わないでもないが、リンの表情があまりにも真剣なために、茶化すことはできない。

 ナルは首をかしげながらも、それで? と促した。


「薬草は、あに……バロックス王子で、リーロンは雑草なんだ。薬草のすぐ傍に生えてるけれど、薬草じゃない。引っこ抜かれて、捨てられるだけなんだ」

「随分と悲観的だけど……それって、リーロン王子が双子の弟だからっていう?」

「根本的な理由はそこにあると思う。けれど、あまりにもバロックス王子の出来がよくて、リーロンが馬鹿だから……国王夫妻は、バロックス王子の影武者として、リーロンを育ててるんだ」


「忌み子とか言われても、王子でしょ? 王子が王子の影武者だなんてありえるの、それ」

「うん」


 リンは、捨てた雑草の傍にしゃがみこんで。

 指先で雑草をつついた。


「いくら隣に生えていても、引っこ抜いて相手に渡せば、本物ではないことはすぐにわかる。ほんの一瞬だけ、相手を騙す。その瞬間のために、リーロンは生きている」


 ふと、ナルは思い出す。

 以前、バロックスが、弟が哀れだと言っていた。あのときは、具体的な理由がわからずに、ただ忌み子として生まれたからだと思っていたけれど。


(本気? 影武者とか……まぁ、日本ほど平和じゃないし。向こうの世界だって、偉い人は影武者使ったりしてるって、なんかのニュースで見たような……でも、王子が王子の身代わりって……)


「随分と、リーロン王子と親しいみたいだけど。会ったことあるの?」

「ま、ぁ。……ある」

「そう」

「リ、リーロン王子は、シンジュ叔父に憧れているんだ」


 え、とナルはリンを振り返る。


「叔父上は、実の兄である国王陛下のために、自ら養子に行かれたんだ。兄のためとはいえ、養子に出るなんて、すごいじゃないか」


「いやいや、根本的にリーロン王子と旦那様じゃ、立場が違うでしょ。兄弟でも、あんたの話が本当で影武者扱いされてるなら……リーロン王子は、不遇過ぎる」

「それがバロックス王子のためになるから、仕方がないんだ」


 ナルは、ポケットから紙袋を取り出して、雑草から摘んだ葉や花、根を紙袋に入れていく。


「……私は当事者じゃないし、関係者でもないから、わからないけれど」


 びく、とリンが小さく震えた。


「な、なんだ。覚悟はできてるぞ」

「なんでそんなに身構えてるの。……私を尾行してたのなら知ってると思うけど。私、シルヴェナド家の令嬢だったの。王城の社交パーティにも行ったりしてたんだけど、そのとき、よくリーロン王子の噂を聞いてね」

「う、うわさ」

「そう。忌み子だとか、王子なのに待遇がよくないとか」

「……うむ。そ、そう言って、皆、リーロン王子を馬鹿にしてたんだろう」

「うん」


 隣でリンが項垂れたが、ナルは、ぷちぷちと雑草をむしっているので、気づかない。


 前世では、小さいころにお城へ憧れた。

 王子とか、姫とか、そういった物語がきらきらして見えたものだ。

 けれど、この世界に生まれて、実際の王城を見て、ナルは幻滅した。


 人を見下して優位にたつことしか考えていない、貴族がほとんどだったのだ。


 当然、そうでない者もいるけれど。

 どんなに優れた人でも、貴族は貴族、という概念は当たり前のように、そこにあった。


 それはまるで、人と家畜を分けるかのようなもので。

 大きな格差に、違和感さえもたない――それが、貴族だ。


「私、馬鹿だなぁって。今、リンの話を聞いて、思った」

「な、なんで」

「私、社交パーティ嫌いでね……でも、唯一の楽しみだったんだ。リーロン王子の噂をきくのが」


 思えば、バロックス王子とも、何度かダンスをしたことがあるはずだ。

 なのに、記憶にほとんど残っていない。半ば貴族の義務として、おこなっていたからだろう。


「きっと、強くて優しい人なんだろうって、勝手に、憧れてたのよ」

「……は? 誰に?」

「リーロン王子に」

「なぜ、どこにそんな要素があるんだ⁉」

「人から虐げられた経験をもつ人は、弱者の気持ちもわかるじゃない。相手の気持ちを、思いやれる人なんだろうって……でも、現実は、もっと悲惨なのかも。私が思ってるより、辛い人生を歩んでおられる……かもしれない」



 目ぼしい葉を摘み終えると、ナルは立ち上がって大きく伸びをした。

 座ったままのリンに、「これお願い」と紙袋を渡して、道具の片づけをする。


「この雑草、どうするんだ」

「食べるの」

「雑草を?」

「あのね、雑草っていう草はないって、よく言うでしょ。それぞれちゃんと名前があって、効能もあるの。そりゃ、まるまる全部使えるわけじゃないけど」


 井戸で手と摘んできた草を洗って、調理場で種類ごとに草を分けていく。

 リンにも手伝ってもらった。


「……本当に食べるのか、これ」

「うん。まぁ、手間はいるけどね。あく抜きとか。あ、これならお浸しで食べれるから、すぐ作れるけど。味見してみる?」


 採れたての黄緑の葉を湯に通して、ざっくりと切ってから、塩で味を調えた。

 たったそれだけの「草」を、皿にのせて、リンへ渡す。


 リンは、半信半疑といった表情で、ぱくりと食べた。


「! ……美味しい。なんだこれ、甘い」

「でしょ? こんなに美味しいのに、時間が経つと苦みが増すから、野菜として販売できないの。でも、すぐ食べたらこんなに美味しいんだから。ほかの草も、それぞれ味が違って、栄養だってあるし」


 湯や冷水、塩をつかって、それぞれの草のあく抜きや、下ごしらえを整えてから。

 ナルは、師匠の「気軽に食べられる果物かご」の果物が減っていることに気づいて、棚から紐のついたカゴを取り出した。


「ちょっと、柿をとってくる。……あ、そうだ」


 リンを振り返ると、はっとしたように、ナルを振り返った。

 どうやらぼうっとしていたらしい。


「これだけは、言っておかないと」

「なにを」

「あんた、リーロン王子を雑草に例えたけどね。どうよ、その草。おいしかったでしょ」

「……それは」

「馬鹿にしないでよ。雑草も、リーロン王子も。あんたが知らないだけで、いいとこなんて、沢山あるんだから」


 ナルは、リーロン王子に会ったことがない。

 けれど、王城へ行くたびに、噂をしている令嬢を探して、そっと傍で耳だてた。もしかしたら、どこかで会えるかもしれないと、社交パーティで辺りを見回したり、庭へ降りたこともある。


「少なくとも! 私は、リーロン王子に会ったら、いいところ見つける自信あるから。……リーロン王子は私の初恋の人だし」

「はっ⁉」


 会ったこともない王子のことを、ずっと考えたり。

 会えるかもしれないと、無駄に歩き回ったり。


 これが恋ではなく、なんだというのだろう。

 王子に恋するなんて、子どもの頃に描いた夢物語のようだ。


「……あ、会ったことないんだろうっ?」

「ない。でも、いいの」

「会ったら、理想が、崩れるからか」

「あのねぇ、ありのままを受け入れられずに、何が恋だって話よ。……まぁ、昔の話で、今は旦那様一筋だから」


 よっ、とカゴの紐を、肩にかけた。


「じゃ、行ってく、る……リン?」


 歩こうとしたナルの袖が、つんと引っ張られる。

 リンが掴んでいた。


「……ナル……と、呼ぶぞ」

「え、うん」

「…………ごめん」

「はい?」

「そ、それを、言いたかったっ、だけだ。べ、べつに、お前を好きだとか、そういう理由で、あとをつけてたわけじゃないっ。ただ、あ、あやまるタイミングを、その」

「わかったから、落ち着きなさいって……あー……柿、一緒に取りに行く?」


 リンは、迷う素振りを見せずに、頷く。

 その素直さに、くすりと笑う。


 よくわからない人だけれど、素直なところや真面目なところは、とても好感がもてる。

 何より、ナルの言葉を、とても真剣に聞いて、自分の発する言葉にもナルへの気遣いが感じられた。


(リーロン王子って、リンみたいな人かな)

 優しくて、真面目で。


 伯爵令嬢でなくなったナルは、もうリーロンに会う機会はないだろう。

 シンジュの妻とはいえ、元死刑囚を、王族に引き合わせることはないだろうから。


 会ってみたかった。

 伯爵令嬢だったころの後悔が残っているとすれば、唯一、初恋の人に会えなかったことかもしれない。






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次の更新は、明日予定です……が。

私事により明後日になる可能性がございます。その際は、活動報告にて、報告させていただきます。


次も、宜しくお願い致しますm(__)m

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― 新着の感想 ―
[気になる点] しかし、主人公の初恋ハンターぶりには脱帽ものですね。自覚がない上、良い男ばっかり落として、よい思い出となれるイイオンナは希少ですよね。 [一言] まぁわかってましたけどね? ナル、鈍い…
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